きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第69話

「──突き出した、わよね?」

 遠目かつ、薄暗がりが私の主観を誤らせる。だが、実際には『シャドウエッジ』が繰り出した貫手は月ヶ丘帝に当たる前に止まっていた。まさか、弟? の一言で正気を取り戻したというのか?

「まさか、本当に止まったというの?」

「……いや、どうやら月ヶ丘の声で止めたわけでも、まして月ヶ丘を害するのを迷ったわけでもないようだ」

 桐条さんが私のロマンスに溢れた見立てを否定する。端から見れば『シャドウエッジ』の二人は葛藤するように体をわななかせている理由は感情に起因したものではなく、なにかしらの外的要因にあると踏んでいるらしい。

「なら、月ヶ丘帝の異能の仕業かしら? どういったものかは知らないけれど」

「──しっ」

 いち早く、何かに気づいたのは凜華。人差し指をいずこかに伸ばす──事をせず、自らの唇にやり、もう一方の手を耳に当てる。要は声をたてず耳を済ませろ、というジェスチャーだ。ただ、聞き耳を立てようにもよそでは当真達も思うままに暴れている。そんな中で何が──

「(──聞こえないわけでもないようね)」

 自問自答で前言を翻す私の耳にそこかしこで響く、破壊音の合間を縫って聞こえる硬質かつ高い、例えるなら楽器を爪弾く様な唸りを伴う音の波。ややあって、淡い照明でかすかに見える細い線が『シャドウエッジ』を絡めとっているのが辛うじてわかる。

 なるほど、それはたしかに当真達の異能に負けず劣らず存在を主張している──使い手の想いを。

「鋼線──違う、『アラクネ』か」

「それは?」

「当真の兵器開発で見た事があります。糸を生み出す異能を使って蜘蛛の糸を再現、研究して生み出された特殊繊維。どのような経緯でわたったのか不明ですが、間違いありません」

「なるほど、あれならたしかに直接攻撃しているわけではなく、禁則事項にもかからないというわけだ。月ヶ丘帝主に従って糸を中継しているだけだからな」

 桐条さんの指摘はまさにその通りだった。真偽のほどはわからないけれど、月ヶ丘帝が『シャドウエッジ家族』を助け出す為に持ち得る全てと横たわる障害とを突き合わせて結実した一つの冴えた手段やりかた。

 月ヶ丘帝自身で手繰る糸は使用した得物の特性上、どうしてももう一端を何かで補わなければならないが、その問題は『ロイヤルガード』達と繋がる事で解消している。

 ロイヤルガード彼女達といったいどうやってコミュニケーションを維持しているのかはさておき、細かく複雑な動きをさせながら張り巡らせた糸に変化を与える事でまるで大規模かつ複数で編み物かあや取りをするようにも見える。

 『シャドウエッジ』側も棒立ちでいるわけではなく、糸から逃れようと身じろぎをするが、それでもやはり月ヶ丘帝の方が一歩も二歩も上手だ。動こうとする先々の空間が特殊な糸によって塞がれていき、瞬きする間も無く全身が『アラクネ』とやらで覆われてしまった。あれでは脱出は不可能だろう。

「──まさか、そこまでするとはな」

 呆れが多分に混じる声は月ヶ丘清臣のもの。月ヶ丘帝が『シャドウエッジ』を無傷で取り押さえた事がよほど意外だったらしい。たしかに断片的にではあるものの伝え聞いた素性から見るに月ヶ丘帝に他者を省みるなど想像するのは難しい。

 しかし── 姉さん・・・、その呟きと笑みに込められた親愛の情はそこまで・・・・するに足る充分な理由ではないか? 私からすれば親族という間柄でありながら、その可能性を初めから端折ったとしか思えない采配を振るった月ヶ丘清臣がただのまぬけ・・・にしか見えない。

