紅茶と供に福音を

海野水雲

電話と真意

 帰宅後、幸助が夕食のメニューを考えていると、ダイニングに佐奈が入ってきた。後ろにはジルが付いてきている。どうやら紅茶を淹れに来たらしい。 キッチン自体は狭くはなく、三人くらいなら動いても邪魔にならない程度だ。「ねぇ、貴方。編入早々に何か事件でも起こしたりした?」 幸助がメニューを決めたところで、声がかかる。 振り返るとキッチンから見えるダイニング中央のテーブルで、ジルはぶすっとした顔をして頬杖を突いていた。帰宅途中の車内からずっとこの調子で、機嫌が悪いのとは少し違う。幸助は終始変な視線を感じていたものの、思い当たる節がなく困っていた。「いえ、特には……。何かありました?」 何か話をされるだろうとは思っていた。下校中の車内で、ジルの方からかなりじっとりとした目線を感じていたのだ。だが、何も言わないため何も聞きはしなかった。「何かありました? じゃないわ。こっちのクラスは貴方の話題で持ちきりなのだけど」 苛立ってからか、左手の指でテーブルを鳴らしながら小さな唇を尖らせた。「『九条家の新しい従者はゲイらしい』ってかなり噂広まってるみたいよ……。こんな屈辱初めてだわ……。別に性差別するわけじゃないけれど、あまり面白おかしく噂にされるのは、気持ちのいいものではないわ」 佐奈が淹れた紅茶をよそに、ジルはそのまま顔を伏せて何かぶつぶつ言っている。「あっ……。それ誤解だぞ。俺はゲイじゃないし、相手は……」「相手は?」 ジルはなお顔を伏せたまま。 ――女だ。とは、言えるわけがなかった。「いや、なんでもない。忘れてくれ。それって藤宮家の主の方にも迷惑掛かってないのか?」 幸助が露骨に話を逸らすと、ジルは溜息を吐いてそれに乗った。「本来なら掛かっていると思うけれど……。でも彼女はあんまり気にしないタイプだから」「なるほど……。とにかく、それは誤解です」 ジルと幸助のやり取りを傍で聞いていた佐奈が、突然何かを悟ったかのように話し出す。「九条様がどのような性癖の持ち主であっても、私の感知するところではありませんし。別に変な目で見たりは致しませんので……」「だから誤解だって言ってるじゃないですか! っていうかそっちのクラスにまで広まってるんですか?」「はい、おそらく全クラスに。一部の方は歓喜していましたよ。理由はわかりませんが」「あーもう! この際誤解かどうかなんて関係ないの!」 ジルが音を上げた。少し髪が乱れて顔に掛かっていたが、気にしていない様子だった。 彼女の言う通り、この際真実かどうかは問題ではない。お嬢様という立場は退屈で、彼女らは暇を持て余している。そして、そんな彼女たちが退屈をしのぐのに良く使う手法が会話である。噂話から発展させて色々語り、本来の原型なんてもはや残っていないだろう。「しかしジル様、噂を消すのは難しい事です。自然消滅を待つしかないですよ」 少し控えめに佐奈が言うと、ジルは諦めたようにうぅ、と小さく唸った。諦めた、と言うよりは、元々諦めていたがうっぷんを晴らさずにはいられなかったという方が正しい。「早く消えるといいんですが……。時に、ジル様がそこまで言われるのも珍しいですね」 佐奈がふとそう漏らした。すると、幸助が少し悪乗りをする。「あ、もしかして嫉妬ですかね?」「あー、ジル様は独占欲強いですからね。そうかもしれません」 本人は意図していないが、佐奈はジルが目の前にいるにもかかわらず煽るような言い回しをすることがある。もう慣れているのか、ジルは佐奈の発言を気にも留めず、幸助を睨んでいた。その顔は紅潮して……いるわけもなく、冷ややかな視線が幸助につきたてられている。だが、少しするとそれも鞘に納められた。「貴方たちね……。いや、なんでもないわ。私はこういう方が好きだしね」 ジルはそう言って少しだけ表情を和らげる。 その時のジルは決してプラスの表情をしていたわけではないが、幸助にはどうにも可愛らしく見えた。それは、彼女のマイナスでない珍しい表情だったからだ。 そうして彼女を眺めていると佐奈が不思議そうな顔で見てきたので、幸助は咄嗟に顔を逸らす。だが、佐奈はどうやら幸助の思っていることはばれたらしい。 くすっと笑って先の話を続けた。