出来損ないの聖女

ノベルバユーザー225269

出来損ないの聖女の僕



 僕は出来損ないだった。僕は男だ。けれど僕の体には聖女の証があった。今まで聖女として生まれてくるのは女ばかりだった。だから聖女と呼ばれていたのだ。それが僕の存在によって狂うことになった。 それに加えて僕は王子として生まれてしまった。国王である父と王妃である母との間に生まれた5人目の子供、そして第3王子だった。 僕が生まれた日、王宮はかなりの騒ぎになったそうだ。どこから漏れたのか分からないが僕が誕生して2時間後には第三王子が聖女の証を持って生まれてきたことが王宮中に知れ渡ったのだ。それは王宮に出入りしていた庭師や商人などに知れ渡り、そこからすぐに街中に広まった。 3日もすれば国中にその知らせが知れ渡った。 そうすればもう僕の存在を隠すことはできない。僕は95代目の聖女となった。歴代の聖女として初めて男の僕が名をはせることになってしまった。
 民たちは僕の存在をあまり問題視していなかったが王宮内では違った。「男の聖女など不吉だ、何か災いが起こる前触れだ。なにか起きる前に消してしまおう」と言う否定派と「性別はどうあれ聖女の証があるのだから、聖女として扱おう」という肯定派の二つに分かれることになった。 しかし肯定派といっても彼らはどちらかというと中立派だった。 ずいぶん昔、49代目の聖女が不慮の事故でなくなったとき、数カ月雨が降り続き作物は枯れ果て、川の氾濫などで多くの人々がなくなった。 そんなことがあったから僕の身に何かあったときなにか起こるのではないかと危惧し、僕を擁護しているのが肯定派だった。 王子として生まれているだけならば僕は皆から愛されていたのかもしれない。けれど僕は特異だった。人は前例にないことを中々受け入れることはできない。それは僕自身もそうだった。

「どうして僕は男なのに聖女なの?」 一度母にそう尋ねたことがあった。母は僕の頭を撫でながら言った。「神様がそう決められたからよ」 母はそう言うと僕をきつく抱きしめた。母の体が震えていたのを今でも覚えている。 誰も明確な答えなど教えてくれなかった。それはそうだ。誰も答えなど知らないのだから。 これは神の気まぐれなのだ、そう思うしかできなかった。
 しかし彼だけは違っていた。「お前が選ばれたのは神様がお前のことを気に入ったからだよ!それでちょっと人と違う力を持たせてやろうってそう思ったんだよ。だからさ、あんまり難しいこと考えず楽しく行こうぜ。お前のその力は素晴らしいものなんだから」 彼は僕にそう言い続けた。何度も何度もそう言い続けて僕を励ましてくれた。 僕は忌々しく思っていた聖女の証も聖女という地位も、与えられた能力も彼のおかげで少しづつ好きになれた。 彼がいなければ僕は神や聖女のことを憎みながら生きていくことになっただろう。



* * *
 彼は僕の侍従であり唯一の友であった。 彼とは何度か顔を合わせたことがあったが正式に彼が僕の侍従になったのは僕が10歳、彼が16歳の時だった。彼とあの時交わした会話を僕は忘れることは無いだろう。
「私はあなたの剣であり盾です。あなたを守ることが私の役目です。だから私より先に死なないでくださいね」
 そう言って彼は笑った。侍女のアリサがいうには、彼は望んで僕の侍従になったのだと言う。酔狂な人間だ、正直そう思った。 こんな望まれていない聖女の侍従になりたいなど普通は思わないだろう。他の誰のもとにつくより敵を作りやすいこの場所にこようなど普通の人間なら思わない。 しかも聞けば彼の所属は第8騎士団だという。第8騎士団と言えば、頭脳明晰で武術も長けていなければ入れないエリート騎士団だ。しかしながらこの第8騎士団は他の騎士団と違い、まとまって動くことよりも個別で動くことの多い団であった。そのため多くの騎士たちが主と決めたものの下で働いていた。 だから第8騎士団の彼が誰かのもとで働こうと誰も文句は言わないのだが僕を選んだことには、僕だけでなく第8騎士団を始め他の騎士団も驚きを隠せなかった。 考え直せ、と彼に助言している実際に聞いたこともあるし、ふとした瞬間に誰かの心の声が聞こえてくることがあった。

