きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第9話

 飛鳥と屋上で別れてから、飛鳥の助言通りにエレベーターを探してみる。屋上から見た位置から考えると階段の近くにあると思ったので少し周りに目を向けると、それはすぐに見つかった。

「これか」

 エレベーターと聞いていたので俺はてっきりマンションやデパートにあるような無骨というかシンプルな感じのやつだと思っていたが、まるで一流のホテルにあるような豪華というのか、悪趣味にならない程度に金がかかっていそうなエレベーターだった。

 利用する者に圧迫感を与えさせない気遣いの設計からか、ドアはステンドグラス風のガラス張りにされていて(当然、強化ガラス)、そこから薄っすらと見える内部はかなり広く、バク転しても十分に余裕があるスペースがある。いや、中に入ってもやるつもりはないが。

 外側もガラス張りでそこから見える山側の景色は屋上から見るのとはまた違った趣がある。一部の生徒だけが使うエレベーターにしてはかなり贅沢な造りだ──などと、いつまでもモノローグしている場合ではない。さっさと用件を済ませようと思い直し、エレベーターに備え付けられたインターホンで呼び出してみる。

「いったい、なんの用だ? このエレベーターは一般生徒の使用を禁じている。さっさと立ち去れ」

 こちらが用件を言う前にいきなりの門前払い。いくらなんでもこの応対はないだろう。多少、カチンとくるがここで揉めても仕方ないと思い直し、マイクに口を寄せる。

「入寮の手続きにきた。生徒会室に取り次いでくれ」

 言葉と共に本当に用事があると示すべく、監視用に設置されたカメラから見えるようにファイルを差し出す。だが、なぜかあちら側の反応が鈍い。

「それがどうした?」

「それがどうした? って、入寮の手続きは生徒会の仕事のはずだが?」

「ただの一生徒の分際で意見するとは生意気な! いかに学園が受け入れをしたとしても入寮を認めるか否かは生徒会の領分だ。つまり今この瞬間、お前は寮に入る資格はなくなった。わかったらさっさと帰って、寝床を確保することだな」

「……おい、そこのカメラ越しで偉そうにしてる生徒A」

「なっ、なんだと!」

「おいおい、この程度、悪口にもならねぇぞ。たかが一生徒の一言くらいで熱くなンなよ。底が知れるぞ? というか、さっきから妙に偉そうだけど、いいのか? 勝手に客を追い返して。お前にそんな権限あるのかよ。つーか、そんな権限ある奴がいくら生徒会室直通のエレベーターとはいえ、応対係に回されるとは思えないんだけどなぁ。で? 実際どうなんだよ。カメラのレンズ越しで偉そうにしているその他A」

 散々言い倒してから素に戻る。……うわっ、俺、大人げな! 数分前に揉めないよう自戒したのは誰だったのか。この期に及んで生徒会にケンカを吹っかけるのを躊躇しているわけではないが、少なくともこれで完全に生徒会室に書類を通してはくれないだろう。寮のことを瞳子になんて言い訳しようか、と内心頭を抱えていると、

「──なにをしている」

 聞き覚えのある神経質そうな声と上から目線の言い回し。振り返ってみると、そこには昨日、食堂で揉めた男子生徒(そういや、名前聞いてないな)と刀を持った生徒──生徒会書記、真田凛華がいた。

「……たしか転校生の御村だったな。このエレベーターは生徒会関係者しか使用を許可していない。一般生徒は階段を使うように。……それとも生徒会になにか用か?」

 男子生徒とは対照的な落ち着きがありながらも相手の気を引き締める声質で問う真田凛華。この子も飛鳥に負けず劣らず個性的な生徒のようだが、レンズの先にいるデクの坊や横のヒスよりは話がわかりそうだ。
「あぁ、入寮するための書類を提出しに来た……ん…だけど……」

 そこから先は一応、生徒会側の人間である彼女に話していいものか迷うが、俺が言いよどんだ理由に察しがついたようだ。

「……なるほど。部下が門前払いしたようだな。部下の非礼を謝罪しよう。……すまなかった」

 そう言うと、無駄のない動きでこちらに向かって頭を下げる真田凛華。自分とは無関係であるはずなのに潔く謝罪できる彼女に少々うろたえる。だが、そんな俺以上に驚いていたのは隣にいた神経質そうな生徒(名前を聞いてない)だった。

「さ、真田さんっ! なんでこんな一般生徒に頭を下げるのですか! こんなのにそんな必要はありませんよ! 大方、応対係が不審に思って通さなかったのをこいつが一言余計なことを言って、話がこじれただけです」
 ……こいつ、意外と勘がいいな。

