きみのその手はやさしい手
第2話
その後、ファミレスを出た俺と瞳子は善は急げとばかりにその足で当真の実家へ向かうことになった。というか強引に連れ去られた。“丁度よく”実家にいるはずの天乃原学園理事長に会うためだ。そして当真の本家に着くなり、まるですでに話がついていたかのようにそのまま面接を受けることになった。手際よすぎだろ──などという類の突っ込みは逆に間抜けに違いない。
説明が遅れたが理事長にとって瞳子は自分の姉の娘でつまるところ叔父と姪の関係にあたる。姪には大甘な人物で出会い頭に「この子は嫁にやらんぞ」的な目で睨まれた時には早くも話を受けたことを少し後悔した。……話を戻そう。面接自体は瞳子の紹介ということもあり形式的なものだった。その席で、
給料──年俸一千五百万円を十二分割で支払い(強引に休学やバイトを退職させた事への迷惑料が上積みされた)。
学園での仕事内容──学園に潜入し、学生の視点から調査・報告。バレた時、あるいは当真の関与が疑われそうだと依頼主が判断した場合、即座に中止。学園が俺を追及した場合、当真家は一切関知しない(ただし、次の職の斡旋や何らかの前科がついた場合のフォローはする。それについては後ほど)。
編入先でのプロフィールの説明──編入先は二年C組(つまり、契約期間は最長でも卒業式までの一年)。プロフィールはボロが出にくいように俺の高校時代をそのまま流用、もちろん本名もそのままという戸籍を用意(前科がついた時など俺に回るリスクを最小限にする為の措置。当真家にとって偽の戸籍を用意くらい朝飯前)。
といった打ち合わせを行い、その日は終わった。その後、潜入目的とはいえ入学する以上、時宮を離れるため、友人に転居の挨拶周りだったり(その際に地元の後輩に散々泣かれてなだめるのに苦労したりもしたのは別の話)、新しい生活の準備に追われ、あわただしい数日間となった。そしてファミレスでの話し合いから一月後──晴れて俺は天乃原学園高等部の生徒となった。
「──暑いな」
暦は三月の中旬。春という季節の中でも冬の名残がまだかすかに感じられる時期である。そんな中、俺の呟きは季節感がない発言なのだが。
「……こんなに日差しがいいと冬服じゃあそうなるよな」
時期はともかく、例年より気温が高い上に、そこそこ長い山道を登るとなるとまったく逆の感想になってしまう。
俺が今身に付けているのは、天乃原学園の制服。ネクタイの色は高等部を示す青、そしてラインの数は二本。高等部の二年生という意味だ。
いわゆる小中高一貫校、ついでに大学付属でもある天乃原学園では青を基調としたブレザータイプの制服に合わせるネクタイやリボンの色とプリントされたラインの本数で学年がわかるようになっている(さすがに大学は私服なのでそういった区別の方法はない)。
どう控えめに言っても山登りに向いているファッションではないのは一目瞭然なのだが、それでもこんなことになっているのは、
「ちくしょう、瞳子のやつ、迎えを、寄越すって、言ってた、のに」
息も絶え絶えに山道を歩かせる原因であるところの友人に恨み言を吐く。向こうが指定した待ち合わせ場所でいくら待っても迎えのむの字すらこない上、携帯も繋がらず、結局、約束した時間から二時間もオーバーして、これ以上待つのはもはや無駄だと判断した俺は、駅員に行き先への道順を聞いて目的地のある山の麓まで辿り着いた。
目的地は山の中腹に建てられており、バスが通るための道路が整備されてはいるが行き先の都合上、週に数えるほどしかバスは走らないらしい。運悪く走らない日だったため、今現在、汗だくになりながら山道を登る羽目になったというわけだ。
「鈍った体には丁度いいか」
などと慰めに思ってみるも、易しくない道のり。登山というほどハードなものではないが、本来ならば直通のバスで通うところを徒歩で行くというのは、些かキツイ。
山道は目的地に真っ直ぐ通っているわけではなく、まるで峠の走り屋達が競うためじゃねぇの? と思うほどに曲がりくねっていて、もうかれこれ二十回はカーブを曲がった。……こんなにカーブを作る必要あるのか?