 僕には誰にも言っていな秘密があった。僕の聖女の力は「天気を晴れにする」というものだった。そしてもう1つ、こちらのほうは僕だけの秘密の力「人の心を読める」というものだ。しかもこれのやっかいなのは負の気持ち程よく聞こえるのだ。いつもいつも聞えるわけではない。けれどその気持ちが膨れ上がると僕にその声が聞こえるのだ。『あんなのが聖女だなんて』『あんな力で聖女だなんておかしい』幾度となく聞いてきたその声は少しずつ僕の心を蝕んでいった。 だからこそ彼がどうして僕のもとについてくれたのかが分からなかった。こんな出来損ないで誰にも必要とされていない僕をどうして守ろうと思ったのか分からなかった。 僕は彼に何度か問った。僕でいいのか、と。けれど彼はあなたがいいと答えた。 その答えに僕は何も言えなかった。嬉しかった。僕を必要としてくれて。けれどそれと同時に申し訳なかった。僕を選んでも得することなど何もないのに。
 実際に彼は僕の侍従になってから得することなど何もなかった。むしろ色々なところで反感を買い、両親ともうまく行っていないと聞いた時僕は彼に侍従を辞めるように勧めた。 それを聞いた彼の怒りようはそれはもうすさまじかった。「俺はあんたの騎士になったんだ。あんたを支えると決めたんだ。それは俺の意志だ。誰に何と言われようと俺はあんたの剣で盾だ。俺があんたを守らないで一体誰があんたを守るんだ!!俺はあんたを守りたい!そう思ったからここにいるんだ!」 その時僕はようやく気付いた。僕は彼にとても失礼なことをしていた、と。彼は本気で僕の侍従になろうとしていたのに僕はそれが信じられず遠ざけようとしていた。僕は自分のことを恥じた。僕のことを守ろうとしてくれている人がいるのに、彼も他の人たちと同じだと思い、信用などしていなかった。けれど彼は僕を支えようとしてくれていた。「ごめんトーイ、君を信じていなくて。…これからよろしくお願いします」僕が彼の名を呼んだのは、彼が僕のもとに来て半年後の事だった。

 それから僕と彼の時間はゆっくりと穏やかに過ぎて行った。「そう言えば最初の頃は僕のことをあなたって呼んでいたのに、今じゃあんたって呼ぶよね」そう言うと彼は照れくさそうに「最初の印象は大切だろ?あんたに気にいられないと、俺はあんたの傍にいることはできなかったんだから」そう言った。 彼は大きな手で僕の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。 彼と僕の関係は時間が経つごとに侍従から友達のようになっていった。本当なら主従関係をきちっとしていたほうがいいのかもしれないが僕はそれを好まなかった。それは両親や兄弟からほとんど接触しなかったために生まれてくる感情だったのかもしれない。僕は彼に多くのものを望んだ。侍従、友達、そして父や兄のような存在としても彼を欲していた。
 依存、と言ってもいいのかもしれない。僕には侍女のアリサと彼しか頼るものが無かった。アリサには外に家族がいるから四六時中僕といられるわけではない。そんな中彼が現れ僕の世界に入り込んできた。彼の傍はとても居心地が良かった。僕が欲していた物を何でもくれた。僕が今日はどこにも行きたくないと言えば、彼はずっと僕の部屋にいて「ならここで本でも読むか」そう言って傍にいてくれた。 外と言うものを本の中でしか知らなかった僕は彼に無理を言ってよく城下に連れて行ってもらっていた。初めて城下に行った時の僕のはしゃぎようは今思い出しても恥ずかしい。見るものすべてが目新しいだったものだから「これは何!?「これはどう使うの!?」「トーイ、すごいよこんなものまで売っているよ」そう言って彼と城下を走り回った。 彼は「そんなに喜ぶとは思わなかった。また来るか」そう言って、僕の頭を一撫でした。父にはそんなことをされたことが無かった僕は不覚にも泣きそうになった。

