きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第70話

「──そろそろ、だよ……ね?」

「えぇ」

 たどたどしく確認する双子の妹に短く返答し、海東遥は腰掛けていた石から立ち上がる。およそ小学生の時分以来だろうか、なんとはなしに石を椅子代わりにした記憶をさらいながら、腰周りの砂を払う。そういえば、その上で昼食を採ったのもそのくらいか。あれは兄さんと──

「──ハルちゃん?」

「ごめんなさい。少し考え事」

 まさか石に座ったのがいつだったか、などとどうでもいい事を思い返していたとは言えず、ハルは言葉を濁しながら謝意を口にする。

 双子の妹である海東彼方──カナに本当の事を告げたところで非難されるとは思ってはいないが、今の状況を考えるとの悪いことには違いない。

「こんな風にお昼を食べたのなんて、ユウ兄ぃと行った遠足ぶりかな?」

 だが、ハルの考えなどはじめからわかっていたのか──あるいは同じ事が頭をよぎったのか──ハルと同じ記憶の探り先である思い出内容をカナが口にする。

 ハルにやや遅れて立ち上がる妹の顔は木漏れ日を避ける様に俯いてどんな表情を浮かべているか窺い知るのは難しい。ただ、もし想像するならハルの心境を映すままの顔をしているだろう──それこそ、鏡を見る様に同じく複雑さをにじませて。

「こんなんじゃ、駄目なのはわかっているのにね」

 そう自嘲するカナに無言で首を否と振るハル。一夜経っても迷いが晴れぬのはハルとて一緒だった。そもそも迷っていたのは昨日今日の話ではない。高校進学を機に兄と離れた時から迷い続けている。

 ──どうして、こんな事になったのだろうか? 兄の前では取り繕えていた強がりは影も形もないまま、その歩みを前へ前へと進めていく。中天からやや下がりに傾いていく太陽が、午後の授業中である事を示している。この時間帯なら学園の敷地内はおろかそこへ至るまでの山道も誰かと遭遇する可能性は低いだろう──自分達を確保しようとする生徒会も含めてだ。

 ハルとカナの身柄の確保が事態の収拾に繋がる今回の一件、超人的な身体能力やそれに類する異能を持たない二人にとって、目的地を目指すのはおろか逃げ隠れする事すら容易いものではなく、何らかの策を講じる必要があった。

 そこで立てた作戦は、個々に配置された人員をある一箇所に集める、というものだった。学園外へ避難していたハルとカナを通すまいと学園へのルートで張っていた優之助、瞳子、空也、剣太郎を交戦しつつ山道から引き離し、引き付け、それぞれ誘導する。生徒会の面々も同様だ。授業がある事などお構いなく解任要求を防ぎにかかる彼女らをやはり誘導する。誘導先は──講堂。

 月ヶ丘帝の広範囲知覚能力『導きの瞳』で相手の配置を確認後、後出しで各地点に必要な戦力を分散し先行。そして、ハルとカナは頃合を見計らって学園内に戻るだけ。中身そのものはそう複雑なものではなく要はただの陽動だ。

 しかし、その単純な作戦によって、日原山のそこかしこには戦闘不能になった『新世代月ヶ丘の私兵』が積み重なり、誘い出した先の講堂内では屈指の異能者が入り乱れるという時宮でもそうそうない戦況へと拡大している。単純とはいえ、決して冗談や遊びの入る余地などまったくといってなかった。

 投入された戦力もさる事ながら、作戦を成立させる為のキモが二つある。一つは前述した月ヶ丘帝の異能『導きの瞳』。これは相手方には『制空圏』を持つ優之助がいる為であるのは言うまでもない。そしてもう一つの重要な要素、それはハルとカナを学園内に招き入れる案内人の存在だ。

 天乃原学園の高等部は人里離れた山の中という立地、在籍する生徒の多くが有力な家庭の子女が多いなどの理由で簡単に敷地内へ進入出来ないよう、防犯対策が目白押しとなっている。正門側にはそびえ立つ外壁で囲われ、裏の山頂方面は外壁こそ無いが防犯用のセンサーやカメラで逐一監視されている。

