きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第77話

 最初の違和感は膝の辺りから。まるで骨でも抜かれたかのような脱力は状況が状況だけに寒気が走る。もちろん自前の足腰は崩れて地に落ちたものの、タコやイカじゃあるまいし本当に骨から失ったわけではない。重心の支えたる部分を外されたというべきか、高度な合気や柔によってやりこめられたというのが近いだろう。

 この場でこんな真似が出来る可能性があるのは状況から見ても能力的に見てもただ一人──とまぁ、わざとらしいほどもったいぶってみたが、要は対面で俺を見据える海東心先輩しかあり得ない。

「本当なら近づいてきたところを植物操作で絡め取るつもりだったのに──さすがね、優之助。いくら見知った連中の異能だからって、ああも見事にかわされたら使わざるを得ないじゃないの」

「って、ことはとっさに予定を変更したんですか? ──その俺が見知らぬ相手の異能に」

 そんな会話の間にもこの場を切り抜けようと試みている。しかし、立ち上がろうとしてもその度に込めた力がどこかへと強制的に流されていく。先輩の能力は完全に前代未聞な代物だが、こんな攻撃を受けるのもそれに似た衝撃がある。むしろ、機知の範疇である他の異能と比べてあり得そうな分だけ見聞きしたことのないという驚きが深い。

 時宮にいれば異能の話題なんて嫌でも耳目に入るものだ。それが強力であればあるほど人の噂に上がっていく。そのせいか異能──というよりこの場合は超能力全般か──にはそれなりに詳しいはずだった。しかし、異能を操る存在が時宮だけにしかいないわけはないし、世界は広いのだから愚かな過信でしかない。それをむざむざ指摘された格好だ。

「──“”。その身に受けるのは初めてでしょうね。相性というものがあるとするなら『優しい手』と完全に噛み合う、あなたにとって最悪の異能。あと、あなたが知るべきなのは世界の広さより世間の狭さよ──どちらかと言えばね」

「どういう意味です?」

「──気にしないで、ただのよ」

 それは言葉どおりなのか、それとも不意に吐いた失言だったのかは読心を持たない身にはそれこそ知りようがない。というよりそれどころではない。現状、脱出の手立てが思いつかない上──

「さて、ここで終わりにしましょうか」

 ──その間にも、先輩が乱立した土の柱の間を潜る。目的は当然、俺にトドメを刺すためだ。それは勘違いする余地などなく、囲いの内側へと踏み込んだのを引き金に最大級の警戒を強いる独特の空気を先輩が纏う。

 それは一歩、また一歩と近づくにつれ、漂う危険そのものが濃くなっている気さえする。思えば、それが『英雄殺し』を示す特徴にあたるもの“信号”だったらしい。先ほどの根拠の有無を超えた警鐘は俺の中にある異能者たらしめる部分が対異能に特化した能力に畏怖を覚えたからだろう。

「(──そういえば)」

 はたと振り返ってみれば、『太陽の子』の時といい、二度にもわたる『英雄殺し』への警戒といい、単なる勘で片付けられない妙にはっきりと感覚に訴えかけるものがある。これが先輩の言う気づけて当たり前の異能者同士で通じ合う気配というやつだろうか?

 だとしたら皮肉な話である。普通に考えるならなおさら遠ざかりそうな境地だろうが、借り物だと自覚してから自分のものでないにもかかわらず自分の中にあるという矛盾とそこから生まれる異物感を通して外に目を向けると『制空圏』で味わう“感触”とは違った、いうなれば“第六感”のように初めて感じ取れるようになったのだから。あらためて思う、よくこんな能力が自分のものだと思い込めたものだと。我がことながら本当に不思議で仕方がない。

 そんな俺が使っていたのだから完全制御といいながら、その実、目隠ししながら車の運転をしてきたようなものだ。今までどのように戦ってきたのか、そんな無茶な使い方をしながら暴走事故を起こさずにすんだのはの使い方を無意識にでもなぞっていたからだろう。

「(つまり、俺は『優しい手』を上辺でしか理解していないってことになるな)」

「──止めなさい」

 思考に没入していて明らかに隙だらけの俺を先輩はなぜかトドメを指さずに立ち止まってたしなめる。こんな状況で少し不謹慎だが思わず吹き出しそうになる。俺を止めたいならその手に宿らせた対異能能力をもってひと撫ですればいいだけなのに。それをしないのは、先輩自身がそうすることを望んでいないのか、それとも──

「──手痛い反撃をくらうかのどちらか、ですよね?」

 もちろんそれに従うわけもなく『優しい手』を発動させる。よく言えば手足のごとく自然に、悪し様に言えば深く考えないまま操作していたこれまでと同じとはいかない。だが、スイッチを入れ、それに従い機構が働くと例えればいいのか、俺の意思に応じて超常的な何かを成立させようとする仕掛けが狂いなく機能しているのをはっきりと自覚する。

「(──『制空圏』はまだ駄目か。どういうわけかうまく。だが、制御そのものは前よりも──というより、前にはなかった手ごたえがある)」

 確信のままに『優しい手』で増幅させた運動エネルギーを全身に巡らせる。エネルギーの多寡はともかく、それ自体は体を動かそうと力を入れるというごく自然な行為だ。

 それを阻むのが先輩の“力点操作”。見るだけで相手を強制的に脱力させるその能力は『優しい手』とは反対に一個体の生体活動に不自然な影響をもたらす。そのくせエネルギーの多寡は問わないという点だけは一致しているのでどれだけ力を込めてもその瞬間からエネルギーを別のところへ逃がされてしまう。