「例えそうだとしても、生徒会の人間による高圧的な言動は最近、度を越えている。それが元でのトラブルも少なくない。まして、生徒を管理するためにあるはずの生徒会が入寮の手続きに来た生徒を追い返すなんて生徒会の窓口として問題外だ」

 おぉ、まともな意見だ。生徒会にも話のわかる子もいるんだな。

「ついてこい。生徒会室に案内しよう」

「いいのか? 手続きというか、提出するだけでいいって聞いてたんだが。生徒会室には一般生徒は立ち入り禁止になっているんだろ?」

「そうですよ! そもそもこいつは生徒会に対する態度に問題があります! それに副会長をあろうことか“要芽ちゃん”などと! 要芽ちゃん! あぁ、なんてうらやまし……いやいや、なんという侮辱! こいつは生徒会の──」

 神経質そうな生徒(名前を聞いてない)が割り込んでまくし立てる。だがそれを──お約束とばかりに──無視して、学生証を取り出すと電子マネーで会計を済ませる要領で脇にある読み取り機にあてエレベーターの扉を開錠させ、そのままエレベーターに乗り込む。

 ──先ほどの対応、どういうつもりか後で聞かせてもらうぞ、と監視カメラの先にいる応対係へひと睨みした後、よほど恐れられているのか、ひぃ、などと喉を引き絞ったような声が聞こえる──その視線を乗らないのか? とばかりにこちらへ向ける。……ここで遠慮しても話は進まないか。待たせるのも失礼だしな。

「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」

 恐縮しつつエレベーターへ。神経質そうな生徒(名前を聞いてない)にまたなにか言われるのかと身構えたが妙に静かだ。見れば、さっきまくし立てた位置から一歩も動かず、なにやらブツブツ言っている。

「要芽ちゃん……いやいや、恐れ多い。要芽さま……要芽さん……要芽ちゃま……要芽っち……要芽……要芽……要芽!」

 呼び捨てにしだしたよ! しかも、なんか悦に入ってるよ! そんな神経質そうな生徒(名前を聞いてない)を置き去りにエレベーターの戸が閉まる。

「……いいのか? あれ」

 色んな意味で……。

「……なんのことだ?」

 存在すら無視したよ! ……まぁ、いいけどな。
 いろいろあったがこれでやっと当初の目的を果たせそうだ。生徒会へと続くエレベーターはその高級そうな見た目に反せず、スムーズに窓の隅から見える屋上を越えて、およそ二階分の高さを昇っていくとこれまた音一つ立てずに止まった。どうやら生徒会室がある階に着いたようだ。

 エレベーターから出るとこれまた別世界のような内装の廊下が姿を現す。エレベーターが高級ホテルのような造りなら、生徒会室のあるフロアはまるでどこかの宮殿だ。
「おぃおぃ……」

 もう笑う気も起きない。言っちゃあ悪いが、金銭感覚おかしいだろ……これ。

「生徒会室はこっちだ」

 予想がついているのか、こっちのリアクションに取り合うことなくスタスタと先へ行く真田凛華。

「クールだ……」

 彼女の背にはそんな感想がしっくりくる雰囲気が漂う。……本当にこの子、高校生か? 高校時代の俺や瞳子より、ずっと大人っぽいな。

「っと」

 いつまでも立ち止まっていては、置いてけぼりをくらいかねない。慌てて、に追いすがる。……やっぱり、情けないな、俺。

 そんな俺に構わず、先に進んでいた真田さんは、数ある部屋の中でも一回り大きい扉の前で立ち止まる。どうやら、そこが生徒会室らしい。生徒会室のドアは一応、どこにでもある普通の作りだった(と言っても“普通”の高級住宅での扉という意味で)。だが、なぜか真田さんはドアを開けようとして、そのまま止まっている。

「どうしたんだ?」

「……」

 なにか真田さんの機嫌を損ねたのか? と、不思議に思い、俺が近づくのと同時に真田さんが背を向けたまま俺の方へ歩み寄る(というか後ろに下がった)。俺と真田さんが互いに近づき、そしてすれ違う。

 つまりは、それぞれの立ち位置が入れ替わり、今度は俺が生徒会室のドアの前に立ったわけだ。丁度いい、このまま生徒会室に入らせてもらおう。ドアをノックし、ノブに手をかける。

「失礼しま──っっぶ!」

 突然、生徒会室のドアが開き、中から誰かが出てくる。入り口の前に立っていた俺の顔面にドアの角が直撃。あまりの衝撃にたまらず、のたうち回る。

「っ──」

「そこに立っていたら危ないぞ」

 真田さんが俺に向けて言う。遅いよ! あー、目がチカチカする。涙出てきた。

「うっ……」

 涙で滲んでよく見えなかったけど、出てきたのは女生徒のようだ。──これはスカートで判断できた──女生徒は俺を見て驚いていたようだが、きびすを返してそのまま俺達が来た方へと走り去る。……なんなんだ、一体?

