きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第6話

 唐突な話だが、携帯電話が浸透してから手紙を送ったり、貰ったりする機会がめっきり減ったと思う。それは流行や世事に疎い俺でも感じる大きな時代の流れの一つだろう。

 実際、メールの方が手っ取り早いので手紙を使用するのが少なくなるのも無理はない。自分に送られてくる手書きの便りは嬉しいものだが、やはり、メールの手軽さ、相手へと届く速さという魅力には逆らい難い。

 しかし、手紙の方が便利な場合も数少ないながら存在する。例えば、相手のアドレスを知らない場合とか。

「……今時、古風だな」

 瞳子との通話を終え、寮へと帰ってきた俺を待っていたのは下駄箱のなかに手紙が入っているという展開だった。ひと昔前のラブコメなら、すわ甘酸っぱい青春の一コマか?   となるが……。

「どう見ても、ラブレターの類じゃないな……これ」

 ──今夜、十時に学園裏にある日原山(ひはらさん)の公園に来てほしい。

 あて名はなし──あっても誰だかわからない可能性大だが──、どこにでもある封筒と便箋(と言うか、コピー用紙だな)、これでラブレターだったら個性的でインパクトはあるだろう。うまくいくかは別として。

 まず第一に日原山の公園ってどこだ? 学園裏ってことは山をさらに登るのだろうか? ……夜の山道を。転校生なんだからもう少しわかりやすく、それでいて無難な待ち合わせ場所をお願いしたかった。
 そうは言っても相手が誰だか不明である以上、文句の言いようがない。まぁ、無視するって手もあるわけだが、どうだろう?



「──少し、遅刻だな」

 相手の子が手元の時計を確認しながら言う。昼に食堂で会った生徒会役員のうち、髪を短くしたモデル体形の会計だ。名前はたしか──桐条飛鳥。

「転校生なんだからもう少しわかりやすい場所を指定してくれよ。ここまで来るのに、結構苦労したんだぞ」

 あの後、寮の生徒に公園の場所を聞いたはいいが、説明だけで広大な学園の敷地内からすんなりと目的地に辿り着けるはずもなく、余裕を見て一時間早く出たのだが、結局間に合わなかった。

「まだ校舎の裏なんて行ったことないから、道なんて知らないし、それに夜の学園って印象変わるだろ? 暗くて、道に迷うのなんの」

「それはすまなかった」

「台詞ほどすまなそうには見えないんだが……。   まぁ、いいや、それで俺にどんな用事が?」

「夜の裏山なら邪魔が入らない。……これでゆっくりと話ができる」

「……なかなか意味深な発言だな」

 あの手紙だから真っ先にラブレター説を否定したが、もしかしたら、もしかするのか?

「──御村優之助、この学園から去れ」

 んなわきゃなかった。

「まぁ……そう期待してなかったけどさ」

「? なんの話だ。……いや、いい、それで返事は?」

 どうやらこっちの心境はあまり気にしないことにしたらしい。だが、相手の出方如何に関わらないのはこちらとて同じだ。

「断る」

「即答だな。……この学園に来るまでにいろいろと噂を聞いてきたはずだ。生徒会に目をつけられると大変なことになると」

「だからって、いくらなんでも転校初日の晩に学園を辞められるか」

「後悔するぞ」

「そもそも、昼に食堂で生徒会に会った時から厄介ごとの予感はしていたさ。そこそこ覚悟はしているよ」

 ホントは瞳子に言われたからだけどな、と心の中で舌を出す。

「……そうか。ならば、なにも言うまい」

 そう言うと桐条さんはファイティングポーズをとる。その構えは軽く拳を握り、やや前傾姿勢。右左どちらからでも攻められるように体をどちらか一方に傾けることなく、ほぼ平行に体の位置を保っている。空手やボクシングでよく見かけるオープンスタンス。報告通りの典型的な打撃中心の格闘スタイル。……って、ちょっと待った!

「この期に及んでいったいなんだ?」

 不思議そうな顔の桐条さん。

「それ、マズイんじゃない?」

 学校が終わってから寮に戻らずここに来たのだろう。桐条は制服のままだった。つまり──

「――見えちゃうんじゃない?」

 その、つまり、……スカートの中が。

「? ……あぁ、別にかまわない」

 俺の言いたいことをようやく察したのか、大胆にもスカートをめくる。そこには──

「──スパッツ?」

 スカートの中は見まごうもなくスパッツだった。めくった瞬間、布地の色が黒だったものだから、ドキっ! としたが、なるほど、それならばたしかに安心だ。……安心か?

