きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第29話

 篠崎空也、二十一歳。時宮高校卒業後、いろんな所を回りたいと日本各地を放浪。卒業式の三日後に時宮を出てからつい最近まで戻る事がなかった為、月に一、二度家に届く絵葉書が安否と滞在先が確認できる唯一のツールとなっていた(ちなみに携帯はあまり好きではないようで持っていない)。

 ここからもわかる通り、空也にとって旅は趣味を通り越してもはやライフワークである。ただし英語の成績がよろしくなかったせいか海外へ出た事はなく、これから先も日本を出るつもりはないらしい。

 見た目は身長170㎝の割にほっそりしつつ所々丸みを帯びた体格と綺麗と評される整った顔付きは女だと言われれば納得するほどで、その正体を知らない男子生徒から告白されたケースが何度かあった。卒業から二年経った今でも、変わらずその仕草に妙な色気を感じる。……一応、ノーマルを自負する身としては危うい境界線上に立っているような気になるのが、この友人に対するただ一つの悩みと言えるのかもしれない。

 そんな一見、戦闘には縁のなさそうな容姿の空也だが、時宮高校時代、序列七位を冠しただけあって、実力、戦闘経験共にトップクラスを誇る。あの瞳子が当時、序列十四位だったので迷惑度も込みで“あれ”以上だと当真家から評価されているというわけだ。

 そして、その瞳子以上が今、俺に対して全力で蹴り込もうとしている。

「よっ──と」

 どことなく呑気な掛け声と共に正面切っての押し出すような上段蹴り。そんな大技を華奢な体格の空也がやってもあまり良い手とは思えない。こちらが体格で勝るのを幸いに蹴り上がった片足をわざと受けてそのまま抱え込む。後はそのまま押し倒せば終わり──しかしそれで済むなら序列七位を背負えるわけがない。

「ふっ!」

 掴まれた方の足を支点にもう片方の足が俺の頭を襲う。と言っても狙いは蹴りではなく、両足を使った挟み込みからのフランケンシュタイナー。真っ二つにせんとばかりに力が込められた空也の両足は簡単には外せそうにない、そう判断した俺は投げられるのに身を任せ、地面に叩きつけられる前に『優しい手』を発動し接地した際の衝撃を殺す。

 手ごたえ(この場合は足ごたえか?)から失敗した事に気付いた空也はあっさりと固定していた足を離し、バク転で俺から距離を取る。

「勘は鈍ってないようでなによりだよ」

「そっちはらしくないな。こんな回りくどい攻め方なんてしなかっただろう?」

「なに、いきなり本気出すとつまらないと思ってね。ちょっとしたテストさ」

「……あぁ、そうかい。なら、いつまでも本気出さないまま沈んでろよ」

 俺の戦意に反応して『優しい手』が激しく振動し、振るわせた空気が波紋となって辺りを満たす。起こした波の反響で得られた周囲の情報を手のひらの鋭敏な触覚が貪欲に吸収していく。『制空圏』による空間把握だ。

「そういえば、こないだちゃんと戦ったんだっけか。……ごめんね、優之助。確かに舐めていたみたいだ」

 間延びした独特のイントネーションで瞳子の名を挙げる空也。数週間前の一連の騒動で削ぎ落としたブランクと解禁した戦闘能力──とりわけ『制空圏』は超触覚を併用する事で初めて効果を発揮する能力。お互い手の内と性格を知っている分、異能を発動させた俺がどれだけ本気か理解したらしい。

 表面上はにこやかなまま、空也の周囲に漂う空気が変わった事を超触覚を通じて伝わってくる。空也が打つ次の一手はあいつの本領を否が応でも見せてくるだろう。

「(──来る)」

 もはや『優しい手』に頼らなくとも、少し注意深く見るだけで遠目からでもどこか浮かされた表情が満面に出ているのがわかる。感情の種類は違えど、異能を発動する前の瞳子とどこかダブって映る。普段使えない全力を出せる、大なり小なり異能者ならば理解できる感情。溢れ出すものを止められず、もう我慢できないとばかりに空也が高らかに宣言する。

「いくよ優之助──『空駆ける足』!」

 クラウチング気味の前傾姿勢から飛び出すように走る。“それ”が起こったのは空也が三歩目を踏み出した辺りから。例えるなら見えない階段か坂道を上るがごとく足の裏と地面との間が離れていく。陸上の三段跳びのように踏み切って飛んだわけではなく、あくまで走り続け加速する空也。

 飛鳥と食堂で戦った時は室内だった為、一歩分位しか使う事がなかったが、あれこそが真田さんの『怪腕』に匹敵する跳躍を発揮できた理由。その能力を天井や壁などの仕切りのない屋外で使えば一切の制約なく駆け抜けていく。体力の続く限りどこまででも。それが空也の『空駆ける足』。

