きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第16話



      *


「……どうやら、投げ出すことは許されないらしい」
 刃を振り下ろしたまま、微動だにしない瞳子の背中越しに言う。その表情はここからでは窺い知ることはできない。

「瞳子。おまえの言う通りだよ」

 瞳子が聞いているかは、確かめようがないが構わない。届くまで待つさ。そう思いながら、独り言に似た告白を続ける。

「卒業してからの三年間、俺は自分の都合の悪いところを全て棚に上げて逃げたんだ。あいつらに迷惑かけるなんて言ってその実、トラブル起こして、それが原因であいつらに嫌われるのが怖くて自分から距離置いたんだ。生活費の為とか言い訳して、与えられた仕事をこなして、忙しさから目を背けて、さ」

「なにを今更……」

 瞳子は怒るでも、呆れるでもなく、慰めるでもなく、ただ一言。

「……まったくだ。しかも、なにから手をつけたらいいのか、取り戻すべきなのか、そもそも失ったものとは? おまえの言った"らしくない"ってのが俺の中のどれを指していたのか、どれ一つとして、俺にはピンとこない。自分探ししている暇もなさそうだ。……だけど、このままじゃ、大切なものなんて守れやしない、ってことだけはわかってる」

「ふぅ……口ではなんとも」

 ──シュッ────ズドン!!!!!

 なにもない空中を殴ったとは思えないような轟音が密閉空間に鳴り響く。……反響が凄いな。いやまさかこんなにデカイ音がするとは……。撃った自分が一番ビックリした。

「勘違いするなよ? おまえとの命の遣り取りは御免だが、"これ"を使わない事にはなにも──自分の身すら守れない。そう判断した」

 瞳子は無言。今まで余裕だった態度に初めて警戒が混じる。これこそが『優しい手』と呼ばれた異能の本領──運動エネルギーの完全制御。

 運動エネルギーとは中学・高校の物理で習う、質量と速さ×二乗のアレのことだ。身近な例だと、ボールを投げるためには足から肩、肘、手へと一連の動きがあるからボールを投擲することができる。それら一連の動作によって得られる、物体を動かした力、それが運動エネルギーだ。

 『優しい手』は本来発生させるのに必要な体の各部位の一連の動作を端折り、手の部分単体で運動エネルギーを発生させ、さらに増幅し、使用することができる。『優しい手』を発動した際の激しい振動は手の中で増幅され続けた運動エネルギーが作用された手を通じて、周囲の空気と連動して起こる現象だ。

「……"精密動作"や"超触覚"といった特技・特徴とは一線を画す真の意味での超能力。私の"瞳"と同じ領域の能力。この三日間、その片鱗だけは見せていたわね。桐条飛鳥を行動不能にし、真田凛華の豪剣を止めた、触れるだけで運動エネルギー──だけじゃなく、私の何で動いているのかはっきりしない架空の刃をも悉く無効化する無敵の盾──『絶対手護ぜったいしゅご』」

  補足するなら、真田凛華の『怪腕』による一撃と俺の手が触れた時、触れた刀から伝わる真田さんの攻撃の力の流れ──もう少し正確に言えば、物体を斬るのに必要な"押しつけて、引く動作"、その力の強度とタイミング──を瞬間的に読み取り、真田さんの『怪腕』が生み出す運動エネルギーを打ち消した。

 つまり、触れてさえいれば、その部分から相手の運動エネルギーをも制御することが可能なのだ。

 そして、『銭型兵器』も『優しい手』による恩恵を受けている。でなければ、『達人』ではなく『怪腕』も持ち得ない俺が、相手にダメージを与えるほどの硬貨打ちができるわけがない。『絶対守護』が停止の完全制御とするなら、『銭型兵器』は加速の完全制御というわけだ。

「──冷静に考えたら、おまえの意思は聞いたけど、ハルとカナについては人伝だ。例え、瞳子の言った通り避けているのだとしても、それは俺が直接聞かなければいけない事だ。その為には今、ここでおまえに殺されるわけにはいかなくなった」