 僕が聖女ではなかったら両親や兄たちの関係はもっといいものだったのだろうか。彼らは僕のことを邪見にはしないが歓迎はしていなかった。その証拠に僕は家族での食事会に呼ばれたことが無かった。いつも誰かの心の声で食事会のことを知った。 彼の目にはそんな僕がどう映っていたのだろうか。可哀想な奴だと思われていたのだろうか。だから僕を守ろうと必死だったのだろうか。

* * * 彼との穏やかな日々も僕が15になって正式な聖女になると変わってしまう。皆の知っている僕の聖女としての能力は天気を晴れにする、というものだ。たとえ雷雨だろうと大雪だろうと、僕が強く願うと晴天になる。だから式典や他国の客人が来るとき僕は神殿に行き祈りをささげることになる。 多くの時間を祈りにささげることになり彼とゆっくり本を読んだり話をする機会はぐっと減った。日々政務に追われ(と言っても神殿で祈るばかりだが)僕の心は疲労していった。神殿だろうと神官であろうと負の感情は聞えてくる。それは騎士や官僚たちと大して変わらない。『私達の方がよっぽど力があるのにどうして彼が』『もっとためになる力を授けてくださればいいのに』 人の妬み嫉みを毎日毎日聞くことは僕にとって苦痛であった。

 僕のこの能力が現れたのは6歳の時だった。1週間ほど高熱に苦しみ一時は命の危険まであった風邪が治って両親に僕のもとを訪ねて来た時だった。『本当に風邪だったのだろうか。毒と言うことは考えられないか』そんな言葉が聞こえてきたのだ。それはまさしく父の声だった。「えっ」と僕は思わず声をあげてしまった。しかし父は「どうした?どこか痛むのか?」そう問ってきた。まるで先ほどの言葉はなかったかのように。けれど母を見ても僕の様子を心配するだけで父を諌めるわけでもなかった。 その日から時折、声が聞こえるようになった。それは僕が意図して聞くと言うより、ふとした瞬間に聞こえると言ったほうが正しいように思う。聞こえるのは別によかった。けれどその内容の多くが僕を非難する声だった。 僕が転んでしまった時「大丈夫ですか?」そう言って声をかけてきた騎士が心の中で『怪我とかしていたら仕事が増えるな。面倒だな』と言っているのが聞こえたり、「王子は聖女として立派に任務を果たされますよ」と言っていた大臣が『こんな出来損ないの聖女など早く消えてしまえばいい』そう言っているのが聞こえたり。こんなことがずっとずっと続いた。
 そしてその声は年々聞こえる回数が増えていった。 その能力が目覚めてから僕は徐々に心を閉ざしていった。何を言われても傷つかない悲しまないためにはそうすることが一番だった。誰にも関心を持たず興味ももたない、そうすれば楽だった。誰にも期待しなくてよかったから。 けれど彼はそんな僕の心を少しずつとかしてくれた。頑なだった僕の心をゆっくりゆっくりほぐしてくれた。
「あんたには俺以外の話し相手が必要ですよ。隣国のエド王子なんてどうですか?あんたと同い年だし向こうは元気いっぱいの少年ですし、多分楽しいと思いますよ?」 そう言って勧められた話し相手のエドは確かに元気いっぱいでそれでいて良い人だった。純真無垢な存在で僕には少しまぶしいくらいだった。友達とまではいかないが時々近況を手紙で知らせるくらいの仲にはなった。「俺としてはもっと仲良くなって、あっちとこっちを頻繁に行き来するくらいになってくれるのが理想なんですけどね」そう言って彼は笑った。「きっとあんたは自己否定がひどすぎるんだと思いますよ。まぁ確かにあんたの立場を考えればそれも仕方ないんだと思いますけど。でも俺としてはあんたに色んな世界を知ってほしい、見てほしい。新しいものに触れると世界は少しずつ広がりますよ。きっとエド王子といるだけでも世界は変わる。けれどそれだけじゃダメだ。もっともっともっとあんたは色んなものに触れて世界を変えるべきだ。あんたの世界はここだけじゃない。このままで終わったらあんまりだ」 そう語る彼は、僕よりも僕のことを心配してくれていた。