「(……見ようによってはかなりシュールだろうな)」

 俺の肩あたりの高さを維持して走る空也と戦う光景は傍から見れば、ジャンプしたまま降りてこない相手と対戦する格闘ゲームみたいに映るかもしれない。ただ、ゲームと違う点は、俺にはまともな対空攻撃の手段がない事だろう。

 しかも、都合よく小銭など持ってきていないので『銭型兵器』が出来ないし、手頃な小石が転がっているわけでもない。掴んで引きずり落とすのが精々だが、当然警戒されている。遠距離で架空の刃物、近距離で実物の刃物だった瞳子も大概だったが、本当に戦いにくい。

「──それ!」

 サッカーボールを蹴る感じで俺の頭を狙う空也。目の前で爪先が唸りをあげて襲ってくる事に若干の恐怖を覚えながらも、上体を傾けてなんとかかわす。フリーキックでボールを空振りしたような恰好。普通ならバランスを崩してコケるという笑い話で終わるが、何もない空間を踏破できる空也にとっては次の攻撃動作にできる。

「よ!」

 からぶった勢いのまま、ボード競技で使うハーフパイプの上を走る様に“縦に”半回転し、両足で踵落とし。咄嗟に『絶対手護』で守りに入るが、それに気づいた空也は両足を踏み込んで“横”に飛ぶ。イメージとしては空中で背泳ぎしている感じ。その意味では踏み込みはターンみたいなものか。

 一気に俺との距離を離れた空也は腹筋の要領で上半身を起こし態勢を整える。能力も厄介だが、その能力を十二分に引き出しているのは本人の平衡感覚や瞬発力、持久力といったフィジカル面だ。先ほど披露した上下左右天地がわからなくなる戦い方など、例え俺に『空駆ける足』が使えたとしても到底真似できない。

 そんな感心をよそに空也が再度、俺へと向かってくる。今度は中空からの飛び蹴り。端っから宙にいるわけなのでどちらかと言えば、スライディングに近いその攻撃は、ただの飛び蹴りとは違って、着地点が読めない(というよりそもそもない)為、単純に後ろや横によけても追撃が来る。

 ならば『絶対手護』で守りつつ、カウンターの機会を待った方が万全な態勢で迎え撃てる分、旨味がある。そう判断した俺はよけるつもりがない事を見せる為、腰を落として構える。仮にまた逃げられても成功するまで続けていけば、いつかは捉えられるだろう。

「──駄目だよ、優之助」

 もはや激突は避けられない両者の位置から見えた空也の口がそう形作る。動いたのは口だけではなく、今まで大して使わなかった手──その内の右手の方をおもむろに横へ突き出す。まるで何かを殴った反動を受けたみたいに空也の体が横に流れ、その勢いを利用して放った横回転からの右回し蹴りソバットが俺の背中を襲う。『優しい手』を差し込もうにも迎え撃とうとした分、前に構えてしまって間に合わない。

「しまっ──」

 がら空きの背面から受けた衝撃に言いかけた台詞も途切れるほど呼吸が止まる。空也はその隙を見逃さず、出した蹴り足をそのまま空中で踏み込んで高く飛ぶ。ダメージを受けて前屈みになった俺にとって頭上は死角だ。空を舞う鳥が水中の魚を狙いすますようにほぼ垂直で落下しながら蹴りが放たれる。

「──僕も迂闊だね」

 空也の狙いは首筋。『制空圏』で攻撃の軌道を読んだ俺は『絶対手護』を展開し、割り込ませる。空也の足を掴む好機だが、そこまで許すほど甘くはない、『空駆ける足』でもう一度空中へ離脱していく。空也は自分の迂闊さを反省していたが、それはこちらも同じだ。空也の異能の正体を知っていて、正面から引っかかったのだ。むしろ受けたダメージより、精神的ショックの方がデカい。

 空也の異能は分類すると力場干渉の一種。しかし、瞳子の『殺刃』みたいに硬貨を切り落とすような強力なものではなく、拳大の固まりを一瞬だけ生み出す程度で時宮の異能者の中でもその力はとても弱い。

 だが、扱う力が小さいおかげか負担が少なく、狙い通りの位置に何度でも生み出せる。空也は生み出した力場を足場にする事で規格外の動きを再現し、自分よりも強力な異能者を屠ってきた。異能の希少性も判断基準の一つに数えられる序列評価において最低ランクの異能者である空也が七位という高位者である理由はそこにある。

 しかも力の使い方は飛び蹴りの軌道を無理やり変えた時のように足場である必要はない。元々高い身体能力を組み合わせる事で変幻自在の動きを全方位からの強襲する空中殺法ならぬ、“空間殺法”を実現できるのだ。

