きみのその手はやさしい手
第5話
*
「それにしても、さっきは本当に驚いたわ。まさか平井さんのあんな姿を見られるなんて。いつもあんな感じならモテるのに、もったいないわよ」
昼食を終えて、生徒会室に戻ってきたこの私、天乃宮姫子は暇つぶしに食堂で起こった出来事をダシに副会長をからかう。もともと、私と副会長は精々生徒会の仕事で顔を合わせる程度の間柄だ。副会長として優秀なのを認めているし、その仕事も信頼しているが、正直、関係は良好とは言い難い。
そもそも、副会長は生徒会で仕事をしている時以外でも、今のようなクールというかドライな態度で、憧れている生徒は多いが親しい生徒はいないはずだ。だから、昼での出来事は、からかい続けている今でも内心は新鮮な驚きでいっぱいだった。
「必要ありません」
食堂の出来事とはうって変わって、生徒会が誇る喜怒哀楽の薄い副会長の淡々とした反応。直接見ていた私ですら、同一人物かと疑いたくなる。
「そっけないわね。御村優之助って言ったっけ? お昼を同席した男子生徒。あの男子の前でとは大違い。……あぁ、彼ひと筋ってやつね。健気ねぇ」
「そんなことより会長。後回しにしていた資料に目を通してください。会長のサインが必要な書類が山積みです」
こうあっさり返されると面白くない。それならば、これならどうだ。
「桐条さん。あの転校生を"矯正"しなさい」
「!」
「……なぜだ?」
私の発言に顔を歪ませる副会長と"お願いされた"桐条さん。そうそう、そうでなきゃつまらない。
「なんでって、凛華も食堂で言ったでしょう? この学園の生徒は一週間もすれば生徒会に逆らわなくなる。丁度いい機会じゃない。生徒会への態度を教育するのに」
「昨日今日、転校してきた生徒に対していきなり過ぎる。なにもしていないのなら尚更だ」
「じゃあ、昼の件で生徒会に反抗の疑いありということで……」
「ふざけるな」
桐条さんの声に険が帯びる。普段から私の"お願い"が気に食わないからか、彼女が不機嫌だったことは、そう珍しくないけれど今日は特にそれが顕著だ。
「今日は特に反抗的ね。もしかしてあなたも御村ってのに惚れた?」
私の再三のからかいに桐条さんの雰囲気がさらに剣呑なものへと変わっていく。とはいえ、私もそろそろ彼女を相手にするのに飽きてきた。
「桐条さん。いい加減ごねるのはやめてもらえない? いくら生徒会の人間でも私に逆らうのは許さない。これ以上、反抗するなら……」
その先は言わなくてもわかっているようでさっきまでの勢いが幾分か失っている。とりあえず、これ以上の反発はなさそうなので話を続ける。
「改めて命令するわ。天乃原学園高等部生徒会会計、桐条飛鳥。重要危険対象として二年C組、御村優之助を粛清なさい。期限は二日、明後日の朝にある全校集会まで。粛清対象はまだまだ日に日に増えているんだからさっさとお願いね。そろそろ潰しておきたいのも他にいるし……」
「……」
「返事は?」
「……わかった」
「ん……態度がいまいち気に入らないけど、いいでしょう。これでも一応、あなたのことを認めているのよ? だからそんな態度でも許しているのだから」
これ以上私と話したくないのか、さっさと生徒会室から出て行く桐条さん。多分、明後日と言わず明日の朝には報告してくるだろう。ゴネにゴネて実行に移るまで時間が掛かるのが玉に瑕だけど、いざ行動するとその仕事はとても速い。そういう所も彼女を認めている理由の一つだ。ただ、自分で命令しておいてなんだけど、副会長がベタ惚れしている男子を叩きのめしてしまうと、後でややこしいことになりそうだ。……個人的には面白いけれど。
「……かまいません。その代わり、どうなっても知りませんよ?」
私の考えていることがわかっているようで先手を打ってくる副会長。でもどうなって、の件はむしろ私の台詞だ。
「本当にいいのかしら?   一度覚悟を決めたら桐条さんは手を抜かないわよ」
「あなたの気まぐれで起きたトラブルのフォローをしてきたのは誰だと? 今更、どうとも思いませんよ」
「そうじゃなくて! ……心配じゃないの?」
副会長のあまりにも平然とした態度に本当に変な話だけれど、なぜか私の方があたふたする。普通は惚れた相手が危機に遭っていたら心配するはずではないか?
