きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第50話

 授業の終わりを告げるチャイムに合わせ、監督役の男性教師が頼りなさげに音頭を取り、場を締める。はたしてその声に従って──かは疑問だが生徒達は潮が引いていくように教室を後にしていく。

「──時間です。この続きはまたいずれ」

 ハルとカナもそれに倣い、手早く椅子を片す。気まずさからではなく、これ以上語り合うつもりも"向こう側"に立つ相手と長居するつもりもないのだろう。

 さすがは双子というべきか、目鼻立ちそっくりな二つの顔がお互いの動きを予測して阿吽の呼吸で片づけていく姿はその所作の一つ一つが淀みなく、躊躇いの欠片一つ見せない。それだけでもこれからやろうとする事への覚悟が見て取れるような気さえする。

「少なくとも今の私達からはこれ以上話す事などありません。それが不服というのなら──」

 意図的に言葉を切って、強いまなざしがこちらを射抜く。それは紛れもない、宣戦布告。

「──で止めて見せてください」

 その放課後、生徒達の間で海東姉妹主導による生徒会解任要求活動が始動したという出所不明の噂がまことしやかに語られるようになった。


「"火種"というのはそういう事よね」

「だな」

 瞳子の呟きに同意する。すっかりおなじみとなった空き教室溜まり場は赤みを増した夕日によって染めていく。それは駄弁りやすいように真ん中に据えた机を囲む俺や瞳子、空也に剣太郎といったいつもの面子。そして──

「──そんな悠長な感想よりこれから先どうするのかを聞きたいのだけれど?」

 ハルとカナの動きについて、何事かを掴みに来た会長を始めとする生徒会役員を同じ一色にまとめていた。

「まだ解任要求が発動したわけじゃないでしょ? 何を焦っているの?」

「発動してからでは遅い、と言っているのよ。噂では発起に必要な人数をすでに揃えているそうよ。ひとたび解任要求が発動すれば、例え、その場は凌げてもそれ以降の生徒会運営への打撃は避けられない」

「すでに揃っているなんて、よほど信用されていなかったのね、会長として」

 そう言って茶化す瞳子を会長が物凄い表情で睨む。こういう時まで喧嘩するなよ。

「──冗談よ。いくらなんでも手際が良すぎる。天之宮と当真が張っているこの学園で水面下にそれだけの人数を集めるなんて尚更ね。となれば、答えは一つ──身内の恥になるけど、当真の一部が関わっているとしか考えられない」

「それが件の当真瞳呼黒幕?」

「ええ、そうよ。海東姉妹を焚きつけてか、元々その気だった彼女達に手を貸したのかは知らないけど、間違いはないでしょう。──優之助、こうなったらわかっているわね?」

「あぁ、二人を止める──だろ?」

「止めるって、どうやってかしら? あなた達と違って異能者ではないのでしょう? 戦ってどうにかなるとは思えないのだけれど──それとも、本当に力づくで二人を排除する気?」

 微かに匂うを察してか、非難の意を込めた目を向ける会長。いいや、と首を横に振るが納得した様子はなく、曖昧に片づけるのは許されないと悟る。

「おそらく、二人の目的は別にある。もちろん、会長のやり口が気に食わないと過去に言った以上、不満があるようだけど、その為だけにこんな手段を取るとは思えない」

 ハルとカナ発起人が当真瞳呼の一手先程度の存在なら、やり口からして大差のない会長に反抗などしないし、こんな大それた真似など始めない。反抗するほど合わない思想を持つ相手の手を借りてまで敵対したからには何かしらの理由があるのだ。

 そんな背後関係と信念との矛盾をはらむ言動を指摘すると会長は納得したように首肯する。断られてた本人だからこそ、二人の生真面目さがよくわかるのだろう。

「もしかして、二人と知り合いなのか?」

 そう質問したのは飛鳥。俺達の言葉の裏を読んでの結果だが、それ以前に、どこか琴線に触れたのか、反応が他の二人よりも鋭い。

「まぁな。だから俺は知りたいと思っている。あの二人がなぜこんな事をしでかしたのか。それを知る事が出来ればおそらく今回の騒ぎを沈静化させられるはずなんだ。──会長に言った止めるというのはそういう意味だよ」

