きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第39話

 時宮ときのみや高校元序列五位、王崎おうさき国彦くにひこ、二十一歳。通称『王国キングダム』。身長2m8㎝、体重──およそ1t。

 その異能、一言で言えば“恐ろしく頑丈”。鈍器で殴れば殴った方が砕け、刃物を当てれば刃がこぼれるか、切っ先が欠ける。銃も小口径ではあるが、くらっても皮膚を貫く事なく反対に弾頭が押し潰れた。

 下手な鉱物より強度が上でありながら、生身の柔らかさも持ち合わせるという、例えるなら、液体金属が人の形をしていると言うべきか。どちらかと言えば、異能というよりも特異体質と言い換える方がわかりやすいだろう。さらっと触れたが体重が1000㎏あるというのも、その頑丈さゆえかもしれない。

 以前、『優しい手』『剣聖』剣太郎がかち合うとどうなるか、という議論があったという話をしたが、では、剣太郎の剣と国彦の頑丈さではどうか? こちらは、ある程度答えが出ている。

 結果は戦えば、身半分まで斬られるものの、得物が国彦の頑丈さと斬撃の衝撃そのものに耐えきれずへし折れてしまう。得物にこだわりのない剣太郎さえ、

「……があると駄目だな」

 とまで言わしめるほどである。その時使っていた得物が竹ぼうきの柄だったので、どちらの凄さを驚けばいいのか少々悩ましい。ちなみに斬られた部分は半日ほどで治った。それまで本人も知らなかったようだが、治癒速度も常人ではないらしい。

 また、1tもある体にもかかわらず、日常生活が送れるだけあって腕力も相当なものだ。おそらく生来の頑丈さが、誰もが持っているはずのリミッターを必要とせず、いわゆる“火事場の馬鹿力”を常時出せるためだろう。

 その昔、ヘマをして国彦の全力パンチをくらった時には3mは吹っ飛ばされた。おそらく自動車に撥ねられたら、ああなるのだというくらいに。ちなみにその際の怪我自体は運よく軽度の打撲で済んだ。嘘みたいな話だが、交通事故に遭いながら奇跡的に無傷で済んだという話もある。

 異能についてそれなりに語ったが、本人についてはどうか。まず、王崎国彦というギリギリ個性的で収まりそうな名前、実は本人がつけたものだ。本名・それを付けたであろう両親の行方共に不明。当真家が仮につけた名前を経て、今に至る。

 ここで当真家が絡んでくるのは、中学卒業まで当真家が運営する養護施設で育ったからだ。当真家は異能者を保護する側面があり、事情あって親に捨てられた、あるいは親そのものがいない子供を引き取るのもその一つである。

 とにもかくにも、擁護施設を出た国彦は俺と当真家との関係に似た形で援助を受け、市立時宮高校に入学。時宮の地特有の異能者同士の“戦いたがり”をくぐり抜け、序列五位にまで数えられるようになる。

 高校卒業後、あらかじめ目を付けていた連中を誘い、武装集団『王国』キングダムを結成。やっている事は当真家の縮小版だが、急速に組織の規模を拡大させているらしい。

 こうして王崎国彦を語る際、嫌でも出てくる『王国』の文字。これは孤児である自分の居場所──国──を作るからきているらしい。なにが切っ掛けで『王国』に至ったのかは知る由もないが、自らの名前はおろか、通称も初めの内は自称であり、方々に触れ回る事で強引に定着させた経緯がある。他にも常日頃から、自ら国を作る、や高校に入学したのも将来組み込むべき人材を確保するため、と言って憚らず、次々と実現させる辺り、それだけの執着と器を感じさせる。

 徹頭徹尾そんな感じなので、空也が言うように天乃原学園に来た理由も『王国』を維持・発展させる資金集めとして参加したのだと推察される。他人の事情に縛られにくく、昨日の敵ですら頓着せず手を組める為、当真瞳呼にしろ、にしろ、裏で手を引いている存在からすれば、組み込みやすい存在である事には違いないが、それはあくまで利害が一致しているからにすぎない。金の切れ目が縁の切れ目と言うが、報酬さえよければ、瞳子が引き抜くという選択肢もないわけではない。