「……本当に厄介なやつだな」

「そっくりそのまま返すよ、優之助」

 日が完全に落ちて星が見える空を背に空也はそう言って笑う。それに呼応するように『空駆ける足』による足さばきが一段と激しさを増していく。

 今度は上下だけではなく横の動きが加わり、俺の隙を突こうと周囲をせかせかと動く。意図的に高さのみを見せてからの回し蹴りという奇襲が凌がれた以上、隠す必要がないからだろう。ますます捉えるのが難しくなった事態に蜻蛉や蜂にまとわりつかれるとこんな気分なんだろうな、となんとなく思う。

「──本当に厄介だ」

 何度も頭に浮かんだ言葉が空也の口をつく。視界の外で動いている為、その顔は分からないが俺と同じ表情をしているのは想像に難くない。

「優之助、君は本当に厄介だ。こんなに君から見えないよう動いているのに君は少しも焦りはしない。『制空圏』による絶対的な空間把握能力がそれを許さない。僕にとって『絶対手護』よりも“超触覚”の方が手強いと感じるよ」

 俺から見て、左後ろ斜め下。急降下から再び上昇する動きを伴う蹴りが風を切り裂きながら襲ってくる。それを最小限の動きで体を捩り左の『優しい手』でガード。圧倒的な加速に乗った下から持ち上げる蹴りの衝撃も『優しい手』は完全に殺す。

 構わず空也はもう片方の足で俺の頭を蹴り抜こうとする。最小限に半分しか空也に向いていない分、右の『優しい手』で止めるには少し窮屈。そう判断した俺は右の『優しい手』を空也のいる位置とは正反対の何もない空間に翳す。

「くぁ──」

 かすかに聞こえる苦しそうな吐息は俺か空也のどちらからなのか。『優しい手』の運動エネルギー増幅能力で生み出された衝撃が空也を巻き込んで体を押し上げる。

 いくら『空駆ける足』が自在に動けると言っても蹴りのモーションに入った状態からの離脱は難しい。体をもつれさせながら地面を転がっていく俺と空也。口に砂が入って不快な思いをさせながらもどうにかマウントポジションを確保する。随分と不恰好な手段だが、これで空に逃げる事は出来ない。

「大人しく──してろよ!」

 まるで悪役の様な台詞を吐きつつ、運動エネルギーを込めた『優しい手』を今度は空也に向けて放つ。『影縫う手』でチマチマ動きを封じている余裕なんてない。空也なら腕や足の一本止められても平気で反撃してくるからだ。中国拳法の発剄に通じる『優しい手』の打撃を、ただ手を伸ばすだけで当たる戦闘不能へと誘う一撃を当てれば勝てる──そう、当たればこの戦いは終わっていた。

「(──こういう使い方も出来るのか)」

 『優しい手』を振るわんとした手が途中で止まる。原因は肩のあたりに突如現れた“見えない拳大のなにか”の感触。大きさで正体に気づく──空也の仕業だ。

 『空駆ける足』の力場干渉、正確な場所に発生させるその能力を俺の動きを止める為に使ったのだ。止められたと言っても体の一部に障害物が引っかかった程度の影響でしかないが、空也はそれによって生まれた一瞬さえあれば充分。俺の首を両手でキャッチし左右に揺さぶる。

 ──密着戦闘対策にムエタイを集中的に習っているから不用意に懐に入るのも厳禁。ほら、ムエタイの試合であるだろ、首相撲ってやつ。

 そう会長達に講釈を垂れていたのを思い出す。本来、寝技からでは充分な効果を得られない首相撲だが、近接での攻防術においての有用性の全てが失われるわけではない。高速で揺すられた首を守ろうと空也から首へ意識が逸れ、空也の体を押さえつけていた重心がわずかに緩む。

「──『空駆ける足』!」

 力場干渉で作り出した足場を“壁”に見立てて横に跳ねる空也。抑え込みが不完全な状態ではそれを止める術はない。一足飛びで離脱しながら態勢を整え、俺が立ち上がった時にはすでに軽やかなステップを踏んで高度を維持していた。せっかくの好機をふいにしてふりだしに戻った事にため息が出る。

「……まさか僕が君にした奇襲をまるまる返されるとは思わなかったよ」

 空也が力場を殴って無理やり方向転換したように、俺が運動エネルギーを放出させて距離を詰めた事を言っているのだろう。異能を使って推進力を得たという意味ではたしかに似た様なものだが、所詮俺のは空也の二番煎じの上、効果は一瞬しかないまがい物、ただの苦し紛れに近い。

