きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第79話

「──俺を直接雇いたい、か。なぜ俺なんだ? 瞳子友人のコネで仕事にありついただけの──その上、異能者のまがいものだぞ」

 仕事にありついたうんぬんは厳密に言うと違うのだが、会長がわざわざ誘いに出向く価値があるかどうかという意味においては大差がないだろう。学園の問題を根本的に改善させることも、当真家のいざこざをまとめられることも、月ヶ丘の妙な介入も、まして妹達の反抗期すらなだめることすら満足に出来ないのだから。……それにしても今夜の俺はなぜと聞いてばかりだな。

「あなたが他の異能者から一目を置かれているからよ。二ヶ月そこそこの付き合いの私でもわかる、我の強さで異能者の右に出るものはいないわ。私もそれなりに気位の高い方だと自覚していたけれど、誰を相手にしても、自分が負ける瞬間になっても──意識か命でも失わない限り──意志を曲げない止まらないなんてプライドの塊と評することすら生やさしい。あれはもはや一種の強迫観念、狂気ね。そんな彼ら彼女らがあなたを一定以上に認めている──誘うには充分な根拠だと思うわよ」

 いったいなにを見聞きしてその結論に至ったのか(可能性としては俺が創家や心先輩と戦っていた一方で行われていた講堂での戦闘でなにかしらあったと思われる)、しかし、意識か命を失わない限り止らないとは言いえて妙だな、と思う。

 たしかに異能者の性分として自分達の望むがまま動きたい方向へどこまでも走る。その道筋が真っ直ぐなのか曲がりくねっているのか、時に曲がり角によって一見、意見が変わったようでもあくまで自分の中で最適化・更新したからであって、その核の部分は一切揺らいでおらず、世間一般で言う変節とは少し違うだろう。

「(──止まらない、か)」

 不意によぎる先輩の顔。数週間前の解任騒動において俺と先輩は二年ぶりに再会し、そしてお互い譲れないもののため戦うことになった。他者の異能を複数使い分けるという前代未聞の異能を前に苦戦こそしたものの、結果的に見れば託された異能を失うことなく先輩を退けることが出来た。退

 負けそうだったから戦略的撤退を決め込んだ──そう捉えることも当然あり得る話ではある。しかし、二年もの間姿を消してまで推し進めてきた研究や計画の成果があと少しのところで達成されるというのにそう潔く引き下がれるものなのかというと、それはそれで疑問が残る。これは別に思い切りの良さがどうのという話ではなく、多少無理をすればことが成る可能性は決して低くなかったという意味だ。

 実際、先輩の異能は強力だった。実戦経験の差や、扱った異能と心先輩使用者との適正が合わず致命的な場面こそなかったのだが、先輩の目的が俺から異能を取り上げることにあるのなら、ほんのわずかに『英雄殺し』をかすめただけでその勝敗は容易く逆転していた。他の異能者ならいざ知らず、『英雄殺し』の異能無効化能力に触れたが最後、俺はかりそめの異能者から正真正銘ただの人へと戻ってしまう。そして先輩がもう一度俺に異能を与えようとしない限り、二度と異能者として我を張り合うこともなく。

 しかし、先輩は校門を破壊する片棒を担いでまで激化した戦闘の中、それを実現させるだけの可能性と余力を残しながらも決着を保留にした。ならばと思う、先輩には俺が想像したものとは別の思惑があったのではなかろうか、と。

 つまり、俺から異能を消すことが目的ではないのかもしれないということだ。目的ではなく、俺の異能を消すように動くことで引き起こされるなにかを──本当の目的のための手段だったとするなら、二年間を研究と準備に費やし、不慣れな前線に立ちながらも嘯いた目的を果たさずにあっさりと途中で放り投げたという矛盾につじつまが合ってしまう。じゃあ、その本当の目的がなんなんだ? と聞かれたら、さぁとしか言いようがないわけだが……。

「──っと、ちょっと! 聞いているのかしら!」

「──おぅ!」

 いつの間にか会長そっちのけで没頭していたもので、かけられた声に思わず変な声が漏れる。どれだけの言葉を素通りさせてきたのか、表情を伺ってみるもまったく読めず(わかるのは俺が話を聞いていないと確信しているということだけだ)さりとて正直に聞き返すのも微妙にすわりが悪い。