「昔なんて、私が他の家のお客様と話しているとよく睨んでいらしましたね」「そんな事ないわ。……多分」 心当たりがあるのか、ジルは語尾を濁す。「いや、でも可愛い子に嫉妬されるのはあまり悪い気分じゃないですよね」「あら、世辞なら結構よ。……言われる回数が多いとあまり有難味がなくなるのよね」「ジル様、そういう事をあまり口に出してはいけません。こういうのは素直に受け取っておくものですよ。私なんて殿方にあんまり言われたことないですし……」「佐奈は普通にしていれば可愛いのよ。ねぇ?」 同意を求められ、幸助も肯定する。 すると、佐奈の顔はたちまち紅潮していった。本気で照れているらしい。「そ、そんな事ないですよ! あんまりからかわないでください! ……もう」 可愛らしい台詞のはずなのだが、幸助は相変わらず悲しかった。仮に彼女が一般人だったとしても、付き合ったりするとミリタリーショップなどに連れ回されるんだろうと思うとどこか辛くなってくる。「大体、今までペアになった方にもほとんど言われたことありませんし」 ペアというのは、今の幸助の立ち位置の人物の事だ。 実際は、ほとんどの者は第一印象ではそう思っていた。だが、こういった話をする前に佐奈の本来の姿を見てしまうために、皆安易に可愛いと言えず、口を濁すのだ。「そうだ、ペアといえば――」 幸助が本日学校で東花に聞いた事を思い出し、訊ねようとした時にエントランスで電話が鳴った。一般家庭ではもうあまり見ない、ダイヤル式のやはり高そうな電話だ。「あ、俺が行きます」 一番出口に近かった幸助は、佐奈にそう言ってすぐにエントランスへと向かった。 佐奈の表情は一気に暗くなっていた。電話の相手が誰なのか予測できていたのだ。ジルもまたそのはずであったが、佐奈がちらりと見るとうわの空であった。 そうして、小さくこぼした。「神取以来ね。従者で私の事を可愛いと言ったのは」
 夜遅いわけではなかったが、一般家庭でも夜に家の電話が鳴るのは珍しい。三人とも携帯はもっていたし、もしかするとお偉さんかもしれないという事くらいは幸助にも予測できた。「もしもし、九条家でございます」 何故か身だしなみを整えて、幸助は電話に出る。『おぉ、その声は幸助君か! まだ三日ほどしかたっておらんが元気にやっとるかね?』 少し古臭い話し方。低い声の主は九条宗次であった。 ジルの父親。世界的大企業の社長。その肩書きが幸助の身体をこわばらせる。どうにか声が裏返らないように気を付けた。「はい、おかげさまで。それで、本日はどのようなご用件で?」『なに、君に用があった。今週末少し様子を伺いたいが空いているかな?』 何も無かったと思うが、念のため幸助は素早くスケジュール帳を胸ポケットから取り出して確認する。終末は土日ともに何の印もない。 だったら会っても問題ないだろう。「はい、問題ありません」『はっはっは! そうか! で金曜日の夕方に学園の方へ車をよこそう、一緒に外で夕食などどうかな?』 うわぁ、と心の中で呟く。超が付くほどの高級店に連れて行かれそうだ。きっと何か粗相をしてしまうだろう。そう幸助は弱気になるが、向こうに合わせた。「分かりました。態々申し訳ありません」『君たちは運転できないから仕方あるまい。それに運転は村田だ。何も謝ることはない。では、楽しみにしておるよ』 ちん、と受話器を置く音がだだっ広いエントランスに響く。 幸助自身、宗次と会うのは数回目だ。うち二・三回は二人きり。それでも、まだ慣れなかった。重圧、視線、何かを含んだ言葉、全てに翻弄される。常に試されているような感覚が幸助は少し苦手だった。 だが、断るわけにもいかない。それに、ジルの事に関して何か訊ける可能性もある。 とにもかくにも、報告をしなければならない。幸助は急ぎ足でキッチンへ戻る。戻ってまず口を開いたのは、幸助ではなくジルだった。「お父様ね?」 ジルも佐奈も先ほどまでの元気はどこかにいっていた。「それで、行くのね?」 はい、と返事をして、先程言いかけた話に会話を戻してしまう幸助に、ジルの本心は全くといっていいほど伝わっていなかった。

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