偏食な子犬拾いました

伊吹咲夜

始めはスープから

あのインターフォンはやはり女医だった。
またあのでっかい黒い鞄を携えてやってきた。

「あら、起きたのね。具合はどう?」

女医はポチに近づき、腕を取って脈を測りじっと顔色を確認したのち、点滴の残りの量を見て頷いた。

「やはり若い子はちょっと点滴したくらいでも回復が早いわねぇ。この残り入れなくても良さそうだわ」
「じゃあ抜くか」
「そうね。終わるまで待ってるのもかったるいし、あなたとイチャつくには時間が短いし。抜いて帰るわ」

そう言うと本当に女医はポチの点滴を抜いて、針の跡に絆創膏を付けた。
この女医、患者の前で待ちたくないとかって。しかも多感なお年頃な少年の前で堂々とイチャつくとか言ってのけるし。
そして片付けを終えると、思い出したように女医は俺に向かって言った。

「あ、分かってるとは思うけど、急にがっつり重いもの食べさせないでね。殆ど食べてこなかったと思われるから、そんなもの食べても吸収されるどころか排出されるだけだから」
「俺は常識として知ってるが、こいつは曲りなりにも食のプロだからな。注意されなくてもそんなもの与えないさ」
「だ、そうですよ? 香西センセ」

女医は紅い唇をすぼませて俺に投げキッスをして、『美味しいものいっぱい食べさせてあげてね』とでっかい鞄を振り回しながら帰って行った。
あんなスラッとした美人なのに、力はかなりあるんだなぁと、変なところで関心してしまった。
そんなやりとりの間、ポチは無表情の無言。
何だろう、マネージャーのあからさまに作った『無表情』とも違う無表情。うまく表現できないけど、強いて言うなら『無感情』って感じに近い。

「おい、ポチに何か食わせてやれ。少しなら食えるかもしれないし、残ったら俺が食う」
「そうだな。ポチ、アレルギーはあるか? 嫌いなものは? 好きなものは?」

ポチの事を考えていて、女医に『食べさせて』と言われたことが頭から抜けていた。
もしかしたらお腹が空き過ぎてこんな表情になっていたのかもしれないし、少し元気になれば色々聞き出せる。
考えるのはまず食べさせてからにしようと決めた。
食べさせるからには好きなものの方がいい。あとアレルギーと知らないで出して、また女医を呼ぶ羽目になるのも避けたい。

ポチはじーっと俺を見つめたまま何も言わない。
警戒しているんだろうか?
まぁ、連れてこられた(拾ってこられた、になるのか?)先で、今どんな状況に置かれているのかも考える隙もなくあれこれ事が起これば、些か警戒もするだろう。
警戒しててもいいから、せめてアレルギーの有無だけでも教えてくれれば、あとは食べようが食べまいが勝手に作る。

「おいポチ。メシ係が聞いてるんだ、何とか答えろ。答えたくないなら無理矢理食わすまでだ。アレルギーで死にかかっても、それは言わないポチの自己責任としてこちらは放置させてもらうからな」
「お、おい! いくらなんでも放置はやばいだろう」
「だから死にたくなかったら言えと言っているんだ。俺は香西ほど甘くはない」

そう言い放ってマネージャーはポチをじっと見据える。
睨んでいる訳ではないが、あの無表情でじっと見られるのは睨まれるのに等しい恐ろしさがある。
今のマネージャーとポチの図はどうみても、ボス犬と新入り犬の『上下関係わきまえろ』だ。
ボス犬の威厳に負けたのか、新入り犬ポチは尻尾を巻いた。
耳を垂れ下げながら、クゥーンと鳴きそうな目でぽそっと答えた。

「……アレルギーは多分ない。好きなものはよく分からない。嫌いなものは殆ど」
「え?」
「ほほぅ。つまりは『何でもいい』ということだなポチ」

好きなものが分からないという答えには耳を疑った。
普通はひとつやふたつくらいは何か好きなものがあっていいのでは? というのが俺の今まで生きてきた中での感想。
それなりの偏食でも好んで食べるものがある。
なのに『分からない』と言うレベルの偏食というのか?
今まで何食って生きて来たんだポチは……。

「と、いうことだ。香西、何でもいい、消化の良さそうなもの作ってこい」
「……お粥あたりがいいか?」
「お粥は嫌だ。味がない。でろでろしてて気持ちが悪い」
「でろでろって……。まぁ間違った表現ではないが。じゃあスープあたりならいいか?」

確かにお粥では消化はいいが味気ないし、何か物足りないのは否めない。
それに残ったらマネージャーが食べるというし、それならとスープの案を出してみた。
するとポチは少し考えてからコクンと頷いた。

