きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第81話

 からん、とグラスの中で積み上がった氷が崩れるのをなんとはなしに眺める。崩れる──そう表したが手持ち無沙汰となった海東心が退屈そうな様子を隠さずにストローで突いて解けるのを早めたというのが正しいか。

 海東心との待ち合わせに合流してから、いったいどのくらい経っただろう。体感的にはかなりの時間、差し向かいでいた気がするがファミレスに入った時と客の顔ぶれが変わっていないので案外一時間も経過していないのかもしれない(深夜にくる客はたいてい長居が珍しくないので体感どおりということもあり得るが)。

 隠すつもりのない退屈にしろ、時間が長く感じるほどの気詰まりにしろ、好き好んではなくともお互い必要に駆られて望んだ席はすでにあらかたの用件を済ませていた。しかし、打ち合わせが建設的に話がまとまったとはいえず、収穫が手間と時間に見合っていたかと聞かれると少々悩ましい。なので、そんなつまらなそうにしているくらいなら解散してもいいわけだが、名残惜しさとは反対の感情でもただ去るのは難しいのかもしれない。それとも──

「──どうして優之助って名付けたのかしらね」

「──は?」

 唐突な話題の提供に気の抜けた返ししか出来ない。いくばくかの間をもってようやく優之助のことだと(当たり前だが)思い至り、考えをめぐらせる。

 名前の由来など話の種にしたことはないので実際はどうか知らないがおそらく優之助の両親がつけたのだろう。そんな想像上の名付け(文字通りの)親である両名について実のところ、私が知ることは少ない。

 優之助が高校に上がる前に死んだということ、優之助に対して親の義務を果たさなかったということ、しかしハルとカナには溺愛していたということ、そのくらいだ。

 私からすれば名前すら記憶していない存在だが、当時の優之助にとっては──いや世間一般における子供の世界において親は全てだといってもいい。その全てに疎まれ憎まれるのといないのとではどちらがマシか……比較すること事態が愚かか。どちらも経験している優之助なら実感の伴う答えが聞けるだろう。そのつもりは毛頭ないが。

 思えば成田稲穂も似たような境遇の持ち主だ。彼女の名前の由来は実りのあるとかなんとかによってだったと記憶している。少なくともはじめは生まれてくれてことを純粋に喜び、祝福されたのは間違いない。

 しかし、発現してしまった稲穂の異能をもてあまし当真の一機関を頼る──ありていにいえば稲穂を捨てる──ことになり、結果、誰にとっても何の感慨もわかない“家族だった”という過去しか残らなかった。

 優之助の場合、どんな思惑があってか同じ家で共同生活は続いていたらしいが、それが当事者達の複雑な感情ゆえか、単に異能者ではない優之助を引き取る環境が近くになかったからなのか、繰り言になるが私は何も知りようがない。まして当の両親はすでにこの世になく、その真意を測ることはもはや不可能だ。

「──たしかに優の字を名付けておきながら、その境遇にひとかけらの成分もなかったのはこれ以上ない皮肉ですね。優しさに囲まれるよう祈ったのか、優しくあるよう願ったのか、いずれにしてもそれが果たされることはなかった」

 だが、そんな家庭環境事情が優之助と海東心とを結びつけることになる。そのあとの感情を育んだのはそれだけが理由ではないが、それでも海東心と似たもの同士であったから異能を持たない一高校生と序列持ちの一角を担う異能者との間に接点が生まれたのは間違いない。

 気づけば、弛緩していた思考に血が通っていくのを自覚する。海東心にどんな意図があったかは不明だが、私に興味をもたせることに成功していた。ただの世間話だったとしても、それがだったとしても、今までで一番──お互いの用件を交わした時よりも──場は整っている。

「いやいや、前者はともかく、後者に関しては当時の希望に叶ったと思うわよ。あいつは──優之助はその名の通りの男になった。

 つまりそれが本題だったのだろう。いや、海東心がこの場を設けた理由は私に沿で優之助の監視させることにある。ならば私はすでに了承しているので、ここからは本題というより私が海東心に協力する必要に値すると感じさせる核心について、というべきか。