 なるほど、先輩が『優しい手』の対抗策として用意してきただけはある。どんなに増幅しても、どんなに巧みに操ろうとも、発動時点でどこかに流されてしまえばどうしようもない。他の異能ならまだやりようもあるだろうが、こと運動エネルギーを操る前提の異能ではアプローチが似通った分、かわしようがない。まさかアプローチが逆というだけでこうも無力になろうとは想定外──少なくともこのままでは勝てない。

「まさか、本当に……」

 みなまで言えず、絶句という様子の先輩。要点を欠いた言い回しはいつものことだが、今回ばかりは思考の先取りによってではなく実感による率直な感想によるものだ。運動エネルギーの完全制御『優しい手』では“力点操作”を止めることは出来ない。扱うエネルギーの大小に左右されないのではなおさらだ。ならば、制御を止めなければいい。ただし、制御の範囲は今までと違い──

「──思えば、能力の基礎となる部分はの受け売りというか、見たまましかやってこなかった。だからこう思い込んできたんです──『優しい手』で制御出来るのは自らの体内と触れた部分だけだと」

 一つ一つ確認するように。“力点操作”による影響がまだ続いているせいで万全とはいかないがそれも時間の問題だ。

 それはちょっとした発想の転換だった。俺の──の能力は運動エネルギーの完全制御。仮に“力点操作”とやらでどこかへ移されたとしても、もう一度こちらの制御管理下に戻せるはず。力の流れを川に例えたとして、“力点操作”が本流を脅かすほどの支流を造る能力ならば、運動エネルギーの完全制御は水そのものを自在に操る能力。いったん支流へと分かたれたエネルギーを本流に戻れるよう逆流させればいい。それが出来るからこその完全制御だ。

 とはいえ、“力点操作”が作用している以上、そうすんなりとうまくいくわけではない。拮抗とまではいわないが、抵抗の分だけ、気だるさに似た体の重みを感じる。もはや最悪とまではいわないまでもいまだ厄介な能力には変わりない。

「でもまぁ、もしかしてと手を伸ばしたからこそ届いた結果です。そもそもの話、自分のツケの帳尻を合わせようとしてるんです、いくら妨害されたからといって自ら出したエネルギーくらいどうにか出来ないようじゃあウソですよ」

「言ってくれるじゃない」

 その程度の障害で行く道退いてられるか──暗に込めたメッセージを正確に受け取った先輩が苦笑とも嘲笑ともとれる笑みを刻む。……いや、意図はともかくそこまで煽るつもりはなかったんですけど? ちょっと強めな言葉(?)で意気込みを示したかっただけでして。

「私を相手にそんな弁解は意味がないでしょ? ツケを払うというなら私を押し倒すくらいの気概を見せなさい──本当にそのつもりなら心底後悔させるけど」

「空恐ろしいこと言わんでくださいよ!」

 相手の心が読める先輩ならではの説得力に悲鳴交じりで抗議する。そんな俺を見てもう一度笑み──今度は混じり気のない──そして、別人へと変わる。それはつかの間の先輩後輩の交流じゃれあいが終わる合図。厳しいけれど優しさと親しみがこもっていた声が今や俺を挫かんと言葉を紡ぐ。

「シグナルチェンジ──『トウマトウコ殺眼』」

 全てを斬り伏せんとする凄惨な殺意が走り、一拍置いてと現したのは心象をかたどった刃の形。元序列十四位、当真瞳子『殺眼』の『殺刃』だ。

 その物理干渉を受けず相手を害せる能力は四方(一角が崩れたので三方か)を土と植物に囲われた状況では有効だろう。むしろ、能力の効果範囲が同じ先輩の視界がでありながら“力点操作”を切り抜けた俺に、という意味ではさらに適したといっていい。

 刀身が揺れ、長さも狭さも高さも低さも数も問わない斬撃が空間を削る。俺がかわしてなければ、なます切りにあっていただろう位置だ。攻撃は失敗したがそれで止まる理由はなく、猟犬のごとく架空の刃が獲物である俺へと追いすがる。元の使い手であるところの瞳子のように当真流剣術の再現こそ出来ないものの、数を頼みにというだけでも充分脅威の上、狂気じみたイメージ投影による肉体と精神に及ぼす攻撃は本家と遜色はないだろう。つかまった場合の結末も同様だ。

「──それが嫌なら突破するまでよ」

 その言葉に嘘はなく刃の嵐へと突っ込む。どこを触れても痛覚を刺激するであろう殺意の結晶に真正面から立ち向かうなど一見、愚かの極みに映るだろう。

 しかし、増幅した運動エネルギーによって底上げされた身体能力はその触れただけでアウトという理不尽な条件をものともしない。まして剣の素人である先輩では剣士が理想とする太刀筋を想像出来ない描けない。ならば下手に壁を突破しようとして物質透過による『殺刃』の不意打ちをくらうより、目に見える刃へと向かう方が対処がしやすいというわけだ。それにここを迂回しては遠ざかってしまう──先輩に。

 その先輩といえば、トドメにと踏み込んだ位置から多少離れたとはいえ、その身を隠すことなく自ら崩した囲いの一角を前に立ち塞がる。まるで逃がさないとばかりだが、実際は当真の瞳術が持つ数少ない欠点──すなわち視界に収めなければ異能の対象に出来ない──によって先輩は自分から大きく離れるのは難しい。さりとて今の俺を相手に攻め手を変えるのも距離を取ろうとするのもただの隙にしかならず、俺と先輩との決着は二人の間に横たわる無数の刃を抜けるか否かにかかっていた。

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