偏食な子犬拾いました
決別
「母が探している?」
大樹はマダムを冷たい目で睨み、そう聞き返した。
「そうよ、あなたのお母様が探しているの。探して、家に連れ戻して欲しいと切望されているわ」
「差し出した見返りは何ですか。金ですか、地位ですか。それとも、俺自身ですか」
いつになく大樹が感情を露わに話している。
冷静を装っているが、口ぶりは苛立ちを隠せていない。
「……帰って、母に伝えてください。あなたの息子はもう死んだ、と。ここにいる俺は、あなた方の知る西園寺 大樹とは別人だと」
「大樹……」
落ち着いて話を聞いてみようと言いかけた俺の言葉を遮り、大樹はそのままマダムを睨んだままドアを指さした。
「穏便に済ませたかったらこのままお帰り下さい。母が俺を家に連れ戻したい理由は大体分かります。それをふまえた上で、帰る気はまったくありません」
「この場所は報告させて貰うわ。料理教室のビルも。どこまで意地が張れるか見物
みもの
ね」
マダムはフンっと鼻息荒く踵を返すと、素直にドアを抜け玄関から出ていった。
「大樹、実家の問題、まだ片付いてなかったんだ……」
「俺の中では終わっている。あっちが勝手に蒸し返しているだけだ。それよりゲストを待たせてはいけない。早く戻ろう」
少し落ち着いたのか、大樹は元のポーカーフェイスで部屋を出ていった。
先に戻った大樹は、何事もなかったかのようにマダム達と楽しげに話していた。
部屋に侵入したマダムについてはどう説明したのか、誰も気にしていない風だ。
「香西先生もマネージャーさんも、ホストで食べていけますわよ」
「いやいや、俺も香西も話が上手い方ではないですから、きっとすぐに飽きられてしまいますよ」
「そんな事ないですわよ。聞き上手だし、きっとナンバーワンになれますわ」
何で俺と大樹がホストをやらなきゃいけなんだい。
大樹はともかく、俺は女性に媚び売ってベタベタしてなんて商売は御免だ。
そんな事したら酒飲まなくても吐きそうだ。
「もし料理教室がなくなって、ホストに転身した際はご贔屓に」
そう締め括り笑顔を振りまいた大樹にマダム達は歓喜した。
そんな日が来る筈もないのに、まるで近い現実話を聞かされているかのような浮かれっぷりだ。
でもまさか、と心の奥がざわついた。
追い出したマダムは、大樹の母親に料理教室の場所も知らせると言っていた。
大樹はどんな脅しにも屈しないといった風だったが、やはり実家の手の者を寄越されたくはない感じはみられた。
家の者が来る前に大樹は逃げてしまうのだろうか。
このマンションも、俺も、ポチも、何もかも捨てて大樹は去ってしまうのでは……?
流石にお茶会の場で『俺を捨てて去るのか』とは聞けなかった。
関係をバラすような真似もしたくなかったし、和やかな場を壊すのも大樹は良しとしないだろう。
結局お茶会が終わり、全て片付けが終わってから心の奥でわだかまっていた不安を吐き出すことが出来た。
「大樹、俺を捨てて行くのか」
「は? 何言ってるんだお前」
「あのババァにこの場所も料理教室の事もバラされるから、捕まる前に俺を置いて逃げるんだろ!?」
「馬鹿だな、俺がお前を捨てるわけないだろう。惚れ込んでるの、忘れた訳じゃないだろう?」
そう言って大樹は俺の頭を撫でてくれたが、いつも以上に優しく接する態度が言いようがない不安を煽った。