* * *
 僕は僕を守ろうとする彼に報いたいと思った。彼が僕を必要としてくれなかったら僕はきっと心を壊していただろう。だからどんなにつらくても聖女としての任を全うしようと心に誓った。そして聖女の任を全うした後も彼と2人、いろんな困難もあるだろうが一緒に頑張ってくれるか、そう聞こうと思っていた。きっと彼は笑って「当たり前だろ」そう言ってくれると思っていた。
 僕が聖女になって3年目にとある事件が起きた。それは僕と彼の運命を大きく変える事件遭った。その事件の日は1年の豊作祈願の大事な式典の日だった。両親が国王と妃として公の前に出てくる貴重な日だった。僕は神殿で神に祈っていた。もちろん彼も侍従として僕の傍にいた。そして第8騎士団の団長や副団長、他の騎士たちもいた。公の場での失敗は許されない。特に豊作祈願であるこの式典が雨だと格好がつかない。もし僕の身に何かがあれば天候がどうなるか、そしてその後1年どうなってしまうのか予想もできなかったため、厳戒態勢でその式典に臨んだ。 式典はほぼ順調に進んでいた。国王が演説をし、そのあとに妃が、そして次期国王であるオルト王子が演説をした。残すは5分間の黙とうを残すのみだった。皆が両手を胸の前で組み、目を閉じる。そして静かに心の中で豊作を願うのだ。「黙とうが始まりました」僕はその言葉にほっと胸を撫でおろし、「あと少しだ」と声に出したとき、「テル!!!」と僕の名前を呼ぶ声がした。 どうしたの、と言う前に大きな体が僕の前に迫っていた。「えっ…」僕はその体ごと後ろに転がった。
「どういうことだ、これは!!!」彼が怒鳴っている。正確には僕の体を後ろに隠しながら剣を構えて、目の前の男たちに怒鳴っていた。 僕は体を起こしながら彼が怒鳴っている男たちを見た。 そこにいたのは見覚えのある服装の第1から第8騎士団のどこかに所属しているだろう騎士たちだった。 数にして30人。彼らのほとんどは式典の日に神殿や神殿周りを警備している騎士たちだった。「本当にこれは一体どういうことだ。お前たち自分が何をしているのか分かっているのか」第8騎士団長が叫ぶと、彼らは僕に剣を向けて言った。「あんたみたいな出来損ないが聖女なんておかしい。俺たちはずっとそう思ってきたんだ」「あんたがいなくてもこの国には別に支障はないはずだ」「聖女は女だから意味があるんだ」「しかも能力が晴れにする力?ふざけるな、そんなどうでもいい能力より傷が回復するような能力だったら良かったのに!」「そうだ、そうすればあいつらだって生きていたのに!」「そうだそうだ!お前のその役立たずな能力なんていらない!」 それはたまりにたまった彼らの負の気持ちが抑え込めず頂点に達したために起きたことなのだろうと、諦めに似た気持ちになるのはその事件が起きてから1年以上たってからの事だった。 あの時の僕は、恐怖でいっぱいだった。こんなにも悪意を向けられたのは初めてだった。しかも彼には明らかに殺意があった。僕は憎悪を向けられることはあっても面と向かって殺意を向けられたことはなかった。 どうしよう、どうすれいい、僕は震えが止まらなかった。
「黙れ貴様ら!」そう吠えたのは彼だった。「この方は立派な聖女だ。お前たちが仕えるべき主だぞ!!!何をしているのか分かっているのか!立派な謀反だぞ、分かっているのか!!!」「お前こそ、どうかしてるぞ!そんな奴どこに庇う理由がある!」「貴様らこそどうかしている!この方を貶める理由がどこにある!!もがきながらも聖女としてしっかり任を果たしているこいつをどうしてお前らが傷つけようとする!こいつを守るのが俺たちの仕事だろうが!!!!」「そんなことのために俺たちは騎士になったんじゃない!」 もういい、もういい、聞きたくない。悪意のこもった言葉など聞きたくない。「トーイ、こいつらには何を言っても無駄なようだ」「そのようですね」「手加減はするな」「勿論です」 彼をはじめとする騎士団長や副団長とあと2人の騎士、合わせて5人の騎士は僕を守るように敵となった騎士たちに剣を向けた。第8騎士団長の「やれ!!」という掛け声で皆が一斉に動いた。剣の交わる音、人のうめき声、血しぶき、そのどれも僕が体験したことのないことだった。 僕はただ茫然とその光景を見ていた。生気のなくなっていく騎士だった彼らの目、僕を睨みつけるようにこと切れる彼らの目を僕は見ていた。
「はぁはぁ」と誰の息遣いかわからない音がする。勝敗はなかなかつかなかった。相手が騎士と言うこともあり手練れが多くいた。倒れていく中には顔見知りの者もいた。いつだったか護衛をしてくれたものもいた。 こんなにも憎まれていたのか、僕の目からは涙が流れていた。嫌われているのは分かっていた。けれど殺したいほど憎まれているとは思っていなかった。僕は心のどこかで期待していたのだ。きっといつか彼らは僕を聖女として認めてくれると。
 いつか読んだ小説では嫌われ者だった主人公が最後はいろんな人と打ち解けて幸せそうに暮らしていた。僕もいつかはそうなれると思っていた。そうなりたいと思っていた。 今は苦しくても聖女としての任を終えた後、あんなこともあったねと笑って皆と暮らせると思っていた。けれどそれは夢物語だった。彼らは僕を殺したいと思っていたし殺すつもりで今もいる。 怖い、と感じた。人を怖いと感じた。 出来損ないの聖女をこんなにも憎み殺そうとしている人がいると言う事実に改めて恐怖を感じた。
「しっかりしろ!お前の心が折れたら意味ないだろ!!!お前は心を強く持って聖女としての仕事をしろ!!!」 彼は大男に剣を振りかざしながら言った。「ここはなんとかする!!お前はお前の仕事をしろ!!!」「無理だ…。無理だ。僕には、無理だ」 それは僕が初めて口にした拒絶だった。これまでずっとどうして僕が、どうしてこんな力を持っているんだそう思っていた。けれど決してそれを口には出さなかった。だって出してしまえば本当に僕はいらない存在になると思ったからだ。僕にも僕なりに聖女としての任に責任や誇りを感じていた。 けれど僕のそんなちっぽけな誇りはプライドはあの時壊れてしまった。「無理だ、僕には無理だ。僕が聖女何て間違ってる。僕なんて…いなければよかったのに」 そう僕が呟いた時「トーイ!!!!」悲鳴にも見た声が聞こえた。何事かと顔をあげると全身血まみれの彼が僕の前に立っていた。 その形相は僕が見た中で一番怖く、彼の怒りが伝わってきた。「ふざけるな。お前のために戦っている者たちの姿が見えないのか。お前のために命をはっているものがここに5人もいることが分からないのか。…それも分からないのならお前は聖女でいる資格はない」「トーイ…」「しっかりしろ。お前は立派な聖女だ。誇りを捨てるな。お前は俺の誇りなのだから」 彼は僕の目をしっかりと見つめそう言い切った。 するとあんなに絶望していたのになぜだかもう一度頑張らなければという思いが沸き上がってきた。 彼の信頼にこたえたいとそう思った。 気づくと僕は「わかった。ごめん、しっかりする」そう答えていた。 僕が再び神の像に向かって手を組み目を閉じ祈りだすと彼は「それでいい。それでいいんだテル」そう言ってまた敵に向かって走り出した。 それから僕は周りの音も耳に入らないほど必死に神に祈っていた。それが僕の使命だから。目をきつく瞑り周りを遮断するように、次に目を開けたときは世界がより良いものになっているようにと思いながら、神に祈りを捧げていた。