「── 

 わざわざ協力の申し出を引き出した時に用いた殺し文句をまぜっ返してみせる海東心。導入の役割としては回りくどさしか感じない話題転換も含めて、単にケンカを売られているだけでは? と思わないわけでもないけど、そんな感情論はともかく、会話の端々にはさきほどまでは得られなかった手ごたえがあった。

「異能の後天的発現移植の成否は精神の充実に作用されるということですか?」

 まるで出題のない問題を解かされるような気分だ、と矛盾した例えが頭をよぎりつつ、それでも答えを告げる。

 言動の全てが優之助へと収束し、人格的にも能力的にも他人の手を必要としない異能者の見本ともいうべき海東心が、それでも当真瞳呼や月ヶ丘清臣の協力を受けてまでなさねばならないことがあるとすればただ一つ。己が異能をもって優之助にしたことへの清算だ。その上で当真晶子という悪例と優之助との差異、そして海東心の研究以前から漠然とながらも判明していた異能に関しての仕組みを考えれば、答えはおのずとわかる。

「そう突飛な結論じゃないわ。生物としての人と異能者に明確は差はなく、それどころか異能を操る器官──あくまでもそれがあると仮定してだけど──がもとより備わっているなら、いえ備わっているからこそ只人であった優之助が異能を得ることが出来た。そして、その器官が増設されたわけではない以上、心理面が大きく関わっているのだと推察するのは妥当でしょう」

「遺伝子がほんのわずかでも違っていれば人とオランウータンほどに差が出るものだそうですが?」

「たしかに研究はこの手の分野で第一人者と自負する私ですらまだまだ道半ばよ。もしかしたら、私が生きているうちに全てを明らかにすることは出来ないかもね。仮にあからさまな臓器にではなく細胞によって異能が発現しているのだとしてたら、人と異能者とを明確に分ける生物的な差異が見つかるのかもしれない。けれど、人と異能者は多分同一の存在よ。触れてきた私が言うのだから間違いないわ」

「とすると、異能者は人が本来使える能力を十全に発揮しているに過ぎないという論になりますね。当真瞳呼が聞けば噴飯ものでしょうに」

「まぁ、そこは信じるも信じないも彼女次第よ──それで暴走されても迷惑だけど」

「まるで当真瞳呼の現状が穏やかみたいな言い様ですね」

 たしかにそうだ、と海東心が笑う。当事者からすれば笑い話でも、そもそも冗句のつもりもなかったが、当真瞳呼の暗躍を知りながら彼女が自らの思想に暴走して溺れていないとは誰一人として思わない──なるほど、そこへ穏やかの文言が絡めば客観的には小噺のネタに出来なくもない。

 とはいえ、話が横にそれたのはよろしくないし、吹き出したこと自体に納得はしても笑えないことには違いない。その空気を読んだのか、優之助のことに関していつまでも別の話で脱線する気はないのか(おそらくこちらだろう)、軽く息を吐いて間を取り、本来の流れへと水を向ける。

「当真瞳呼の暴走うんぬんは置いても、その精神性に異能が無関係ということはないでしょう。もともと超能力は一種の精神病という説もあるのだし、異能があるから危うくなったのか、逆に人の過ぎたる業によって異能が発現するのか、どちらが先かはわからないけど、精神、あるいは魂かな? それら心に由来するものと異能には密接な関係性がある一つの見方ね。この場合、病気扱いなんだから私の言わんとすることとは逆になるけど、異能を与えようとすれば対象の器──精神的な成熟の度合いによって効果や期間が拡大する」

「だから、私に優之助を見届けろ、と? ハルとカナにもその役割を任せているはず、なぜ私にもそれを期待するのですか」

「人手が多いに越したことはないでしょ? それに戦闘中にアクシデントが起こってしまった場合、二人には手に負えない。そういう意味でも序列持ちクラスの協力が必要になる。それも事情を知っている者が、ね」