「つまり、講堂終業式の時と同じと言う事ね、おおよそは」

「ただし、規模は前回の比ではないけどな。まぁ、そうはいっても毎度毎度力技で押し通るわけでは──」

「──別に押し通しても構わないわよ」

「何言ってんだ? 会長」

「向こうは生徒会、ひいては学園の自治を乱そうとする、いわば問題生徒。当然、生徒会自治組織における処罰、制圧の対象となる」

「いやいや、生徒会解任要求を目的として動いているだけだろ! それ自体、生徒に許される権利を行使しただけだ。それを処罰した日には生徒会がただの独裁組織に成り下がってしまう」

 真田さんの言葉が俺の脳裏にハルとカナの退学最悪の展開を描き出す。そんな俺を会長がかわいそうな子供を見るような目を向けながら、諭す。

「あのね、御村。相手は噂で解任要求をする"かもしれない"集団であって、実際解任要求をしたわけではないの」

「どういう事だ?」 

「仮にお前が"学園を辞める"といって、すぐさま退学になると思うか?」

「──そうか、手続きか」

 真田さんの口添えヒントで会長の意図を理解する。

「そう。実行するだけの一定数は集まったようだけど、まだ正式に受理されたわけじゃない。今の段階ではあくまで生徒会に不満のある反抗的集団というわけ」

「手続きはどこでやるんだ?」

「この学園において、中立・公平性がある程度望める組織──理事会よ」

「正確には教職員を管理する事務局だ。入学や学籍登録といった対外的活動を司る理事会の下部組織である天乃原学園事務局──大学にあるようなものだとイメージすればわかりやすいだろう」

「今日の事務受付時間は過ぎたから、決行は明日以降。手続きするまではただの烏合の衆よ。自治を乱す不正集団を粛清する名目なんて取り締まった後でいくらでも作り出せるわ。。──でもまぁ、別に私達が真っ先に"そう"しなければいけないというわけではないし、?」

「そもそも、今の私達では複数の異能者を抑えられない」

 こちらの事情をおぼろげながらも掴んでか、どこか人を食ったように結論を焦らす会長と現状を冷静に判断した結論を躊躇いなく口にする真田さん("今の"と強調するところから見るに一定の悔しさが見て取れる)。翻って見れば会長や真田さんによる一連の会話の中に俺達に協力を要請しない辺り、"最悪、俺達の暴走という事にして"、生徒会が被りかねないリスクに対する保険を掛けたといったところか。それは別に構わない。

 ともかく、これで"お墨付き"を貰った事には変わりはなく、こちらとしては"何か余程の事がない限り、敵対はしない"のならば、それで充分なのだ。言質の取り合いでお互いを契約でがんじがらめにするつもりもなければ、いざとなれば切り捨てられてもいい。

 少なくとも俺はハルとカナの二人を会長が思うきな臭い何かから切り離し、真意を知る事が出来ればいいのだから。

「さすが、天乃原学園生徒会長。詭弁を織り込んだ下種な企てはお手の物というわけだ」

「あら、あなたの流儀に合わせてあげただけよ。お気に召して何よりだわ」

「いや、今更の押し付け合いなんてしなくていいから。知ってるから」

「という事は、ハルちゃんとカナちゃんを捕まえれば僕達の勝ちって事? ならその事務局に張っていたらいいんじゃない?」

 空也がルールの確認とばかりに質問を投げる。……険悪オーラ絶賛展開中の瞳子と会長が前にいるのに、よくもまぁ、緩さを保てるもんだと、妙に感心する。

「いや、そういうわけにはいかない。事務局はあくまで公正・中立の立場だ。現場で抑えるということは、同時に衆人環視の場で俺達が解任要求を妨害した現行犯になる。向こうからしたら諸手を挙げて喜ぶ事態になるだけだ」