「聖女様、もう終わりました」 僕の肩にぽんと手を置いたのは第8騎士団副団長だった。いつもかけている眼鏡にはヒビが入り血も飛び散っていた。「聖女様、ゆっくりとあちらを向いてください」 副団長に支えられながらゆっくりと後ろを振り向くと血まみれの彼が横たわっていた。「声をかけてあげてください」 僕は彼のもとに駆けよった。 彼は僕のことを見ていた。じっと。 ゆっくりと右手を上げ僕の頭を彼は撫でた。「よく頑張った。お前はやっぱり俺の誇りだ」 彼はにっこり笑うと再度頭を撫でその手をおろしていった。「トーイ…」 呼びかけても彼にはもう返事をする力が無かった。「ねぇトーイ」 ほほ笑んでいた彼の口角がどんどん下がっていく。「トーイったら!」 徐々に彼の目から光が消えていく。 やめてくれ。やめてくれ。「トーイ!!!」 そんなの嘘だ。「トーイ!!!!!」 彼の体を揺さぶろうとする僕を第8騎士団長がとめる。僕の後ろから僕を抑え込むように僕の腕をとる。「離せ!トーイ!おい、トーイったら!返事をしてよ!トーイ!!」「…やめろ。もう死んでる。トーイはもう死んでる」「馬鹿なこと言わないで!死んでなんかいない!僕を脅かそうとしてるんでしょ!そうでしょトーイ!」 僕が叫んでも彼からの返事は無い。「死んだんだよ。聖女様、彼は死んだんだ」 副団長の声もする。けれどそんなの信じられない。いや、信じたくない。「君がいなくてどうやって僕は生きていけばいい!トーイ!おいトーイ!!!」 それから僕は叫び続けた。彼の名前を叫び続けた。 けれど彼が亡くなったという事実は変えようがなかった。