「ポチのことも全部終わってないのに、投げ出すなんてするか? 俺を誰だと思ってるんだ」
俺の頭から手をスライドさせてポチにデコピン。
「今日はお疲れな。夜更かししないでさっさと休めよ」
「大樹さん、何かあったんですか?」
「何かって? 何もないが」
「でも香西さんが『逃げる』とかおかしい事言ってるし。大樹さんも何か……」
ポチがあの場にいなかったことを失念して喋ってしまっていた。
不思議がるのも無理はない。
でもあの場にいても、内情を知らないだけに反応としては同じかもしれないが。
「お前は心配することない。いつも通りに起きて、飯食って、手伝いして。それでいいんだ」
「大樹さん……?」
「それじゃおやすみ。少し飲み過ぎたから、今日は自分の部屋で寝るわ」
大樹はそう言って俺の部屋から出ていってしまった。
いつもならあれくらいで飲み過ぎるという事もないし、あれ以上に飲んでも俺が女性関係で精神的に疲れた時は必ず一緒に寝てくれた。
やっぱり、おかしい。
**********
朝起きると、大樹からラインが入っていた。
『今日は忙しいから、料理教室は一人でやってくれ。緊急事態以外は連絡不可』
「……はぁ!? 朝っぱらから何言ってんだ!?」
昨日の今日だ。やっぱりあのババァの件で大樹が少なからず何かしようとしているのには間違いない。
しかも俺に黙ったまま。
「……重要なことは隠さず話すって約束じゃなかったのかよ」
すかさず電話を入れるが出ない。
ラインを送るが既読にもならない。
「大樹!!」
着替えもせず、合鍵を持って大樹の部屋に行くが、ドアは鍵以外にしっかりとドアロックされている。
中にいるのは確実だが、これでは大樹の元へも行けないし話も出来ない。
「大樹、いるんだろ!? 開けろよ! 何をしようとしているんだ!?」
ドアの外から大声を上げる反応はない。
これ以上の大声は近所迷惑になるし、通報されたらたまったものじゃない。
「聞いてるんだろ。お前、本当に黙ったまま行くなよ!? 俺を捨てて、どっかに行こうとするなよ!?」
大樹にまで捨てられたら、俺はこの先どうやって生きていけばいいんだ。
ただ生命活動をすることは可能だ。
でも、笑ったり、怒ったり、泣いたり。そんな感情表現をしていくのは無理だ。
「大樹……。俺はもう独りでは無理なんだよ……」
返事のないまま、時間は過ぎていった。
これ以上待っても大樹は出てこないだろうし、返事もしないだろう。
隙間しか開いていないドアを静かに締め、自分の部屋に戻った。
ポチはまだ寝ているのか静かなままだった。
「もしかしたら大樹も寝ているのかも」
忙しいとラインが来たのは、俺が起きる一時間前のことだ。
徹夜で仕事をして仮眠を取っていたのかもしれない。
昨日の件から変に過敏になっていて、悪い方向に考えすぎていた可能性だってある。
「きっとそうだ。大樹に限ってそんな事ないよ、な?」
そう思おう。
でないと本当に今日一日動けない。
「まずはポチのご飯を作ろう。それから仕事に行く用意と、メールの確認と……」
夕飯の献立を、と思ってまた落ち込んだ。
大樹は夕飯までに連絡を寄越してくれるんだろうか。
そのまま音信不通になってしまわないだろうか……。
「ああ! ダメだ! 考えるな俺!」
無心になれ! 考えてはダメだ!
