きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第63話

 振り返ってみれば、得物を手にしても漫然と遊ばせていただけで積極的に使うどころか、素振りすら見せていなかった。ここへきて初めてその素振り──ここでいうなら当真流における構え──を披露する当真瞳呼。

 そう大仰に表してみたが、薙刀の穂先を水平からやや地面側、腰だめに構える姿は長柄の武器を扱うなら何の変哲もないものだった──ただ一点を除けば。

 その、ただ一点の特徴、薙刀得物と心中するかのように上半身を柄に添わせる姿は、見た目、ビリヤードにおいて手球を打つ直前に似ている。だが、あくまで見た目は、という話。直に立ち会ってみるとそんな健全なものとはほど遠く、凶器を構え、対峙する姿は地に伏し獲物を狩らんとする虎のようだ。

 その見た目、印象に共通するのは、力を溜め、一瞬のうちに事を成すという意思を連想させる点。不意に真田が刀山相手に見せた『火竜』という突き技を思い出す。あの時は短くなった刀だったが、身長ほどもある武器を使った場合、その速度と長さは戦場の何処へでも届き得るだろう。いくら成田に『リニアステップ』という移動手段があったとしても、今までのように逃げ切れるものではないかもしれない。

「──なぜ当真は『絶槍』を使わない?」

 と、もどかしげな月ヶ丘清臣。本人の申告通り、戦闘に関しては専門外なのか当真瞳呼の考えを図りかねている様子。月ヶ丘も武家の流れを組むと聞いたが、その家の出身とはいえ誰もが明るいと限らないらしい。

「月ヶ丘が武で生きてきたのは昔の話だ。完全に廃れたわけではないが、ごく一部でしかない。むしろ当真のように表裏問わず生業としてやっていける方が珍しい」

 私の視線から察したのか(あるいは似た反応に慣れているのか)月ヶ丘清臣の説明はあらかじめ用意していたように淀みがない。ともすれば開き直りに近い釈明だが、言われてみればそう納得しないでもない。

 そもそも身分制度が廃止された後も組織体系を維持できる事自体がだ。その意味では月ヶ丘家の存在も充分に脅威であり、当真家や天乃宮家を相手に仕掛けられるだけはある。

 とはいえ理屈に合ったから何だというのだ。月ケ丘清臣が戦闘に明るくなかったとして私が律儀に教える義理はない──ないのだが、向こうの性分からとはいえ──しかも不愉快な主観を伴った──解説を受けた以上、無視を決め込むのはそれはそれで憚れるものがある。そう思い直し、返礼代わりにと口を開く。

「──成田が『紫電装』を展開したからだ。例え体術が素人の“それ”でも触れただけで逆転もありえる以上、万が一にも間違いは許されない。ならば半端に選択肢を用意して意識を欠くよりも、これと決めた技一点に集中させるのが正解だ」

「『絶槍』なら『紫電装』を解除出来るはずだが?」

「当たれば、な。忘れたか? 成田には『リニアステップ』がある。『絶槍』に当たらないよう速く動き、当真瞳呼に触れる──言葉ほど簡単ではないが、考えはシンプルで済む」

 ただ、それで成田が有利に立ったかと言えば、少々頷きにくい。『紫電装』の展開中は遠距離攻撃が出来ないと平井から聞いているからだ。その時点では勝ちの目だと思っていたが、立場が変わった今、不安要素へと真逆の感想に落ち着いてしまっている。

「これで互いの遠距離攻撃は封じられた。後は成田が異能で技術の差を埋めるか、当真瞳呼が技術で異能を完封するか──どちらにしても、次で決着するだろう」

 おそらく成田はそう。いくら施設のコンセントから充電出来るとはいえ、ほんの数分ほどで全快するものでもないだろう。当真瞳呼への意地で戦況をどうにか五分まで戻したに過ぎないのだ。

「──始まったか」

 もはや外野に差し挟める余地などないだろう、どちらからともなく二人が間合いを詰めていく。一歩一歩近づくごとに互いの異能がその意思を示さんと世界の理を歪めながら。

「『プラズマ・フィスト』」

 先手は成田から。纏った『紫電装』を両の拳へと集約させる。触れただけで相手を焼く『紫電装』だが、相手が素手ならまだしも『死化粧』を装備した当真瞳呼の攻撃を物理的に防げない。ならば、と残った力を『リニアステップ』と『プラズマ・フィスト』とに振り分けた判断は、限られた選択肢の中においても絶対に勝つという決意のあらわれだ。

「──今までで最も速いわね」

 かすかに聞き取れる当真瞳呼の独り言。声音には先ほどまでの親しさは欠片もなく、事実を淡々と分析している様子は当真瞳子の"それ"とタブる。

 その冷静然とした言葉通り、成田の攻撃は速かった。速すぎてやや動きが直線的ではあるものの、先ほどまでとは打って変わって機動力の面で当真瞳呼を完全に圧倒している。

 だが、当真瞳呼とてなすがまま後手に回ったわけではない。成田の動きから二手三手先の行動を予測し、攻勢に移る。火の這うに例えた足運びから天へと駆ける跳躍──一本指歩法『天狗翔』。平面では分が悪いと、立体高さで勝負だろうか? 身長の倍以上は飛び、『死化粧』を背中越しに振りかぶると着地点の近くにいるであろう成田へと打ち下ろす──頭を頂点に股下まで唐竹割りにする気だ。