* * *
 あの事件は醜聞が広がるといけないという理由で賊が攻め入ったため騎士団たちが必死の攻防を繰り広げたのだと言うことで処理された。あの場で亡くなった彼を含む31人は名誉ある死として語られることになった。 彼は僕のために戦い死んだ。そして主である僕は無事に生き残った。それは騎士としての任を彼が果たしたことになる。けれど彼の死は皆に大きなショックを与えた。彼の死を皆が悲しんだ。彼は僕にはもったいないくらい良き騎士だった。 彼は僕の侍従になったため一族から冷遇されてはいたが母親や兄弟とは比較的仲は良かったそうだ。それは彼の死後に聞いたことだけれど。
 僕は彼と長く一緒にいたが僕が彼のことで知っていることはとても少なかった。それは僕が彼のことをしろうとしなかったからかもしれない。僕は彼にあれこれ求めていただけで一方的な関係だったのかもしれない。 主と侍従としての関係だったらそれでもよかったのかもしれない。けれど僕は彼と友人でいるつもりだった。 けれど彼が亡くなってから知らされる彼の顔は、僕には見せたことのない物ばかりだった。 彼と不仲だと思っていた同僚も実は彼のことをとても気にかけていたとか、彼は妹を溺愛しているとか、そんな事実があとから分かった。
 僕は彼の一体何を知っていたのか。彼との関係が本当はどうゆうものだったのかもう僕には分からなかった。 彼の母親はショックから病気になりやせ細っていった。彼の婚約者は嘆き悲しみ彼の葬儀後二ヶ月もの間部屋にこもり泣き続けた。