「よし、じゃあポタージュでも作ってくるか。油分控えめにするから、マネージャーには少し物足りないかもしれないが」
「他にパンか何か持ってきてくれれば我慢する」

ポチとマネージャーのOKが出たので、さっそくポタージュを作る事にした。
とはいえ予定では今日買い物をして食材を足すつもりだったので、今何が残っているかにもよるが。
キッチンに入り、まずは冷蔵庫のチェック。
玉ねぎが一個、人参が三本、じゃがいもが二個、セロリが半分。
肉類はポチには使わないが、マネージャー用に何か残ってないかと見ると、ベーコンのブロックがちょっとだけ。あと卵と牛乳。
調味料やそこらはまだ色々あるが、まともに材料として使えそうなものはこれくらい。
米や昨日焼いたパンはまだ残っているから良しとしよう。

「まぁ、無難に人参ポタージュでいきますか。マネージャー、これ好きだし」

いつもなら鍋でゆっくり煮込んでいくのだが、今日はガス欠なポチがいる。
一気にやるならこれが一番と、圧力鍋を出してきて人参などの材料を一気に煮込んでやった。





「おまたせ。病人用に薄味で油分控えめなポタージュの出来上がりだ」
「その匂いはあれだな。俺へのご褒美か、それともさっきの罪滅ぼしか?」
「違うよ。材料がなかっただけ。たまたまマネージャーの好きなポタージュになっただけだよ。ポチ、熱いから気を付けて飲んでね」

マネージャーにはローテーブルに、ポチにはベッドトレイにそれぞれの皿を配膳する。
パンくらいなら大丈夫かな? とマネージャーの分から少し拝借してポチにも出してみる。
食べなければ俺かマネージャーのお腹に収まるまでだし。

「何これ」
「何って、見てのとおりポタージュとパン。パンは俺が昨日焼いたやつだからトーストしなくても美味いぞ?」
「そうじゃなくて。このポタージュ何のポタージュ?」
「ん? 人参だが」
「……人参嫌い。これ、いらない。パンだけでいい」
「……それじゃ栄養にならない」

ポチはトレイの中央から端へポタージュを追いやる。
隣に置いてあったパンも、何か他のものが混ざっていないかじっと観察したのち、普通のイギリスパンだと判断したらしく手を伸ばした。

「ちょっと待て。さっきお前は『何でもいい』という俺の判断に否定せずに頷いたよな。それでいてパンだけでいいと?」
「……誰もポタージュを飲むとは言ってないじゃないか」
「ふぅん……。お前にとっては頷きは言ってないの部類なんだな。そうか。俺言ったよな、『答えなかったら無理矢理食わせる』と」

ローテーブルから立ち上がると、マネージャーはベッドトレイを除けてポチのいるベッドに腰掛けた。

「ポチは犬だからスプーンが持てないよな。特別に俺が食べさせてあげよう」

マネージャーはポチ用によそったポタージュからひと口スープをすくうと、そのまま自分の口へ運んでポチに考える隙を与える間もなく、口移し。

「!!」
「ほら、美味いだろう。俺の口で少し冷ましてやったから火傷する温度でもないだろう」

ポチが偏食だって分かったから、いつかこれをやるだろうとは思っていたけど、まさかすぐにやるとは思ってもみなかった。
普通に口抑えてスプーンで流し込むのだと思ってたからそのまま見ていたが、マネージャーの性格からいったらそうなるよな。
このイライラがもっと募ったら、俺にお鉢が回ってくるのかそれともポチがどうにかなってしまうのか……。

「もっと食わせて欲しいかポチ」
「誰が口移しでなんか……!?」
「だったら文句言わず自分で食え。食いたくないなら最初からそう言え。ま、今のお前には食いたくないと言われても無理矢理食わすけどな」

唇がくっ付く位置まで顔を近づけるマネージャーから逃げようと後退りするポチ。
だがベッドにこれ以上の後はない。

「……お前、あの女医とデキてるんじゃないのかよ。男とそういう趣味があるって言いつけるぞ」
「俺は興味のあるやつとだったら誰とでもそういう事はするが。何ならポチともするか? 女医せんせいとはただの大人の関係のお友達だし、言いつけても問題ないが?」

まだ何か言うか? と言わんばかりにマネージャーはポチの顎を持ち上げて自分の元に寄せる。
これ以上やると、ポチが怯えて逃げ出しそうだ。
そこはマネージャーも分かっているらしい。が、怯えるから止めるという訳ではないのがこのマネージャー。

「言っておくが、ここから逃げ出してみろ。普通でないやり方で探して連れ戻すからな」
「……」
「返事は?」
「……はい」
「分かったら冷める前に食え。香西の料理は、食いたくても普通のやつには食えない貴重なものだからな」

そう言ってポチから離れ、ベッドトレイをポチの前に戻してやる。
マネージャーの無言の命令を読み取ったポチは、しぶしぶながらスプーンを手に取る。
そしてひとすくい。ポタージュを口へ運ぶ。