 しかし一方で、自ら立ち上げた『王国』居場所に不都合が生じるなら、いくら金銭を積まれても動かない面もあり、国彦本人が敷いたルールに何らかの形で抵触するならあらゆる万難を排してでも敵を許さないだろう。要は金で容易く動くのだが、取り扱い自体は極めて難しく、変にこじれると厄介なタイプというわけだ。

 とりあえず、面倒な火種を抱えている今の状況下で、これ以上、問題を増やしてくれるなと切に願いたい。


「──野生の熊に追いかけられてもここまで迫力はないだろうなぁ」

 どことなく暢気な空也の独り言を聞き流し、向かってくる国彦を迎撃すべく『優しい手』を起動させる。途中にある枝をものともせず、一部分だけせり上がった根に足を取られるどころか逆に削りつつ、2m超の巨体が急斜面を危なげなく下ってくる。その勢いは『優しい手』を構えた俺を見、その威力を知っていながら、衰える事はない。

「(ちっ、この圧力。マジでうっとおしい!)」

「──オラっ!」

 『絶対手護』もお構いなしと、中腰まで落として、握り拳をすくい上げる。長いリーチから繰り出すそれは、アッパーというより生身で分銅を再現したようにしなって捉えづらい。触れれば、いかなる攻撃も無力化できる『優しい手』も、取れなければ意味がない。

「(この角度はマズい──)」

 そして、地を這うような一撃はわずかに俺の手の届く範囲の外。足場の悪さも相まって受け止めるのは至難の業だ。そう判断した俺は、とっさに『優しい手』から運動エネルギーを放出し、その反動で後方へと飛びずさる。

「逃げるなよ、優之助ぇ!」

 獰猛に口角を上げ、後退する俺に向かって威嚇せんと叩きつけるように吠える国彦。いかなる障害にも止まらぬ前進は、目の前にある餌を食い千切らんとするが如く、さらに俺へと追いすがる。しかし、先ほどと違い、今度は『絶対手護』手の届く範囲内。

 真横から刈り取る軌道の右フックを『絶対手護』が触れた拳から順にその威力を奪う。その瞬間、国彦の体は運動エネルギーを失い、時間が止まったと錯覚しそうな右腕と、一歩間違うと転がり落ちそうな勢いのそれ以外の部分とにわかれる。例えるなら、全力で走っている最中に片側がいきなり金縛りにあうみたいなもので、なまじ勢いのある分、カバーする間もなくバランスが崩れる。

 その隙を見逃さず、空いたもう一方の『優しい手』で、運動エネルギーを再度推進力代わりに放出し、国彦の右腕の下をくぐり抜ける。すれ違う際に感じた横風を残し、国彦の体がもんどりうって5mほど落ちていき、そこに生えていた木にぶつかる事でようやく止まる。金属の塊を地面へ打ち付けるに似た、思わず竦んでしまいそうな音が木々の間を駆け抜けては響く。

 およそ人体から発するとは思えないが、安否も含めて疑わない。ややあって、何事もなかったように立ち上がり、

「空也の空間殺法から『絶対手護』への連携か。なかなか手強い」

「いやいや、あんな音させておいて傷一つつかないお前には負けるよ」

 毛ほども動揺を感じさせない声色の国彦。さすがは『王国』と言うべきか、この程度ではこゆるぎもしない。一方、空間殺法の本家である所の空也と見やると、『空駆ける足』自慢の足で身長の倍以上高さのある木の枝まで登り、こちらに向けて手元を気忙しく動かしている。

 少々戸惑うが、どうやらハンドサインの真似事らしい。手話のように体系化されたものではないが、そこは付き合いの長さから大雑把ではあるが読み取れる。

 
 ──優之助、そっちは、任せた、僕は、あっち、よろしくね

 つまり、俺に国彦を押し付けて、自分は狙撃手を担当するという内容。最後になぜかハートマークを形作り(愛嬌のつもりか! ……まぁ、妙に合っているが)、俺の返事を待たずに駆けていく。確かに役割分担としては機動力のある空也が担当するのがベストだが、