「だから大丈夫」

 スパッツを露出させたまま答える。いや、もうしまってくれ。充分に目の毒だ。

「別に見られて困ることはないが……」

 スパッツが体操着の一部という認識からなのか、男の視線に無頓着なのか、妙に大胆な桐条さん。なんかこの子、昼に会ったときより雰囲気違うんでないか?

「せっかくの申し出だが、なんかダメな人になりそうだからやめとくよ」

 すでに別の意味でダメな人になってるけどな、とはもちろん口に出さない。というか、出せない。

「おかしな奴だ。今から自分が転校させられるかもしれない瀬戸際だというのに……」

「おかしくはないだろ!   むしろなんで気にならない!?」

 スパッツだとわかっていても、スパッツだからこそドキドキするというか……いや、なんで自分の性癖を見つめ直さなならんのか。妙な方向に行きがちな思考と話題を首を振ることで軌道修正し、そして宣言する。桐条さんに、ひいては生徒会に。

「絶対に転校しないからな」

「……力づくで従わせる」

 従わせる、のあたりで少し楽しげなニュアンスを含ませる桐条さん。……もしかして軽くS入ってる? それにあわせて表情も心なしか、柔らかくなったような気がする。とはいえ、こちらも負けてはいられない。

「やってみな!」

 相手の強気な態度に触発されたようにこちらも攻撃的にそう言ってみる。その一方で内心少しだけ不安になる。……どうしよう……なんだか少し楽しくなってきた。

 なんとなく瞳子の計画通りに動かされているようで複雑な今日この頃だったとさ。



「──いくぞ」

 律儀にそう宣言しながら桐条さん──いや、桐条が滑るような足運びで間合いを詰めてくる。鋭い呼気とともに放たれる左ジャブ、そこからもう一度左、そこからジャブを戻す反動で右のロー。とりあえず相手の出方と力量を探ろうと攻める気がなかったのをお見通しのようで桐条に先手をあっさり許してしまう。

「ちっ」

 簡単に言えば、油断していたために容易く奪われた先制攻撃。これをまともに喰らったら、かっこ悪いにも程がある。とりあえず前に構えた両腕をジャブの迎撃にまわし、右のローは威力が乗る前に接近してダメージを減らす。

「……今のを軽く防ぐとはな。さすがに生徒を敵に回すだけはある」

 一旦、距離をとりながら、その表情に軽い驚きを浮かべる桐条。だが、むしろ驚いたのはこちらの方だ。

 昼に初めて桐条を見た時、その体つき──別にエロい意味ではなく──と会話からもそれは推察できた。だが、その中身は予想とは完全に別物だ。いわゆるフルコン系に見られるステップを挟む構えではなく、重心を低く保ちながら制御されたすり足は近代格闘とは概念の異なる技術体系に基づいている。つまり、

「……なんらかの古流をかじっているな?」

 これは確信。でないと、この若さでここまで見事な足運びの説明がつかない。

「よくわかったな」

「あれほどの動きを見せられればな。技の練度から見て、実家がそういう家なのか?」

「その通りだ。我が桐条家に代々伝わる武術──名は『古流・桐条式きりじょうしき』。……あくまで、手解き程度だがな」

 手解き程度なんて謙遜もいいところだ。ちなみに手解きとは、勉強や芸事などの基礎を教わるという意味であり、本来は柔道における初歩の初歩のことらしい。

「御村、おまえの方こそ何者だ?   ……意に沿わない命令だったが、正体に興味が湧いてきたよ」

 昼間に見た不協和音の一端だろうか、桐条からの呼び出しは生徒会──会長である天乃宮姫子の意図したものらしい。だが、そんなことは分かりきっていた話、むしろそれ以外の可能性を見いだそうとする方が難しい。

「興味を持たれたのは光栄だが、ペラペラ話すような中身なんてないぞ」

「……ここであっさり喋るならそもそもこんな事態にはなっていまい。それくらいわかるさ。だが、あいにく望まぬ仕事でも張り合いを感じたところだ。力づくで口を割らせてもらう」

「それ、さっきまでとなにが違うのさ」

「そうでもないさ、すぐ終わる」

 不敵にも瞬殺宣言する桐条。せっかくの宣言、申し訳ないが、さすがにこれ以上、先手を許すつもりはない。今度はこちらから反撃に出る──つもりだった。

「──『瞬撃しゅんげき』」

 しゅんげき? 桐条の唇の動きを頭の中で反芻させる。その迷いは一瞬のうち、桐条が俺との間合いを詰める。その重心移動と挙動は俺の視覚をそれはもう見事に謀り、ガラ空きになる部位を狙撃せんと拳を走らせる。狙いは──後頭部。