時計を見ると昼の二時を指している。駅を降りたのが朝の七時だから迎えを待った時間を差し引いて、五時間も歩きっぱなしという計算だ。手元には財布と身の回りのもの数点を入れた鞄だけ。……事前に荷物のほとんどを行き先に送っておいて正解だった。
「もう……そろそろ目的地が見えてもいいはず……だろう?」
別に誰かが答えてくれることを期待したわけじゃないが、少しでもポジティブに独り言でも言ってないといい加減挫けそうになる。
それに答えたわけではないだろうが、ふと顔を上げると青々しく茂る山の木々の間に自然ではありえない光沢を纏った灰色――人工物だ。遠目からではあるがようやく壁のようなものが見える。
「あれ……だな。……多分」
迎えが来なかったから、こんな苦労をしてきたわけだが、それでもこうして自力で辿り着くとなんとなく達成感がこみ上げてくる──だからといって迎えが来なかったのを許したわけじゃないが。
しかし、だんだん壁? が視界のほとんどを埋めていくにつれ、達成感の代わりに疑問の成分が頭の中を占めていく。本当に目的地で合っているのか? あれ。なんというか外界だけでなく中に住む人間をも外から隔絶する刑務所の壁に近い。俺が目指す目的地からは真逆のイメージの建物だ。
疑問は建物に近づけば近づく分だけ大きくなり、ようやく今歩いている道路とその建物が結びつけられる線が見えてきた頃には疑問から不安に変わってきた。
「……ここは本当に日本か?」
まるで要塞か西洋の城のような門を前に呆然としながら呟く。この非常識な光景は先ほどのちょっとした達成感を根こそぎ奪われるほどに異様で、できることならこのまま回れ右をして帰りたいくらいだ。
「俺……なんでここにいるんだっけ?」
いや、そんなことはわかっている。ここに来ることを決めたからだ。いつまでも現実逃避していても仕方がない。とりあえず、本当にここで合っているのか門の横に立派に掲げられている表札を見る。表札には、『私立 天乃原学園』の文字。……うん、大丈夫だ。合っている。……なにが大丈夫かわからんけど。
ここは私立天乃原学園の正門前。そう、ここは学校なのだ。だが、その目の前にあるのは恐ろしくものものしい門構え。本当に学校なのか? 改めて疑わしい。両端も高い壁に覆われ、どこまで続いているのかここからでは確認できない。
ある意味、見た目通りと言うべきか監視カメラが至るところに目を光らせている。詳しくは知らないが他にもいくつか仕掛けられているらしい。軍隊でも攻めてくるのか、と思ってしまうほどのものものしい外観だ。
初等部から付属大学まで存在する天乃原学園は高原市のあちらこちらに学園の施設があり、高等部は高原市の北側ある日原山を切り開いて校舎を建てており、山丸々一つ分が高等部としての学園の敷地らしい。全て含めると、市の六割強が天乃原学園の関連施設らしく、学術都市と呼ばれるのも、むべなるかなである。
そんな学園都市にあって高等部の制服を身にまとっているのだ、傍目から見て、俺がこの学園の生徒だということがわかると思う──というか見えないと困る。
内心、高校生を装えているか自信がない。自信がないから落ち着かない、落ち着かないから挙動不審に見える(と被害妄想が発動する)、挙動不審なのを自覚しているから堂々と高校生になりきる自信がわいてこない。そんな悪循環に陥っている。
「俺、二十歳超えてるんだよなぁ……」
ため息交じりに人に聞かれれば間違いなく怪訝な顔をされるであろう発言をしつつ、天を仰ぐ。このところ、このように素というか思考が生々しく現実に帰ることが頻繁にある。
この年で学生服に袖を通すなどというコスプレまがいの姿を大勢の高校生に見られるという日々がはじまるのだ、と言えば察してもらえるだろうか。有り体に言えばとてつもなく気が重い。
とはいえいつまでもウジウジとしているわけにはいかない。話を受けることにした以上、覚悟を決めるべきだ。
胸に秘めた決意──まぁ、そこまで大袈裟なものでもないが──と共に顔を上げ、学園の敷地へと歩を進める。校門というにはあまりにも物騒な門構えまであと十数歩。
「──あん?」
「や、優之助。待っていたわ」
いつの間にいたのやら、瞳子がなぜか挑戦的な眼差しをさせながら門の向こう側で立ち塞がっていた。