「むしろ、お前の力の使い方に恐れ入ったよ。手の内を知っていたつもりの自分が恥ずかしい」

「……あぁ、さっきのか。君を相手に僕程度の力場干渉じゃあ盾代わりにもならないからね。ただの苦し紛れさ」

「苦し紛れは俺の台詞だ。謙遜するなよ」

 そんな会話の間にも空也は抜け目なく俺の隙を伺っている……お互い様だが。

「(逆に言えば、仕掛けるタイミングを計りあぐねているって事だよな)」

 空也に『殺刃』の様な遠距離から攻撃する方法はない。圧倒的な機動性でどんな距離からでも戦う事が出来るが、近付くのを避けられない。先手は譲るがあいつが360度どこから攻めてきても『制空圏』で把握している以上、対応は不可能ではない。

「(……そうか、出来なくはないんだ)」

 空也を捉える方法が不意に閃く。ただし、その手段では『絶対手護』は使えず、かなりのリスクを背負う事を避けられない。

「……当たり前だろ」

 思わず漏れた独り言に空也が怪訝な顔をする。何でもない、と誤魔化し、手のひらの感覚に意識を集中させる。『絶対手護』による防御がない状態で空也の攻めを切り抜くには『制空圏』による読みが今までより重要だ。そのためには──

「──目を閉じた? 『制空圏』の読みに賭けるつもりかな」

 空也の“音”が『優しい手』を介して聞こえてくる。感覚が人並外れて鋭いというのは、必ずしもいいとは限らない。絶対音感の持ち主がごく微小の不協和音をことごとく拾ってしまうように“超触覚”も触れることで得られる膨大な情報を処理しきれずに神経がまいることがある。例えるなら常時敏感な部位を弄られるか、あるいは傷口に刺激物を塗りたくられるようなものだ。

 その為、日常では“超触覚”の感度を落とす自己暗示の一種を掛けているわけだが、それを応用し、触覚から得た情報を触覚を他の五感に紐付けしている。視覚も、味覚も、嗅覚も、そして聴覚も。空也の声を俺に伝えたのは音すら“手に取る”ように掴む“触覚”だ。

「……そこまで集中していると下手に攻撃したら勝てないな」

 空也の足がさらなる高みを求めて空中で跳ねる。空也のフィジカルは高いスペックを誇るが、それでも筋力の面で『怪腕』を超える事はあり得ない。

 それでも超人的な跳躍を発揮できる要因は『空駆ける足』が生み出す力場が空也の跳躍と加速を補助しているからだ。力場は地面と違い、とても柔らかく、反発力が強い(しかも強弱をコントロールできる)。イメージとしてはトランポリンが近いだろう。

 そして今、生み出された力場はとても力強く、動きを読まれても俺が反応する前に倒すという空也の意志が“超触覚”を通じて明確に伝わってくる。俺から離れる時に二度ほど見せた壁を蹴って横に飛ぶ動き、水泳のターンに例えたそれを今度は逃げるのではなく、俺を的に飛ぶつもりだ。

「(俺が体当たりした時の比じゃないな)」

 加速を伴う助走は反発力を増した力場を一歩踏んでいくごとに速度が増していく。いくら自分で足場をコントロールしているとはいえ、一つ踏み外せば大怪我では済まない。だが、ここでも空也の運動能力がその失敗を許さない。つくづく相性のいい能力だな、と場違いな感想が漏れる。

「『空駆ける足』──コメットストライク」

 ──人ひとりに向けるには充分すぎる加速を纏い、空也の体が星となる。


「──幕切れは呆気なかったな」

「あぁ」

「──なぜかわせた? いや、なぜかわす必要があった?」

「たしかに『絶対手護』と『制空圏』を組み合わせれば初弾は防げる。が、その後逃げられるにしても追撃が来るにしても同じことの繰り返しになるだけだ」

「──だから、『空駆ける足力場干渉能力』の発生直後を狙ったというわけか」

「見えてたのか?」

「──初弾が外れた後、離脱しようとした空也の態勢が崩れたからな。お前が何かしたと考えるのが自然だ」

「正直な所、力場が発生する瞬間を感知するのに集中した分、『絶対手護』を使う余裕がなかったんだ。『殺刃』と違って本当に一瞬、本当にわずかな反応だからな」

「──まだまだ未熟だな」

「ほっとけ! それでそっちも決着がついたってことだよな? ──剣太郎」

「──思ったより手こずられた。未熟なのはお互い様だ」

 元時宮高校、序列三位『剣聖』刀山剣太郎がモップの柄を肩に担ぎ、悠然と立っている。三対二で始まった戦いは一対一に変わり、戦いは終局へ至ろうとしていた──会長と当真晶子の存在を半ば忘れつつ。

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