「(──押し付けて行きやがった)」

 そう思うのを止められない。文句を言おうにも、すでに豆ほどに小さくなった背中に届くはずはなく、懊悩するしかない。

「って、そういえば、剣太郎はどこいった?」

 その疑問はすぐに解消。剣太郎が盾にしていた木に、

 まかせた

 の文字。相も変わらず、どうやって丸みのある物体できれいに線を書き、斬れるのか不明だが、今更そんな事は問題ではなく、
「……っ、どいつもこいつも!」

 いや、落ち着け。いかに剣太郎でも鉄パイプあの得物では、国彦を斬れても、戦闘不能まで追い込めるかいささか怪しい。下手な切り傷では、これまた人並み外れた回復力でたちまち塞がってしまうだろう。最悪、国彦の頑丈さを前に得物を失う可能性も、ある。

「つれない奴らだな」

「まったくだが、俺も出来るなら国彦お前を相手するのは遠慮したい」

「まあ、そう言うなよ──もう少し、付き合ってくれや!」

 重厚感のある空気を纏い、再び『王国』が動く。今度は下からせり上がる脅威が俺を襲う。セオリーなら上をとったこちら側に有利だが、あらゆる異能者の中でも随一の防御力を誇る『王国』が相手では、攻めの選択肢は少ない。そして数少ない手の内の一つ、運動エネルギーの放出を牽制に使う。

 放った衝撃は、実体のある『銭型兵器』ぜにがたへいきとは違い、瞬く間に拡散して威力を確保できる射程は短い。まして相手は『王国』、案の定大してダメージは与えられるわけもなく、涼しい顔をして俺へと攻め入る。

「ま、当然か」

「舐めてんのか? この程度、足止めにもならねぇよ」

「足止め? ──舐めちゃいないし、そこまで欲張ってもねぇよ」

 その衝撃は『王国』の巨体を煽るのが精々、しかし、その手には、今まで以上にはっきりとが伝わってくる。踏み出すタイミングも、手を差し込む角度も。正に手に取るように、とはこの事だろう。

 目前には国彦の巨体。すでに視界を塗りつぶす距離まで詰まっている。だが、俺の体は恐れも震えも排除して、"手"から伝わる反応に素直に動く。傍目から見れば、ただ手を突き出した恰好。

「──なるほどな、“超触覚”によるカウンターかよ」

 その日初めて聞く国彦の苦笑を耳にしながら、『優しい手』が吸い込まれるように『王国』の中段へと決まっていた。


 運動エネルギーの完全制御による直接攻撃は、生身である手のひらが威力に負けないよう周辺を自ら発生させた衝撃波で保護し、同時に体中を運動エネルギーで筋力を活性化させながら打っている。例えるとすれば、瞬間的にではあるが、『王国』キングダム強度硬さ『怪腕』かいわん筋力強さを上乗せしている。

 余談ではあるが、普通に拳で殴れば当然痛む。ならばインパクトの瞬間にこちらに返ってくる衝撃を消してしまえば拳を痛ませずに済むと考えて試してみたが、結果は失敗だった。少し考えればわかる話だが、こちらに返ってくる衝撃は相手への威力そのものだ。それを消せば攻撃になるわけがない。等価交換どころか表裏一体の因果である以上、そのどちらかをなくせば、それ自体を成立させるのは不可能だ。

 異能は、そんな風に試行錯誤を繰り返し、制御する術、活かす術を学んでいく。俺の場合、中国拳法の寸勁に例えられる触れた部位から運動エネルギーを流し込む方法や、前述の方法を編み出した。

 そうして生み出した攻撃力は、当たればほぼ間違いなく相手を必ず倒す。それどころか、使いどころを誤れば、殺傷しかねない。それゆえ、俺は常に『制空圏』せいくうけんで相手の着弾位置を計って攻撃する──殺さない為に。『影縫う手』筋力を弛緩させるくらいなら話は別だが、必要な措置ではあるし、いくら完全に制御できるといっても容易いものではないが、失敗する事なくやってきた。今回も完璧に。