「改めてようこそ、天乃原学園へ。学園はあなたを歓迎するわ」
「なにが『待っていたわ』だよ、それはこちらの台詞だ。そうだ! 迎えだよ、迎え。迎えはどうした! 朝には駅に着くって言っただろ! 連絡しても繋がんねぇし、結局ここまで来るのに五時間だぞ! 五時間! 迎えを待っていた時間足したら七時間!」
今までの不満を込めてまくし立てる俺。そんな俺に対して、瞳子の反応は、
「……そう言えばそうだったわね。忘れてた。ごめん」
今、気づいたかのようにあっさりと謝る瞳子。そのあっさり具合があまりに絶妙でこれ以上、怒るに怒れない。あんまり引っ張ると器が小さいみたいで負けたみたいな気分になる。って、いや別に勝負しているわけでもないが。
それに俺としては待たされたことを追求するよりも先に突っ込まなければならないことがあったからだ。それは──
「──なんで制服なんだ?」
正門を通さないとばかりに仁王立ちする瞳子は俺と同じく青がベースのブレザータイプの制服。違いがあるとすれば、ズボンがスカートにネクタイがリボンになっているくらい。そしてリボンの端にラインが二つ──高等部二年生の証。
「そんなの決まっているじゃない。"編入"するのよ、私もね」
「聞いてないんだけど……」
「言ってないもの」
「……はっ、まさかおまえ、俺を巻き込んだのって一人じゃ恥ずかしいからだろ!」
「理由の一つではあるわね」
なにが理由の一つか。それが嫌で道連れを作りたかったに違いない。
「しかしいいのか? 当真家の人間が関与するのはまずいって言ったのおまえじゃないか」
「傍観者に徹するから大丈夫よ。もっと正確にいえばあなたの監査役ってところかしらね」
「おいおい物見遊山かよ」
なんというかバイト先で冷やかされているような気分だ。ただ一方で、先に派遣された関係者への配慮もあるだろうし、天乃宮家側を刺激せず内情をより深く知ろうとするなら俺の監査役として潜入した方がいい。そう考えれば納得できる部分がある。それに──
「──まぁ、おまえの方でもかなり待っていてくれたみたいだしな」
よくよく考えたら、今、校門の前にいるということはこいつも俺を出迎えるために朝からずっと立ちっぱなしだったのだろう。
そんな演出のするくらいなら迎えを出したかどうかに気づけよ! とか、こいつ何時間突っ立ってたんだ? アホだろ? とか、いろいろ脳裏を駆け抜けたがそれについては黙っておくことにした。
「……? ……あぁ! ううん、私は優之助が来るまで寮にいたわよ。部屋の模様替えとかあったし。でも優之助がくるかどうか学園の警備部の報告待ちだったから、そういう意味では待っていたといえなくはないわね」
「……」
考えたら負けだ。気を取り直していこう。
「んで、今からどうすればいいんだ? なにもないなら、寮に案内してほしいんだが」
送った荷物を片付けないといけないし、なにより疲れた。
「あっ、ちょっと待って」
今度はなんだ? 見ると、瞳子が校門の周りをうろちょろしている。どうやら、何かの立ち位置を確認しているみたいだ。何かってなんだよ?   と聞かれたら、んなもん本人に言えよと返す程度には不可解ではあるが。
「ええと、この辺りかしら」
十秒ほど、あちこちうろついて、ようやく納得できるポイントを見つけたようで、俺を置いてけぼりにしたまま、芝居掛かった仕草で何事かをのたまう。
「──この学園では外の常識は通用しない。一歩踏み出すともう後戻りはきかず、あらゆる苦難が待ち受けるわ。それでもあなたは踏み出すというの?」
どうやらさっきの答えが出たようで、立ち位置確認からの数十秒はこのアホな寸劇のためらしい。
「じゃあ、帰るぞ」
「ちょっ、待った! 待った! ん、もう、ノリが悪いわね。せっかく悪の巣窟に立ち向かおうする勇者の歓迎っぽくしたのに」
「そんな演出はいらん!」
普通に歓迎してくれ! 普通に。
「でも、あながち的外れではないわ。この学園はある意味、悪の巣窟よりもタチが悪い。一言で悪だと断じることができるならどんなに楽か。悪党と違って生徒を叩きのめすわけにはいかないもの」
いきなりシリアスになるなよ。リアクションに困る。
「たしかにそんな解決は無理だな」
それができれば俺が引っ張り出されることもなかっただろうに。人知れずため息が出る。