人手それもあるでしょうけど、私を選んだのは?」

 瞬間、わずかばかりに海東心の表情が固くなったのを私は見逃さなかった。しかし、彼女の動揺に比して推理そのもの難しくない。優之助との仲がこじれた理由の大半が異能者であることに起因しているからだ。優之助が二人を遠ざけたのも、ハルとカナがどうしても好ましいと思えなかったのは無理からぬ話である。

「──瞳子、今だから言うけど、私は優之助から異能をとりあげることをよしとするつもりはないの。もちろん、優之助に致命的なが起こりえるなら話は別だけど、単純に優之助が望まないし、私もをなかったことにはしたくない」

「本当に優之助は大丈夫なのですか? 後から聞いた『制空圏』が一時使えなくなる事態に陥ったのは、まさにいずれは起こりえるであろう破綻を示しているのでは?」

「たしかにそこまでの不調は本人も驚いたでしょうけど、異能者としての優之助がその強さを認められる割に妙に間が抜けていると言うか、不安定な場面って今までにいくらかあったはずよ。

「それは現役時代も含めてですか」

「含めてよ」

 それならたしかに海東心の言い分に思い当たる節がないわけではない。そもそもいくらブランクがあって、出し惜しみしていたからといって桐条飛鳥や真田凛華に手を焼くなんて私や空也、剣太郎が同じ条件でことに当たったとしてもありえない。大学生活にあわせて制限をかけていた暗示も『制空圏』や『優しい手』の出力そのものに対してであって、彼我の実力差からすればいくらでもやりようはあったはずなのだ。

 しかし現に優之助は桐条飛鳥や真田凛華相手に苦戦し、海東心と戦った日には『制空圏』が使えなくなるほど精彩を欠いていた。かたや私の命令(失礼な話だけど)やハルとカナへのもどかしさを含めた新生活の不安、かたやごく当たり前のバイオリズムの低調が招いたのか、戦闘における精神面での影響はたしかに多大でそれが優之助にとっては特に顕著だったというわけだ。『制空圏』にしても、常時発動していたわけではない(だとするなら神経がもたない)ので、使おうと思って使えない時期をたまたま回避し続けてきたのかもしれない。もしくはその時期が短く、かつ少ないのか。

「なるほど、たしかにその理屈でいえば優之助の精神状態に紐付けされているという話も不安定さに対する考え方も一応の筋が通っているように思います」

 研究が道半ばであると──未知や不確定があると認めながら、それでもその論法に疑念を持つ様子がないのは異能者の性分ではなく、確証を得ようと自ら動いてきたからだろう。つくづく生徒会への解任要求この間の騒動が当真や月ヶ丘、天乃宮の思惑ではなく海東心による謀だったのだと理解する。いわば三つの家は優之助に緊張感を持たせるための舞台装置でしかなく、今思えばハルとカナの頑なな言動も、優之助を揺さぶることで試していたのかもしれない。いや、あれは単に関係がこじれているだけの可能性が高いが。

「そうね。異能を使い続けて二年、その反対にまったく使わなくなって三年の都合五年。優之助はそれだけの期間、異能を身に宿しながら己を保っていた。短期間で偏重をきたした当真晶子のようになる可能性が皆無とは決していえないけど──まぁ、だからあなたに監視を頼むわけだしね──それでも、私がハルとカナと違う結論を下したのは、御村優之助という男が迷っても、泣き言をはいても、後ろ向きになっても、誰かに引け目を感じ劣等感に苛まれたとしても、決して投げ出すようなことをしなかったから」

 ──思い当たることなんて山ほどあるでしょう? と彼女にしては珍しく苦笑いの成分が垣間見える表情で私に同意を求める。そんな言葉に無意識の内に手をやったのは三月に痛めたわき腹。とうに癒えた今でも自分の命と天秤にかけて我を通すようなバカの触れた箇所が妙に疼く。

「つまりはそうとうの頑固者ってことよね。そしてこの間もそうだし。ちくちく脅しをかけて、までしたのに妙に前向きでさ。話し聞いただけではなくて自分で考えるっていったのよ。……ホント、リスク言ったことを理解してるのかね──あのバカ」