「そうならないようにあらかじめ身柄を抑えるのが理想なんだけれど──」

「残念ながら、尾行をまかれて放課後以降の足取りが掴めないそうだ」

 会長の先手に不可と返したのは、珍しく会話に加わった剣太郎だった。携帯をいじりながらという姿を見るに、おそらく青山達からのメールでハルとカナの行方不明を知り得たのだろう。慣れた手つきで短い返信を送り、懐にしまうと腕を組んで再び傍観者へと鞍替えする。

「やられたな。こうなってしまうと、今日中に身柄を押さえる、なんて手段は打てないな」

 ──、後手をつまされた感は否めない。

「あなたの『制空圏』とやらで居場所を探れないの?」

「今から探っても、多分無理だ。射程外にいると思う。もしかしたら学園に居ないのかもしれないな。仮にいても見分けがつくかどうかは怪しい」

「どういう事?」

「脳の情報処理が追いつかないんだよ。取捨選択のさ。戦闘に関しては問題ないけど、本当なら500mでも持て余し気味でな」

「自分の異能を持て余すなんて意外に役に立たないわね」

「──ほっとけ」

「私も、たまに持て余すわ。異能ってそういうものよ」

 庇ってもらってなんだが、お前の場合は単に異能の核欲望に素直なだけだろ──とは言わない。

「──明日が勝負だな」

「あぁ」

 ぼそりと要点を挙げた飛鳥に同意する。いつの時代でも、為政者を突き崩すのに必要なのは仕掛けるタイミングとその準備、そして何より、実行する為の速さ。狙ってかはともかく、噂が流れた時点ですでに賽は投げられている。明日中に不服申し立てとしての解任要求を提出しなければ、その前に生徒会が治安維持を建前に賛同者もろとも首謀者を退学排除にするだろう。噂にあった解任要求の動きなど見られず、ただの暴徒だった、として。そういう筋書きになる。

 だが、その結果は俺も望まない。ハルとカナの決意をただのテロリスト扱いにはさせない。生徒会に仕立て上げさせたりはしない。

「それはともかくとして、人数が足りないのが痛いね」

「どうしてかしら? 頭数ではあなた達の方が上でしょう」

「ところが、そんな単純な話じゃないんだ」

月ケ丘帝『皇帝』は戦闘力をもたないし、仮にロイヤルガードが全員で掛ってきても負けはしない。だけど、こと、守り、陽動、足止め、攪乱に限ってなら、序列持ちクラスの異能者が複数いても渡り合えるんだ。あいつの『導きの瞳異能』を軸としたコンビネーション──通称、『神算』はそういう目的なら無類の強さを誇る。正直、あと一人か二人は欲しい所だ」

「ま、そのあたりは私がなんとかしてあげるわよ」

「──別に『皇帝』の専売特許ってわけじゃないよ。僕だって、陽動や、足止め、攪乱は得意だしね」

「と、するなら、俺が国彦『王国』か」

 瞳子が、空也が、そして剣太郎が展開を見越したそれぞれの役割を口にする。時宮時代なら割と見受けられる光景。スポーツの作戦会議を彷彿とさせるが、その実、触れれば人の五体を蹴散らす異能の応酬を理解してのやり取り。

 それは今や学園を舞台にして、一対一タイマンから二対三コンビマッチ、そして今度は、多数対多数チーム戦へと規模が大きく、そして本家本元時宮のそれに近くなってきている。

「(──会長が釘を刺したくなるわけだ)」

 つい先日までの自分なら及び腰だったであろう状況に少しずつ"染まっていく"のを実感しつつ(というべきか)、さらに深まっていく外を一瞥する。山の冷ややかな空気と共に夜がやってこようとしていた。


      *


「──
そうですか。ではそのようにお願いします」
 相手の簡素な返事を受け取り、海東──御村遙は通話を終了させる。の窓から見える夜景は、その目に映る淡く光る街灯を一定の速度で置き去りにしていく。