 その跳躍力、空中で薙刀を打ち下ろす腕力と体軸の強さは瞠目するが、見え見えの攻撃をくらってやるほど成田はお人好しではない。唐竹割りの届かない角度から『リニアステップ』と同じく磁力の反発を利用して高く飛ぶ。ステップは二度、空中でも磁力の足場を張り微調整しながら当真瞳呼に迫る。小回りは効かなそうで動きがやや不恰好に映るが、小回りどころか身動きの取れない当真瞳呼からすれば詰みの一手になるはず──だった。

「──なっ!」

 『プラズマフィスト』の貫手が空を切る。理由は簡単だ、『死化粧』の石突を始点にその体で大車輪を描き、本来動けないはずの空中で体を入れ替えやり過ごしたからだ。二人が交差する一手前、唐竹割りが空振りに終わった『死化粧』の切っ先は舞台を深々と貫き、固定されている。支えが一本でもあれば、当真瞳呼の運動能力ならそれくらいやってのけてもおかしくはない。

 だが、とっさの反応であんな回避に打って出たのか──いいや、違う。あからさまな跳躍からの唐竹割りまでの手際全てが布石。成田を飛ばせる為の"誘い"だ。

「例え磁力で足場を作れても『空駆ける足』ほど空中戦は得手というわけではないのでしょう?」

 一足先に地上へと降り立った当真瞳呼はすでに追撃の構えを取っている。初めて見せた時と同じ、虎が伏すが如く。狙いは体を入れ替わった際に生じた隙を無くそうと成田が当真瞳呼へ向き直ろうとする瞬間だ。背中を見せただけならまだ逃げようもあるが、向きを変えるタイミングを突かれれば、体術の素人である成田はまず防ぎきれない。

「──誘ったのはお互い様だ、年増」

 それは負け惜しみとは思えない響きを持たせた成田の呟き。背を向けたままで表情は見えないが、言葉通りなら、してやったり、と皮肉めいた笑みを浮かべていただろう。

 当真瞳呼はそれに取り合わない。もはや駆け引きの段階ではなく、手札を見せ合うだけだからだ。成田の方も弁えていて、磁力による滞空はほどなくして終わりを告げる。

 ──空気が割れるような音が私の鼓膜を叩いたのは、爪先が舞台に届こうとしたまさにその時だった。

 再び見せた当真瞳呼の加速。ただ、破裂音を生み出すほどの一歩目は、火を這うような、などと比喩するにはいささか足りない。もはや爆発と言い換えてもいい。遠目からでもわかるほど『死化粧』が。その衝撃をまともに受ければまず命はない。にもかかわらず、成田はまだ振り返っていない。私や当真瞳呼の想定を超えて。あれでは背中から──

「(──まさか、)」

 素人には振り返りざまに襲われたら何も出来ない。背を向けたままでも同様だ。だが、武術の心得があればどうだろう。私は実際に"それ"を見なかったか──他でもない成田がされていたのを。

 その動きは今までの成田とは一線を画すものだった。間違いなく素人なはずの成田が見せる達人に匹敵する動きのキレ。対武器戦闘にも適応できる交差法の正体は平井が生徒会室で見せた渾身の入り身、つまりの動きだ。

 それが成田の異能と組み合わさり、当真瞳呼の突きを軽やかにかわしながら相手の内側へと潜り込んでいく。──

「それ以上行くな! 成田!」

「──電位が見えるから賭けだったけど、どうやらうまくいったようね」

「あぁ……」

 私の静止はむなしく響くだけで結果が覆る事はなかった。背面からの入り身は見事に当真瞳呼の内側へと至ったが、攻撃に移る瞬間、当真瞳呼の足運びと腰の捻りだけで返り討ちにあい、成田はあえなく倒されてしまう。腕を使わず、成田を転ばせたのは交差法のさらに返し──合気と同種の技術だ。
「正直、驚いたわ。今の動きは間違いなく当真流合気『転』だった。おそらく神経の伝達信号をも操って、イメージするだけでその通りの動きが出来るのね」

 当真瞳呼の口調が元に戻っている。それは決着が揺るがぬものとなったという何よりの証左。

「でも、残念ながら、技単体のキレは異能で再現出来ても、修練や経験がものをいう駆け引きは素人には無理よ。そうでなくとも、脳の無茶な命令に付き従う体の負担は相当なものでしょう? 頻繁に出せる芸当でもなさそうだし──ね」