「それで返答は?」

「返答?」

「私に雇われる気があるか、ってことよ。……本当に聞いてないわね」

 苛立ちはとうに通り越したとばかりに会長が短く嘆息する。それについては申し開きのしようもないが、返答自体はすでに決まっている。

「ノー、だ。瞳子と契約してるんだ、はいそうですか、と浮気するとわけがない。あと、契約内容も話す気はないぞ」

「倍払うわよ」

 ……今、一千万だから、倍なら二千万か。正直グラっと来なかったといえば嘘になる。ほんの少しだけど。

「へ、へぇ……、もし俺が一億で雇われてたらどうする気なんだよ。いくらなんでも個人にそんな大金ホイホイと──」

「相場はわからないけれど、想定よりも安いわね。まぁ、相場より割高でも構わないわよ。きっちり二億分働いてもらう算段を用意するだけだもの」

 その言葉に再びグラつき、それ以上に寒気が走る。なんだよ、二億分の働きって。
「正直、金にグラついたし、求められる口説かれるのも悪い気はしないが、やはり答えは変わらん──悪いがお断りだ」

「そうでしょうね」

 さして気を害したふうもなくあっさりと拒否を受け入れる会長。むしろ断った方の俺がどうにもばつが悪い感じで落ち着かない。

「じゃあ、何で聞いたんだよ。っていうか、ホントにそれを聞きにわざわざこんな深夜まで押しかけたのかよ。俺が瞳子にチクったらどうすんだ? 意味がない上にいらん因縁までついちまうだろ」

「あなたの口が軽いとは思えないし、別に当真瞳子にバレても構わないわよ」

「まぁ、たしかに言うつもりはないけど……って、いいのかよ。バレても」

「私がどう動くか把握出来ないほど無能ではないでしょう? 第一、当真家から凛華を派遣してもらっている時点で、筒抜けなのは当然でしょうに」

 ──別に凛華が告げ口するとかそういう意味でもないけれどね、そう悪戯っぽく口をゆがめるとふわりと足を組みかえる。真田さんへの信頼云々という心情の話ではない。実際に裏切る裏切らないという現実の話でもない。究極的な意味でどう転ぼうとも構わない、そんな境地。どこか異能者のそれに近い。自分を異能者ほど我が強くないと評したが、なかなかどうして、自分がそうであると望む以外を歯牙にもかけない徹底した排他的ですらある言動は異能者のそれに近いのではないだろうか?

「過程が必要だったのよ。“深夜にあなたの部屋に押しかけて”、“あなたを勧誘した口説いた”という、ね。たとえそれが他人からすれば徒労に見えたとしても私にとってはそうではない──そういうものでしょう?」

 ごく自然にあわさった視線に一瞬、息を呑む。そこにいたのは強大な権力を持ちながら、あわれにも当真や月ヶ丘といった異能者の集団に振り回されてきた“お姫様”とは思えない芯の強さ。もしかすると天乃宮姫子とちゃんと向き合ったのははじめてかもしれない。そう感じさせる。

 冗談交じりに瞳子とを同属嫌悪だの、似たもの同士だのいろいろ言った気はするが、今まさにそれを確信させる。どう考えても面倒くさいと思える手順すら必要とあればいとわないところが特に。瞳子の俺一人を天乃原学園に絡むいざこざへと巻き込むため、裏でいろいろ手を打っていたのなんてまさにそうだ。会長も俺が今ここで勧誘を受け入れることがないのを承知でここへやってきた。今日ところはともかく、この先なにを仕掛けてくるのか、俺が思わず息を呑んだのはたぶんそれに対する無意識の恐怖だろう。

「まぁ、今はあまり深く考えなくてもいいわ。とりあえずは私の手順を果たしたに過ぎないわけだし──それとは別に気になることもあるしね」

「それは?」

「さっきも話したけれど、被害額の算出でもっとも額が大きかったのは、あなたとあなたが戦った侵入者──海東心というそうね──その彼女とでしでかした校門の破壊したと思われる件よ」