「──捕まえたぞ、優之助」

 もう一度、言おう。完璧だった。『王国』相手は死なずに済んだ。それでよかったのだ。誰が嬉々として相手の死を望むものか。知己の仲なら尚更だ。『王国』こいつの夢に向かって戦う姿は嫌いじゃない。俺は憶えている、初めの内は滑稽だと散々嘲笑わらわれていた事を、それでも気にせず走り続けた事を。妹達ハルとカナと比べられてきた自分に負い目を感じつつ、それでも自分なりに前へ進めたのもその存在を見てきたからだと、密かに感じていた。だから──

「──忘れたかよ、優之助。俺は──俺こそが『王国』。いくらお前の攻撃でも、国がそうほいほい崩れてたらやってやれねぇだろ。だが、それを差し置いたとしても──」

 掴まれた左側が動かない。まるで大地に根を張る大樹だ。『王国』のもう一方の腕が一回り大きく膨らむ。握り潰さんとしてくる拳から悲鳴に似た軋む音が聞こえる。

「──俺が倒れなかった最大の理由は、お前自身だ」

 柄にもなく、どこか憐れむような表情を見せる『王国』。その顔は似ても似つかないのに、少し前に講堂で俺をなじった瞳子とダブる。そうして、この期に及んでようやく理解する。あの時は、瞳子にどうにか納得してもらっていても、本質が変わるわけではない。つまり──

「──俺が甘い、って事だな」

「その通りだ」

 短く告げ、国彦が掴んだ腕を放さず振って、落とす。その腕力にあらがう術はなく、体ごと地面に叩きつけられる。手足はおろか頭まで打ちつけられ、思わず呻いた口から湿り気を帯びた土が僅かに入り込む。

 痛みでしかめた顔が、口の中の不快感でさらに歪む。そんな俺にお構いなしと、振り上げては落とし、また振り上げては落とす国彦。単純に殴りかかってくるのであれば先ほどの様にカウンターを狙えるが、棒切れさながらに振り回されてはどうしようもない。

「そのまま殴るとでも思ったか? ──存外単純だな」

 その通りなのでぐうの音も出ないが、そもそも上に下にと体を揺さぶられては悪態すらつけない。気分としては、体育の授業で下手な柔道技の受け身役にされた感じ。常人以上の腕力と中腰の高さなら地面に届きそうなほど長い手の恩恵ゆえか、達人級のキレはなくとも、重心が安定して崩れそうな気配がない。

「──そういえば、知っているか?」

 人をあちこち転がしておいて、世間話でもするような気安さの国彦。こっちは掴まれた腕が変な方向に曲がらないか、戦々恐々しながら地面にぶつかるたびに身を固くするので精一杯と言ったところ。それを知ってか知らずか、俺の返答などお構いなしに話を続ける。

「俺達が高校にいた現役だった世代な、時宮じゃあ、歴代最強らしいぞ。当真の長老連中が太鼓判を押すんだ。話半分としてもここ百年あたりなら、最強を名乗ってもいいんじゃねぇかと俺は思う」

 ──ま、あんなジジイどもに言われる前から俺が最強だとは知ってたがな、と締めくくる国彦。空也といい、その自信満々ぶりがうらやましいことだ、などと悪態の一つもつきたいところだがそんな世間話の間も国彦に隙はなく、受け身をとることくらいしか出来そうにない。

「異能の血が年々薄まっていると言われている今の世でだぜ? 現に二つ下稲穂達から下は小粒すぎて誘う気にもならなくてな、最近はメンバー集めにも苦労してんだわ」

 ここへ来てから聞くことのなかった後輩の名を上げながら、国彦がかなり上から目線で母校の後輩をこき下ろす。というか、こいつ卒業後もちょくちょく高校に顔を出していたのか。目的の為にマメに動ける点に置いてだけなら、本当に頭が下がる。それも、前途ある若者を武装集団に勧誘するという事に目をつぶれば、だが。

「何か、理由があるのかもな。俺達世代の前後にそれだけ逸材がそろった理由がよ──だが、それはどうでもいい。どんな奴が、どんな思惑でそうなったのか、それともただの偶然なのか、本当にどうでもいい」

