きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第42話

「──それにしても、あなた本当に物怖じするという事がないわね。まぁ、私に対してそんな態度がとれるなら誰にでもそうなんでしょうけど」

 場の空気を変えようと出された──俺が淹れ直した──紅茶で人心地がついたのか、気を取り直した会長が自分から話題を切り出し、こちらに向けて振ってくる。さっきからそうだが、話らしい話をしていない。

 元同級生共は漫画を黙々と読みだしているし、手持ちぶさただった飛鳥も俺に一言断ってからキッチンの方へ向かった。そんな大半が話し合いを放棄する中で会話を当たり障りのない所からでも進めようとする会長に、同じく沈黙と停滞に耐えられない俺が乗っかりたいのはやまやまだが……何の話だ?

月ケ丘帝『エンペラー』の事よ。だったのでしょう? そこまで明け透けに接するなんて、そうないと思うけど」

 ……今、何て言った? 帝が先輩? どういう意味──

 ──月ケ丘帝はその月ケ丘家の現当主。高校卒業後、前当主父親の引退を受けて、一族を率いる立場に就いた。

 ──前当主父親の引退を受けて、一族を率いる立場に就いた。

「…………あっ! あー、ソウダナ~、オレッテ、コンナカンジナンダヨー。ダカラ~、ヨク~、ナマイキダッテ~、イワレタリモ~、スル?」

 ……ヤバい、背中から嫌な汗が止まらない。帝は俺の知り合い──それは問題ない。帝の実家の事──それも問題ない。帝の──それでなら問題ない。だが──

「急にどうしたのよ?」

「ナンデモナイヨ! ──おい、瞳子!」

「なに?」

「なに? じゃねぇよ。いつまで俺達年を誤魔化す必要があるんだ? 別に会長達には打ち明けても問題はないだろ?」

 俺の焦りなどつゆ知らず──知った所で態度を崩すとは思えないが──呑気に空也達と漫画を読み漁る瞳子を引き寄せる。いつの間にやら床に積んでいた本の山を脇にやり、続巻を探す空也に瞳子の手にある漫画を押し付け(偶然、瞳子が持っていたのと一致していた)、渋々ながらもようやくこちらに向き直る。

「駄目よ。いつ敵に回るかわからないんだから、弱みになる情報は極力流さない方がいいの。……それにあなたが掘った墓穴でしょ? 埋め合わせはあなたがすべきじゃない」

「それを言われたら返す言葉もないが、ややこしい"設定"を持ちだしたのは瞳子そっちだろ」

「そのややこしい"設定"を納得済みで来たはずよね? 妹と同い年のシスコン御村君」

「おい、今なんか引っかかるニュアンスを込めなかったか? 物凄くイラッときたんだが」

「──さっきから二人でこそこそと、どういうつもりかしら? 私達に聞かれると困る事でも?」

 やや険悪になりそうな俺と瞳子の間に割って入ったのは、目の前でひそひそされるのが鼻につくのか、俺達とは別の意味で雰囲気が悪くなりそうな会長だった。

「いや~、そんな事は~」

 あるから困ってるんだよ、とはいうわけにもいかず、笑ってごまかすしかない。

「……もしかして、年齢詐称に関してかしら?」

「えっ! なんでそれを!」

「いやだって、年上なのでしょう? 自分で言ってたじゃない。卒業してるって」

「あ、帝の方そっちね。いや、事実そうなんだけど、それを言われてしまうと……その、いろいろ」

「心配しなくてもいいわ。別に処分も公表もする気はないし」

「……そうなのか?」

「なによ。あなただって泳がせた方が都合がいいから決着を急がなかったのでしょう? たしかに、ただ排除して新たに敵を引き込むくらいなら、顔見知りの方が手札が読める分こちらが有利よ。いくら名家でも年齢詐称に対する誹りは小さくはないわ」

 どうやら俺や瞳子達も同類そうだと思い至らなかったらしく、こちらを見る会長の態度に変化はない。そりゃあ、バラした張本人まぬけも同じ弱みを持っているとは思わないだろう。……自分で言っておいてなんだが、本当にあり得んミスだな。

「それにしても、知り合いがいるのに年齢を誤魔化して入学するなんて、何を考えているのかしら?」

 もしかして、わざとやってんじゃないだろうか?