「期待しているわよ優之助」
「まぁ、ここまできたんだ。学園に潜入して諜報活動なんてレアすぎる経験を楽しませてもらうさ」
覚悟を決めたせいか気持ち足取りが軽い。そうさ、こうなりゃ楽しまないと損だ。そう開き直る俺の後ろで瞳子が呟く。
「──諜報活動だけしてもらうなんて言った覚えはないんだけどねぇ」
なにか不吉なことを言われた気がするが、腹を括った──開き直ったともいえる──俺はまったく気にならない。気にした方がいいのだとわかってはいたが、無駄だと思うので気にしないことにした。すでに賽は投げられたのだから。
説明が遅れたが理事長にとって瞳子は自分の姉の娘でつまるところ叔父と姪の関係にあたる。姪には大甘な人物で出会い頭に「この子は嫁にやらんぞ」的な目で睨まれた時には早くも話を受けたことを少し後悔した。……話を戻そう。面接自体は瞳子の紹介ということもあり形式的なものだった。その席で、
給料──年俸一千五百万円を十二分割で支払い(強引に休学やバイトを退職させた事への迷惑料が上積みされた)。
学園での仕事内容──学園に潜入し、学生の視点から調査・報告。バレた時、あるいは当真の関与が疑われそうだと依頼主が判断した場合、即座に中止。学園が俺を追及した場合、当真家は一切関知しない(ただし、次の職の斡旋や何らかの前科がついた場合のフォローはする。それについては後ほど)。
編入先でのプロフィールの説明──編入先は二年C組(つまり、契約期間は最長でも卒業式までの一年)。プロフィールはボロが出にくいように俺の高校時代をそのまま流用、もちろん本名もそのままという戸籍を用意(前科がついた時など俺に回るリスクを最小限にする為の措置。当真家にとって偽の戸籍を用意くらい朝飯前)。
といった打ち合わせを行い、その日は終わった。その後、潜入目的とはいえ入学する以上、時宮を離れるため、友人に転居の挨拶周りだったり(その際に地元の後輩に散々泣かれてなだめるのに苦労したりもしたのは別の話)、新しい生活の準備に追われ、あわただしい数日間となった。そしてファミレスでの話し合いから一月後──晴れて俺は天乃原学園高等部の生徒となった。
「──暑いな」
暦は三月の中旬。春という季節の中でも冬の名残がまだかすかに感じられる時期である。そんな中、俺の呟きは季節感がない発言なのだが。
「……こんなに日差しがいいと冬服じゃあそうなるよな」
時期はともかく、例年より気温が高い上に、そこそこ長い山道を登るとなるとまったく逆の感想になってしまう。
俺が今身に付けているのは、天乃原学園の制服。ネクタイの色は高等部を示す青、そしてラインの数は二本。高等部の二年生という意味だ。
いわゆる小中高一貫校、ついでに大学付属でもある天乃原学園では青を基調としたブレザータイプの制服に合わせるネクタイやリボンの色とプリントされたラインの本数で学年がわかるようになっている(さすがに大学は私服なのでそういった区別の方法はない)。
どう控えめに言っても山登りに向いているファッションではないのは一目瞭然なのだが、それでもこんなことになっているのは、
「ちくしょう、瞳子のやつ、迎えを、寄越すって、言ってた、のに」
息も絶え絶えに山道を歩かせる原因であるところの友人に恨み言を吐く。向こうが指定した待ち合わせ場所でいくら待っても迎えのむの字すらこない上、携帯も繋がらず、結局、約束した時間から二時間もオーバーして、これ以上待つのはもはや無駄だと判断した俺は、駅員に行き先への道順を聞いて目的地のある山の麓まで辿り着いた。
目的地は山の中腹に建てられており、バスが通るための道路が整備されてはいるが行き先の都合上、週に数えるほどしかバスは走らないらしい。運悪く走らない日だったため、今現在、汗だくになりながら山道を登る羽目になったというわけだ。
「鈍った体には丁度いいか」
などと慰めに思ってみるも、易しくない道のり。登山というほどハードなものではないが、本来ならば直通のバスで通うところを徒歩で行くというのは、些かキツイ。
山道は目的地に真っ直ぐ通っているわけではなく、まるで峠の走り屋達が競うためじゃねぇの? と思うほどに曲がりくねっていて、もうかれこれ二十回はカーブを曲がった。……こんなにカーブを作る必要あるのか?