 それは、この件に関わった背景も込みの話か? 現状、振り回されている側(物理的にも)としては、どうでもいいの一言では納得できないんだがな。

「そして、お前が何を気にしようが雇い主がお前達をどうこうしようが、それすら全く興味がねぇ。優之助達の敵向こう側についたのだって金払いがいいからわけだしな」

 あまりにも予想通りの理由に詮索自体が馬鹿らしくなりそうになる。しかし、それなら瞳子側についてもいいだろうに。抜け目ない瞳子が国彦を誘わなかったとは思えない。

「俺が瞳子と組まないのが疑問か? 『王国』の事を差し置いてでも確認したくなったんだよ──いやな、さっきも言ったが知ってはいるんだわ。だがよ、ハッキリさせにゃならんだろ。俺達の中で誰が最強なのか? 誰の信念や想いがもっとも一等に輝いているのか、をな」

「そ──それな、ら」

「ん?」

「それなら、まず──俺を」

「倒すに決まってるだろ」

 腕を掴んだ力がさらに強くなる。耐えてばかりで気づきもしなかったが、投げられている内に、最初の位置よりだいぶ移動していた。それは偶然ではなく、

「さあ、ならどうだ」

 引きずられながらも見えたのは、土が払われ、岩盤という地肌がさらけ出された地面。今度は土ではなく石の上に叩きつけるつもりか。比較的軟らかい土の上ですら、体のどこもかしこも打ち身と痣でかなり痛いのに、それが石となると即座に戦闘不能になりかねない。

 しかし、抗おうにも、馬力の差に圧倒的な開きがあってうまく抜け出せない。残った『優しい手』一本も警戒された上、そもそも一撃なら耐えられる『王国』国彦相手に下手な攻撃はさらなるピンチに繋がりかねない、正にジリ貧。腕一本掴まれただけで近接をこうまで潰されるとかなりショックだ。

「さぁ、どうするよ優之助?」

 と、問いかける国彦だが、呑気に打開策を考えている余裕はない。すでに百八十ある俺の体がゆっくりと地に足がつかなくなっている。地面についてようが、いまいが、運動エネルギーの完全制御による攻撃に不都合はない。だが、選択肢が一つしかない以上、向こうの優性は変わらない。

「──まだ、踏ん切りがつかねぇのか。相変わらず変なところで火付がわるいよな。ま、いいや、これは俺なりのサービスだ」

 と、ここで国彦が不自然に言葉を区切る。らしくなく持って回った態度に少々不審なものを感じる。

「優之助、この件に──」
 その言葉が国彦の口から形作られた瞬間、自分の体中から力が抜けるのを感じる。この程度か、と苛立ちを隠さない『王国』は躊躇いなく俺の体を岩盤へと叩きつけようと振りかぶり、抵抗しない体は纏わりつくように『王国』に被さる。

 ほんの一瞬の静止から重心を置きざりにする加速を伴って、俺の体が地面岩盤へと迫る。真っ先に到達したのは、投げ出された様に突き出された『優しい手』右手。固い岩盤と力感のない成人男性の腕、双方がぶつかれば、後者が肉塊になるのが目に見えている──異能がなければ、そうなっていただろう。

 不自然な破裂音が辺りに響き渡ったのはその時だった。

 音の源は岩盤の。結論から言えば、『王国』に即席の落とし穴へ埋めたと同じ手段。しかし今度は、柔らかい土の層を掘り出したのとは違い、純粋な破壊力で大穴を開けている。つまり、叩きつける対象も、

「やってくれたな!」

 言葉ほど悔しさはなく、それどころか今まで以上に獰猛に顔を歪めた国彦が溜めに溜めた拳を振るう。握り拳を威嚇にとどめ、投げ飛ばし、痛めつける事に終始していたが、ついにここで本命のカードを切り、勝負に出る。

 対する俺は掴まれた左と、大穴を開けたばかりの右、両腕が防がれた格好。自ら受けた『優しい手』一撃を返さんと狙いは同じく中段。火事場の腕力と鉱物と同等以上の硬度がただの生身を襲う。