 そもそも日原山自体が舗装された山道以外は急な傾斜が多くまず人が踏み入れる道など無い。優之助達ならば潜入は可能でも、ハルとカナが独力で生徒会、ひいては経営者一族の人間生徒会長に気づかれず学園に戻るのはまず無理である。

 つまり、その協力者とは天乃宮の警備を内側から無力化させるか、二人を連れて突破出来る実力が必須である。『導きの瞳』が作戦開始の為の前提条件であるのに対し、協力者こちらは目的を達する為の必要条件。

「──準備は出来ているようね、ハル、それにカナ」

 その件の条件を満たした協力者が平静さをまとわせた声で二人の名を呼ぶ。もともとは本名があまり好きになれず兄に強要した愛称。それから十年以上経ったが、その名で呼ぶのは未だごく一部の人間だ。最もその名で呼んで欲しい人物を除くと両手の指で事足りる人数の内の一人。

「合流はもう少し学園よりではなかったの? ──要芽」

 天乃原学園生徒会副会長──ハルとカナにとって地元の幼馴染でもある女子生徒、平井要芽は冷ややかな相好を崩さずハルとカナから背を向ける。

 一見、ハルの言葉に気分を害したともとれるが、要芽にとって単に二人との合流が成ったのでもと来た道に引き返そうとしただけだ。まず初対面なら顰蹙ものの態度も彼女にしては珍しい敬語すら排したそっけない物言いもそれなりに付き合いの長いハルとカナにとってはいつもの事である。特に気にせず、要芽の後ろを追う。

 状況にもよるが、もともと多弁ではない三人は黙々と山道を歩く。優之助達を陽動してからの後発移動とはいえ、開かれ舗装された正規の道で待機していては見つけてくれと言っているも同然だ。その為、移動は本筋から外れているが比較的移動が可能な登山ルートを通っている。

「合流を早めたのは──」

 そんな中、先を行く要芽がおもむろに口を開いたのは、予定の進路を半ばを過ぎたあたりだった。沈黙に耐えかねて、とは要芽の性格面、彼女との間柄から考えにくい。何をいまさらという話題に不信を覚えるハルとカナだったが、話を遮るつもりも無く、要芽にまかせる。

「──合流を早めたのは、私と成田との繋がりが生徒会に知られたからよ。そこから私とあなた達との関係を連想するには至っていないけど、例え気づかれなかったとしても学園への手引きが難しくなるでしょうね」

 つまり、手引き出来なくなる前にハルとカナを学園に戻そうと予定を前倒ししたのだと、要芽は釈明する。生徒会に敵対しているという意味ではたしかにハルとカナ、そして成田稲穂は共通の立場にある。しかし、だからといって双方が仲間同士であるかと言えば答えはノーだ。あくまで平井要芽と月ヶ丘帝を間に挟んで互いが当事者として身を投じていると知っているだけ。

 ゆえに要芽の言うとおり、成田の線からハルとカナを辿るのは困難だといっていい。本当に味方ではないのだから。それはなにも成田に限った話ではなく──

「──どうして生徒会の人に知られてしまったの? 要芽ちゃん」

 慣れない山歩きと本来の性格から、かすれがちになりながらも、それでも不思議と耳に残るカナの声。でしょう、と言外に込めた意図は正しい事この上なく要芽に届いている。

「もちろん理由はある──生徒会を講堂に引き付ける為よ。今まで疑うままに任せ、根付いた警戒心から彼女達は私の動向を無視出来ない。私が講堂に居るとを付ければ当然、何かあるのを承知で追ってくる。そうでなければ、いくら学園の警備情報を把握していても生徒会がみだりに動く事はなかったでしょう」

 問いかける言葉と視線、その二つを背に受けながら要芽の釈明は続く。たしかに筋は通っている、とハルは思う。解任要求に動いた以上、学園内に留まっていると手続きを行う前に水面下で募った会は苦も無く握りつぶされるだろう。解任を求める集団がその前に解散させられる、そんな冗談みたいな状況にならないよう、ハルとカナは一度学園を出奔した。