「──今の反応、見えているのか?」

 必倒であるはずの攻撃を防がれ、半ば呆然とした様子で桐条が尋ねてくる。よほど自信があったのか先程の驚きとは比べものにならないほどのリアクションを浮かべる桐条と吐息すら皮膚をなぞる近距離で体と拳が交錯する。

「いいや、見えたわけじゃない。その意味ではさっきの技の術中だったさ。だが、あいにく、は俺の数少ない自慢でね」

 空間把握能力という言葉がある。読んで字のごとく、対象との距離を正確に測れる能力でボクシングではパンチ力よりこちらが長けているかどうかが重要視される。俺は視覚に頼らず、その能力と同等の効果を両手を通じて発揮することができる。

「……なるほど、

 桐条が誰を連想したのか不明だが、思い当たる節は間違いないだろう。それを証明するように桐条がその単語を口にする。

「──異能者。ある地域では超能力者や超人の総称をそう呼ぶらしいな。私が出会ったのおまえで二人目だ」

 異能者。俺や瞳子の地元である時宮ではそう呼ばれる人種が数多く存在する。

 今は昔、その力を恐れられ、疎まれた人々が人を寄せ付けぬ地で里を築き、同じく追いやられてきた同族を受け入れ今日まで永らえた末裔が時宮市民だ。土地開発や交通整備により隠れ里はまったく隠れられなくなったわけだが、迷信に振り回されぬであろう現代人ですら裸足で逃げ出す奇跡は今なお変わらずに行使することができる。

「昼間の立ち回りはただの蛮勇ではなかったというわけだ。私の『飛燕脚』を見切れるのだから」

 桐条的には感心しているようだが、瞳子に軽率だと指摘された部分を強調して追い打ちをかけられた気分だ。微妙な気まずさをまぎらわすように初めて耳にした単語をオウム返す。

「『飛燕脚』?」

「『瞬撃』のキモとなる桐条式の歩法――というより『飛燕脚』で接近してただ殴っただけの代物が『瞬撃』だというべきか」

 謙遜するように控えめな説明だが、ただ殴ったという部分は後頭部への襲撃──より正確に言えば俺の首を支点に巻き込むような延髄への手刀打ち──はそれだけでも高等技術の反則だろう。

 だが、やはり桐条の言うとおり『瞬撃』とやらが技として成立しているのは古流武術による特殊な動き、『飛燕脚』にある。結果的に防いだとはいえ、体軸を崩さず、予備動作なしで前進する移動術はまともに見ようとすれば視覚誤認に陥っていたはず。

 再び桐条が駆ける。ノーモーションで間合いを詰めるその姿は脳トレでおなじみのアハ体験を生で味わされているようなもの、と言えばわかるだろうか。景色との差異を俯瞰で捉えてようやく距離間を詰められているのに気づく。もちろん、悠長に見ているだけでは反応は間に合わない。相手に行動を読ませない──武術として、もっとも基本でもっとも理想で奥義とすらされる技術。それを直進のみとはいえ、苦もなくやってのけたのだ。異能抜きでは、とうの昔に沈められていただろう。

「──やはり、まぐれではないようだな。完全に私の位置を把握している」

「なにせ、自慢の“手”だからな。把握するのはお手の物……なんてな」

「なるほど、だが、私にはこれしかなくてね」

 俺の安い冗談を流し、苦笑とも微笑ともとれる表情を浮かべるのはどんな心境ゆえだろうか。その宣言通り、『飛燕脚』に固執する桐条。

 改めて、見事な技量だと思う。初動がまったくわからない。動いたことに気づいた時には、相手の攻撃をもらうところまで接近されている。ただし、それは視覚の上での話。例え近づかれても俺の手は桐条の位置を逃さない。また、挙動が読みにくくなった分、一足の幅はけして広くない。有り体に言えば、速さそのものは緩やか、いっそ遅いと言ってくらいだ。視覚と距離を誤魔化されなければ対応そのものは難しくない。桐条にもそれはわかっているはずなのだが、『飛燕脚』以外の選択肢を選ばない。まるでそれしか知らないように。