「破壊したと?」

 オウム返しで会長の疑問としたところを強調してみる。なんだ? 俺と心先輩がやったとわからなかったってのか? それならバカ正直に言わなくても──

「──言っておくけど、後から確認出来なかっただけで当事者の証言は揃っているから今さらとぼけても無駄よ」

「……オーケーだ」

  当事者とやらからとことん聞き出したらしく心先輩共犯者の存在も把握しているのだ。今さら本気でしらばっくれるつもりはない。

「ただ、あなたの想像したとおり、学園に設置された防犯カメラには一切映像記録として残っていないの。正常に起動していたのは、昼を少し過ぎたあたり──あなたと海東心が顔合わせする少し前といったところかしら。つまり、戦闘中に巻き込まれたのではなく、最初から壊されていたのよ」

「心先輩が壊しておいたとでも? どうせその後すぐに俺と会うわけなんだし、正体を隠す意味はないだろ? まぁ、だとしたらなおさら壊された理由はわからんけどな。まさか、損害賠償が嫌だったから前もって、なんてのもナンセンスだ」

「ちなみに被害額が二番目に大きいのは篠崎空也が王崎国彦に『コメットストライク攻撃した技』の余波だ。こちらは何台ものカメラで鮮明に記録されている。賠償を気にして戦っていたとは思えないな」

 真田さんの注釈で日中に撮られた空也の写真がその件の関連資料だったことに気づく。どうやらふた山目の紙の束は解任騒動の総括で使う用だったらしい。

「あなたの能力に何か秘密があるのか、それとも他に見られたくないものがあるのか──御村、あなたに心あたりはあるかしら?」

「……正直、検討がつかない。異能は自前じゃないから心先輩やあいつ──『優しい手異能』の元の持ち主なら知っていた可能性があるが」

「少なくとも、私は『優しい手』とやらの本気で校門に巨大な穴をあけられるなんて知らなかった。あなたの当たり前が私の常識と一致するとは思わないで頂戴。その上で聞くわ、本当に心当たりはないの?」

「それは──」

「──出来たぞ、優之助」

 ちょうどというのか、手に中皿(カレーやオムレツで使っているやつだ)を持ってキッチンから飛鳥が顔を出す。その時になって、リビングにおいしそうな匂いが立ち込めていることに気づく。まるで店員のように危なげなく配膳し元の位置(俺の横)に座りなおすとこれまた手にしていたナイフと箸で皿の中身を素早く切り分けていく。

「昨日から塩麹に漬けていた鳥もも肉と炒めた玉ねぎのだ。味付けは問題ないはずだが、薄かったら言ってくれ」

「「……昨日から?」」

「たまに優之助の夕食を用意しているからな。昼も時間が合えば一緒に食べている」

 不穏な声音で重ねられた会長と真田さんの疑問を飛鳥が即答する。

「ちょっ──」

 と、こちらが弁解する間もない飛鳥の反応速度に頭を抱えたくなるが、時はすでに遅しだ。一応言っておくが、やましいことはなにもない。食堂を利用しないので自炊派である飛鳥とたびたび昼食をとるようになり、その際のやりとり俺の食生活を知って何品か作ってくれるようになっただけだ。毎日ではないし、夜に集まる面々と飛鳥がかち合うのも珍しくはなかった。それに飛鳥に頼りきって現状改善のあてにするつもりもない──駄目だ、なんの弁解にもなっていない。というか、本題に入る前につつかれたばかりの問題に生徒会役員身内もかかわっているというのが自爆というのか追い討ちというのかとにかく状況が酷くなるイメージしかわかない。

「……どうりで前より昼食の出席が減っているわけだ」

 出入りの実態を直接聞かないあたり、逆に怖い。会長にいたっては無言のままで動く気配がない。もはや弁解する機会はなく(あってとして、一つ手前のモノローグをそのまま語ったところで火に油だろう)、かといってこちらも無言、動かずというわけにもいかない。恐る恐るの手つきで出された鶏肉をつまむ。