そう言い聞かせていたら、俺は大根を片手に無心に下ろしていた。
「おはよ……おわっ!?」
「おはようポチ」
「な、何ですかその大量の大根おろし……」
「え? 大根……おろしだねぇ」
「それ、どうするんですか。焼き魚にしたって多すぎます……」
そんなに大量? と視線を下ろすと、かなり大き目なボウルいっぱいに大根おろしが作られていた。
ボウルの横には大根の頭が一個。手にも半分残った大根。
「……うん。食べよう、大根」
「えっ!? これ全部……」
「残ったら冷凍でもするよ」
そのまま食べると思ったのか、ポチは遠慮しますと言わんばかりに手を口に当てて一歩ずつ下がっていく。
「大丈夫、このまま食べるわけじゃないから」
まだ半分ボーっとしている状態だけど、ミスったところで教室でもないし、ちょっと分量がおかしくなっても食べれない風にならない物を作るから大丈夫だろう。
別なボウルを用意して、豆絞りで卸した大根を絞って移していく。
本当は絞り汁も何かに使いたいが、今は何に使っていいのか頭が回らないので廃棄。
あちこちに絞り汁が飛び散ってしまっているが、もうそんな事、関係ない。
絞った大根に同量くらいの片栗粉を投入する。
これも目分量。ざっくりとドバーっと入れてやった。
あとは粉がしっかり馴染むまで混ぜるだけ。
手で捏ねる。
こねこね、こねこね、こねこね……。
これも無心になれる。
ずっと捏ねれたらいいのに。
それじゃポチが飢え死にしてしまうから、いい加減形成して焼きに入る。
小判大に丸めて、油を敷いたフライパンで焼いていく。
こんがりきつね色になるまで焼いて、あとは味付け。
醤油・みりん・砂糖をほぼ同量ずつ混ぜて、フライパンに投入。
あとは水分がなくなるまで焼いたらおしまい。
醤油と砂糖の焦げた甘じょっぱい匂いがキッチンに広がる。
あぁこの匂い、落ち着く。
「ポチ、今日はここで食べようか」
いつもならダイニングか居間に運ぶのだが、大樹もいないし。
大樹はキッチンに備え付けのテーブルだと落ち着かないので、ここで食べるのは嫌だと言う。
「僕はどこででも」
そう言ってポチは出来上がった物を盛った皿をテーブルに運んでくれた。
取り皿と箸は俺が持って行って席に着いた。
「それじゃ、温かいうちに食べようか」
「はい。いただきます」
今ではすっかり『いただきます』の習慣が身に着いたポチ。
俺も一緒に『いただきます』を言って、取り皿にひとつ取って口へ運ぶ。
「ん! これ大根ですよね!? すっごいモチモチ。甘じょっぱくておいしい!」
「大根だよ。後味と香りが大根だろう? 大根餅っていうんだ」
これを教えてくれたのは咲さんだった。
近所の人にたくさん大根を貰ったが、煮るだけでは使いきれないからと作ってくれた。
「大根っぽくないですね。大根って煮るか卸して添えるかばっかりで、何か味気ないっていうか物足りない感じで好きじゃなかった。これなら大根好きかも」
「だろ? 俺も大樹もよくおやつに作って食べてたんだよ」
咲さんが亡くなって、あまり料理が作れなかった二人だったけど、唯一二人で上手く作れたのがこれだった。
スナック菓子を食べるよりは安いしお腹にたまるし身体に悪くないからと、専門学校に通い出してからもちょくちょく作って二人で食べていた。
「大樹さん、今朝は来ないんですね」
ふと思い出したようにポチが聞いた。
多分もっと前から聞きたいとは思っていたのだろうが、俺が一心不乱に大根を卸していたから聞きづらかったのだろう。
「ああ、忙しいんだって。今日は二人で料理教室ガンバレだってさ」
「そうでしたか。じゃあ僕、足手まといにならないようにしないと」
大樹は一言も『ガンバレ』なんて言っていない。
ここで正直に『連絡不可』とまで言ったらポチまで傷つけかねない。
「じゃあ二人で頑張りますか。あの鬼マネージャーに馬鹿にされないように」
元気な風を装って、ポチに笑顔を向けて言った。
**********
異変に気付いたのは仕事から帰って、夕飯の準備が終わってからだった。
全然連絡を寄越さないままだった大樹に痺れを切らし、『夕飯は?』とラインを送ってみたが反応がない。
今朝送ったものには既読がついていたので、完全無視を決め込んでいるのではないのだろう。
「ちょっと大樹の部屋見てくる」
何となく嫌な予感がした。
自分の部屋に入る時に通った大樹の部屋の前は何となくいつもと違う感じはしたが、それは大樹が一緒じゃないからだと思っていた。
「大樹、帰ってるんだろう?」
鍵を開け、部屋に一歩入る。
「え……」
真っ暗だった。