 成田の腕を取り、特に力みを見せず立たせる当真瞳呼。素人が達人の技を再現するという想定外の奇襲にも動じず、また知り尽くしていたからこその対応も敵ながら見事だが、『プラズマフィスト』を解除せしめた手段はそれを上回る。まさか──

「──自分ごと『絶槍』で貫くとはな。正気の沙汰じゃない」

 地下に潜り込んだ『絶槍』を見破った成田がその実、どう見えていたのか、当人ではない以上わからない。わかるのは攻防の寸前、当真瞳呼は自らの体を囮と隠れ蓑にして『絶槍』を後方に展開していた。そして、入り身によって詰め寄ってきた成田をそのまま自身ごと貫いたのだ。

 物理現象に干渉できるほどの狂気じみた殺意──例え生み出した本人といえど何の影響がないとは思えない。それを躊躇わず、身を晒す。これが正気で出来るというのか?

「……こぉの、アマ──」

 異能を封じられ、強い負担のかかった体は満身創痍、それでもなお、成田の戦意は相手に屈するのを良しとしなかった。歯を食いしばり弱弱しくもその手を振り上げる。

「この期に及んで、まだ抵抗の意思を見せるなんて──」

 皆まで言わず、成田の腹部に重い中段突きを入れる当真瞳呼。成田はそれに抵抗出来ず力尽き、当て身を入れた張本人に体を預けてしまう。

 『絶槍』で止まらなかった強靭な精神力も、肉体の機能を遮断されてはどうしようもない。神経伝達をも操作できる異能も、扱う意識を元から断たれては言わずもがなだ。

「──本当に可愛がり甲斐があるわね。向こうに着いたらゆっくりと解り合いましょう、

「成田!」

 わけもなく恐怖を感じて叫ぶ。その感情に突き動かされた手はすでに最前列の欄干へと伸びている。あとは身を投げ出すだけで舞台へ──当真瞳呼の前に立ち塞がる事が出来る。

「止めた方がいい──そう言ったはずだ」

「──邪魔をするな、月ケ丘清臣」

 私を押し留めたのは、体温の感じない二対の腕──『シャドウエッジ』と二人に命を下した月ケ丘清臣だ。 

「その二人を軽くあしらえないようでは、君が一人飛び出したところでどうにもならないぞ」

「天乃宮と衝突するのは避けたいなどという本音に付き合うつもりはない。二度目だ、放せ」

 そんな遣り取りの間にも当真瞳呼は成田の体を抱いてここから去ろうとしていた。私の事など歯牙にもかけない、そもそも認識しているのかすら怪しい当真瞳呼から成田を引き離すにはこんなところで足止めを食っている場合ではない。

 だが、月ケ丘清臣はともかく『シャドウエッジ』に、観客化してはいるが『新世代』の連中もいる。明らかに多勢に無勢、突破するだけでも至難の業だ。

「(だからどうした)」

 逡巡は無意味、気勢をあげ『シャドウエッジ』の腕を振り払う。空手の息吹による呼吸法からの瞬間的な筋力強化で拘束を脱すると『飛燕爪』を懐から取り出し、装備する。

「仕方がない──出来るだけ傷はつけるな」

 月ケ丘清臣の指示が『シャドウエッジ』を私と当真瞳呼との間に分け入らせてくる。内容に対する引っ掛かりはともかく、手加減が入るなら付け入る隙はあるはず、『新世代』達に囲まれる前に切り抜ければ──

「──親戚なのは百歩譲ったとしても、そういう性癖を目の当たりにされるのは勘弁願いたいわね」

 わずかな可能性を算段していた私の耳と講堂にどこか人を食った女の声が駆ける。

 次いで何かが跳ねた音、それは出入り口から座席にそれぞれ一回、三回目は私と『シャドウエッジ』の間を抜け欄干に、そして四度目は金属同士がぶつかる音に紛れて舞台上へ。

 数えて四歩で当真瞳呼に辿り着いたのは、暗がりでも映える白木拵えの刀をその手に携え、天乃原学園の制服を身に着けた女性。ただし、刀を薙刀で受け止めたとは違い、こちらは正真正銘この学園に籍を置く女生徒──断言していいものか迷うが一応、味方だ。

「そんなでも一応、私の後輩なの──置いていってもらうわよ」

「──そうね。業腹には違いないけれど、成田稲穂彼女を連れていかれては困るわ。

「その声は──」

 刀を持った女生徒とは別の声。それは生まれついての資質を土台に、普段から大勢を前に立つ事に慣れている為だろう、さほど強い声量ではないにもかかわらず周囲の耳目を集める。本来、ここにいるはずのない存在──少なくとも。だが、なぜを問う前に気づく。彼女はこの学園の支配者、例え戦場を異能者に譲っても、全てを委ねたりはしない。

「──だって彼女、今日付けでこの学園の生徒だもの。連れて帰る気なら誘拐犯として対処させてもらうからそのつもりで」

 天乃原学園生徒会長、天乃宮姫子は集まる視線に動じる事なく、よく通る声でそう宣言した。

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