「"彼女"からか?」

「はい。概ね予定通りとの事です。ただし──」

「──懸念していた事項については解消できず、という事か」

「残念ながら」

 ハルが視線を夜景から運転席に移すと天乃原学園の制服に身を包んだ男子生徒が慣れた手つきでハンドルを操作している。一見すると引っ掛かりを覚える画だが、高校生でも18歳以上なら運転免許は取得できる。まして、彼はとうに高校を卒業している──三年も前に。

「すまないが、今晩はこの車に泊まってもらう事になる。入り用があるなら早めに言ってほしい──出来る限り応えよう」

 時宮高校、元序列十位『皇帝』月ケ丘帝は、そう気づかわしげにハルとカナの二人に向けて声を掛けた。

 ハルとカナの二人は兄に"宣戦布告"をした後、それら一部始終を"見"ていた月ケ丘に連れられ、彼の運転する車で高原市中を移動し続けていた。

 すぐに学園を飛び出し、現状に至った理由は明白。生徒会解任運動を主導する自らの身柄を確保されない為である。自動車を足にして逃げに徹すれば、異能者がいかに規格外の身体能力や常識外れの特殊能力を持っていたとしても、追跡は困難。

 その上、『制空圏』『優しい手』以上の情報収集能力を持つ『皇帝』が運転する車は"手に取るように"周りの状況を常に把握しながら走行する為、操作に淀みがない。『導きの瞳』異能が運転と相性抜群というのは、『皇帝』という異名を考えるとなんとも皮肉な話だったが、優之助達が彼女達を捕まえるのはまず不可能だろう。少なくとも今晩中は。

 とはいえ、ハルとカナ彼女達にしても一晩しかこの手段が使えない事を理解している。彼女達が明日までに解任要求を事務局に申し出なければ、生徒会は自治組織の肩書を元に自分達を問題生徒として処理できるからだ。もちろん授業に顔を出せば連行されるし、出なかったとしても無断欠勤となり生徒会につけ込まれる口実を増やすだけ。実の所追い詰められているのはハル達側である。

 そんな不利とも無謀ともわかっていながら行動を起こしたのはそれぞれの事情ゆえである。それは無論、生徒会を打倒し、天乃原学園を変える為──ではなく、

「──まぁ、お前らがどんな目的があっても構わねぇし、付き合ってやるがさぁ、メシだけはちゃんと用意してくれよ」

 二列目の席に座るハルとカナの後方、三列目。車体見た目に割に広い中にあって、2mを超す体格と傲然とした座り方で圧迫感を生み出している男子生徒──に見える男、『王国』王崎国彦は『皇帝』とハルの会話を辛気臭いとばかりに割り込む。

「──若くして痴呆でも患ったか? ほんの一時間前に食べたばかりだろう。予定外に足を止めさせてまで」

「仕方ねぇだろ。優之助あいつにぶち折られた骨の修復にカロリー使っちまったんだからよ」

 ──これも契約の内だろ? とふてぶてしく追加を要求する。最後方のスペースには丼物のテイクアウト用の容器や、ピザ、フライドチキン、ケーキといった空箱がうずたかく積まれている。『王国』がその特異体質ともいえる強靭な体を維持する為に膨大な量の食事を必要とする事を知っていた月ケ丘は協力の対価に金銭以外にも、契約期間中の食事の保証を付けていた。

 組織と自らの身体の維持両方を満たす契約内容である為、ある意味優之助以上に依頼を遂行しようとする『王国』。その結果、優之助と戦い、手傷を負ったのは、本人からすればやるべき仕事を果たした名誉の負傷という所だろうか。むろん、自慢の肉体を傷つけられた怒りや悔しさはあるが、優之助と戦って無傷で済むとは思っていない。まずは怪我の回復にとことんまで食べる(月ケ丘家の金で)。

 やられた借りも依頼の報酬もその後で考えればいい。それが『王国』王崎国彦の考え方。その辺りの徹底ぶりは彼の後ろにある食事の残骸が物語っている。積み上げた本人の性格からか、はややバランスが悪く、『皇帝』の運転でなければとっくの昔に崩れ去っていただろう。どうでもいい話だが。

