きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第66話

「時宮高校元序列一位、『調停者』──嫌われたものですね。名乗りすら許されないとは」

 見せ場を邪魔された、というところだろうか。しかし、手のひらをかざしながら行った『調停者』の抗議は言葉の割にさして惜しむ様子は見られない。

「──ふっ!」

 名乗りを阻んだ小柄な体躯がどこか艶かしくも鋭く声を漏らす──篠崎空也が息を吐ききった音だ。反動で空になった肺が取り込んだ酸素を運転エネルギーに転換し、身体中のバネを駆使して後ろへ飛びずさる。

 踏み台にしたのは空中。けれど、その現象はいつものように篠崎自身の異能によってではなく、手のひらをかざした『調停者』の方からもたらされたらしい──そう、“阻んだ”という意味においては、むしろ先制攻撃を失敗させた『調停者』側が適切だろう。

 それは、例えるなら弾丸だった。しなやかに走る足は減速することなく数歩で宙を舞い、勢いそのままに蹴り足に変えて『調停者』へと投げ出した。一瞬の躊躇も許さない速攻劇。だが、『調停者』はただ手を前に出すだけでその速攻を防いでみせた。

 そこだけ切り取れば、優之助御村の「優しい手」とやらに似ているが、触れた瞬間に無力化させる“それ”とは違い、実際に目にすれば篠崎の足が触れる前に押し戻した風にとれる。能力が重力操作なら本来下へと作用するところを横にするのは理屈としては──頭に異能者の、がついてくる理屈だけれど──可能。おそらくはそれだ。

今度・・は逃がしませんよ」

 当真瞳呼の分から数えて二度目の攻撃失敗、見方を変えれば下がる篠崎を追撃するのもまた二度目になる。今度は逃がしませんよ──『調停者』がそう言い切る自信の根拠が篠崎を襲う。

 光を拒み黒に染まる空間。『調停者』が生み出した重力はもはや影というより、黒い液体が奔流となって見えるほどに成長していた。

 同時に舞台から聞こえてくる重苦しく軋む音も合わさって際限なく拡大していく。『調停者』の支配圈内は勝敗どころか命の保証すら出来ない。

 気づけば凜華が私の少し前に立ち位置を変えている。SPやボディーガードが護衛対象の動きを阻害せず、かつ、とっさの危険から護る為のやや斜め前の位置取り。自ら戦線に立つわけでもなく、成田が私を狙った様に直接害が及ぶわけでもないただの“余波”による被害を警戒して彼女が動くのは初めてだ。

「(三人揃って切った啖呵はよかったけれど、本当に勝ち目があるのかしらね)」

 心情とは別の部分からの冷静な声に人知れず苦いものがよぎる。そもそもの話、いくら当真瞳子達が強くても相手はそれより強いとされる序列一位。昔と違うと言っても(どれほど前かは知らないが)、多少の期間でたやすく入れ替わりが起こるほど甘い査定を当真家が下すとは思えない。

 現に最初の奇襲に近い横槍はともかく真正面から行って返り討ちにあっている。仮に超えたと思えるほど強くなったとしても『調停者』の成長はそれと同等かそれ以上だったとしたら、比較するのも億劫だ。簡単に超えられないがこその格上。人が下克上に熱くなれるのは滅多に起きない──奇跡だからだ。

「(──なのに)」

 なのに、なぜ、彼らの戦意は衰えないのか。なぜ篠崎と刀山は“そんな”口を叩けるのか。

「君に出来るかな? 『空駆ける足』の名は君に捕まえられるほど安くはないよ」

「──俺の『剣聖』もな」

 篠崎が走り、刀山が木刀で追いすがる“影”を散らしていく。いったいどうすればあんな芸当が可能だろうか? 距離も対象も関係なく斬る刀山の剣技はいつみても理不尽な代物。思えば、最初の速攻の際もそうだった。結果的に篠崎の蹴りを止めたが、当たる寸前まで接近を許したのは展開途中の“影”を二つに割った刀山の斬撃が原因だ。そして──

「“見えて”いるのにむざむざくらってあげる道理はないよね、『調停者』?」

 ──そして、やはり速攻を成立させた最大の要因は篠崎の動きだろう。成田の雷のように目にも止まらぬ速さではないけれど、空間を余すことなく使い自在に動くのをたとえ目で追えたとしても反応が追い付かない。

 また、篠崎に言われて気づく。黒く見えるほどの高重力、たしかに強力で捕まればひとたまりもないが薄暗い講堂の中ですら一目でわかる以上、当真瞳子の能力とどこまでの違いがあるだろう。むしろ物体地面をすり抜けて見せた分、当真瞳子の方が厄介だ。そして違うと言えば速度もだ。

