きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第80話



    *


 夜の時宮は郊外ともなると閑散としていて、その雰囲気は静謐とも不気味とも取れる。そんな郊外の国道沿いにあるファミレスは私にとってもはや待ち合わせの定番ともなり、今夜もその何度目かの利用となった。

 夜といってもそれなりに賑わう夕食時はとうに過ぎ、日付の替わった深夜帯の客入りはまばらなもの。といっても、外にあったトラックの持ち主であろう中年男性、大学生とおぼしき集団、夜遊びに慣れていそうな派手派手しいメイクの女性と時間帯を考えればそれなりに入っているとみえる。それでもピーク時の混雑には程遠く、目的の相手を簡単に見つけることが出来た。

   が座っていたのは偶然にも数ヶ月前に待ち合わせた友人と同じ席。あの時はかきいれ時の昼にたいした注文をしていない罪悪感で申し訳なさそうにしている様子がとても愉快だったのを思い出す。その時ならずいつも彼を待たせるのは不満そうにしながらも律儀に約束を守るところを──私のわがままに不満げながらも付き合ってくれるところを──見たかったかもしれない。無駄な感傷か。

 だが、今回はそんな悪戯心のために待たせたのではなく、純粋に都合と距離の問題。正直、待たせているという引け目もあって少し緊張しているのが否めない。なぜなら──

「──改めて顔を合わせるのは久しぶりね、瞳子」

「えぇ、本当に。もしかしたら二度と会うこともないとすら思っていましたよ──心さん」

 ──なぜなら、最後に別れた時の状況を思えば、こんなふうに穏やかではいられなかったであろう──それは向こうも同じであろう──相手。そして私にとって、遠縁の親戚でもある海東心はそう言って私を出迎えた。

「ただでさえ学生がうろつく時間でもないでしょうに。それも全寮制の学園を外出してまでなんて──いけない子ね」

  見た目でいえば、十人が十人とも私の方を歳上と思うであろう構図でその発言は失笑ものだろう。わざとなのか大抵伸ばすがままにさせていた(が強くて下手に短く出来なかったというのもあるが)髪を両耳のやや上で留めていて──いわゆるツインテールというやつ──年齢とのギャップに拍車をかけている。時と場合によっては店員に一言掛けられてもおかしくない容姿をしておいて本当によく言えたものだと思う。

「……あなたが日原にいたらこんな手間をかけずに済んだんですけどね」

「それは仕方がないでしょ。優之助と鉢合わせしないようにするには日原の外しかないのだし」

 ささやかな皮肉(いや、抗議か)も特に痛痒を与えることもなく、一種の開き直りともとれる反論を披露する海東心。その内容からも優之助以外なら誰に見つかっても、なにを知られても構わないという意図が見て取れる。

 当然、現状は彼女の意図ほど軽々しいものではない。この二年間での研究や自身の異能について月ヶ丘のみならず、当真の一部が血眼になって探している。本来ならば当真のお膝元にあるファミレスに平然と顔を出せるはずはないのだ。にもかかわらず、今、私の目の前でドリンクバーをちびちび飲んでいるのだから、いったいどんな神経をしているのだろうか。

 そんな彼女を見ていると、なんというか昔のままだ、と思う。名前や見た目、その異能(実際はサイコメトリーではなく全くの、ある意味当人らしい代物だったわけだが)から想像出来ない苛烈さと行動力バイタリティ、そして何よりその大胆さ。本当に何一つ変わらない。

「──そろそろ本題をお願いしたいのですが」

 よぎった考えを振り払うように脱線しそうな会話からここへきた本来の目的へと話の筋を戻そうと試みる。余計な話が増えれば増えるほど、余計なことばかり思い出しそうになる。私のそんな感情論から本題を望んでいるのは間違いないが、本来であればのんびり対面で話し合う仲では断じてない。だから、何も不自然なことはない。

「そろそろというほど言葉を重ねているとは思えないけど? まぁ、世間話や思い出話が目的でなければ、そもそもそんな仲でもないか」

 私の本音と建前が混ざり合った提案に至極まっとうな疑問を挟むものの、それでも否とは言わずお好きなようにとばかりに背もたれに体を預ける海東心。とてもではないが本題に入ろうとする態度には見えない。