 味が薄いかも、と飛鳥が謙遜したが、そんなことはなく淡白な鶏肉に程よい塩味が効いて短時間で用意されたものとは思えない出来になっていた。多分湯にくぐらせるか蒸してから火にかけたのだろう、外の焼き具合に対し、中は熱されていながら柔らかさを有している。うまい。行儀が悪いぞ、と横から手渡された箸(飛鳥が切り分けに使っていたのとは別のもう一組)で玉ねぎと一緒にほおばりながら、新たに二つ三つと続けて口に収めていく。……もうそれしかやることがない。

 そんなことを思いながら次は餅を食べようとトースターに手をかけ、その数が足りないことに気づく。ここ最近は特に同じメニューだったこともあり、なかばルーティン化された餅を焼くという行為はほぼ無意識に複数の餅を焼きつつ、焦がすことなく、さりとて生焼けなどという失敗もなく効率よく自らの口に提供出来るようになっていた。無常にも真田さんによって一緒くたに入れられた餅は数が多いこともあってか火の通りに時間がかかり──というか、トースターの火は運転時間を延長されて入ったままだった──食べられるのは最初に焼けたものの口に入る前に再度トースターの中に放り込まれた第一便の餅が二つのみ。自分で餅の数を間違えるはずはなく、口に入れた分の勘定を忘れるという勘違いもするわけがない。ほどよく冷ますために三つはあったはず。つまり俺以外の誰かが餅を食べたのだ。

「──最近、前よりも食欲が増してな。どうやら他の異能者の非常識ぶりに私の中の異能者たる部分が、さらに自覚を促しているようだ──足りない、とな」

 隠すつもりが元よりないのか、悪びれることなく指に垂れた醤油を舐め取るのは真田さん。いつの間にかちゃっかりと自分の小皿を確保し醤油まで垂らしている。その言葉どおりまだ物足りなさそうな様子を見せてはあまりにどうどうとした態度で再度その手が閃く。

「(──速い)」

 俺と講堂で戦った時よりも明らかに。俺の知る限り、最も速く動ける異能者は稲穂──『サンダーガール』成田稲穂だ。異能によって神経伝達と筋肉の反応速度を同時に上げることで桁違いの運動速度を実現させるのは誰にも真似出来ず、ついていけることすら難儀な作業だ。

 しかし、その一方でその速すぎるということが仇となってとっさの修正がきかず、またフェイントにかかりやすいという難点も存在する。本人があまり格闘や武術に明るくなく、駆け引きも得意ではないということもあって速すぎて狭まった選択肢を試合巧者な上級生に読まれ返り討ちにあうといった類の失敗も少なくない。

 その点、真田さんのそれは神経ではなく、純粋な瞬発力の強化。つまり相手の出方を見てからの後出しでも間に合うので稲穂のように裏をかかれにくい。『怪腕』の異名に反してその恩恵が腕だけではなく、脚力にも作用してたのは身に持って味わったが、まだまだ発展途上だったというわけだ。対面のテーブルから俺の懐近くに手を届かせるまでの速度はひょっとするなら俺が先に餅を確保しようと動いても後出しで追い越されるのでは? と疑わせるには充分。このまま育てば、異能による強化が体に負担がかかり過ぎるため持久戦向きではない稲穂をかわして異能者最速を冠する可能性すらあり得る。その披露が俺の夜食を奪うだけというのがなんともしょうもないわけだが。

 とそんな解説(?)の間にも三つあった餅が一つ、また一つ消えていく。──駄目だ、追いつけない。“筋力の強化”という超常にはいささか派手さに欠ける異能はしかし、それゆえ手堅く強力な能力だ。体を動かす=筋力を操ることは生きる上で誰もが行う以上、他の異能と違い、オンオフなどあるわけがなく常時発動しているようなもの。いうなれば『王国』と同系統の能力といえる。

 俺の運動エネルギーを利用した身体強化も速さで負けるつもりはないが、能力の発動というプロセスの分だけ、どうやっても初動の観点で劣る。案の定、二つ目を取られた時点で能力を発動して防ごうとしたが、三つ目を確保した真田さんの引き手をすんでのところで取り逃がしてしまう。というか、今トースターで焼いている分を除いて全部食べられてしまった。その魔手は飛鳥が切り分けた鶏肉にも襲い掛かり──ってちょ、それは俺の分だ! ……いや、全部が元々俺の分なのだが。