 だんだんと独白じみてきた海東心のそれは、言葉こそ愚痴に聞こえるが、どことなく惚気のようにとれなくもない。本人も私に遅れて気づいたのか、取り繕うようにグラスの水(砕いた氷がいつの間にか解けきっていた)をあおり、その飲み心地の悪さに顔をしかめている。

「ま、まぁ、とにかくある程度必要なことは伝えたことだし、瞳子も文句はないでしょ? 今日はこれでお開き。私はこれで帰るわね」

 少し前の気まずい停滞とは打って変わって、本当に言い切ったとばかりに(惚気についてのばつの悪さもあるようだが)よどみなく立ち上がりレジへと向かおうとする。やはり去ること自体に関しては私と同じでいつまでもこの場にいたいわけではなかったようだ。それでも本題を私に告げるのに二の足を踏んでいたのは、おそらくこれ以上、協力者を増やしたくないという一種の独占欲が見え隠れしている。そこを曲げて用件を片付けたのだから、その去り際の姿に一切の躊躇もなかった。しかし──

「──心さん、私も当真家の一員だということをお忘れですか?」

「やめときなさいよ。『紅化粧』愛刀もないのに私とやりあっても勝てないのはわかりきってるじゃない。……いや、持っていても無理だけど」

 悔しいが、たしかにそれは彼女のいうとおりだ。待ち合わせに際して包囲することも考えたけど、あらゆる異能を使用出来る以上、下手に罠を張ったところでかわされるのがオチ。そんなことでこの場を潰すより素直に応じた方が得策だった。少なくともその時点では。

 しかし、では手をこまねいてこのまま去るのを許すかといえば話は別。当真瞳呼の件もあるし、易々といかせるわけにはいかない。ならばどうするか。話し合いが終わり、ある程度の収穫を得たこのタイミングをもってここに押し留めるしかない。

「さすがにがあなたをどうこう出来ると思うほど自惚れてはいません。でもここは当真のお膝元。夜中とはいえ、十分かそこらしのぎきれば当真の部隊がここに展開されるでしょう。もちろん、当真瞳呼の息のかかった連中には手を出させませんよ。当真晴明の有能さはあなたもご存知のはず──私達に協力していただきます」

「それは無理よ」

 こちらを見ることもなくそう断言する海東心。その余裕に血の気がざわつくが、かまうものかと冷静な自分が思いとどまらせる。冷えた思考の奥で一振りの刀を思い浮かべる。輪郭も質感も己の一部かそれ以上に明確に連想出来るそれは十、二十と想像を超えて現実へと侵食し、ようやく異変に気づいた他の客にかまわず、全ての切っ先を殺到させんと手を振りかざし海東心へと差し向けた。

「『殺──」

 しかし、それはによって全てが阻まれる。重心の置きどころを忘れたような体幹は前のめりの体勢のせいで無様に床へと墜落する。飲料を片付けていたのが不幸中の幸いか、濡れることはなかったものの、テーブルを巻き込み周囲に物を散乱させる結果になった。

「── か!」

 ようやく海東心の意図を理解する。背を向けたままでは──こちらに視線を向けていなければ──効果を発揮できない。しかし、今の状況を引き起こしたのはそれしかない。ならばによるものとするのが自然だ。



「ありがとうございます」

 力の入らないながらもどうにか頭を動かすと『殺刃』私の反撃に対応出来るギリギリの距離を保った位置に客の一人だった女と視線が交差する。派手派手しいメイクに、着崩されすぎたせいで以前に制服がベースになっているのだとすら気づかれにくいファッション、妙に光沢のある金髪は見せつけるように脱ぎ捨てたせいでウィッグだとわかる。

 そんなもとの姿とは似ても似つかないが、それでも本人だと確信するのは異能とその発動元である当真家の人間特有の印象的な目。今も油断なく私を捉えるその目によって逆に足止めをくらってしまう。

 大丈夫ですか!? と血相を変えた店員が駆け寄り、他の客がにわかにざわつく中、気づけば海東心の姿はどこにも──少なくとも店内には──なかった。

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