「──追加分を手配しているところだ。もうしばらく我慢していろ」

「なんだ、あれっぽっちで足りないのはわかってたんじゃねぇかよ。人が悪いな」

「貴様はもう少し、遠慮を知るべきだろうな。そもそも別についてくる必要などなかったんだ。ハンドルが重くてかなわん」

『ロイヤルガード』とりまきがいないのを心配してやったんだよ。感謝するんだな」

「食事目当てのくせにそれらしい事を言う」

「ちげぇねぇ」

 否定しない『王国』にそれを苦々しくも必要性から邪険に扱う事ができない『皇帝』。対照的な二人だとハルは思う。片や、異能者の中でも随一の身体能力を持ち、およそ他者の助けなど必要のないはずなのに『王国』群れを築いた王崎国彦『王国』。片や、類まれな情報収集能力を持ちながらも、他者の助けなしでは十全に活かせず、それでいながら実家群れを憎んでやまない月ケ丘帝『皇帝』

 そんな二人に挟まれながら、この二人の助けがなければ事を起こせずにいたのを痛感するハルとカナ騒動の火付け役。性格も、考えも、目的すらバラバラであるはずなのに、ただ一点、明日をどう乗り切れるかという"過程"が一致したからこそ集まった、おそらく今回限りの一団。だからこそ、達成しようとする気持ちは強い。ハルはそう確信している。

「それで、どうするつもりだ? っても、こいつらを事務局──だったか?──に連れていけばいいんだろ? 後はそこで待ち伏せするあいつらと派手に戦りあえばいい、つーわけだ」

「残念ながら、貴様の思うような大事にはならない」

 まったく残念さを感じさせず、王崎の言葉を否定する月ケ丘。腕が鳴るとばかりの意気込みに水を差された格好の王崎はその程度では苛立ちはしないものの、怪訝な顔を隠さない(その怪訝な顔自体、気の弱い人間からすればかなりの悪人相ではあったが)。月ケ丘はそれ以上解説する気がないのか、車内に不自然な間ができる。沈黙を気にしてか、ハルが解説を引き継ごうとする。

「生徒会への不審からくる解任要求は、一般生徒に許された──いえ、権利です。いかに強権を持つ生徒会でも一度発動されれば、それをなかった事にはできません」

 ハルと同じ考えだったのか、それでも半呼吸ほど早く口を開いたのは、双子の片割れであるカナ。優之助の前ではたどたどしく話していたとは思えないほど滑らかな口調で語り掛けるカナにわざわざそれを指摘してまで話を止めようとする者はいるはずもなく、カナから発せられるのハッキリとした音が車内を支配する。

 時折見せるカナの積極性に驚きはしないが、『皇帝』や『王国』といった一癖も二癖もある元序列持ちを相手に物怖じしないのに、なぜ普段はなのか不思議で仕方ないと家族であるハルは内心首を傾げる。

「つまり、大事にならねぇってのは、意味か?」

 ハルが疑問を思う間も、カナの長々とした説明は続く。ようやく、一区切りしたところで、ややウンザリしつつも大人しく聞いていた王崎が珍しく疲れた様子で確認する。王崎本人からすれば、学園のシステムも、生徒会の立ち位置も、とりまく情勢も、何一つ興味はない。あるとすれば、依頼の報酬と優之助達と"やりあう"事くらいだ。明日、自分が誰とどこで戦えばいいのか、それだけ知っていれば、問題はない。

「はい。なるべく人目につかない場所で私達を捕まえたいはずです。そうなると、待ち伏せ──戦闘は学園内ではなく、日原山から内側、学園の敷地から外のどこか、となるでしょう。ユウ兄──御村優之助の『制空圏』で筒抜けですが、広大な山を全てカバーするには要所要所に人を配置しなければ侵入に対処するのは無理です。ならば──」