オートで点くはずの玄関すら灯りがつかない。
薄暗がりの中ゆっくりと部屋の奥まで進むと、ある筈のものが何もなかった。
リビングのテーブルもソファもカーテンも。
すっかりとものけの空になった部屋の真ん中に、封筒らしきものがひとつ置いてあった。
手に取ると、大樹が愛用していた薄い紫がかった洋紙の封筒だ。
『真尋へ』
表には二人だけの時にしか呼ばない、俺の名前が書いてあった。
震える手で中を開け手紙を取り出すと、几帳面な大樹の字がそこに現れた。
『真尋、お前に話すと余計な心配をかけるので何も言わないで行く。
昨日から気付いてはいただろうが、これ以上お前を巻き込む訳にはいかない。
もう、済んでいたと思っていた。
俺のミスだ。すまなかった。
すべてが片付いたら、また迎えに行く。
教室をやっていくのが辛いというなら辞めてもいい。判断はお前に任せる。
ポチのことは、もう少しだけ面倒をみてやってくれ。
そのことについても真尋に話さなくてはいけない事もあるし、
やらなくてはいけないこともある。
だから、また戻ってくる。
最後にこれだけは言わせてくれ。
真尋、愛している。
西園寺 大樹』
最初からここには人がいなかったかのように空気が冷たい。
そう感じるのは夜の外気のせいなのか、自分の体温が下がっていくからなのか。
『捨てない』と言っておきながら、いつ帰るかなんて分からない置き手紙ひとつで姿を消してしまった。
『愛している』の裏側には、もう戻れないという言葉が隠されているようにしか思えない。
迎えに行くとはいっておきながら、『必ず』という約束はしていってくれなかった。
「いつ俺が巻き込むな、なんて言ったんだよ! 俺を買ったんだったら最後まで責任とれよ!」
買ったから捨てれるのか?
壊れた玩具と一緒で、邪魔だったから、必要なくなったから捨てる……?
「捨てるなら捨てるで、言葉で言っていけ! 大樹!」
愛してるなんて残していくな。
迎えにこれる保証なんてないなら、『愛していない』と言ってくれ。
大樹はマダムを冷たい目で睨み、そう聞き返した。
「そうよ、あなたのお母様が探しているの。探して、家に連れ戻して欲しいと切望されているわ」
「差し出した見返りは何ですか。金ですか、地位ですか。それとも、俺自身ですか」
いつになく大樹が感情を露わに話している。
冷静を装っているが、口ぶりは苛立ちを隠せていない。
「……帰って、母に伝えてください。あなたの息子はもう死んだ、と。ここにいる俺は、あなた方の知る西園寺 大樹とは別人だと」
「大樹……」
落ち着いて話を聞いてみようと言いかけた俺の言葉を遮り、大樹はそのままマダムを睨んだままドアを指さした。
「穏便に済ませたかったらこのままお帰り下さい。母が俺を家に連れ戻したい理由は大体分かります。それをふまえた上で、帰る気はまったくありません」
「この場所は報告させて貰うわ。料理教室のビルも。どこまで意地が張れるか見物
みもの
ね」
マダムはフンっと鼻息荒く踵を返すと、素直にドアを抜け玄関から出ていった。
「大樹、実家の問題、まだ片付いてなかったんだ……」
「俺の中では終わっている。あっちが勝手に蒸し返しているだけだ。それよりゲストを待たせてはいけない。早く戻ろう」
少し落ち着いたのか、大樹は元のポーカーフェイスで部屋を出ていった。
先に戻った大樹は、何事もなかったかのようにマダム達と楽しげに話していた。
部屋に侵入したマダムについてはどう説明したのか、誰も気にしていない風だ。
「香西先生もマネージャーさんも、ホストで食べていけますわよ」
「いやいや、俺も香西も話が上手い方ではないですから、きっとすぐに飽きられてしまいますよ」
「そんな事ないですわよ。聞き上手だし、きっとナンバーワンになれますわ」
何で俺と大樹がホストをやらなきゃいけなんだい。
大樹はともかく、俺は女性に媚び売ってベタベタしてなんて商売は御免だ。
そんな事したら酒飲まなくても吐きそうだ。
「もし料理教室がなくなって、ホストに転身した際はご贔屓に」
そう締め括り笑顔を振りまいた大樹にマダム達は歓喜した。
そんな日が来る筈もないのに、まるで近い現実話を聞かされているかのような浮かれっぷりだ。
でもまさか、と心の奥がざわついた。
追い出したマダムは、大樹の母親に料理教室の場所も知らせると言っていた。
大樹はどんな脅しにも屈しないといった風だったが、やはり実家の手の者を寄越されたくはない感じはみられた。
家の者が来る前に大樹は逃げてしまうのだろうか。
このマンションも、俺も、ポチも、何もかも捨てて大樹は去ってしまうのでは……?