 彼が亡くなってから僕を見る皆の視線は一層厳しいものになった。言葉では「貴方様が助かってよかったです。彼は立派に任務を果たしたのですから悲しむことはありません」と僕の告げる。けれどそれが嘘なのはわかっている。 僕には聞こえる。彼らの声が。僕を憎む声、蔑む声、そして僕の死を望む声が。「お前は被害妄想が激しい!もっと楽しく生きろよ!お前はもっと笑顔でいるべきだ」そう言って僕を叱咤激励してくれる親友はもういない。 僕が殺したも同然だ。僕につかなければあんな死に方せずにすんだのに。 そう思えば思うほど僕は自暴自棄になり、必要最低限の仕事しかせず、部屋にこもりがちになった。それを咎めるものはもういない。 そんな日が1ヶ月続いたある日、とある少女が僕のもとを訪ねてきた。少女と言っても13、4歳ほどの勝気な目をした可愛らしい子だった。 少女はオリヴィアと名乗った。トーイの妹だと、そう言った。「兄からもし自分に何かあればこれを渡すようにと言われていました」 そう言って僕に手渡してきたのは布にくるまれた何かだった。「中身は知りません。兄からあけては駄目だと言われていたので。それでは」 そう言うとオリヴィアは足早に部屋から立ち去った。 僕は手渡されたそれをしばらくぼーっと見つめ、それからくるくる回してみたり、机に置いてつついてみたりした。 そして布をめくるまで丸三日は要した。 いざ中身を確認してみるとそこには2通の手紙があった。1つは「父へ」もう1つが「我が主テル様へ」と書いてあった。 僕は震える手でその手紙を手に取った。僕を罵る内容だったらどうしよう、否定的なことが書いてあるかもしれない、そう思うと中々手紙を開くことが出来なかった。 けれど意を決して手紙を開き、その内容を目で追っていくと、僕は膝から崩れ落ちた。

『親愛なる我が主テル様へこうして改めて手紙を書くのはとても恥ずかしいです。手紙だとどうも畏まった感じになってしまうのであまり書かないのですが。今日は筆を執ってみました。あなたがこれを読んでいるということは私はもうこの世にはいないのでしょう。末の妹にもし私に何かあればこれをあなたに渡すように言づけていましたので、あなたがこれを読んでいるなら私は死んでしまったのでしょう。私はあなたをきちんと守れて死にましたか。それが気がかりです。あなたを守って死んだのなら言うことはありません。その死は騎士として名誉なことです。しかしやはりあなたのことが気がかりです。1人で苦しんではいませんか?1人で泣いてはいませんか?あなたはきっと相変わらず自己評価が低いだろうから自分を心配してくれる人なんていないとお思いかもしれませんが、よく周りを見てください。あなたのことを思ってくれている人はきっと傍にいますよ。テル様、私はあなたの傍にいれて幸せでした。あなたとの思い出でいらないものなど1つとしてありません。あなたは私があなたを選んだとお思いかもしれませんがそれは違います。あなたが私を選んでくれた。だから私はあなたついて行こうと思ったのです。1人で大丈夫な人間などいません。誰かに頼ってそして頼られながら生きていくのです。あなたにもそれが出来る、私はそう思っています。あなたの気持ちは私が一番よく分かっています。あなたが今までたくさんの人に裏切られ傷ついてきたことも知っています。だからこそその痛みを知っているからこそあなたは強くなれる、誰よりも。色々なことを思いつくままに書いてしまったので読みにくいところもあったのではないでしょうか。そうだったらすみません。テル様、私はずっとあなたの味方です。だからどうか心を強く持ち生きてください。あなたの騎士であり友より』

 僕は手紙を胸に抱きしめ大声をあげて泣いた。 結局僕は最後まで彼に頼ってばかりだ。 彼の手紙が無ければ僕はずっとくすぶっていただろう。 僕はいつも彼に背中を押してもらってばかりだ。 彼に何か恩返しが出来たのだろうか。いやきっとできていない。ならばこれから恩返しをすればいいじゃないか。 もう一度、もう一度だけ頑張ってみよう、そう思えた。 このままじゃいけない、彼の気持ちに報いたい、そう思った。 僕は流れ出る涙を拭うと、用意されていた聖女の服に身を包んだ。「もう少しだけ頑張ってみる」 僕は彼からの手紙を机の引き出しにおさめると両手で両頬をパン!と叩いた。「トーイ、もう少しだけ頑張ってみる。だめかもしれないけど、それでももう少しだけ、頑張るよ」 僕はそう言って部屋から飛び出した。

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