時計を見ると昼の二時を指している。駅を降りたのが朝の七時だから迎えを待った時間を差し引いて、五時間も歩きっぱなしという計算だ。手元には財布と身の回りのもの数点を入れた鞄だけ。……事前に荷物のほとんどを行き先に送っておいて正解だった。
「もう……そろそろ目的地が見えてもいいはず……だろう?」
別に誰かが答えてくれることを期待したわけじゃないが、少しでもポジティブに独り言でも言ってないといい加減挫けそうになる。
それに答えたわけではないだろうが、ふと顔を上げると青々しく茂る山の木々の間に自然ではありえない光沢を纏った灰色――人工物だ。遠目からではあるがようやく壁のようなものが見える。
「あれ……だな。……多分」
迎えが来なかったから、こんな苦労をしてきたわけだが、それでもこうして自力で辿り着くとなんとなく達成感がこみ上げてくる──だからといって迎えが来なかったのを許したわけじゃないが。
しかし、だんだん壁? が視界のほとんどを埋めていくにつれ、達成感の代わりに疑問の成分が頭の中を占めていく。本当に目的地で合っているのか? あれ。なんというか外界だけでなく中に住む人間をも外から隔絶する刑務所の壁に近い。俺が目指す目的地からは真逆のイメージの建物だ。
疑問は建物に近づけば近づく分だけ大きくなり、ようやく今歩いている道路とその建物が結びつけられる線が見えてきた頃には疑問から不安に変わってきた。
「……ここは本当に日本か?」
まるで要塞か西洋の城のような門を前に呆然としながら呟く。この非常識な光景は先ほどのちょっとした達成感を根こそぎ奪われるほどに異様で、できることならこのまま回れ右をして帰りたいくらいだ。
「俺……なんでここにいるんだっけ?」
いや、そんなことはわかっている。ここに来ることを決めたからだ。いつまでも現実逃避していても仕方がない。とりあえず、本当にここで合っているのか門の横に立派に掲げられている表札を見る。表札には、『私立 天乃原学園』の文字。……うん、大丈夫だ。合っている。……なにが大丈夫かわからんけど。
ここは私立天乃原学園の正門前。そう、ここは学校なのだ。だが、その目の前にあるのは恐ろしくものものしい門構え。本当に学校なのか? 改めて疑わしい。両端も高い壁に覆われ、どこまで続いているのかここからでは確認できない。
ある意味、見た目通りと言うべきか監視カメラが至るところに目を光らせている。詳しくは知らないが他にもいくつか仕掛けられているらしい。軍隊でも攻めてくるのか、と思ってしまうほどのものものしい外観だ。
初等部から付属大学まで存在する天乃原学園は高原市のあちらこちらに学園の施設があり、高等部は高原市の北側ある日原山を切り開いて校舎を建てており、山丸々一つ分が高等部としての学園の敷地らしい。全て含めると、市の六割強が天乃原学園の関連施設らしく、学術都市と呼ばれるのも、むべなるかなである。
そんな学園都市にあって高等部の制服を身にまとっているのだ、傍目から見て、俺がこの学園の生徒だということがわかると思う──というか見えないと困る。
内心、高校生を装えているか自信がない。自信がないから落ち着かない、落ち着かないから挙動不審に見える(と被害妄想が発動する)、挙動不審なのを自覚しているから堂々と高校生になりきる自信がわいてこない。そんな悪循環に陥っている。
「俺、二十歳超えてるんだよなぁ……」
ため息交じりに人に聞かれれば間違いなく怪訝な顔をされるであろう発言をしつつ、天を仰ぐ。このところ、このように素というか思考が生々しく現実に帰ることが頻繁にある。
この年で学生服に袖を通すなどというコスプレまがいの姿を大勢の高校生に見られるという日々がはじまるのだ、と言えば察してもらえるだろうか。有り体に言えばとてつもなく気が重い。
とはいえいつまでもウジウジとしているわけにはいかない。話を受けることにした以上、覚悟を決めるべきだ。
胸に秘めた決意──まぁ、そこまで大袈裟なものでもないが──と共に顔を上げ、学園の敷地へと歩を進める。校門というにはあまりにも物騒な門構えまであと十数歩。
「──あん?」
「や、優之助。待っていたわ」
いつの間にいたのやら、瞳子がなぜか挑戦的な眼差しをさせながら門の向こう側で立ち塞がっていた。
「改めてようこそ、天乃原学園へ。学園はあなたを歓迎するわ」
「なにが『待っていたわ』だよ、それはこちらの台詞だ。そうだ! 迎えだよ、迎え。迎えはどうした! 朝には駅に着くって言っただろ! 連絡しても繋がんねぇし、結局ここまで来るのに五時間だぞ! 五時間! 迎えを待っていた時間足したら七時間!」