 想像だが、光を屈折させるほどの重力など一方向の作用で起こるとは思えない(出来るのならこの講堂など、とうの昔に崩壊しているはず)。“影”となるほど精製するにはおそらく様々な方向から圧をかける必要がある。その為か影の動きが当真瞳子の能力と比べて若干鈍い。

「なら、まずは動きを止めるところからはじめましょうか」

 瞬間、篠崎の動きが目に見えて重々しいものになる。当真瞳呼に蹴りを加えようとしたときと同じだ。いったい何をされたのか、今ならわかる。目に見えるほどの高重力ではなく、篠崎の体をほんの少し重くする程度の重力をまとわせた、ということか。成田も見るだけで異能を行使できたように、おそらく目に見える空間の重力を制御できるらしい。しかも雷と違い、視認するのは困難。別の意味で回避は難しい。

 そして身動きが鈍る篠崎に容赦なく襲いかかる影。いざそうなるとまばたきも許さない瞬間の出来事だった。全身を高重力にさらされる想像に私の喉がひきつって鳴く。

「──いや、だ」

 いち早く気づいたのは桐条さん。影の一部が波打つように震え、その中心から何かが突き破って飛び出てくる──言わずもがな、篠崎だ。しかしまたどうして高重力の中を無事でいられたのだろうか? 一瞬でもその身を中にさらして無事で済むとは到底思えないが……。

「そうか、力場干渉能力か」

 ひとり訳知り顔で呟いたのは『シャドウエッジ』による手堅い警護を受けている月ヶ丘清臣。納得の表情をそのままにこちらを見、失礼しましたと軽く会釈するのが少々勘に触る。

「解説は御入り用ですか?」

「えぇ、お願いするわ。それくらいしか頼める事はなさそうでしょうし」

「──では、僭越ながら。『空駆ける足』篠崎空也の能力は力場干渉能力。その字の通り、物体を動かす要素──力──を含んだ空間に干渉出来る異能です」

「優之助の能力とどう違う?」

 とは桐条さん。なるほど、たしかに運動エネルギーの完全制御とやらとニュアンスは似ている気もしなくはない。

「概念そのものはかなり離れているが、たしかに系統としては近い。講釈が長くなるので割愛するが、少なくとも力場干渉能力にエネルギーを増幅させる力がないのはたしかだ。この一点だけでも別物であると言えるし、また御村優之助の異能が規格外だとも言える」

「──そうか」

「(なぜそこで桐条さんが誇らしげになるのかしらね? まぁ、いいのだけれど……)」

「だが、情報では篠崎自身の才覚の問題から握り拳一つ分の範囲しか干渉出来ず、使い道も足場にする程度だったはず。にもかかわらずあの“影”に飲み込まれてなおも脱出したという事は干渉出来る範囲が昔より広がったのか、あるいは『調停者』の重力圈“影”そのものに干渉し無効化させたのか──計算外だな」

 推察に対する能力の真相も、解説から自問へと移り変わった月ヶ丘清臣もさておいて、どちらにしても『調停者』の重力操作異能に対抗出来るという事実は揺らがない。能力に制限などはじめからなかったかのように篠崎が今まで以上に鋭く、軽やかに空中を舞う。もはや高重力の“影”も低出力による不可視の枷も捉えきれない。

 あんな真似が出来るなら出し惜しみせずやればいいものを──そんな感想は篠崎の顔を見て彼方へと飛んでいく。

「君さ、自分がどれだけの事をしたか覚えてないのかい?  僕らは違う。あの時、君のやったことで全てが台無しになった事を忘れていない。誰が君を尊重なんて出来るものか──ここで何者でもないまま、沈むがいい」

  『調停者』に切り込む前もたしかにとはいえない雰囲気だった。それでもこちらを見るくらいの冷静さはあったように思う。しかし、今の篠崎は──

「──平井の“氷”の比ではありませんね」

 平井要芽の『氷乙女二つ名』のゆえんは寒気すら覚える視線。それ以上の冷気だと凜華の声が認める。その感情を灯す引き金は篠崎の意味深な物言いにあるのも嫌でも気づく。

 しかし、それはいったいどれほどの事があったのか。敵味方のいれ代わりが激しく、ある種達観しているともいえるほど、こだわり以外にはこだわらない──それが時宮の、異能者のあり方ではなかったか。いったいマイペースな彼らが何をしたらあそこまで根の深い怒りを宿すのか?

「(いったい過去に何が──)」

「──面白そうな会話を邪魔するものではないわよ?」

 その言葉で我に返ると思考で狭まった視界が何を指しての事かを映し出す。当真瞳子が『調停者』の死角をつく格好で刀を横に払い、それを当真瞳呼が刀身の失った薙刀の柄で防いだのだ。今の今までその存在をすっかり忘れていたが、それも作戦の内だろう。篠崎空也で撹乱し、刀山剣太郎で道を作り──想像だが刀山は篠崎のフォローで“影”を斬ったのではなく、当真瞳子を内へと入り込ませる為。篠崎単体ならおそらく逃げ切れた──、当真瞳子が手堅く仕留めに入る。

 およそチームワークなど意にも返しそうにない個性的な面々が成立させた連係は嫌みの入る余地などなく見事だ──見事だからこそ先程の疑問がさらに深くなる。私には当真瞳子達が敵が多少手ごわい程度でとは思えない──むしろ嬉々として一対一を望むのではないか?