 だが、それは同時に生徒会に悟られぬよう戻らなければならない、という新たな問題がついて回る選択でもあった。生徒会、特に天乃宮姫子生徒会長ならよほどの事が無い限り──始業式の日に成田がやってみせたように何らかの方法でシステムを落とさない限り──学園の出入りくらい容易に知れる。

 それを防ぐ為、生徒会の面々を講堂へ誘き寄せる必要があった。敵も味方も一線級の異能者が織り成す戦場で警備部と連携している暇など無い。仮にハルとカナの潜入を知ったとして離脱は困難──要芽が打った陽動の目的はそこにある。

「──でもそれは、ハルとカナ私達の目的が場合の話だよね?」

 気づけば、カナはハルを追い越し要芽の真後ろまで距離を詰めていた。淡々と歩調を維持していた要芽の足が止まり、カナを振り返る。のだと三人は理解していた。だからカナが口火を切り、要芽が振り返り、ハルはそれらを止める事無く二人を見守る。

「要芽ちゃんはとっくの昔に気づいていたよね? 私達が、少し前ならともかく今はもう解任要求なんて──学園がどうなろうかなんてどうでもよくなったんだ、って」

 カナの述懐は、聞くものが聞けば学園の水面下で暗躍する当真や月ヶ丘のどんな思惑より重い意味を持っている。一連の騒動の根幹を茶番にしただけではない、同様にこの一件に関わった少なくない人間を裏切っているからだ。

 生徒会の解任要求にはある一定の人数が集まらないと実行出来ない。天乃宮の権力に縋ろうとする者、逆に政敵である天乃宮、ひいては学園を貶めようとする者、今だけ進路や学習環境が整っていればいいと卒業後の学園に興味が無い者、大半がそんな考えの生徒の中で、純粋に母校として行く先を憂う生徒もわずかではあるが、それでも解任要求出来るくらいには存在していた。

 そしてその数はそのままハルとカナに協力をした数でもある。彼ら彼女らに託された二人もその思いは同じだった。少し前──この三月までは。

「私とハルちゃんにとって学園とユウ兄ぃのどちらが大切かなんて天秤にかけるまでも無い。けど、それでも解任要求を走らせたのは、

 ──手伝ってくれたみんなには申し訳ない気持ちはあるけどね。普段にはない自らの饒舌さに思うところがあるらしく、気弱しげにも映る苦笑を浮かべるカナ。

 いつもこれだけ話せるならいろいろな事が違っていたかもしれない。例えば、挑むように別れた昨日の授業後、二年ぶりに再会した三月の保健室。さらに遡れば季節ごとの大型連休や三年前の進路相談、振り返れば素直になれる場面はいくつもあった。ハルの影から這い出し、矢面にたった今でもそんな後悔と迷いで押し潰されそうになる。けれど──

「──けれど、そんな状況じゃなくなってしまった。ハルちゃんの後ろで固まっている場合じゃなくなってしまった。賽は投げられてしまった。……もともと私達に出来る事なんて初めから無かったけど傍に居る事すら出来ないかもしれない。その上でもう一度聞くよ? ──要芽ちゃん、いったい何を企んでいるの?」

 何のてらいも無い妹の言葉にハルの奥底にあるものが軋む。兄にしてやれる事が何一つ無い、それはとうの昔からわかっていた事だ。もし、兄の世界という脚本があったとして、ハルとカナは数ある登場人物の中で設定だけの端役に等しかった。一番近くにいるはずの家族なのに。

 それが嫌だから、物語のキーパーソンになろうとした、兄が関わる騒動の勝敗条件に加わろうとした。二人の苦悩など、つまびらかにしてみればなんのことはないものだった。後悔は何度も機会がありながら素直に兄と向き合えなかった事、迷いの根元は真摯に託された願いを己の我侭を満たすだけの茶番手段にした事へのただの罪悪感だ。