今までの不満を込めてまくし立てる俺。そんな俺に対して、瞳子の反応は、
「……そう言えばそうだったわね。忘れてた。ごめん」
今、気づいたかのようにあっさりと謝る瞳子。そのあっさり具合があまりに絶妙でこれ以上、怒るに怒れない。あんまり引っ張ると器が小さいみたいで負けたみたいな気分になる。って、いや別に勝負しているわけでもないが。
それに俺としては待たされたことを追求するよりも先に突っ込まなければならないことがあったからだ。それは──
「──なんで制服なんだ?」
正門を通さないとばかりに仁王立ちする瞳子は俺と同じく青がベースのブレザータイプの制服。違いがあるとすれば、ズボンがスカートにネクタイがリボンになっているくらい。そしてリボンの端にラインが二つ──高等部二年生の証。
「そんなの決まっているじゃない。"編入"するのよ、私もね」
「聞いてないんだけど……」
「言ってないもの」
「……はっ、まさかおまえ、俺を巻き込んだのって一人じゃ恥ずかしいからだろ!」
「理由の一つではあるわね」
なにが理由の一つか。それが嫌で道連れを作りたかったに違いない。
「しかしいいのか? 当真家の人間が関与するのはまずいって言ったのおまえじゃないか」
「傍観者に徹するから大丈夫よ。もっと正確にいえばあなたの監査役ってところかしらね」
「おいおい物見遊山かよ」
なんというかバイト先で冷やかされているような気分だ。ただ一方で、先に派遣された関係者への配慮もあるだろうし、天乃宮家側を刺激せず内情をより深く知ろうとするなら俺の監査役として潜入した方がいい。そう考えれば納得できる部分がある。それに──
「──まぁ、おまえの方でもかなり待っていてくれたみたいだしな」
よくよく考えたら、今、校門の前にいるということはこいつも俺を出迎えるために朝からずっと立ちっぱなしだったのだろう。
そんな演出のするくらいなら迎えを出したかどうかに気づけよ! とか、こいつ何時間突っ立ってたんだ? アホだろ? とか、いろいろ脳裏を駆け抜けたがそれについては黙っておくことにした。
「……? ……あぁ! ううん、私は優之助が来るまで寮にいたわよ。部屋の模様替えとかあったし。でも優之助がくるかどうか学園の警備部の報告待ちだったから、そういう意味では待っていたといえなくはないわね」
「……」
考えたら負けだ。気を取り直していこう。
「んで、今からどうすればいいんだ? なにもないなら、寮に案内してほしいんだが」
送った荷物を片付けないといけないし、なにより疲れた。
「あっ、ちょっと待って」
今度はなんだ? 見ると、瞳子が校門の周りをうろちょろしている。どうやら、何かの立ち位置を確認しているみたいだ。何かってなんだよ?   と聞かれたら、んなもん本人に言えよと返す程度には不可解ではあるが。
「ええと、この辺りかしら」
十秒ほど、あちこちうろついて、ようやく納得できるポイントを見つけたようで、俺を置いてけぼりにしたまま、芝居掛かった仕草で何事かをのたまう。
「──この学園では外の常識は通用しない。一歩踏み出すともう後戻りはきかず、あらゆる苦難が待ち受けるわ。それでもあなたは踏み出すというの?」
どうやらさっきの答えが出たようで、立ち位置確認からの数十秒はこのアホな寸劇のためらしい。
「じゃあ、帰るぞ」
「ちょっ、待った! 待った! ん、もう、ノリが悪いわね。せっかく悪の巣窟に立ち向かおうする勇者の歓迎っぽくしたのに」
「そんな演出はいらん!」
普通に歓迎してくれ! 普通に。
「でも、あながち的外れではないわ。この学園はある意味、悪の巣窟よりもタチが悪い。一言で悪だと断じることができるならどんなに楽か。悪党と違って生徒を叩きのめすわけにはいかないもの」
いきなりシリアスになるなよ。リアクションに困る。
「たしかにそんな解決は無理だな」
それができれば俺が引っ張り出されることもなかっただろうに。人知れずため息が出る。
「期待しているわよ優之助」
「まぁ、ここまできたんだ。学園に潜入して諜報活動なんてレアすぎる経験を楽しませてもらうさ」
覚悟を決めたせいか気持ち足取りが軽い。そうさ、こうなりゃ楽しまないと損だ。そう開き直る俺の後ろで瞳子が呟く。
「──諜報活動だけしてもらうなんて言った覚えはないんだけどねぇ」
なにか不吉なことを言われた気がするが、腹を括った──開き直ったともいえる──俺はまったく気にならない。気にした方がいいのだとわかってはいたが、無駄だと思うので気にしないことにした。すでに賽は投げられたのだから。
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