「どうだ、美味いだろう? 香西のポタージュは」
「……おいしい」
「よし、ゆっくりでいい、この皿のやつは全部食え。ただし、今日は空っぽの胃に入れてるからおかわりはなしだ」

マネージャーに言われるままポチはポタージュをゆっくりと口へ運ぶ。
ただ自分が思っていた人参のポタージュと違っていたらしく、たまに首を傾げてはまたポタージュを口へ運び少しだけ口の端を上げて味わっているようだった。
作ったのは俺なのに、すっかり主導権はマネージャーになっている。
これならポチはマネージャーの家に住まわせればいいのに。
殆どの食事は俺の家に来るし、俺よりもポチの体調管理とかも出来そうだし。

「食ったか。それじゃあ作ったやつへの挨拶をしろ」

最後までしっかりポチの食事を見守っていたマネージャーは、スプーンを置くのを見届けると今度は挨拶の指導に入った。

「ありがとう、ございます……?」
「違うだろう、それくらい家で教えられなかったのか。『いただきます』『ごちそうさま』は作った人への最低限の礼儀だろう。さっきは俺が食わせてやってしまったから、『いただきます』は言わせられなかったが」

やっぱりポチの教育係兼世話係はマネージャーの方がいいのでは……。
確かに『いただきます』『ごちそうさま』は基本だが、俺にはポチにそれを言えとは強要しないし、出来ない。
マネージャーの言葉にまたもや黙ってしまったポチ。
すかさず入るマネージャーのセクハラ指導。

「何だ、ポチはキスがご所望か」
「ご、ごちそうさま、でした」
「はい、おそまつさまでした」

こんな風に俺には出来そうにないのに、マネージャーは何を考えているんだろう。
俺に何を求めてこんなことさせようとしているんだ?
さっぱり分からない。元々あんまり分からないやつではあったが、今回のこの行動には読めないことばかりだ。

「さてと。香西先生、今回のこのポタージュの説明をお願いします」

突然マネージャーが仕事モードの口調で俺にポタージュの説明を求める。
この聞き方をマネージャーにされると、俺はつい仕事モードに入ってしまう。

「はい。このポタージュの特徴としては人参の臭みを残さないようにすることです。バターで玉ねぎを炒めてからの方が甘味が出ていいのですが、油分を取りたくない場合は直接人参と煮込んで構わないです」

目の前に生徒がいる訳でもないのに、あの教室の光景が目の前に広がる。

「ここでしっかりと人参を柔らかくなるまで煮込むのが重要です。とろみと甘みを出すのに、ここではじゃがいもではなく米を使います」

あの教室では色目気だった女性が、料理の説明より俺の顔と声を聞きにやってくる。
でも今ここにいるのは、パンダを見に来ているやつらでない。
料理のことをまるで分からない食に興味のない偏食の少年と、料理にも食にも興味はあるが自分ではまるで出来ないポーカーフェイスの人間がいるだけだ。
それだけなのに、説明している時の気分がまるで違う。
新鮮というか、話していて気分が楽というか、嫌ではない。

「……味を調えたあとに仕上げで生クリームを浮かべるのもお勧めです。以上が過程となります」

説明を終えふと視線をマネージャーに戻すと、いつもとなく穏やかな表情に見えた。
何だか満足気に見えるのは気のせいだろうか。
ポチに関しては無表情のままだが、話は聞いていてくれたようで俺の顔をじっと見つめていた。

「という訳だポチ。人参だって調理次第では美味しくいただけるということだ。ここにいる間は出されたものは必ず食べる事。守らなかった場合は……、いいね?」
「……やっぱり俺の家に置いていくんだ」
「それが一番だと思うが。俺の家に連れて行ったら、ポチの貞操が危ないとは思わないのか? あと情操教育上よくないと思われる事柄がいっぱいだが。ポチ、返事は?」
「はい……」

やはりそうなるか。
情操教育上は納得していたが、まさかの貞操の危機。未成年も範疇だったとは知らなかった。

「分かった。うちで面倒みるよ」
「それがポチにとってもお前にとってもいいことだと思うな」

お互いにいいこと?
俺に何がいいことになるんだ?
マネージャーを見遣るも、またいつものポーカーフェイスに戻っていて真意が読み取れない。
ニヤリだったら悪だくみ、くらいの真意は分かるんだが。

結局ポチとここで暮らすことは決定になった訳だが、今はこの体調の事もあるが、一体いつまでポチと俺は一緒に暮らす事になるんだろう。
『話しはあとで聞く』と言っていた件もそのままに、詳しい話もなくマネージャーは自分の家に帰って行ったし。
明日の仕事も入っている事だし、明日また話せばいいが、仕事の間のポチってこのままこの部屋に置いていくのだろうか?

疑問がいくつも残ったまま、俺の夜は更けていこうとしていた。

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