「──ありがとうございます」

 そう言いながら取り出したのはファイリングされた一冊の資料。表紙は無地の青というよくある市販のファイルで本来ならタイトルや氏名をそれぞれの欄へと付属のシールを使って書き込む仕様のものだが、それらは一切使われておらず、いきなり出されても中身を推し測るのは難しい。当人に心当たりがなければ、だが。

「これは? ──と、そらとぼけるのはさすがに性格が悪いか」

「わかってるなら言わないでください──ですが、お察しのとおりです。

「……それは本当にわからないわ」

「気にしないでください。こちらの話──というか、でしているであろう話題の順番ってだけですから」

「──天乃宮とはうまくやっているようね」

「心さんほどではありませんよ。味方とまではいわなくとも利害が一致するから多少の協力関係にある。ただ、それだけのこと」

「それは私も同じよ。単に利害が一致する部分があるからお互いの計画に組み込んだだけ──味方であることは

「(──私の思考を読んでいたのか。どこからかは知らないけど)」

 元々察しのよさは人並み以上だったが、ピンポイントで内心の単語を合わせてきたのはそれとは別に生来備わっていた能力、読心に類する異能によってだろう。私と海東心との関係と同じであるといいたいのか、それとも組んだ相手の関係がその言葉しか評しえないというのか、私の思考から混ぜっ返すように“断じて”と強調する海東心。

「ならばこれもあなたと私の利害に沿うものでしょう。なぜなら、こちらであなたの尻拭いをするわけなんですから──今度編入される予定の生徒。彼ら彼女らが当真瞳呼の本命で間違いありませんね?」

「尻拭いというほど私の汚点といえるかしら? 私は単に異能を与えただけ。それをどう使うかはその人次第でしょうに」

「どう使われるかわかっていた以上、は免れません──まさか知らなかったとは言いませんよね。彼らが彼女らが当真瞳呼が当主選定の切り札として選りすぐった精鋭だったと」

 そういいながらファイルを広げページを進めていく。それは天乃原学園の正式な書式によって印字された転入生のプロフィール。書類そのものはコピーとはいえ、海東心の前に開示されたのは、まぎれもない本物の転入生情報だ。しかし──

「佐藤一意、鈴木二世、高橋三界──明らかな偽名です。しかも顔写真がない。なぜか紛失のまま登録が通ってしまったそうです。しかも提出は転入後とのこと。どう控えめにいっても後手を踏まされた感は否めないでしょう」

「よくそんなものが通ったわね」

「わざとらしく感心しないでください。天乃宮の方で足の引っ張り合いがあったのか、それともなんらかの異能によって突破されたのか」

 いずれにしても詳細は不明。しかし、月ヶ丘家当主であり、こと情報収集に関して随一の異能と資質を持つ月ヶ丘帝が知りえた以上、そこにガセネタが混じる余地などない。で、あるなら『新世代』の本命として調整した“異能を付与された異能者”が本格的に動き出したというわけだ──個々の思惑や当真瞳呼の妄執を携えて。

「ですのでお教え願えませんか? 彼らの詳細、つまり素性や能力といった正体について」

「さぁ?」

「……は?」

 意外な返答にしばしあっけにとられる。いや、海東心本人の性格を考えるならそう簡単に話すとは思わないが、「さぁ?」その返答では。一瞬、たちの悪い冗談かと思い直すがどうやら心底本気らしく、吐いてまわったのは両手にもてあそんでいたグラスの中身を飲み干した際のかわいらしいだけだった。

「さぁ、とはどういう意味ですか」

「言葉どおりよ。たしかに能力を与えたのは私だけど、向こうが切り札を明かしたくないというから特に知らないまま能力を与えたわ。調べようと思えば出来なくはなかったけど、そのつもりもなかった。正直、誰が誰かなんて知ろうとなんてこれっぽっちも興味がなかったもの」

