もしも一つだけ願いが適うなら【上】

モブタツ

  懐かしい。
  久し振りにこの夢を見た。
  昔、俺が入院していた時に出会った少女との思い出の夢。
「…夢…か…」
  寝起きの余韻に浸り、しばらく天井を見つめる。ベットの弾力に身を任せ、物思いに耽る。
  父さんが死んでから一週間。忌引きが終わり、今日からまた学校に行くことになる。
  父さんが死んだのはかなりショックだった。父さんからは多くのことを学んだ。もちろん、生活して行く上で必要な料理や洗濯などの家事の仕方。それだけではなく、ひとりの人として生きるための道も教えてもらった。
  …死ぬとは何なのだろうか。
  まき姉ちゃんを失って以来、俺はずっと考えて来た。それは哲学的なものではなく、ただ純粋に疑問を持ったのだ。
  死んだら、何もかもなくなってしまうのだろうか。
  死んだら、もう思い出すことしかできないのだろうか。
  死んだら…形として残るものはないのだろうか。
「…そうか…」
  父を亡くした今なら、芽衣が言っていた言葉の意味が分かる気がする。
『…もし自分がいなくなっても、作品が残るから』
『…お姉ちゃんが絵を描く理由。形として残るからなんだってさ』
  自分が死ぬという現実を知り、自分が生きていた証を残そうとしていたのかもしれない。
  それが正解なのだろうか。
  俺はまき姉ちゃんに尋ねたい。…もう、できないが。

  インターホンの音で、我にかえる。
  いつもより早く起きてしまったが、考え事をしていたらいつも通りの時間になってしまっていたみたいだ。
「こんな朝早くに誰だよ…」
  まだ眠気が残っているが、寝間着のまま俺はドアに手をかける。
  ドアの前にいたのは、薮田先輩だった。
「おはよ。忍君」

  先輩が俺の家まで迎えに来るとは珍しい。いつも一緒に登校してるとは言えども、わざわざ俺の家を訪ねて来るなんてことは過去に一度もなかった。
「昨日はよく寝れた?」
  学校に向かう途中、薮田先輩は突然そんなことを笑顔で聞いて来た。
  気を使ったような、作り笑いのような、ぎこちない笑顔で。
「ええ、まぁ…普通に…ですかね」
  答えに困りながら喋ったせいか、少し素っ気ない感じになってしまう。
「…忍君のお父さんからもらった紙、読んだ?」
  全く、今日の薮田先輩の話の展開にはついていけない。

  父さんが死んだあの日、俺は薮田先輩に、病院の屋上であるものを受け取った。
「大切な話があるの。落ち着いて聞いて。」
  薮田先輩が持っていた封筒の中身は、父の遺書だった。俺が屋上に向かった直後、医師から薮田先輩が俺の代わりに受け取ったらしい。
「これは…忍君と、私に向けられた遺書なの」
  絵を描いている時にしか見せない真剣な表情は、ことの深刻さを俺に伝えるには充分なものだった。
「…父さんの…遺書…?なんで薮田先輩へ宛てても書かれてるんですか…?」
「それは…この中に書いてある。でもね」
  俺にゆっくりと歩み寄り、封筒を持った手をこちらに差し出して来た。
「これは、忍君自身のタイミングで開けて。今とは言わない。この封筒の中身には…真実がある」

  俺はあの日から一週間経った今でも読めていない。特別な意味はなかった。
  まだ気が向いていないからと言ったら正しいのだろうか。とにかく、俺は今ではない、まだ見てはいけないと思い、まだ封筒を開けることはできていないままだった。
「いえ…まだ読んでません」
「…そう…」
  まき姉ちゃんを亡くし、ついに父さんまでを亡くした今、俺は…もうどうしたらいいのか分からなくなっていた。そんな時に遺書を読もうとは到底思えない。
  きっとそれが読まない本当の理由なのかもしれない。
「まぁいいや!忍君が読みたくないなら、そのうち読んでくれた時にお話できればいいし!」
…本当に。
「そんなことよりさ!今日、一週間ぶりの学校だよ?なんか新鮮じゃない?」
…本当に。
「そんな暗い顔してないでさぁ…ほら、学校着くよ?元気出していこーよ!」
…本当に…やめてほしい。
「…忍君?」
  地面しか映っていなかった視界に、心配そうな表情をした薮田先輩の顔が映り込んできた。
「…先輩は…学校、行ってなかったんですか」
  何も考えずに、俺は質問した。
「え?なんで?」
「…まるで自分も行ってなかったような言い方だったので」
  視界から薮田先輩が消えた。覗き込むのをやめたらしい。
「体調崩しちゃっててねぇ。偶然、忍君と同じ期間休んでたんだ〜」
…いい加減、やめてほしい。
「でも、今日からまた授業も絵も、頑張らなきゃね!」
…もう限界だ…。
「…なんで…そんな作り笑いばかりしてるんだよ」
  自分自信を抑えられない。怒りでも悲しみでもなく、もちろん喜びでもない。この感情はなんなのだろうか…。
「…どうしたの?急に。」
「気を使ってるんですか!それとも!元気なふりをしてるんですか!なんでいつもみたいに思いっきり笑わないんですか!?」
  薮田先輩が驚き、言葉を失っている様子を見て、初めて我に返った時、俺はもう一度薮田先輩を見ることはなかった。
「…今日は一人にしてください」
  振り返ることなく、俺は歩き続けた。
  先輩が俺の後を追って歩いてきたかは分からない。
  次に先輩を見たのは、放課後にサークル活動をしていた時だった。
  先輩が教室に入り、俺の後ろを通った時、一度だけ足音が消え、俺の後ろで立ち止まったのが分かったが、会話は一切しなかった。
  そして、俺はその日、薮田先輩の方を見ることはなかった。

  次の日、薮田先輩は学校を休んだ。もちろん、放課後のサークルにも来なかった。
  そして、夜、俺は薮田先輩からのメールで休んだ理由を知ることになった。
  薮田先輩は、入院していたのだ。

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