 過去に喰らった拳は奇跡的に打撲で済んだ。再び同じ場面に立ったのならどうするか? 奇跡待ち? いや──

「──異能奇跡以上で防ぐしかないよな」

   そう独りごちて、眼前の相手に向かいその体を晒す。

「ははっ! それだよ優之助。やはり煽って正解だったな!」

 これ以上ないほどに愉快そうな『王国』。出し抜かれてなお、むしろそれが嬉しいとばかりに。左手は変わらず拘束されたまま。右手も間に合わなかった。当然、防ぐもののなく無防備のはずの胴体。しかし、それを打ち抜かんとする『王国』の拳が俺の腹部に触れたまま、微動だにしない。

 そこに広がるのはまるで『絶対手護』で止めるに似た光景だった。


 優しい手の絶対手護は超触覚の補正を受ける事で運動エネルギー完全制御による攻撃無効を実現している。それはより正確に言い換えると、超触覚はあくまでもタイミングや距離を測っているに過ぎない。つまり、発動するだけならば超触覚は必要とせず、なにより、

「──ただし、超触覚の補正が無い分、精度は落ちるがな」

 それに、よほどの事がない限り、手以外でこの能力を使おうとは思わない。なぜなら、

超触覚の補正それがなければもろに喰らうどころか、最悪、運動エネルギーが体内で暴発するだろうに。えらくレートを上げてくれるじゃねえか!」

「……それでも、必要ならやるさ。

 固く握られた『王国』の手が軋みながら開かれていく。運動エネルギーの増幅能力で底上げした筋力が『王国』の拘束を解かせたからだ。

「ふん、いよいよ掛け金ベットが割に合わなくなってきたな。……なによりだぜ、優之助ぇ!」

 腕力で競り負けてもなお、『王国』の態度に陰りは見られない。いくら持ち前の頑丈さに自信と勝算があったとはいえ、その身をわざと晒して『優しい手』の攻撃力と真正面から打ち合おうとする胆力ゆえだろう。そんな男が採算を度外視して勝負にきたらどうなるか、まずどちらかは取り返しがつかなくなるだろう。

「痛み分けとか、もう少し穏当な決着の付け方があってもいいと思うぞ? こんな情緒もへったくれもない、成り行きの様な展開での決着がお望みか?」

「こちとらそうお上品に生きてねぇよ! なにせ、武装集団チームの頭だからな。そんな事気にするくらいなら、端っから襲撃こんな真似なんぞするか! ……要は勝ちゃぁ──俺が最強と証明できればそれでいい」

「そう言うと思ったよ」

 半ば予想通りの、そしてある意味もっともな返答を聞きながら、大気ごと抉り出すような異音を伴った、必倒の一撃『優しい手』を繰り出す。もとより手加減したつもりはないが、相手は『王国』、今度は一撃では止まらないと想定しての攻撃。

 向こうもこちらの覚悟など、折り込み済みとばかりに全力の突進を敢行する。ただそれだけならば、先ほどまでと変わらない。しかし、ただ一つだけ違っていたのは俺の一撃に自らの拳を合わせようとした事。攻撃一本槍で駆け引きをあまり好まない『王国』からわずかに感じさせる『優しい手』への警戒がそこにある。

 序列持ちの中でも屈指の強度と筋力を備えた互いの攻撃が鼓膜に悪そうな轟音を響かせ、周囲の木々を揺らす。単純な力比べなら拮抗する状況。少なくとも平時の平地ならばそうなっていた。

「──む」

 旗色の悪さに喉を鳴らしたのは、『王国』王崎国彦。その足元は『優しい手』によって崩れた岩肌の露出した地帯。運悪くと言うべきか、割れた岩端に体重が持たず、踏ん張りが充分に利かない。一方、こちらは能力で空也ほどではないが、足場を気にせず攻撃できる。俗にいう腰の入った一撃を腕だけで打てる。いや、腕だけではなく──

「これでどうよ!」

 握りこぶしを素早く広げ、『王国』の手を包み込む。運動エネルギーの操作を攻撃から防御へ転換──“絶対手護”へ。運動エネルギーを奪われた『王国』の腕は突き手を戻せず、こちらに絡めとられたまま、されるがままに。その手を抱えるように引き寄せ、を叩きつける。

 再び、常識外の物体同士がぶつかりあい、生み出された衝撃が鼓膜を振るわせる。それにまぎれて微かに聞こえるのは、生木を割いたような湿り気のある響き──俺の膝が『王国』の骨を折った音だ。