「──おまえの想像する通りだ」

 俺の表情から察したらしく、内心で立てた推理を肯定する桐条。それにとどまらず、油断なく距離を保ちながらこちらが聞きにくい事情を滔々と語り出す。技を見破ったことへの敬意か、もしくは一方的に呼びつけたことへの彼女なりの詫び代わりなのだろう。どちらにせよ、律儀なものだ。

「古流・桐条式歩法、『飛燕脚』は桐条式における基本一つであり、私が桐条式で唯一、再現できる技だ」

「……再現?」

 ニュアンスに微妙な引っかかりを覚える。

「手解きですらなかったのさ。父達の稽古を盗み見て、十年掛けて習得した」

 門前の小僧習わぬ経を読む、というやつだろう。だが、いくら環境が整っていたとしても、そこまでの技術を独学で得るなんて、すごい執念だと思う。しかし、それでは継承者であるところの父親に手解きどころか、一切、教わることを許されなかったらしい。

「──弟がいるんだ」

 ──あぁ、だから父“達”か。その声色は初対面で見受けられた硬質さはない。ただ、少し触れただけで淡く崩れそうに儚く響く。語る自分がどんな顔をしているのか気づいた桐条が取り繕おうとするが、なかなかうまくいかない。

「(……そんな表情をするくらいなら話さなくてもよかったろうに)」

 損な性分だと思う。出会って間もない相手が被った理不尽の詫びに自分の柔らかい部分をさらけ出すなんてどう考えても釣り合いのとれる話ではない。しかも自分自身、好き好んで手を汚しにきたわけでもないのだからなおさらだ。

 それでも身の上話を続けようとする桐条。その姿を見て理解する──こいつは似ているんだということに。

「──生まれながらに『桐条式』を継ぐことを定められ、それを受け入れた弟、自分の全てを息子へとただただ一心に受け継がせようとする父、そして、その二人を陰ながら支える母。ならば、かれらにとって私はなんなのだ? 昔からそう思っていた。……嫌になるほどな。『飛燕脚』を独学で得たのも、地元の学校で空手部に入ったのも、自分をどうにかしたい一心でだった。そんな私に転機があったのは、中二の冬のこと。私の空手で残した実績を知った天乃原学園から誘いが来た」

 瞳子からの情報によると、空手をはじめて一年足らずで全国へと行ったらしい。その中学空手界脅威の白帯として一躍有名となった桐条をスポーツ特待生として天乃原学園が勧誘したのは、極々自然な流れだったのだろう。

 他の私学の例に漏れず、天乃原学園でもスポーツや文化活動などにおいて、優秀な成績を収め、かつ入学後もその活躍が期待できる優秀な生徒や学生、いわゆる特待生の確保が積極的に行っている。また、この件に限らず、一般的な話として、学園側の了解と金銭面さえクリアされれば、親の同意・協力がなくても高校への入学は可能だ。桐条の場合、生活費の出所は不明だが、それほど荒唐無稽なケースではない。問題は、それを実行できるかどうか、のみである。そしていま現在、ここでこうやって話をしているということは……、

「皮肉だと思ったよ。家族に興味を持たれなかった私が全国でも有名な天乃原学園が目をつけたのだからな。だが、両親はなぜか天乃原学園への入学には反対だった。私に対して、初めて親らしい反応をしてくれたことが嬉しくて──それを嬉しいと感じた自分が情けなくて、なかば意地で反抗して、ほとんど家出に近い形でこの学園に入学した」

「(……実際にやったのだから、すごい行動力だな)」

 言葉にすると数分ほどの内容だが、その行動力といい、覚悟といい、並大抵のことではない。ここまで必死な自己主張も今や珍しい。だが、無理もないと思う。家族に甘えることができなかった桐条にゆとりなど皆無だったのは想像に難くない。

「だから、御村。私はここで引くわけにはいかない。望まない命令に従ってでも、他人を理不尽な目に巻き込んだとしても、まして死にものぐるいで会得した唯一の技が通用しないとしても、穏当な結末は許されない。 ──」

 そこで一度区切りを入れる桐条。浅く息を吐き、一拍。どこか吹っ切れた様子で清々しくも宣言した。

「──遠慮なく、私を打ち据えてくれ」

 もう言葉はいらなかった。桐条の両の足が“居つかぬ”ことで無駄な踏ん張りもなく前へ前へと距離を詰めてくるのが手を通じてわかる。指を舐めて風の吹く方向を感じ取る、誰もが一度くらい試した実験こそ桐条の動きを察知し得た正体。そして──

「『影縫かげぬう手』」

 ──桐条を止めるべく、“異能”を発動させた。

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