「そ、そりゃあ……」

 だって、お互い様だもんよ。そこ指摘されたらこちらも終わりだもんよ。俺も雇い主瞳子達も。というか、入学を許した天之宮そちらにも飛び火するんだけどな。引き入れたのは当真瞳呼別の当真だが。

「ま、まぁ、そこはいいじゃないか。一見弱みでも安易についたって碌な事はない……と、思うよ? それに年齢詐称そんな事を暴き出すのが目的じゃないだろ。この学園を狙う連中から手を引かせるのが本命なんだし」

「何? その妙な下手ぶりは──まぁ、いいけれど。手を引かせるそれについてなら話し合うまでもなく結論は出ているわ。生徒会私達が早急に準備が必要になるのは戦力よ。質の増強と量の補充、両面でね」

「なんでそう物騒な方面!? 他にやる事あるだろ!」

「いいえ、優之助。こればかりは彼女の言う通りよ」

 思わず声に出して突っ込んでしまった俺と違う反応を示したのは、この場で最も会長に同意しそうにない人物、瞳子だった。一度邪魔されて興が削がれたのか、新たに漫画を手に取る事なく、喧嘩腰になる事もなく会話に参加している。それ自体は望ましい事なのだが、会長に同意した内容の方に疑問が残る。

「ちょっと待て。なんで学園の運営に戦力がいるんだよ。異能者俺達が小競り合いした所でどうにかなる問題じゃないだろ」

 異能者が学園の運営とそこから発展する両家の抜き差しならぬ事情に介入できるわけがない、別に謙遜で言っているのではなく、俺はそう本気で思っている。

 仮に退学相討ち覚悟で学園に残る不穏分子を実力で排除しても効果は一時的なもので、根本的な解決になりはしない。それどころか、引き入れた当真家が足をすくわれる可能性すらある。

 だが、そんな俺の指摘も考えも瞳子と会長の考えを変えるには至らない。むしろ、

「優之助、私が講堂で戦う前に言った事を憶えてる?」

 言い聞かせるように瞳子が俺に問い返す。

「あ? ……ええと」

「"今の生徒会が打倒されれば、この学園の秩序は崩壊する"──そう言ったのよ」

 鳥頭ね、と無言の詰りを込めながら瞳子が補足する。それを引き継ぐ形で今度は真田さんが口を開く。

「生徒会における生徒の管理は権力と武力を用いるのを方針にしている。これがどちらかだけでは駄目なんだ。権力だけでは侮りを生み心から屈服させるのは難しく、武力だけでは無用に追い詰め過ぎて暴発を招く」

「権力には逆らえず、仮に逆らっても制圧されるのが落ち。そう思わせ、支配するのが最も望ましいのよ。しかも、ある程度の逃げ道を用意した上でね」

「飛鳥が空手部の部長を相手の土俵空手ルールで破ったように、か?」

「そうよ」

「でも講堂での一件で状況は変わってしまった。個人で組織を打倒し、その上、組織に属さない人間が存在しているのが知れ渡ったせいで」

 実際はそうでもないけれど、と瞳子を意味ありげに見つめる会長。当の瞳子は特に取り合わず、先を引き継ぐ。

「事実、以前のように抑え込みが利かない場面も出てきたの。放逐を逃れた──さほど後ろ暗さを持たない生徒の中には御村あなたより下と勘違いして、付け上がる態度を取りだしたそうよ。多分圧政じみた事をすれば、あなたが黙っていないと勘違いしているのでしょうね」