流石にお茶会の場で『俺を捨てて去るのか』とは聞けなかった。
関係をバラすような真似もしたくなかったし、和やかな場を壊すのも大樹は良しとしないだろう。
結局お茶会が終わり、全て片付けが終わってから心の奥でわだかまっていた不安を吐き出すことが出来た。
「大樹、俺を捨てて行くのか」
「は? 何言ってるんだお前」
「あのババァにこの場所も料理教室の事もバラされるから、捕まる前に俺を置いて逃げるんだろ!?」
「馬鹿だな、俺がお前を捨てるわけないだろう。惚れ込んでるの、忘れた訳じゃないだろう?」
そう言って大樹は俺の頭を撫でてくれたが、いつも以上に優しく接する態度が言いようがない不安を煽った。
「ポチのことも全部終わってないのに、投げ出すなんてするか? 俺を誰だと思ってるんだ」
俺の頭から手をスライドさせてポチにデコピン。
「今日はお疲れな。夜更かししないでさっさと休めよ」
「大樹さん、何かあったんですか?」
「何かって? 何もないが」
「でも香西さんが『逃げる』とかおかしい事言ってるし。大樹さんも何か……」
ポチがあの場にいなかったことを失念して喋ってしまっていた。
不思議がるのも無理はない。
でもあの場にいても、内情を知らないだけに反応としては同じかもしれないが。
「お前は心配することない。いつも通りに起きて、飯食って、手伝いして。それでいいんだ」
「大樹さん……?」
「それじゃおやすみ。少し飲み過ぎたから、今日は自分の部屋で寝るわ」
大樹はそう言って俺の部屋から出ていってしまった。
いつもならあれくらいで飲み過ぎるという事もないし、あれ以上に飲んでも俺が女性関係で精神的に疲れた時は必ず一緒に寝てくれた。
やっぱり、おかしい。
**********
朝起きると、大樹からラインが入っていた。
『今日は忙しいから、料理教室は一人でやってくれ。緊急事態以外は連絡不可』
「……はぁ!? 朝っぱらから何言ってんだ!?」
昨日の今日だ。やっぱりあのババァの件で大樹が少なからず何かしようとしているのには間違いない。
しかも俺に黙ったまま。
「……重要なことは隠さず話すって約束じゃなかったのかよ」
すかさず電話を入れるが出ない。
ラインを送るが既読にもならない。
「大樹!!」
着替えもせず、合鍵を持って大樹の部屋に行くが、ドアは鍵以外にしっかりとドアロックされている。
中にいるのは確実だが、これでは大樹の元へも行けないし話も出来ない。
「大樹、いるんだろ!? 開けろよ! 何をしようとしているんだ!?」
ドアの外から大声を上げる反応はない。
これ以上の大声は近所迷惑になるし、通報されたらたまったものじゃない。
「聞いてるんだろ。お前、本当に黙ったまま行くなよ!? 俺を捨てて、どっかに行こうとするなよ!?」
大樹にまで捨てられたら、俺はこの先どうやって生きていけばいいんだ。
ただ生命活動をすることは可能だ。
でも、笑ったり、怒ったり、泣いたり。そんな感情表現をしていくのは無理だ。
「大樹……。俺はもう独りでは無理なんだよ……」
返事のないまま、時間は過ぎていった。
これ以上待っても大樹は出てこないだろうし、返事もしないだろう。
隙間しか開いていないドアを静かに締め、自分の部屋に戻った。
ポチはまだ寝ているのか静かなままだった。
「もしかしたら大樹も寝ているのかも」
忙しいとラインが来たのは、俺が起きる一時間前のことだ。
徹夜で仕事をして仮眠を取っていたのかもしれない。
昨日の件から変に過敏になっていて、悪い方向に考えすぎていた可能性だってある。
「きっとそうだ。大樹に限ってそんな事ないよ、な?」
そう思おう。
でないと本当に今日一日動けない。
「まずはポチのご飯を作ろう。それから仕事に行く用意と、メールの確認と……」
夕飯の献立を、と思ってまた落ち込んだ。
大樹は夕飯までに連絡を寄越してくれるんだろうか。
そのまま音信不通になってしまわないだろうか……。
「ああ! ダメだ! 考えるな俺!」
無心になれ! 考えてはダメだ!