 そもそも『調停者』へ向けた嫌悪感情に嘘はなく、それが証拠に当真瞳子達の戦意がいつも以上に高いのは明らかだ。『調停者』が過去に何かをした事が因縁となっているのは間違いない。そして変化があるのは『調停者』の側も同じ。

「──ふふっ、あはははははっ──」

 篠崎のらしくない語りにどういう意味があったのか、それでもリアクションはあった。『調停者』の肩が小刻みに震えるのが私いる位置からでもわかる──それは哄笑だった。声そのものは楽しげであるはずが、どこか欠落している。それは元から無かったのか、あるいはあっても育つ機会が無かったのか、どちらにしても無いという事実は揺るがない。

「──聞いていると不安になりそうな笑い声ね」

「どんな笑い方でも変わりませんよ。『調停者彼女』は終わらせる気のようです」

「──まずい、『せかいはひとつザ・ワールドイズオールワン』!  剣太郎、いける?」

 珍しく切羽詰まった様子の当真瞳子。何かを仕掛けようとする『調停者』を妨害する意図はわかるが、その度合いが少々超えている。そこまで危険な事が起こるのか?  この地下で。

「──っ、腕が振り切れん。向こうも弁えているな」

「なら」

 短く吐き捨てた当真瞳子の目が剣呑さを帯びる。異能によって生み出された殺意の具現化『殺刃』だ。実体を持たない架空の刃ならこの重力下でも狙えるだろう。しかし、

「させないわよ」

「くっ、『絶槍』か」

 状況を問わないという意味では同じく『絶槍』にも当てはまる。『調停者』へと向かう刃を当真瞳呼が次々と迎撃する。篠崎も力場干渉能力とやらをフルに使い、『調停者』を阻もうとするも同様に『絶槍』の妨害を受け実行出来ない。重力を防御出来ても異能を解除する穂先には分が悪いらしく、目標の周辺を迂回する様に飛び回り隙をうががうにとどまっている。

「──なに、あれ」

 『調停者』の“影”が主のもとへ戻るように収束する。形は奔流から球体──いいや違う、あれは“穴”だ。空間の歪みによって不自然に出来た“穴”は強力な引力をもって不足を間に合わせようとする。真っ先に巻き上げられたのは空気や砂ぼこり、遅れて文庫本が面積の小さい穴にあっけなく吸い込まれていく。

 篠崎の忠告通り下がった私も凜華に掴まっていなければ踏ん張りがきかずどうなっていたかわからない。だが、それも時間の問題か。頑強に固定されているはずの照明設備や座席が嫌な音を立てている。退避しようにも吸われない様にするのが精一杯でまともに動けない。八方塞がりだ。

「──やれやれ、なんて様だ」

 その時、複数の風切り音を伴った何かが──それがとわかるのは後の話──飛来する。“穴”の引力で漫然と吸い込まれるものとは違う意図が込められた投擲、それは重力によって生じた引力が荒れ狂う講堂内にあって普通ではあり得ない軌道に沿って『調停者』の背後をとり、“穴”と目掛けていく。

 当然、間に挟むのは『調停者』自身、引力に乗って殺到する物体を無視できず『調停者』はやむなく防御に回る。しかし、それは『調停者』の意識が、能力の矛先が別へと向かったという事。自由になった刀山の剣が今度こそ“穴”を斬り、能力の発動を阻止する。

「遠視・透視を併用した目を使い、重力の流れを見極め、なおかつ着弾を計算出来るとは──さすがですね」

「増援はいっこうに構わないのだろう?」

 そので見ていたらしく、『調停者』の台詞を混ぜっ返す。その相に浮かぶのは篠崎と同様に好意とは真逆の感情。長々と絡むつもりはないと目線をそらし当真瞳子達を見る。

「えらく早いお着きね」

「貴様らの段取りが悪いからそう感じるだけだ。にやっている。一緒にしないでもらおうか」

 あくまで一方よりマシというところか、そのやり取りに友好さはなく、むしろ剣呑な雰囲気。それでも──

「まぁ、いい。お互いの利害が一致しているのなら是非もない。そこの『調停者』共々片付けるぞ」

 ──時宮高校元序列十位『皇帝』月ヶ丘帝は当真瞳子達との共闘をそう宣言した。

「きみのその手はやさしい手」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「学園」の人気作品

コメント

コメントを書く