「……ならば、与えた能力だけでも教えてもらえませんか?」

「嫌よ。それを教えて私に何の得があるの」

「あなたを追っている月ヶ丘や当真の勢力を削ることは出来ます」

「それくらい自分でどうにかするわよ。特段、あなたの力を借りる必要性がない」

 にべもない、とはこのことだろうか。そもそもの話、今日、この場を設けるように話をもってきたのは海東心の方だ。にもかかわらず、交渉のをまるでなしていない。いったい彼女はどういうつもりなのか。

 遡ること数週間前、優之助と戦い、、途中で満足したのか決着らしい決着をつけずにその場を退いた。その後、あらゆる勢力が捜索に力を入れたが──当然、私も当真瞳呼の関係者として追っていた──その居場所はようとして知れずにいる。今現在、本人と対面している私以外は。

 そんな彼女から唐突に連絡が来たのは数日前のこと。一応の用心のためか日時はあらかじめ教わっていたが、場所に関しては当日の、それも日原と時宮の距離を計算するとギリギリのタイミングで連絡を受け、大慌てで学園を出た。ホストである海東心彼女を待たせた都合と距離の問題とはそういう意味だ。

 ただ、当真や月ヶ丘、ついでに天乃宮から足取りを掴ませずにいながらわざわざ私と待ち合わせようとする割には用心の工夫が少々お粗末と言えるし(こちらが本気で捕まえようと思えば、たとえ場所指定が直前だったとしても問題にならない。携帯一つあれば現地にいくらでも人員を送り込める)、全寮制である天乃原学園からわざわざ夜間に遠出させるというのは少々嫌がらせが過ぎる。本当に話し合いをする気があるのか疑わしくなってきた。

「話をする気はあるわよ。ただそれはあなたの期待していたものではなかったというだけ。当真の当主が誰になろうが、月ヶ丘が何を狙って何をしようが、私には関係がない──そういうことよ」

「──どうやら勘違いしていたのは私の方だったようですね」

「わかればいいのよ」

 鷹揚にうなずく海東心。要するに政治や派閥、家柄に関わるのは一切御免という彼女にその類の話に持っていった時点で私が間抜けだったのだ。遠縁とはいえ、当真家がどうなろうと構わないといわれるのは当真の当主を目指す身としては痛し痒しだが、ならばなぜ私を呼んだ? となると──なるほどたしかに私と海東心はある一点だけ折り合える部分がある。というより、そもそも海東心は徹頭徹尾にしか動いていない。

「── ですか」

の、ね」

「なら、改めて聞きます。の正体について──いいえ、当真瞳呼と月ヶ丘の企みに関することならどんな些細なことでも構いません。知っていることがあるなら教えてください」

 再度の問いに海東心の顔がややしかめて見える。懲りてないなこいつ、といったところだろうか。読心などなくても予測出来る反応。私がどう頭を下げようが彼女が力を貸すことは絶対にない。しかし、海東心が何のために動いているのか、そのはじまりがなんだったのか、その二つを知っているなら彼女の首を縦に振らせるのも不可能ではない。はじまりは、そしてそこから育った想いが彼女を動かしている。だから私はすげなく断りを入れようとする海東心より先に言葉を紡ぐ。

「──少しでも優之助に異変を感じたら連絡する。それでいかかでしょうか?」

「……は?」

「それが心さんの私に頼むはずだった用件──違いますか」

 確認という形をとったがまず間違いないだろう。家族── ──のためにしか動かない彼女が当真瞳呼や月ヶ丘清臣に五年もの間協力してきたのは、そして数瞬間前の天乃原学園でわざわざ表に出てきたのはなぜだったのか。その真意の全てはわからなくともこの場を設けてまで何を欲しているのかはわかる。なぜなら私と海東心彼女が折り合える──動くに値する理由が同じだからだ。

 これから先、どんな展開になるかはともかく優之助が異能を使う事態になるのは揺らがない。だが、海東心がその現場に介入出来る機会は少ない。無理を通せば可能だとしても、その無理を重ねるたびに難度は上がり、やがて肝心な時に間に合わなくなる。そうならないよう普段から近くにいて、かつ肝心な時にもついているであろう私に声を掛けたのだ。方々にある程度融通をきかせられるというのも考慮に入れて。