「──こちらもそれに合わせて、人手を割けばいい。各人が牽制と足止めに徹すれば、その合間にハルとカナ二人は事務局に向かう事ができる」

「戦る事に変わりねぇなら、そう言えってんだ。紛らわしい言い方するんじゃねぇよ」

 大事にならない、そのニュアンスで戦闘のない穏当な決着を想像したらしい。そんな悪態はカナにではなく、最後に締めた月ケ丘に向けたもの。にもかかわらず、カナの背が不自然に震える。

「す、すみませ──」

「別にお前に言ったつもりは──あぁ、いい。わかった、わかったから、泣くな」

 尻すぼみになるカナの謝意に、違うと否定したいが拗れるのを嫌ってか、特に言い募る事なく白旗を上げる王崎。向かってくる強面に対しては束になろうとも苦にしない(どころか獰猛に笑ってすらいられる)王崎でも、自分の意図しないところで泣かれるとどう扱っていいものか困る、そんな所だろうか。ハルもそんな王崎の心情をわかってか、非難はせずに傍らのカナを宥める。

「──んで、俺は誰と戦えばいい。どうせお前の事だ。お得意の『神算』で誰と誰をぶつけるつもりか決めてんだろ?」

 カナのしゃくり声を極力気にしないよう努めながら、最も重要な"対戦相手"を確認する。向こうにいる面子に"外れ"はなくとも、どうせ戦うなら借りを返しておきたい相手になるのが望ましい。

「おまえは刀山、僕は『ロイヤルガード』と共に当真と篠崎を相手する」

 さして隠すつもりはない月ケ丘は、今度の質問には勿体付けず答える。自分の割り当てをどう受け取ったのか、軽く鼻を鳴らすだけで異議は唱えない。相手に不足はないのもそうだが、雇い主である『皇帝』の指示を最低限守るつもりがあるのだと、月ケ丘は理解する。こと、金銭──ひいては率いた組織の為ならば、『王国』王崎国彦はある程度の融通は利かせる。性格は合わないが、能力とその辺りの"律義さ"を月ケ丘は密かに認めていた。

「──なら、優之助はか?」

「間に合えば、そうなる。そうでない時は──」

「──ハルちゃん、これでよかったの?」

 王崎と月ケ丘による事務的なやり取りを耳にしながら、今も震えるカナを背中をさするハル。一瞬、気のせいかと思うほどか細い声でを問うのは目の前で俯いているカナだ。

「よかった、と思う」

 ──心の底から。は言葉にしないが伝わったらしく、カナの震えが止まる。同時に沈んだ頭が持ち上がり、横目でハルを見上げるカナの瞳とハルの瞳が交錯する。

「そっか──そうだよね」

 それはまるで鏡に映ったように同じ瞳。カナもまた、一連の選択に迷いがないという証拠。それでも、ハルに問うてみせたのは──

「──変な気遣いしないで。私が後悔しているとでも思ったの?」

 少しおどけて見せながらカナを抱き寄せ、不敵にそう囁く。なんともカナらしい考えだとハルは思う。考えすぎなほど人に気を遣って、言葉も体も二の足を踏み続ける典型的な損をするタイプ、それがカナ。

 少なくとも双子の姉であるハルはそれを疑わない。カナには知られている。自分がこんな手段を望んでいたわけではなかった事を。それでも後悔なく、心の底からよかったと思えるのは──

「──。手段の選べない以上、私のは関係ないわ──そうでしょう?」

 そう言って笑うハル。カナもつられて頬が緩む。見ようによっては悲しそうなのは、ハルの気持ちを反映してなのか。それは二人にしかわからない。もしかしたら、本人達ですらわからないのかもしれない。

 優之助が自らの望みを見失ったように、二人も見失ったのかも。ともすれば、明日には決意が後悔に変わるのかもしれない。そう思うと、明日など来なければいい、そんな弱気が二人の頭をよぎる。それでも、日は沈み、やがて昇る。それぞれの願いと思惑を抱え、その日はやってくる。

 決意とは裏腹に思い悩む事が止まらないハルとカナ。そんな二人にとって不幸中の幸いだったのは、初めての車中泊でも労せず熟睡し万全の状態で次の日を迎えられた事だった。

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