きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第33話

「入れ物、これでいいか?」

「なんでもいいって。ワイングラスがあるなんて思ってないわ。……で、それは何?」

 瞳子の目には片手に陶器でできたコップを二つ、もう片方には長方形の箱の様な物を小脇に抱えて自分へと迫ってくるという少々異様な格好に映るのだろう。リビングの真ん中に鎮座する座卓で寛いでいた瞳子の腰が警戒の為かわずかに浮く。

「オーブントースターだよ。いいからコップを持ってくれ、横着したせいでトースターが滑り落ちそうだ」

「何でそんなもの持ってきたのよ」

 言いながら、俺の手からコップを受け取る瞳子。俺はすかさず空いた手でトースターを抱え直し無事に座卓へと運び込む。手近なコンセントに差し込んで、空運転でトースターの中を温める。

「餅でも焼こうと思ってな。リビングとキッチンを往復するのが面倒くさいからこっちまで持ってきた」

 元々何か作るつもりだったが、アルコールが入るならなおさら腹に貯まる物を先に食べておかないといろいろ体に悪そうだ、そう判断した俺は保存が効いて腹持ちが良く、ついでに調理に手間が掛からないという理由でいくつか常備していた一袋1kgの餅をつまみにワインを飲む事にする。

 キッチンから二袋分の餅(俺もそうだが、瞳子もそれなりに食べる)と取り分ける小皿、そしていくつかの調味料を出した頃にはすでに瞳子がワインを開封し、口をつけていた。

「すきっ腹で飲むなよ。体に悪いぞ」

「軽くよ、軽く。食前酒みたいな感じ」

 瞳子が持つ容器を見ると淵になみなみと注がれた赤い跡がうっすら残っているだけで間近でなくとも空であるのがわかる。初っ端の一口で飲み干す事のどこが軽くなんだろうか。

「それより早く焼いてよ。今日中に戻るつもりだったから夜は簡単なものしか食べてないの」

「ちょっと待ってな。先にオーブン暖めてからの方が時間は掛からない」

 個別包装された餅を一つ、二つと開いて赤く灯るオーブンの中へ放り込む。熱で餅が膨らんでいく間に餅と一緒に持ってきた焼き海苔を袋から取り出し、半分に割る。

 二枚になったその上に、海苔と同じく持ってきていたスライスチーズを袋、個別包装のビニールからこれまた取り出し、まるまる一枚乗せて準備していくと、トースターから米の焼ける香ばしい香りが漂ってくる。見ると表面が少しだけきつね色に彩られた餅が一回り大きくなっていた。

「まだ?」

 空腹の上に匂いが食欲をさらに刺激したのか、瞳子の声に険が混じる。もう少し入れて置きたいが、これ以上待たせるのも忍びない。膨らみのやや甘い餅を一つトースターから出して、海苔とチーズの土台に乗せて包む。

「これを炙ってやれば、チーズが溶けてうまいんだけどな」

「餅の熱でも溶けるでしょ。そのままでいいわ」

「それもそうか。醤油とすき焼きの元、どっちつける?」

「醤油はわかるけど、すき焼きの元をつけるの?」

「砂糖醤油みたいなもんだ。うまいぞ」

「なら、それで」

「わかった」

 小皿にすき焼きの元を数滴垂らす。数滴なのは好みの合わなかった時、勿体ないからだ。俺から小皿を受け取るなり餅を二度三度転がして液を絡ませると、さほど大きくない口を手元で隠さずに大きく開けてかぶりつく。いいのかよ、いいとこの娘さん。

 ぱくり──そう擬音が聞こえてきそうなほど見事な一噛みで餅の半分以上が口の中へと消えていく。咀嚼する事数秒後、口の中の餅をあっさりと処理して二口目に移行する。そうこうしている内に一つ目の餅が綺麗さっぱりと瞳子の腹に収まってしまった。

「次、頂戴」

「はいはい」

 なんか雛に餌をやる親鳥の気分だな。そんな事を考えながら次々と餅を焼いていく。はじめは早く焼ける様に二つくらいにとどめ、手早く仕上げて瞳子の機嫌をとり、徐々に同時に投入する餅を増やして自分が食べる分を確保しようと画策する。

 休まず働き続けるトースターは大量の調理物に対してもまんべんなく熱が通り易くなっていて切れ目の入った餅がそこかしこで大きくなるのは少し面白い。そのまま横を見ると少しは腹が満たされたのか余熱でチーズが溶けるのを待つ瞳子。

「(……俺もそろそろ戴くか)」

 瞳子ほどではないが、小腹が空いてきたのも事実。ワインを軽く口に含み、トースターからほどよく焼けた餅を出すと、そのまますき焼きの元を絡ませて食べる。せっかちねぇ、と言う瞳子を黙殺し、カリカリに焼けた表面と甘辛さが染み込んだトロトロの中身を口の中で堪能する。言うまでもないが、うまい。

「次は海苔とチーズでいくか」

 うまさでテンションが上がる俺は誰にともなくそんな宣言をしてみる。そんな俺に対して、しょうがない子を見るような視線を脇から感じるが、気にせず次々と焼き上がる餅を巻いては食べ、巻いては食べ、食べた分だけ空いていくトースター内のスペースに新たな餅を投入していくというサイクルを確立していく。その勢いは気づけば一袋分をもうすぐ空にするペースで消費し、二袋目に手が届かんとしていた。


