きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第35話

 唸りを上げて振り下ろされる拳を後ろに下がる事でかわす。

 百八十ある俺に振り下ろす打撃ができるのは相手が二m近いから。距離をとって観察すると身長の割にやや細身の体が、隙があればいつでも飛びかかるとばかりに構えている。

 細見といっても縦(身長)と比べてそう見えるだけで、実際の肉厚は俺より一回り大きい。バスケット選手を近くで見ればそんな印象になるだろうと、なんとなく変な想像が入る。

 そんな俺に相対する偉丈夫は獰猛に──見る人が見ればとても楽しそうに笑う。

「……相変わらず物騒な笑い方だな」

「はっ! そういうてめえも相当だぜ?」

 そう言って顔を摘まんで見せる偉丈夫。口角を無理矢理引き上げた顔が表情の獰猛さをより引き立たせていて、悪魔じみたものになる。"あれ"と同じだと言うのだから失礼な話だ。

 遠くから大勢のものであろうざわめきが俺達二人の耳を叩く。どうやら俺達に──正確には俺達が“している”事に──気づいて騒ぎへと発展したようだ。

 だが、目の前の男にそれを気にした様子はない。いや、むしろギャラリーが増えた方が好ましいと思っているに違いない。男臭さと愛嬌が絶妙のバランスで成り立ったその顔を見れば一目瞭然である。いま立っているグラウンドならその希望に応えられるだろうが生憎こちらは遠慮したい立場である。

「──逃げる気か?」

「ここで戦うと不都合なだけだ。少しは迷惑とか後始末を考えろよ──な」

 言い終わるのが先か否かのタイミングで駆け出す。それで虚をつけるという考えは毛頭ないが、置き去りになる事なくきっちりとついてくる。

 振り向かずとも背中に相手が追いかけてくるのがわかるのは異能のおかげ──ではなく、向こうの存在感ゆえだ。先ほどの振り下ろしといい、一つ体を動かす度に空気を押しのけると表現するのがピッタリの唸りを上げて迫るのが耳や肌を通じてわかる。

 その体にいったいどんな質量・重量がその身につまっていればあんな音が出るのか。そのくせ、足音は地面を通じて伝わる自前のものと比べて、鈍重さは感じられない。例えるなら足回りのいい乗用車に追いかけられている気分だ。

 そうこう考えている内に学園を覆う壁が視界の割合を大きく占めていく。同時に平地と坂とを繰り返す学園路の終点となる校門が細めた目に映る。普段は施錠+周囲を二十四時間監視しているはずが、都合よく空いているのを確認してからさらに速度を上げる。不必要なほど高い壁と比べると小さく、しかし単体で見るとやはり大きい校門を駆け抜け、そのまま道路脇の林へと飛び込む。

「ちゃちな戦術だな。ここなら俺が動けねぇとでも?」

 緩やかな坂の上に柔らかい土と枯葉が混ざった足場を二度三度踏みつける。サクサクでもザクザクでもなく、ズンズンとおよそ人が地面を蹴る時に出すとは思えない深い音が辺りに響かせる。

「言ったろ? あそこだといろいろ不都合だってな。雇い主がうるさくてね──あまり目立つのはよろしくないと釘を刺されているだけだ」

「その割には衆人環視の中で暴れたそうじゃねぇか。釘を刺した当人とよぉ!」

 会話の間に足場の強度を確認し終えたらしく、台詞の区切りを号砲代わりに溜めに溜めた踏み込みから二m近い体躯が走る。

 一本指歩法のような爆発的な加速はないがそれでも充分に速いスタートダッシュから、こちらの対応などお構いなしの接近。速いは速いが拳を振りかぶったモーションは隙だらけで攻撃がこちらに届く前にいかようにも料理できる──目の前の男が相手でなければ、俺もそうしている。

「ふっ──」

 やや大げさに体を捻ると再度の振り下ろしが横を通り過ぎていく。車に引かれかけるとこんな感じだろうなと頭の隅で考えながら回転に逆らわず倒れこむ。

 土の香りが届く低い視野で捉えたのは武道の残心を知らない背中と幹の中ほどがごっそりと削れてしまった松の木。ちょうど俺の腰回りほどの太さが万が一直撃した時のイメージを嫌でも連想させる。

「どうしたよ。ここを選んだのはおまえだぜ」

「調子に乗るなよ」

 土が付くのを構わずうつぶせのまま、手近にあった5㎝ほどの石を手に取って指弾の要領で弾き飛ばす。

 背中ごしに振り返った額を狙った石は狙い通りに命中するが、ダメージはおろか怯む様子すら見せず、むずかゆそうに指で掻いただけ。つまらない、といわんばかりに顔をしながら三度俺の元へと迫る。

 地に伏した体を踏みつぶすとばかりに一歩一歩が力強く、またそうする事に一切の躊躇いがない。緩やかとはいえ整地されたわけでもない坂でよくもまぁ迷いなく動けるものだと感心する。それでも──

「(──もう少し足元を気にすべきだと思うぞ?)」

 瞬間、手のひらが震える。自ら起こす空気を押しのける感覚とは別の振動を感じ男臭い顔つきに初めて警戒の色が帯びる。だが、時すでに遅く衝撃と共に大量の土砂が間欠泉の様に下から噴出していく──運動エネルギーの完全制御──超人的な触覚により地面の構造を把握し、迫り来る相手の足元へ運動エネルギーをピンポイントで伝達、破裂させたのだ。