そう言い聞かせていたら、俺は大根を片手に無心に下ろしていた。
「おはよ……おわっ!?」
「おはようポチ」
「な、何ですかその大量の大根おろし……」
「え? 大根……おろしだねぇ」
「それ、どうするんですか。焼き魚にしたって多すぎます……」
そんなに大量? と視線を下ろすと、かなり大き目なボウルいっぱいに大根おろしが作られていた。
ボウルの横には大根の頭が一個。手にも半分残った大根。
「……うん。食べよう、大根」
「えっ!? これ全部……」
「残ったら冷凍でもするよ」
そのまま食べると思ったのか、ポチは遠慮しますと言わんばかりに手を口に当てて一歩ずつ下がっていく。
「大丈夫、このまま食べるわけじゃないから」
まだ半分ボーっとしている状態だけど、ミスったところで教室でもないし、ちょっと分量がおかしくなっても食べれない風にならない物を作るから大丈夫だろう。
別なボウルを用意して、豆絞りで卸した大根を絞って移していく。
本当は絞り汁も何かに使いたいが、今は何に使っていいのか頭が回らないので廃棄。
あちこちに絞り汁が飛び散ってしまっているが、もうそんな事、関係ない。
絞った大根に同量くらいの片栗粉を投入する。
これも目分量。ざっくりとドバーっと入れてやった。
あとは粉がしっかり馴染むまで混ぜるだけ。
手で捏ねる。
こねこね、こねこね、こねこね……。
これも無心になれる。
ずっと捏ねれたらいいのに。
それじゃポチが飢え死にしてしまうから、いい加減形成して焼きに入る。
小判大に丸めて、油を敷いたフライパンで焼いていく。
こんがりきつね色になるまで焼いて、あとは味付け。
醤油・みりん・砂糖をほぼ同量ずつ混ぜて、フライパンに投入。
あとは水分がなくなるまで焼いたらおしまい。
醤油と砂糖の焦げた甘じょっぱい匂いがキッチンに広がる。
あぁこの匂い、落ち着く。
「ポチ、今日はここで食べようか」
いつもならダイニングか居間に運ぶのだが、大樹もいないし。
大樹はキッチンに備え付けのテーブルだと落ち着かないので、ここで食べるのは嫌だと言う。
「僕はどこででも」
そう言ってポチは出来上がった物を盛った皿をテーブルに運んでくれた。
取り皿と箸は俺が持って行って席に着いた。
「それじゃ、温かいうちに食べようか」
「はい。いただきます」
今ではすっかり『いただきます』の習慣が身に着いたポチ。
俺も一緒に『いただきます』を言って、取り皿にひとつ取って口へ運ぶ。
「ん! これ大根ですよね!? すっごいモチモチ。甘じょっぱくておいしい!」
「大根だよ。後味と香りが大根だろう? 大根餅っていうんだ」
これを教えてくれたのは咲さんだった。
近所の人にたくさん大根を貰ったが、煮るだけでは使いきれないからと作ってくれた。
「大根っぽくないですね。大根って煮るか卸して添えるかばっかりで、何か味気ないっていうか物足りない感じで好きじゃなかった。これなら大根好きかも」
「だろ? 俺も大樹もよくおやつに作って食べてたんだよ」
咲さんが亡くなって、あまり料理が作れなかった二人だったけど、唯一二人で上手く作れたのがこれだった。
スナック菓子を食べるよりは安いしお腹にたまるし身体に悪くないからと、専門学校に通い出してからもちょくちょく作って二人で食べていた。
「大樹さん、今朝は来ないんですね」
ふと思い出したようにポチが聞いた。