「それは、たしかに勘違いも甚だしいな。別に俺は正義の味方でも体制の敵でもないし」

 むしろ、組織にこき使われる立場だ。

「でも、それはまだいい。徐々に思い知らせればいいだけ。けれど、この機に乗じて手を打ってくる輩がいる」

「それは?」

「……連中はただ生徒を送り込めばいい。その生徒が問題行動を起こす。それを自治組織である生徒会が制圧できなければどうなると思う」

「退学させるだけだろ? 褒められる手段かは別として」

「それが何十、何百人規模なら?」

「させたら……イメージは悪いな」

 ただでさえ、微妙な風評にさらせれている学園だ。ブランドイメージなんて今度こそ跡形もなく消し飛ぶだろう。

「息の掛かっているか事前に調査して入学を阻止するとか?」

「その時点で問題行動を起こしていないのに? 全ての生徒の背後関係を隅々まで洗いつくせると? であったとしても?」

 瞳子が明確にその存在を示唆しながらも会長はそれに対して指摘や煽りはおろか、皮肉すら入れる事なく耳を傾けるだけ。それは周知の事実ゆえか、それとも一枚岩ではないのは当真に限った話ではないからか。

「ともかく、入学が止められない以上、自治組織で制圧し、それによる秩序の維持は絶対条件。できなければ、生徒会自治権は"他の誰か"に奪われ、二度と天之宮と当真私達の手に戻る事はない」

「……そうか、不信任による生徒会選挙」

 生徒会長は一度就任すれば基本的に卒業まで変わる事はないが、あまりにも行き過ぎた運営の場合、一般生徒からの解任要求がある。これもまた逃げ道の一つなのだろう。どんなに不満があっても最悪、打てる手段があると思えば、人は意外に耐えられる。実際の所、天之宮姫子以前の生徒会ですら解任させるに至らなかったのだから、あってないような代物だが、たしかにルールとしては存在している。

 だが、それも俯瞰して考えるなら、やはり生徒会によって有利なルールでしかない。そもそも解任要求など、一人二人やる気になったところで実現するものでもない。

 仮に生徒会を解任したいと考える生徒が過半数を超えていたとしても、その意思を統一しなければ、解任要求には至らない。解任要求が通る前に自分が退学させられたら、と考えてしまうからだ。誰もが、自分一人だけ泥をかぶるのは嫌だ、と思う。俺だって貧乏くじは嫌だ。だからこそ、生徒会はその権力を遠慮なく振るう。気に入らない生徒を、生徒会自分達に逆らう芽を根付かせようとする生徒を、学園を奪おうとする手先である生徒を。

 社会をみても、企業と労組の関係のように、生徒会と生徒との、ひいては学園の運営はそういう絶妙な──一歩間違うと危ういと同義の──バランスで成り立っている。

「だが、『皇帝』や『王国』の編入は生徒会にとってはリスクが大きいんじゃないか? 単独で組織と渡り合える戦力を引き入れてしまったら、本末転倒だろうよ」

「それも逃げ道の一つよ。拠り所と言い換えてもいい。自らの腕一つで不当な支配から逃れられるなら他の生徒よりも安心が得られる、というね。そうして、一つ一つ生徒達の共通認識から外れていく。いえ、外していく。解任要求などさせないように。それにチャンスでもある。それを破れば、奇しくもあなたが考えていた事と同じよ。姿の見えない敵搦め手より、向こうから張り合ってくれる方が対処はしやすい。要はこちらが相手より強ければいいのよ」

「それゆえ戦力の補強を重要かつ最優先で取り掛からなけらばならないというわけか」

 理屈はなんとなくわからなくもないが、あらゆる政治的な駆け引きより先に腕っぷしが必要になるとは、本当にここは現代社会か? と首を傾げたくなる。

「それにしてもやり方が汚いというか、気持ち悪いな」

「あら、政治的な搦め手というのは本来そういうものよ。フィクションみたいに小気味のいい頭脳戦なんてまずあり得ない。あるのは地味な根回しと、人と金と物量による力技が全てを決するの。少なくとも──」

「「──当真や天之宮私達はそうするわ」」

 そう言って笑う瞳子と会長──やはりこの二人、似た者同士だ。

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