「騒がしいわね」

 生徒会室から声がする。この声は聞き覚えがある。これは──

「生徒会長」

 目を向けると生徒会室の奥の席でくつろいでいる女生徒。……この学園の暴君とされる天乃宮姫子。

「あら? あなた。……たしか御村優之助だっけ?」

 あまり人の顔を憶えていなさそうなタイプだが(←かなり失礼)、さすがに昨日の今日だったためか憶えていたようだ。

「……無事そうね」

 これのどこが無事なんだよ。それはさておき──

「──さっきの子はどうしたんだ? なんか泣いてたけど」

 そう、さっきの女生徒、涙でよく見えなかったけど、泣いているように見えた。

「最近、体のあちこちがこっているからあの子にマッサージを頼んだの。そうしたら、全く効かなくて、この役立たず! って、言ったら出て行っちゃった」

「おいおい、マッサージくらいでそこまで言わなくてもいいだろ」

 というか、一女生徒にマッサージさせんな。

「なに言っているのよ。あの子、そのためにわざわざこの学園に呼んだのに」

 ……なんですと?

「あの女生徒は有名なエステティシャンの娘で、本人も幼いころからその道に進むことを選び、その技術を若くして叩き込まれたその道の有望株だ。それを聞いた生徒会長がこの学園に入学させた。させた、と言っても無理やりにではなく、この学園の施設を提供し、そこで一般生徒を相手にエステの営業を許可した。本人に経験を積ませるためと将来の顧客の獲得の二つの利点であちら側も了承している」

 後ろにいた真田さんがそう注釈してくれる。そういう問題かよ! というか、エステってあんた、若いんだからいらんだろ。いや、そもそもいくら技術があるっていっても、ああいうのって医療かなんかの知識なり、許可なりが必要じゃなかったっけ? 頭の中で様々な突っ込みがよぎるが、

「いくらなんでも役立たずは言いすぎじゃないのか?」

 と、無難なことしか言えない俺はやっぱり腑抜けなんだろう。

「そのために呼んだのに期待外れなら仕方ないでしょ? ……結果、退学になってもね」

 意地悪くそう嘯く生徒会長。俺をからかってその反応を見て楽しもうとしているのが、嫌みなくらいに明らかだ。だからからこそ、俺が打つべき手は一つだ。
「それじゃあ、こういうのはどうだ? もし、俺が君にマッサージをして満足したなら、さっきの子を許してあげる──ってやつで」

 さすがにこの申し出には予想外だったのだろう。生徒会長は驚いたように目を見開いていたが、再び意地の悪い笑みを浮かべる。

「……じゃあ、もし私が満足しなかったら?」

「後ろの真田さんにボコられる、ということでどうだ?」
「それじゃあ、つまらないから胴を輪切りにされてね」

 つまり、死ねと?

「はいはい、わかったよ。とりあえず俺に任せてみろって、これでも結構自信がある」

「相当な自信ね……」

 俺の妙な落ち着きが気に食わないのだろう。まるで『売られたケンカは買ってやる!』と言わんばかりに反発する生徒会長。……予想通りの反応だ。

 その勢いのままを返し、その先に用意されていた寝台──おそらく、さっきもここでマッサージを受けていたのだろう──へとうつ伏せに寝転がる。

「先に言っておくけど……」

「なに? 言ったそばからもう言い訳?」

 にべもない調子の会長。望ましい展開にはなったが、こんな喧嘩腰では折角のマッサージも効果を成さない。よって、体の方には黙っていてもらおうか。

「……今からマッサージを始めるわけだが、少しの間、体が動かなくなると思う。だから、問題はない、と言っておく──よ!」

 おもむろに下ろした手が腰の骨を探り当てると、両手を添える。

「なにを言って……えっ、う、動かない」

 添えたを中心に肩、太腿、肘、膝、手首、足首、そして指先、爪先。触れた箇所に近い部位から麻酔が効いていくように会長の意思を離れ、機能を停止させていく。

「だから、そうなるって言ったろ? 筋肉を強制的に脱力させただけだ。心配するな」

 料理で言えば、下ごしらえのようなもの。丁度、肉を柔らかくさせる作業なので、その点ではピッタリな表現かもしれない。

 軽く小突き、身じろぎほども抵抗できないのを確認してから、ようやくマッサージを開始する。炎症を起こしかけていた筋繊維の腫れを沈静化させ、同時に、患部を刺激させないようコントロールしながら、滞った血の流れを全身に行き渡らせる。昨日の夜に飛鳥に施したのと同じ要領で、会長の体に溜まる疲労や炎症から回復させていく。