「──そういえば、二泊三日の泊りはどうだった?」

 餅を食べつつも、スナック菓子を裏側から広げる(いわゆるパーティー開け)瞳子が唐突に口を開く。腹が落ち着いたら、次は酒の肴に俺の話を選ぶ辺りどこまでも欲望に素直な女である。

「残念だが、二日目の朝には帰ったから話す事なんてないぞ」

「……残らなかったの?」

「当真晶子の件でピリピリしている会長と顔を合わせるなんて御免だね。一晩明けて、俺が帰るって言った時もかなり不機嫌だったんだぞ」

「それはあなたが……まぁいいわ」

「朝に登山して、あっちで昼食食べたら当真晶子が絡んできて、考え事しながら散歩したら理事長に会って、夕方に空也と戦ってたらその間に会長がさらわれて、どうにか追いかけて当真晶子を大人しくさせたら、戻る頃にはヘロヘロで要芽ちゃんの晩飯軽くつまんで風呂入って寝て、一晩経っても会長が不機嫌で居心地悪いから帰った。大雑把に言えばこうだな。これ以上話しようがない」

「充分に興味をそそられる話だと思うんだけど……」

「掘り下げたって、結論変わるもんでもないし、広がらんだろ」

「お風呂でドッキリとか」

「ねえよ!」

「なによ。つまらないわね」

「そういうおまえはどうだったんだよ。本家の呼び出しとやらは何だったんだ?」

「おじ様から聞いているでしょ? 次期当主を誰にするかの顔合わせよ」

 瞳子から言質を取りたかった為にとぼけた風を装ったが、当の瞳子は隠さずにあっさりと打ち明ける。なんとも拍子抜けだが、瞳子にとっては何でもない内容らしい。

「だって、別に隠すつもりはなかったもの。出る前の食堂で言わなかったのは単に天之宮姫子がいたから長々と話すつもりがなかっただけで、極端な話、天之宮に漏れてもよかったのよ。どうせ遠からずわかる話だったし」

 なのに言わなかったのは天之宮の中でいの一番に知るのが会長なのが嫌だったというわけで……どんだけ仲が悪いんだか、って話だ。たしかに俺がどのタイミングで知ったとしてもどうこうなるわけじゃないが、それでも──

「──それでも、空也と剣太郎を差し向けたのがおまえだと言うのは知っておきたかったよ、瞳子」

「……バレてたか」

 特に言い訳せず、しかしあっさりと打ち明けた先程とは違い、諦念が混じる表情で俺の言葉を肯定する瞳子。いつの間にかタイマーの切れていたトースターの中では膨らんで繋がってしまったいくつかの餅が冷えて固まっていた。

「──どこで気づいていたの」

 ワインで濡れた唇が悪戯っぽく形作る。およそ悪戯を暴かれた側が見せる顔ではないのだが、そんな態度も許せてしまいそうになるほど今の瞳子は魅力的だった。……もしかしたら酔っているのかもしれない。

「最初から。……って、言えれば格好いいんだろうけど、いくつか状況証拠っぽいものから、そうじゃないかな? とカマかけただけだ」

「それは?」

「一番大きいのは空也と剣太郎が当真晶子と一緒に来たって所だな。剣太郎は対立候補に雇われたと言ったけど、普通に考えてその対立候補がお目付け役に瞳子の同期を選ぶなんて不自然だろ? どう控え目に考えても選択肢に入っているとは思えない。だけど実際に空也と剣太郎が選ばれた。もしかしたら瞳子が手を回したのでは? ならこの一連の騒ぎは瞳子の知る所ではないか? そう、思った」

「そう」

「そうでなくても、二人ともグルだろ、って言動は多かったよ。嘘は言ってないけど、本当の事も言っていない。二人が話す内容は目的や背景について細かく喋った割に固有名詞がなさ過ぎた。剣太郎なんて直接話した相手の名前を忘れたなんて言ったんだぞ? 当真晶子の愚痴を聞いたなんてエピソードを出したくせにそれはちょっと苦しい」

「それ、おじ様よ。打ち合わせの時に一緒に聞いていたから間違いない。多分、対立候補の親戚と二人を橋渡ししたおじ様とを混同したと思う。……興味のない相手にはとことん興味ないのは相変わらずね」

 そういえば、叔父だか、甥だかとは言ってたな。適当過ぎだろ剣太郎。

「……それはともかく、本当に隠すつもりはないんだな」

「しらばっくれても意味はないでしょ。それで状況証拠とやらは?」

「真田さんが気絶させられる前に剣太郎が茶番はもうすぐ終わると言ったのを聞いている。俺も空也から予定より早く帰ると聞いていたが、会長同士の交渉を茶番と読み替えるのは厳しい。天乃原の生徒会長には経営に口出せるほどの権力が与えられているし、何より天之宮当主の孫娘だ。当真家の立場から蔑ろにする事も、まして茶番と断じるはずがない。別の思惑があり、剣太郎言った茶番とはそれを指すのだと判断した方が自然だ」

「それが天之宮姫子誘拐だったと?」

「そして、それを止めるのがおまえの目的だったんだろう? 瞳子」

「──正解!」

 今度こそ意地の悪い笑顔を満面に表現する瞳子。どうやら先程のしおらしい態度はフリらしい。いや、やはりと言うべきだろう。俺がどうこう言った所で瞳子が弱るなんて想像がつかない。

「(……本当に手のひらの上だな)」

 内心の苦笑は止められないが、不思議と悔しさは湧いてこない。その笑顔を見ているとどうにも許せてしまう。思わず緩みそうになる口元を誤魔化す様にワインを流し込む俺──夜はまだまだ終わりそうにない。

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