「むざむざ出し抜かれたわりには余裕だな──この糸が貴様に届かないとどうしてそう思う?」

 手繰る糸から奏でられる音は、使い手の剣呑な雰囲気も相まって、まるで抜き放つ刃が鞘を擦るのと似ていた。というより、そのものだろう。あの糸は月ヶ丘帝にとっての刃、一片の誤解も無く得物を突きつけている。

 外野である私ですら間違いようがないのなら当事者である月ヶ丘清臣が気づかないはずがない。にもかかわらず、特に取り乱す様子はなく──そもそも『シャドウエッジ』を無力化された事自体、痛痒を感じていないようにも取れる──その場に佇む、月ヶ丘清臣。

「たしかに、君がそこまで執着していたとは私の研究不足・・・・であると認めよう。戦闘力が皆無だった事を理由にそんな技術を研鑽し準備していたのを想定していなかったに油断も同様だ──だが!」

 緩やかな口調から一転、月ヶ丘清臣の声量は踏み込みと共に講堂内に反響しながら強く耳を叩く。

 何かに気づいた月ヶ丘帝が素早く手を動かすが、時すでに遅く手繰り寄せた糸が月ヶ丘清臣のいた空間をむなしくなぎ払うにとどまる。完全に虚を突かれた形の月ヶ丘帝の歯軋りすら聞こえそうな顔つきは、それでも相手を見逃すという失態までは犯さず、その一点に向けて迷わず視線を滑られる。

「──ロイヤルガード用の強化術式。まさか施術を受けていたとはな」

「帝、私がした反省をそのまま君に返そう。なぜ私の執着が自らの命と天秤にかけないと思った? なぜ武家の末裔たる私が強さを求めないと思った? ──君と『ロイヤルガード』に包囲される想定も、それに対する準備をしないと、どうしてそう思った?」

 含むような言い回しは言葉通り先ほどのお返しといったところか。口ぶりはともかく、その姿はほんの数秒前の上背ばかりの針金じみた体躯ではなく、身長に比して肉の厚みが機能性を損なう事無く足されている。『新世代』の身体強化はどこか不自然で筋力の強化具合はともかく、どうにも小回りがきかなそうな見た目をしていたが、完全に別物だ。

「たかが身体能力を底上げした程度で随分な言い様だな、清臣。──そこから下りろ。勘違いを訂正させてやろう」

「安い挑発だな。その位置からでは糸が十全に使えない事に気づかないとでも思ったか? 抜け目の無い君の事だ、一応の警戒に奥まで踏み込みはしなかったが、『ロイヤルガード』の数からして誘いの可能性はないようだな」

 月ヶ丘清臣の立ち位置は私と凛華や当真瞳子達、遡れば桐条さんが通った講堂の出入り口にある。中心にある舞台と観客席を区切った欄干から出入り口までは当真瞳子ですら二・三歩かかっている(しかも舞台へは下りになっていたからこその歩数)。大雑把に見積もっても一階層分の高低差を一足で埋めたのだ、驚異的な脚力といえる。逃げに徹された場合、追うのは無理だろう。

「察するにあの“糸”を用いた技術は自身と『ロイヤルガード』という両辺があって、はじめて成立するのだろう。月ヶ丘清臣の体が通路まで入ってしまっている以上、講堂内からでは絡めとるのは無理だ。通路側に人数を裂いていたなら話は別のようだが」

 そう推察する桐条さんの言が正しかったのかどうか、それは月ヶ丘清臣が拘束される様子が無い事が答えだ。

 しばらくの間、黒地の手袋から見え隠れする糸を揺らしていたがそれ以上は無意味とばかりに構えを解く月ヶ丘帝。月ヶ丘清臣が見せた先ほどの瞬発力と『ロイヤルガード』を回り込ませるのとを計算した上で分が悪いという結論に至ったらしく、その刺々しさは変わらぬものの、投げかけるのは話をたたもうとする定型じみた会話だった。