「ん……そういえば、どことなく体が楽になったような」

 どうやら、納得してくれたらしい。唯一動く口も大人しくなる。

「しかし、会長って」

「……なによ」

「意外と苦労しているな」

「どういう意味かしら?」

「会長の足の筋肉、かなり酷使されている。……相当歩き詰めている証拠だよ。腕も腱鞘炎一歩手前って、ところかな。なにをしているかは知らないけど、かなり無茶しているのがわかる」

 ここまで疲労しているのならマッサージを頼みたくなるのも無理はない。しかし、いくら有望といっても経験の足りない子に頼むのはちょっと荷が重すぎた。会長はそういうレベルまで体にムチ打ってきたというわけだ。

「……ふんっ!」

「それはそうとして」

「……なによ?」

「どうだい? 具合は」

「まあまあね」

「それって満足してないってこと?」

「…………意地悪ね」

「素直じゃない妹が二人もいるからな……。素直じゃない子には意地悪したくなるんだ」

 ガキ大将じゃあるまいし、自分で言ったことに苦笑するしかない。

「……続けてちょうだい」

 あまり受身な状況は好まないようで、先ほどから少々不機嫌というか、不貞腐れている感じの会長。横柄さは相変わらずだが、微妙に可愛らしくもある。……こういうのをサラリと受け流すのが大人の対応だよな。

「ではお言葉に甘えて……」

「変なところを触ったら、凛華が斬るわよ」

 後ろで真田さんが刀の届く範囲に立っているのはそういうことですか。

「……気をつけるよ」

 俺だって、そんな理由で斬られたくない。気を取り直して──雑念を振り払いつつ──マッサージを続ける。

「んっ……んんっ……っは……」

 凝り固まった部分を解きほぐしてやる度、気持ちよさそうに声を上げていく会長。マッサージを施している側としてはうれしい反応ではあるけど──

「ぅん……だっ大丈夫よ……変な事は……っ……されてない……」

 その一言で誤解の解けたため、大人しく鞘に戻っていく。刃と皮の間にひとすじ流れるのは冷や汗か、それとも血潮なのか、怖くて首元を見る勇気がない。

 ──まぎらわしい、真田さんの唇からため息混じりの呟きが聞こえる。……俺、なんも悪くないよね?

 その後も会長さんがくぐもった声を出すごとに後ろの真田さんが"わかりやすく"鍔鳴りを響かせるものだからこっちとしては生きた心地がしない。そんな俺とは対照的に今や完全にリラックスし、マッサージを堪能している会長が少しだけ憎い。

「その調子でお願い。……ああ、それと、御村優之助。あなたに聞きたいことがあるの」

「なんだ?」

「桐条飛鳥さん……憶えているわね? 生徒会会計の。あの子、さっき生徒会室にやって来たと思ったら、いきなり"生徒会を辞める"なんて言い出して、生徒会の支給品一式を返しに来たのだけど……あなた、何か知らない?」

「……なんだと?」

「だから桐条さんが、生徒会を辞める、って言ってきたの」

「……」

 そんな……、さっき会った時には何も──

  ──すまないな。本来ならついて行くべきなんだが、そういうわけにもいかないんだ──

「──あれはそういう意味か」

「多分、知っていると思うけど、昨日の放課後にあなたを"矯正"するように命令したの。だから、辞める理由を知ってそうなのはあなた位なの」

 悪びれもせずに言いやがったよ。

「桐条さんのことだから、昨日の晩には行動を起こしたはず、でもあなたも桐条さんも怪我らしい怪我をしていない。……それが不思議なの。一体、あなたどうやって桐条さんを退けたの? 説得? 懐柔? それとも平井さんのように誑し込んだ?」

「おい」

「冗談よ」

「あす──桐条はどうなるんだ?」

「このままじゃ生徒会どころか学園も辞めることになるかもね」

「どうすればいい?」

「そうねぇ……なら──」

 その後に続く会長の要求に、当然ながら呑むしかない俺は一にも二にもなく頷いてみせる。まるでドミノ倒しのように次々と、あるいは徐々に巻き込まれているのを肌で感じながら。

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