 そんな浅ましさに揺れながら始動した解任要求もすでに発端でしかなく、事態ははすでにハルとカナの手を離れてしまった。だから、要芽がこの段においてハルとカナを学園に手引きする理由など生徒会副会長としても、当真の立場としても、そして何より要芽個人の心情としても何一つ無い。

「──だから、身勝手で、最悪だとしても、みっともなくて、情けなかったとしても、自分の内なる声を──俺の素直な気持ちを伝えるよ。一緒にいて、そばで見守っていてほしい。そして、もし、今までのように、すれ違うようなことがあったら……俺が道を誤ったと思うなら、その時は殴ってでも止めてほしい。二度と同じ轍を踏まないように。"一人と二人"なら無理でも"三人"でなら──」

 不意に流れたのはハルとカナの兄の声。忘れもしない、それは三月の保健室で兄である優之助が二人に語ってみせた己が心情の告白──その録音だ。

 もちろんハルとカナの手妻ではない。要芽がいつの間にか取り出した携帯の再生機能らしく、こころなしか愛おしそうに指先を動かし、そして手のひらから取り落とさぬ様、慎重に携帯を包み込む。

「企む、というほどの事は何も。ただ、優之助さんの手を払っておいて、いまさら虫が良すぎはしないか、とは思っているわ」

「──やはり、そうなのね。この道、私達は学園から徐々に遠ざかっている」

 要芽の言葉に確信を得るハル。彼女の進むままにまかせた結果、木々の間から時折覗く威圧的な学園の外壁、その輪郭をおぼろげになっている。舗装された車道、人道ならば半ばまでといわず気づけたが、ここは普段通らぬ獣道、少しずつ進行方向を歪められてもわからない。要芽ははじめからこうするつもりだったのだ。

「要芽ちゃん、どうして!?」

 普段より舌が動くものの、大声を出すのは慣れていない。そんなカナの拙い叫びはしかし、搾り出した感情──彼女の嘆きを聞くものに強く訴えかけている。

「──どうして、ですって?」

 氷と呼ばれた視線がかすかに揺らぐ。要芽にとって、それはわざわざ問われるいわれの無いものだ。理由は明白、要芽は最初からただ一人を想い動いてきた。そんな彼女にとって何故を口にするのは最大限の侮辱といえる。

「──あ?」

 それは瞬間の出来事だった。カナの体が支えを失った様に垂直に崩れ落ちる。同様の光景で例えるなら、柔か合気の技で苦も無く転がされたに似ている。

 だが、実行したとみられる要芽はカナと手の届く近接する距離から少し外、今も技をかけるには届かない。

「カナ!」

 とっさの事でうまく声すら出せず地面に横たわる妹に駆け寄ろうとするハル。しかし、二歩もいかない内にカナと同じく体が地面へと傾き倒れていく。

 湿り気を帯びた柔らかい土のおかげで怪我らしい怪我は無いが、立ち上がろうとする手足に力が入らない。いや、入れようした矢先にどこかへと流されていく。転がされた時も同じだ。ひざから下の踏んばりがきかず、あえなく崩れた。

「──たしか“力点操作”だったわね。力の流れを読み取り、任意に置換出来る能力」

 誰の仕業かと察するまでもない。どうにか動く首を動かし幼馴染の顔を見る。そこに浮かぶのは不変の氷、しかしその中心には炎が灯っていた。誰にも触れさせないと覆い被せた情動、その徹底ぶりはまさに異能者らしく、一方で他者に固執するという従来の異能者とは相反するものだった。

「これから起こる事に二人は関係ない。今までだって関係なかった。たかだか血の繋がり程度でこれ以上、優之助さんの心を曇らせようとするなら──」

 取り繕う必要がない。それは要芽の側にも当てはまる。決してきれいとはいえないものをさらけ出すこの場において、ハルとカナは後悔と迷いで飾り立てた我儘。対する要芽がさらすのは軽蔑を怖れ、唯一その心を寄せる優之助にすら見せなかった本音、その名は──

「──いなくなってもらう」

 ──嫉妬だった。

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