「ならばなおさら少しでも情報を知っておきたいと思います。私が勝つにしろ、当真瞳呼が勝つにしろ、たしかに優之助がどうこうなることはないでしょう。しかし、優之助が戦闘に立つことは増えるのは確実。そうなると私では対応が遅れるかもしれません。ですから──」

「── 月ヶ丘つきがおかおぼろ

「……えっ?」

「たしか“認識阻害”だったかしら。催眠系に属する異能でおそらく彼がずさんな提出資料を通すよう担当者に能力を掛けたんじゃない? もちろん、担当者が誰だかわからない、いつどこで確認しているのかわからなければ意味がないから内部の手引きもあったのでしょうけど」

「──話すと決めたら、これ以上なくあけすけに話しますね」

「もったいぶってんじゃねぇよこのアマ、といってるように聞こえるけど? ──まぁ、いいわ。あなたのいうとおりなんだしね。あとは転入生についてかしら?」

「それも教えていただけるなら言うことはありませんね」

 そう、それを知るためにわざわざ時宮まで帰ってきたのだ。すげなく断ってから一転して喋る気があるというのだからそれ自体は是非もないが、正体に興味がなかったという彼女の証言がどこまで役に立つのか怪しいところがある。彼女もそれを承知しているのか、たいしたことは知らないけど、と前置きしつつ話を続ける。

「私が異能を与えたのは五十七人、といっても大半は『新世代』や当真晶子。前者は私自ら解除しに行き、後者は異能を与えた副作用で心と体の療養中──さすがに責任を全く感じないわけではないけれど、自業自得の部分もあるからしばらくは放置しているわ。多分、あれ以上酷くなることはないでしょうし、大丈夫じゃないの?」

 最後の方ともなると話題に対する興味のなさが勝ったのか投げやり気味に口を動かす海東心。それでも私の言い分に協力する意義を認めたのか、もはやもったいぶる気はないらしい。

「あとこれ、名字は適当だけど下の方は偽名じゃなくてコードネームみたいなものよ。当真瞳呼は『雅号がごう』って呼んでたけど」

 そういって指差したのは先ほど広げた天乃原学園の転入生情報が記載された用紙。形よく整った爪で紙の上をなぞりながら一つ一つその名を読み上げていく。

「『一意いちい』『二世にせ』『三界さんかい』『四恩しおん』『五戒ごかい』『六道ろくどう』『七重ななえ』『八大はちだい』『九泉きゅうせん』そして『そろい』──月ヶ丘清臣が“本命”として調整し、当真瞳呼が切り札と位置づけた十名。これで合わせて五十七、これ以外に私が異能を与えた者はいないわ。これ以上もいない」

「つまり向こう側の『序列持ち』といったところでしょうか」

「元『序列持ち』もいるんじゃない? 私が知ろうとしなかっただけでがいてもおかしくはないわ」

 天乃原学園敵地に乗り込む以上、素性を隠すのは当然だが、それ以前に機知の間柄であることを直前まで知らせないようにするのは充分ありえる話だ。理由のあるなしはともかくとして年齢以外を本来のものから流用した優之助の例の方がむしろ異端といえる。

「それに『序列持ち』代わりというより、新しい肩書きにするつもりよ当真瞳呼彼女。当主になったら序列認定を廃止に動きたいとか。当真家への忠誠や思想の項目がないのは異能者を束ねる組織である当真家の制度にそぐわない、ってさ」

「普通、異能者にそれを期待しますか? そこまで選りすぐったらどこまで質が落ちるかわかったものじゃない」

「──だから、従わせるのでしょうよ。圧倒的な実力を持って」

 いつの間にか海東心の言動から気だるげさが失せ、冗談が混じる様子など一切なく私を見つめている。その表情には、はっきりと後悔の相が浮かんでいた。もしかすると出会ってからはじめて見せるをにじませ、告げるのは──

「私、。優之助が負けるとは思っていない。私もどうこうされるつもりはない。けれど創家操兵が私を頼ったように与えた異能を取り上げることは出来なくなった──さすがの私でも『当真十槍とうまじゅっそう』に正面切って相手取るのは遠慮したい」

 ──異能者を数そろえても怯まない彼女を警戒させる『当真十槍』の名だった。

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