「──ここでの目的は果たしたというわけか」

「その通りだよ、帝。当真瞳呼には月ヶ丘の実情をあらかじめ話していたからね。君がどう出るのかもある程度承知の上さ」

 ──もっとも、結果までは読みきれなかったけどね。幼子を包み込む繭となった特殊繊維の塊を横目にしながら月ヶ丘清臣は言う。その態度はしてやられたと認めながらも、痛痒のほどはあくまで手駒が減ったという域を出ていない。彼にとって『シャドウエッジ』はその程度の存在でしかないようだ。

「まぁ、もとよりそろそろ引き下がる予定でね。方々への義理も果たせたことだし、私はお暇させてもらう」

 その口調は自らの心境を表すように、どこか重石が消えて身軽さを感じさせる。『シャドウエッジ』への感情も含め、ここで起きたあらゆる物事にさほど執着を見せない月ヶ丘清臣と自らの体を囮にしてまで助け出した月ヶ丘帝、その対比が私の目を映す。

 いっそ挑発ともとれる気安さに月ヶ丘帝の剣呑さがさらに増すのではないか──激発を予想して固唾を呑む。しかし、そんな私の警戒に反して、月ヶ丘帝は解いた構えを直す事はせず(といっても友好的な空気に変ずるとは当然ならなかったが)、追撃はしないという判断を翻す様子は無い。その口ぶりも変わらず締めに入るスタンスを変えるつもりが無いらしく、

「好きにするがいい。僕の方も目的はあらかた片付いた。貴様が邪魔をしないのであれば、別に止めはしないぞ、清臣」

「──なるほど、君の目的は彼女達だけではなかったという事か」

 いったいどの言葉が琴線に触れたのか、その面と声色に初めて本音感情を貼り付ける月ヶ丘清臣。さすが親戚というべきか、ほんの数秒前の対比が嘘の様に険が混じるその表情は向かい合う月ヶ丘帝と印象がダブる── はじめて・・・・

「貴様が僕がどう立ち回るのか承知していたと同様に、僕も貴様の目的──その執着を理解している。助け出すだけならもう少し早い段階でも実行出来たし、ついでに・・・・貴様の執着本願を挫いても問題はなかった。それをしなかったのは今日、この日、この機会が遠ざかるのを望まなかったからだ」

 ──まさか包囲網を破る方法が力技とは思わなかったがな、と月ヶ丘帝が皮肉げにまぜっかえす。その言葉には月ヶ丘清臣をどうこうする事などはじめからどうでもよかったのだと、にじませている。

 おそらく『シャドウエッジ』を助け出す為に確実性をとった──月ヶ丘清臣がこの場から離脱する段になり警戒していた待ち伏せがなかった理由はそこにあるのだろう。

 そうなると、いくら目的とは外とはいえ、むざむざ突破される可能性を許してまで助け出したかった『シャドウエッジ』を、なぜ今日、この日まで先延ばしにしていたのか? この機会・・・・。そこに込められた“何か”がその答えとなる。

「『神算』は伊達ではないという訳か。そう、私には私の執着目的がある──異能のルーツを探る。それも誰それの成り立ちといった個人の範疇ではない、我らがそうなった・・・・・・・・理由へと辿り着く――私が私足らしめる全ての答えへと! あぁそうさ! ようやく彼女・・が重い腰を上げたんだ。この機会こそがその答えに通じている! 私も君が何をどうしようがどうでもいい! 私はただ見届けに行く。誰にも邪魔はさせない!」

 頭の隅で疼いた違和感がようやく符合する。月ヶ丘帝が『シャドウエッジ』に見せた親愛と同じく、桐条さんが忍ばせた通信機器から漏れ聞こえた唯一の激情。異能を語ってみせた際の熱。

 その正体は探求者と呼ばれる人種が持ちえる好奇心や知識欲に類するもの、しかし同時にその為ならば狂気に身を投じるのを厭わない魂。御村や当真瞳子達とはまったく似ていない。けれど、確信する──月ヶ丘清臣、彼もまた異能者だ。

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