「? ……あぁ、そういう意味ですか」
その可能性をまったく考えていなかったのか遅まきながら気づいたようだ。こう言ってはなんだけど昼食の一件から副会長が変だ。昼はもう恋する乙女といった感じで、普段の彼女を知っている生徒会の、いや学園の誰もが驚いたと思う。
なのに今の彼女はあの転校生を心配する素振りを見せない。それどころかあんな命令をした私を止めようとしない。私は単に『氷乙女』が必死で止める光景が見たかったから言ってみただけで、本気でそんな指示を出すつもりはなかった。
けれど、桐条さんの態度と副会長が特に止めるような素振りを見せなかったので本当に実行してしまったのだ。正直、転校生君には悪いことをしたかな、という気持ちもないわけではない。まぁ、そこは運が悪かったということで諦めてもらおう。そういう風に自己完結した私の考えに気づいているのか、いないのか副会長が続ける。
「心配……というより申し訳のなさなら感じていますよ。──わかっていたとはいえ、優之助さんが望まぬ方向に進んでいるという意味で、ですが」
「?」
やはり副会長が変だ。変といえば、些細ながらもう一つ、なんとなく疑問に思ったことを口にしてみる。
「──ねぇ。どうして同級生にさん付けなの?」
*
「──予想はしてたけど、もう生徒会とひと悶着おこしちゃったか」
それが昼食での一件からその後、黙々と午後の授業を消化した俺の携帯にかかってきた電話の第一声だった。
仕事用に手渡された端末から流れる声色から、通話先の表情が容易く想像できそうなくらいに悩ましげな瞳子に俺はなにも返すことができない。
普段ならば、不可抗力みたいなものだと言い訳したくもなるが、事前に迂闊だと指摘されていては何を言っても見苦しいだけだ。……ん? 予想してた、だと?
「あなたのことだからね、面倒事を起こすのは覚悟してたわよ。でも、まさか登校初日でこれとは……正直、油断してた」
「油断してたのはこっちも同じだ。仕事内容を考えればもう少し目立たないように振舞うべきだったのにな。悪かった」
「ううん。多分、どうやっても生徒会とは揉めることになるんだし。その予定がちょっと早まっただけのことよ。気にしなくていいわ」
「おい、ちょっと待て。揉めるのはよかったのかよ!」
ヘマした俺が言うのもなんだが、それはスパイとしてはどうなんだ? いや、それより生徒会と揉めさせるつもりだった、ってなんだ? まさか──
「──おまえ、俺をスパイとしてこの学園に呼んだってのはウソか?」
「望む、望まないに関わらず、あらゆる揉め事に巻き込まれるあなたが潜入・調査要員として不適格なのは、最初から織り込み済みよ」
あっさりと俺の疑惑を肯定する。ここまでの前振りやら釘刺しやらはいったいなんだったのだろうか。唖然とするしかない。
「……報告によると、あなたが生徒会と揉めた切っ掛けは、昼食の席取りだったんですってね」
「あぁ。……それが?」
「混雑した中にあって、見晴らしのいい席だけが不自然に空いている。……普通、おかしいと思うわよ。この学園の異常性を知っていれば、なおさらね。なのにあなたは、なんの躊躇も気負いもなく、その席を使う──これで目立たないっていうのなら、どんなことをすれば目立つというのか、私が知りたいわ」
「ほじくるなよ。悪かったって」
「だから、責めてないわよ。そうなることをある程度予想していて、それでもあなたをこの学園につれてきたのはなんのためだと思う?」
ここまで言われるとなんとなく理解する。それはつまり、
「生徒会を潰す気か? 瞳子」
俺の素性は、表向きどこにも属さない一般生徒だ。生徒会に対して、仕掛けても、仕掛けられても、瞳子側には被害は出ない。
「それも可能性の一つではあるわね」
「……いい加減、どうして欲しいのか、はっきりしてくれないか?」
「そうは言っても、ここまで来て辞めるという選択肢はないわよね? なら、私の事情なんてどうでもいいじゃない。生徒会と敵対したって、問題はないでしょう?」