 いわゆる即席の地雷といったところだが、威力そのものは皆無に近く、土を巻き上げた程度である。しかし目的は攻撃ではなく──

「──小賢しい」

「ちゃちかろうが、小賢しかろうが引っかかってりゃ世話ねえよ!」

 立ち上がり高くなった視点で今度は見下ろしながら相手に合わせて言葉荒くまぜっかえす。巻き上った土砂の分だけ空洞になり、体が沈み込んでいる。

 要は落とし穴に落ちた格好のそれは隙間を上から横からと土砂が補うように埋まって、より体の自由を奪っていく。それでも完全にとはいかず辛うじて残ったのは頭と右肩から先が出ている。あれなら自力でも脱出は可能だが、それを待ってやるほどお人好しではない。力を込めた両手を振るわんと歩を進める。

「これで終わり──」

 詰みの一言が途中で止まる。原因は止めを刺そうとした俺の足元に殺到した棒状の物体──矢と投げ槍──と予想より早く這い出てきた男の抉るような左ボディブローだった。

 掛け値なしの窮地の中、高まった集中が映し出すものをスローモーションに知覚する。遠距離から狙う敵の反応は十以上、それに対処できるのは両の手のみ、だが、目の前に迫り来る拳にどちらか片方を回すと死角をついて狙撃される。守るのは無理と判断せざるを得ない。ならば、どうする? ──逃げるしかない。

 両手から軋むような音と共に放出した運動エネルギーが推進力代わりに俺を後方へと押し出していく。ボディを外し遠ざかる俺の姿を見て軽い舌打ちと苦い表情を滲ませる大柄な体躯の男と後退する俺に今も飛んでくる"投げ槍"と"矢"の持ち主達、双方から逃れる事には成功したが、所詮一時しのぎ。攻め手はまだ手札を晒し尽してはいない。

「──やはりな」

 風に乗って聞こえたのは誰のものだったのか。まばらに生えた木の陰から姿を見せたのは学園のものとは違う統一された装いの二人の少女。

 整っているが無機質な顔には一切の感情を示さず、しかしその手にあるトンファーとさい──共に琉球武術で使われる伝統的な武器──は明確な敵意を醸し出していた。俺がどう動くのかあらかじめわかっていたかの様な配置。

 ふと俺が後退した時に見せた苦い表情は"あいつ"の手のひらで踊っていたのがお気に召さなかったのだろうと苦笑する。

 依然、二人の少女は速度を落さず回り込む形でこちらへと肉薄していく。正面にはいくつもの矢と投げ槍。数の上ではさらに追い込まれた格好。しかし、俺は後退せず前から来る矢と投げ槍を迎撃する。左右からの刺客を無視して。

 ──やはりか、と再び聞こえる声。それは鋼に例えられた硬質さにどことなく呆れが混じった男のものだった。

「──やはり、おまえはどこでも騒ぎの発端になるな。優之助」

 突如現れた男が手にした鉄パイプ("今度は"どこで拾ってきたのか不明だが)をトンファーで武装した少女の手足に向けて手首の動きだけで振るう。

 描いた軌跡は軽やかに流れ、通った跡にはうっすらと線すら見える。その通過線上にあった少女の手足は糸の切れた人形のように支えを失い体ごと崩れ落ちる。錯覚ではなく得物が手足を斬ったはずだが、少女は無傷。代わりにトンファーが滑らかな断面を空気に晒していた。

「ホントだよね。始業式くらい大人しく出来ないものかと僕でも思うよ」

 鉄パイプの男とは反対側から俺と敵の間に割って入ったのは中性的な声と丸みを帯びた影。想定外の乱入者に対しても少女は平静を崩さず、鋭い踏み込みからの突きを放つ。だが、釵の先端がまるで見えない壁に阻まれたような硬い音を残して弾かれる。

 そうして出来た隙を影は見逃さない。しなやかな動きから放たれた右のローで相手の軸足を刈り、蹴り足を戻さず軸足に変えての左回し蹴り。バランスを保てない少女はそれをかわす事も受け止める事も出来ず吹き飛んでいく。

 一方、回し蹴りを放った側は空中で不自然に固定された軸足の回転を少しずつ緩めてついには止まる。止まりながらさりげなく"足場"の位置を俺の視線を真正面から向き合う角度にわざわざ調節したあたり、本人の軽い茶目っ気が見て取れる。

 その横では無愛想な表情を少し歪めながら──おそらく苦笑したのだろう──手にした鉄パイプを肩に担ぐ。二人が纏うのは天乃原学園高等部の制服、ネクタイに刺繍されたラインの数は三本。つまりは高等部三年生を示していた。

「──剣太郎に空也か! いよいよ派手になってきたなぁ。俺達の"同窓会"はよ! ……なぁ、優之助ぇ!」

 再び獰猛に笑う体躯はまるで城壁──いや、城そのもの。さらにはただ一人の国とすらまで評された圧倒的な威圧感を放つ偉丈夫が高らかに咆哮する。それが俺達への宣戦布告とばかりに。

 それは俺こと御村優之助が瞳子と飲んだあの夜から数週間経ち、天乃原学園高等部三年に上がった初日の出来事。そして──

「初日から『王国キングダム』と『皇帝エンペラー』か。……つくづく業が深いね。優之助」

 ──おそらく、人生で最も騒がしくなるであろう一年の始まりだった。

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