「──少しは定まってきたようね」

「どうかな? まぁ、少なくとも、今の状況は案外悪くないとは思っているよ」

「……どういう意味?」

「たまに大ゲンカした方が長く続くって話」

「命がけで?」

「命がけだからこそさ」

「……私はまだあなたを許したわけじゃないわよ?」

「それでいい。言ったろ? 大ゲンカだって、俺達は本気でぶつかる必要があったんだ」

「その言葉、後悔しないでね──時宮高校序列十四位、『殺眼』当真瞳子。望みどおり全力で斬り捨ててくれる!」

「……時宮高校元──いや、天乃原学園二年C組、『優しい手』御村優之助。その言葉、そっくりそのまま返してやるよ!」

 殺気を凝縮させた四本の刀が怪しく光る。俺の『優しい手』を持ってしても防ぎきれなかった、『異能剣術・殺刃剣舞』。次はそれ以上の技でくるだろう。

 今の俺がそれを切り抜けることはできない。……はずなのに、なぜか俺の心の中はとても落ち着いていた。

 一方、瞳子は俺の知らない、新たな型を体現する。

「今こそ見せよう、当真流剣術と我が異能『殺刃』を融合させ、完成された剣技を」

 "刀"子を彷彿させる陰鬱さを帯びた重々しい空気。それが引き金となったように、纏っていた四本の『殺刃』を愛刀『紅化粧』に取り込んでいく。

「当真流の五つの型を同時に発動することで新たな型を生み出す。当真流"魔"剣術『秘剣・六道返し』」

 構えはいつもの下段ではなく、正眼の構え。殺意を纏う刀をそのまま中段に保ち、俺に向かってくる。最後の最後で当真流にらしからぬ真っ向勝負。

「望むところだ。……おまえの三年間をこの一瞬で超えてやる!」

 気合とともに、高震動を繰り返す両手を空手でいうところの『前羽の構え』のように構え、瞳子に相対する。その距離およそ六メートル。

 ──五メートル。瞳子が俺へと真っ直ぐに向かってくる。『一本指歩法』を使っているため、速さそのものは速いが、言ってしまえば、真田さんが最後に使った戦法と変わりない。そこにどんな意図があるのか不明だが、瞳子の放つ攻撃を破ることを考えるだけでいい。揺らぐな! 俺。

 ──四メートル。俺はその瞳子に受けて立とうと構えを固持し、山のように"待ち"の一手を計る。瞳子の攻撃を『優しい手』で流し、返す刀でがら空きの胴に俺の手を叩き込む。

「っ」

 ──三メートル。その手前で謀ったように見せる瞳子の声にならない笑い。瞬間、愚直なまでに真ん中に構えた『紅化粧』から、五本の『殺刃』が射出される。

「(……一本、増えてるじゃねぇか!)」

 いつの間に生成したのか知らないが、『殺刃』の本数が増えている。しかし、もうそんなことは問題ではない。俺の前方二メートルから散弾のように放たれた五つの当真流の太刀筋は俺の視界を塗りつぶしている。回避は……不可能。

「(上等だ! まとめて潰してやる!)」

 防御ができないなら五つの太刀筋全てを攻撃すればいい。左の『優しい手』を迫りくる『殺刃』に晒す──互いの距離は一メートル。

 ──ドン!

 高震動と異質な気配を纏った刃がぶつかり合う。現実に起こりえない二つの異なる空気が混ざり合い、溶け合って、まるで号砲のような重い音が講堂内を駆け巡る。音と同時に起こった風圧で視界が狭くなるが、間近にいる瞳子を見失うことはない。

「(そこだ!)」

 残った右手を瞳子に向けて振るう。……左手の感覚はない。いかな『優しい手』でも対象の運動エネルギーを相殺させずにそのまま『殺刃』に触れれば、こちらにも被害が出て当然だ。例えて言うなら、動かない刃物に自ら動いて斬られにいくようなもの。

 しかし、自らの左手を犠牲してでも止めないと『殺刃』の後にいる瞳子に隙を突かれてしまう。『優しい手』を防御にまわして自らの前進を止めたら、俺は瞳子に勝てない。

 この時、瞳子との距離は一メートルを切っている。俺が左手を犠牲にするとは思わなかったのか、瞳子の反応が遅れる。距離から考えると致命的な隙。間に合うことはない。瞳子の懐はがら空き、俺の手との距離は三十センチもない。あとは右手を前に出すだけでいい。

「(これで終わりだ!)」

 そう、これで俺の勝ちだ。……なのに、ほんの少し躊躇する。このままで本当にいいのか、と自分の心に問いかけてみる。瞳子の言葉を思い返してみる。

 ──なんの覚悟も持たないあなたが私に勝てるはずがない!