多分もっと前から聞きたいとは思っていたのだろうが、俺が一心不乱に大根を卸していたから聞きづらかったのだろう。
「ああ、忙しいんだって。今日は二人で料理教室ガンバレだってさ」
「そうでしたか。じゃあ僕、足手まといにならないようにしないと」
大樹は一言も『ガンバレ』なんて言っていない。
ここで正直に『連絡不可』とまで言ったらポチまで傷つけかねない。
「じゃあ二人で頑張りますか。あの鬼マネージャーに馬鹿にされないように」
元気な風を装って、ポチに笑顔を向けて言った。
**********
異変に気付いたのは仕事から帰って、夕飯の準備が終わってからだった。
全然連絡を寄越さないままだった大樹に痺れを切らし、『夕飯は?』とラインを送ってみたが反応がない。
今朝送ったものには既読がついていたので、完全無視を決め込んでいるのではないのだろう。
「ちょっと大樹の部屋見てくる」
何となく嫌な予感がした。
自分の部屋に入る時に通った大樹の部屋の前は何となくいつもと違う感じはしたが、それは大樹が一緒じゃないからだと思っていた。
「大樹、帰ってるんだろう?」
鍵を開け、部屋に一歩入る。
「え……」
真っ暗だった。
オートで点くはずの玄関すら灯りがつかない。
薄暗がりの中ゆっくりと部屋の奥まで進むと、ある筈のものが何もなかった。
リビングのテーブルもソファもカーテンも。
すっかりとものけの空になった部屋の真ん中に、封筒らしきものがひとつ置いてあった。
手に取ると、大樹が愛用していた薄い紫がかった洋紙の封筒だ。
『真尋へ』
表には二人だけの時にしか呼ばない、俺の名前が書いてあった。
震える手で中を開け手紙を取り出すと、几帳面な大樹の字がそこに現れた。
『真尋、お前に話すと余計な心配をかけるので何も言わないで行く。
昨日から気付いてはいただろうが、これ以上お前を巻き込む訳にはいかない。
もう、済んでいたと思っていた。
俺のミスだ。すまなかった。
すべてが片付いたら、また迎えに行く。
教室をやっていくのが辛いというなら辞めてもいい。判断はお前に任せる。
ポチのことは、もう少しだけ面倒をみてやってくれ。
そのことについても真尋に話さなくてはいけない事もあるし、
やらなくてはいけないこともある。
だから、また戻ってくる。
最後にこれだけは言わせてくれ。
真尋、愛している。
西園寺 大樹』
最初からここには人がいなかったかのように空気が冷たい。
そう感じるのは夜の外気のせいなのか、自分の体温が下がっていくからなのか。
『捨てない』と言っておきながら、いつ帰るかなんて分からない置き手紙ひとつで姿を消してしまった。
『愛している』の裏側には、もう戻れないという言葉が隠されているようにしか思えない。
迎えに行くとはいっておきながら、『必ず』という約束はしていってくれなかった。
「いつ俺が巻き込むな、なんて言ったんだよ! 俺を買ったんだったら最後まで責任とれよ!」
買ったから捨てれるのか?
壊れた玩具と一緒で、邪魔だったから、必要なくなったから捨てる……?
「捨てるなら捨てるで、言葉で言っていけ! 大樹!」
愛してるなんて残していくな。
迎えにこれる保証なんてないなら、『愛していない』と言ってくれ。
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