 もちろん、俺がどうリアクションをとろうが止まるわけもなく、鶏肉に向けられた手が正確な狙いをもって対象を捉え、皿から消える。かろうじて追えた視線の先では、さらわれた鶏肉が真田さんの口元へと消えようとして──

「優之助のことを言えた義理か。そこまで食い意地が張るのは少々みっともないぞ」

 ──もういったいどう言えばいいのか、真田さんに奪われた鶏肉が俺の皿に帰ってきている。そんな芸当が出来るのは間抜けにもただ解説していた俺を除けばただ一人。横にいる飛鳥だ。切り分けていたナイフを脇にやり、鶏肉の固定に使ってた箸を操ることで取り戻したのだ(……ってシリアス気味になに言ってるんだろな、俺)。それを実現したのは真田さんの誇る速度とは別の要素。飛鳥の実家に伝わる古流武術、桐条式『飛燕脚』を技術を応用したものだろう。俺も真田さんも完全に虚をつかれた。

「──桐条式『霞』」

「再現出来る桐条式の技は『飛燕脚』だけのはず」

「そのとおりだ、真田。そばで長年見ていながら再現に至ることはなかった。だが、最近それが可能になった──ただそれだけの話だ」

 その会話の間にも真田さんが鶏肉を取り戻そうと(いや、どんだけこだわるんだよ)手を伸ばすが捉えきれない。飛鳥は別に大きく動いているわけではないが、鶏肉という的を守ることに徹底した分、有利に立ち回っている。

 だが、大きな要因はやはり『霞』という技術だろう。『飛燕脚』は重心の高さを動かさず前へ後ろへ動くことで彼我の距離感を狂わせるものだったが、これは重心を動かさない──挙動を隠す──という動きに加え、あえて反対に挙動をおおっぴらに見せるなどで動きを誘導している。手品でいうミスディレクションというやつだろう。そして飛鳥は苦手だと認めた、以前自分より速く動ける相手──奇しくも同じ真田さん対象──から出し抜いて見せた。

「それに自覚といったか。私も漠然としていたものがはっきりとするようになった──私は弱い、とな。そう認めたら相手の虚をつくことに抵抗があったことにも気づけた。その考えがいかに高慢かというのも」

 自嘲を込めながらもその目に前向きな光を宿す飛鳥を見て──真田さんに対してもだが──無性に若さを痛感する。老け込んだつもりはないが、出会ってほんの数ヶ月で見違える彼女達の成長に触れるというのはなんともむずかゆいものがある。

「(──って、感慨にふけっている場合か、俺)」

 いつまた真田さんに奪われそうになるかという焦りはあるが、かといって急いで飲み込んでは消化に悪いし、なにより噛むことでにじみ出る旨味をスルーするのはもったいない。とりあえずとばかりに箸と歯をせかせかと動かしながらも味わうことも忘れずに食べ進めていく。

「最後の最後で油断した私の負けか──いいだろう」

 それ以上、食い下がろうとすると本格的に動く必要がある。それこそ子供のケンカもかくやというほどに。それはさすがに大人気ないと判断したのか(やや遅い気もするが)、探りとフェイントに動かしていた手を止める。正直、このままいくとテーブルを破壊してでも争奪が続きそうだったので内心安堵しかない。

「──これで我慢しておく」

 という言葉に疑問を持つ間もなく、ちょうど口をつけたばかりの鶏肉がこの手から消える。えっ? と自らの間抜けな声を耳の奥で聞きながら真田さんの方を見ると、口に収まる大きさまでかじっていたが喉を詰めることなくすんなりと嚥下していくところだった。

 ──ごちそうさま、と行儀のいいのか悪いのか(いやどう考えても悪いか)、普段の真田さんからでは想像出来ない行動に俺だけではなく、一本取ったばかりの飛鳥ですらあっけにとられる。一方、当の真田さんの横で会長が、

「いったいなにをやっているのよ、あなた達」

 呆れつつ、そうぼやいていた。

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