 覚悟。そんなものこんな変な学園に年を誤魔化して入った時点でやっている! 覚悟。それは自ら選び取ろうとすること。では、この状況は俺にとって望ましいものなのだろうか? そんなの言うまでもない。……このままでいいわけないよな?

「──『影ノ太刀・月白』」

 俺が躊躇した一瞬の間に体勢を立て直した瞳子が突きを狙う。交差する俺の手と瞳子の刀。

 ──トス……

 弾けた空気が音を奪い、耳鳴りすらしそうな講堂でやけにあっさりと響いてきた決着の合図。誰もがその結末に微動だにできない。……その中心にいる俺達以外は。

「──一つだけ思い出したことがある」

「……なにかしら?」

「この手は傷つけるために使うものじゃないって事をさ。おまえの言う覚悟なんぞ知ったことか」

「……馬鹿ね」

「そうか? 自覚はないな」

「馬鹿よ。……寸前で『優しい手』を解除するなんて」

 瞳子の腹部には俺の手が添えられ、……そして俺の腹には瞳子の刀が深々と貫いていた。

「ひどい……な」

 血が止まらない。貫かれた部分が熱くて、寒い。腹部から流れる血が刀身に伝って瞳子の手を紅く染める。――今、手を握ってたらあたたかいだろうな、ふとよぎるのは卒業式の帰り道。あの時、あたたかいと言った彼女の手を今、俺が温めている。それはとても素敵な事ではないかと、なんとなくそう思う。

「馬鹿だわ」

「……かもな。でも……」

 まるで心でも読んだとばかりに適切な一言がとても愉快だ。だが、いざ笑おうとすると喉の奥からあふれてくるモノが酷くうっとおしい。吐きだしてしまいたいが、さっきさんざん吐き出したのにまだ吐くのかと怒られそうだ。だから我慢する。……少し、口から垂れてきたけど、いいよな? それくらい。

「こ、これで…よかったと……思ってる」

 手を通じて、瞳子の鼓動が伝わってくる。それは優しい、とても優しい音。それが俺に後悔をさせてくれない。

 目が霞んできた。血を流しすぎたらしい。こんな霞んだ目じゃあ、わからない。瞳子かどんな顔をしているのかわからない。その目に映るのは白と、黒に近い赤の世界。そんな世界じゃあ、瞳子がどんな顔して泣いているのかわからない。それでもまだ微かに動く右手を瞳子の顔へと手探りで触れる。

「──私が県外の大学に決めた理由を憶えてる?」

 音すらも白く塗りつぶされそうな世界で瞳子の囁くような声が聞こえる。

「………あぁ、憶えてるよ」

 なぜ今その話が出るのか、それはわからない。だが、外から俺達を見てみたい、とどこか気恥ずかしげに答えた瞳子の様子と、その機を逃せば一生聞くことのなかったことを余さず聞けたという事実はとても印象深く記憶に刻まれていた。

 ──忘れるわけがない、そう伝えたくても声がかすれて伝わったかどうかわからない。そんな自ら発した声すら耳に届くか怪しい中、瞳子の声だけは、やけに大きく聞こえる。

「あの言葉に嘘はない。けどね、あれが全てじゃ……言わなかった理由は別にあるの。優之助、私ね──」

 その続きをあの時と同じく逃すまいとして、しかし、その意思に反して意識が遠くなる。それとは反対に強まっていく浮遊感。まるで谷底のふちを指一本で頼りなく支えているような中で、それすらも手放した俺が最後に"見えた"のはどことなく懐かしい空気を纏った二つの影だった。

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