 その耳に障る音が『王国』から伺える普通の人間らしい反応という、なんとも『王国』の非常識な体質を物語る事実は、同時に『王国』へまともに与えられたダメージでもある。ここからが本当の勝負──

「──にならなくて悪いが、ここまでだ、国彦」

「なるほど、急に出し惜しみがないと思ったがそういう事かよ──優之助」

 『王国』の全力に対する迎撃から一転、そこから追撃できるチャンスも振り捨てて、飛びずさる事で距離をとる。意識して気の抜けた態度で攻め手に水を差す俺に、国彦も苦笑を隠さずその歩みを初めて止める。自分で言ってなんだが、もちろんそんな態度一つで気が抜けたなどと言う事はなく、攻めるに攻められない事情があるからだ。

 唐突だが、異能はそれほど便利な代物ではなく、むしろ性能がある一定方向に偏り過ぎて“それ”しか使い道がない、が大半だ。例えば、瞳子の『殺眼』さつがんは複数の殺意を飛ばせるが、制御は甘くなるし、そもそも不定形のはずの殺意を“刀”としてでしか形にできない。

 空也の異能のタネ力場干渉も発動に制限や負担はなく、連続して展開できるが、“モノ”自体は握り拳大という大きさを一瞬しか展開できない。

 剣太郎に至っては、斬るという一点のみで、技量はともかく身体的には人並み、つまりは剣の腕が恐ろしく立つだけの人間だ。

 では『王国』はどうか? 生半可な攻撃では傷一つつかない頑丈さに、1tある肉体を十全に操る筋力、例え深く斬りつけられても半日で治る回復能力、ここまで見ると死角はない。だが、それが異能である以上、明確な代償が存在する。それは超人の肉体を動かす為に必要な枷、とまあ大仰に言ってみたが、とどのつまり、燃費が異様に悪いのだ。

 国彦が金で動く理由は『王国』チームの維持にあるが、その財政の何割かを自身の食費が占めており、文字通りの意味で食い扶持を稼いでいる。火事場の馬力ばりきや常識外れの治癒能力で消費するカロリーだ。いったい力士何人、何十人分を平らげるのだろうか、想像もつかない。

 そんなに燃費が悪いのなら、持久戦に持ち込めば勝ち目が出ると思うだろうが、むろん国彦だって馬鹿じゃない。燃費が悪いと言っても全力で戦う時に限っての話だし、相手がそうすると気づいていれば、国彦だって省エネを心がける。全力さえ出さなければ、出さない日常であるのなら、人より多少食べるといった程度でしかない。

 今にしても、ただ動くだけならば、もう少しもっていただろう。しかし、病気や怪我をした時、栄養補給に求める量が普段より多くなるように『王国』の体は一度怪我をすると、回復に相当量のカロリーが飛んでいく。俺達を包囲した時にある程度補給したようだが、全力戦闘を長時間維持するとなれば、その限りではない。その後の俺との小競り合いと込みで考えると、ガス欠になるのは目に見えている。

 つまり、『王国』の防御力を超えて攻撃できた時点で勝算は生まれている。まぁ、そのダメージを与えるというのが、一番の難題であるのだが。

「というか、なんで持久戦に持ち込んだ? ……いや、持久戦は雇い主の意向オーダーだとしてもだ。包囲するだけなら『皇帝』エンペラーに任せておけばよかっただろ。なんで出しゃばった?」

「……乗ったはいいが、性に合わねぇ」

「さいですか」

「お前の方こそ、むざむざ包囲なんかされやがって。ヤル気あんのか?」

「ヤル気も何も、ケンカ売られた口なんだがな。あと、俺が動かないのは──そろそろ、あいつが暴れたいんじゃないかと思っただけだ」

「──時間稼ぎご苦労様、優之助」

「──どうやら、こちらの方も顔を出さないままなのは本位じゃないらしいぜ?」

 『優しい手』の一撃で地形が変わった山道の片隅で複数の人影が木漏れ日によって形作られる。影は俺と国彦との対峙に合わせて二手に。俺の側には白鞘が映す細長い影を携えて、国彦の側には一つを中心に折り重なり束ねる事で、太く大きな影となって。

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