たしかに瞳子が俺をこの学園に呼んだ思惑が生徒の更生のためだろうと、それ以外の理由だろうと、俺にとって大差はない。瞳子の言うように生徒会と事を起こしても、それ自体は俺が学園に来た理由と大きく外れてもいない。しかし──
「──わかっているだろ? 俺達は卒業して三年、場所も違えば、俺達がバカ騒ぎしていい時代は終わってるんだ。たしかにこの学園の生徒会はやり過ぎなんだろうし、調査なりなんなりを手伝うのはやぶさかじゃない。でもそれ以上となると話が違うんでないか?」
「……随分とものわかりのいい発言ね。妹達のためにわざわざ年齢を誤魔化して高校生を演じている人と同一人物とは思えないくらいよ」
携帯越しで聞こえる瞳子の皮肉がとてつもなく耳が痛い。誘った張本人に皮肉られるという部分だけは釈然としないが。
「……まぁ、揚げ足取りはこれくらいとして。現実問題、なにもしないでいいというわけにはいかないの。動機や経過、ここに至る手段のきれい汚いはともかく今のあなたはこの学園の生徒。学園の出来事に当事者が介入してなにか問題があるかしら?」
「それは、まぁ……一理あるか。いやしかしな──」
「──それにあっちからちょっかいを出してくるわよ。早くて、今日中にも」
「今、なんと?」
「だから、生徒会が、早くても、今日中に、襲ってくるわよ」
「おい、なんか物騒になってるぞ!?   なんでだよ!」
「露骨な反抗ではないにしろ騒ぎを起こしたのよ? あんな生意気なのを許していたら生徒会が舐められるというわけで……。実際、生徒会長の通行を少し阻んだって理由で先週も生徒数人が全治一週間のケガを負わされたし」
「信じらんねぇ……」
チンピラじゃあるまいし、道を阻んだだけで全治一週間って。そんな調子なら、下手すれば偶然目が合っただけでも因縁をつけられそうだ。
「優之助。私は伊達や酔狂であなたをこの学園に呼んだわけじゃないわ。この学園は洒落にならない所よ。暴君のような生徒会、刀を持った生徒、特権による生徒間の摩擦、そしてそれ以上の大人との壁、挙げていけばきりがない。手に負えないとすら思っている。正直、こちらとしては奇麗事で解決できるとは思っていないのよ。だから、あなたを……御村優之助をこの学園に呼んだ」
「……」
「ひとまず、話はここまでにしましょうか。今のあなたとはいつまで経っても平行線にしかならないわ。優之助、あなたがこの学園の状況をもう少し知ってからじゃないとね。そうねぇ……、次に会った時にでも、答えを聞かせてもらいましょうか。生徒会、ひいてはこの学園をどうするかを……ね?」
どうするか、の辺りでスピーカーから聞こえる瞳子の声が小さくなる。どうやら本当に話を打ち切るつもりのようだ。一方的に予定をまくしたてた瞳子からすれば、要件を済ませたつもりなのだろう。いつものことだ。諦めて、携帯を耳から離す。
「……優之助」
携帯から微かに聞こえる瞳子の声に切ろうとした手を慌てて止める。
「なんだ? ……話は終わりじゃなかったのかよ」
「……本当にこのまま、ものわかりのいい兄でい続ける気かしら?」
「?   まだそれを引っ張る?   っていうか、なぜここで兄付け?」
「あら、筋金入りのシスコンだって自覚はなかったの?」
「……家族を心配してなにが悪い」
「その開き直りかたは昔のあなたっぽくて素敵よ。でもその気がないなら仕方ない、いつまで体裁が保っていられるか楽しみにしてるわ」
そう言い捨てると、今度こそ、通話が切れる。残された俺は瞳子の言葉の意味を計りかね、立ち尽くす。あの腹黒女はなにが目的で俺をこの学園に引っ張り込んだのか、このまま穏当に収まりそうにない状況でなにをさせるつもりなのか、ただ一つわかることがあるとすれば──
「──あまりろくでもないことになりそうだってくらいか」
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