きみのその手はやさしい手
プロローグ
二月のとある一日、俺──市立時宮高校三年C組、御村優之助──は誰もいない放課後の教室で一人窓辺に腰掛け、そこから見える景色を眺めていた。
時宮市にあるから時宮高校。時宮はいわゆる一つの地方都市で、特徴といえば人口が多く、市内に四つある高校はどこも一学年最低四クラス以上、クラス生徒数四十人前後をキープし、地方が陥りがちな過疎問題とは無縁というくらいだろう。
だが他所から見れば地味な土地でもそこで生まれ育った人間からすれば、やはり愛着も沸こうというもの。俺も例外ではなく、この窓辺から覗く風景がこれで見納めかと思うとそれを惜しむ気持ちやここの学生ではなくなるという喪失感がそれぞれブレンドされ、喉の奥に苦味が走る。
そう、今日は市立時宮高校、卒業式の日だった。
「──ここにいたのね」
声の源は教室の入り口、そこに一人の女生徒が立っている。三年間、同じクラスの腐れ縁で高校生活で最も身近だった友人の一人だ。
「ん? ……なんだ、おまえか」
「あちこち探させた私に向かって、なんだ、とはまた随分な挨拶ね」
その名に相応しく魅力的な瞳にわずかばかり剣呑さを帯びながら近づいて来る。別段、瞳の色が珍しいわけではなく俺とあまり変わらない──自分の瞳を改めて見たことはないが──黒と紺色との中間のような色合い。しかし俺のそれとは違い、どことなく惹き込まれるような魅力がそこにはある。おそらく彼女の両親もこの瞳を見て、そう名付けたのだろうことは想像に難くない。
「これは失礼」
別に待ち合わせた憶えも探される理由もないはずだが、素直に謝っておく。彼女は彼女で冗談半分ということもあり──逆に言えば理不尽な怒りも皆無ではない──その目に宿っていた険が次第に薄まっていく。
そんな彼女を見ていると『目は口ほどにものを言う』という言葉がしっくりくるなぁ、と密かに笑う。
「なにかしら?」
普段の付き合いからくる勘の鋭さを発揮した女生徒が俺の態度に半眼で睨むが、やがてどうでもよくなったのか話が変わる。
「あなた一人?」
「あぁ、みんな先に帰った。今夜は卒業祝いの宴会だからな。今頃、その準備に追われているはずだ。……そういうおまえは? てっきり、みんなと一緒に帰ったものだと」
「高崎先生に式の後片付けを手伝わされていたの」
俺の頭の中に高校生活で天敵だった担任の教師が思い浮かぶ。正直、最後くらいは忘れたい顔だ。それにしても──
「──式の主役である卒業生にやらせることか? 相変わらず人使いの粗い担任だな。ていうか、おまえも手伝うなよ」
「先生らしいと思うけどね。……あぁ、それと伝言。『少なくとも、校舎を出るまでは面倒を起こすなよ。起こすなら、俺の責任にならない所でやれ』だってさ」
「それが仮にも教職者の言うことか」 
「ある意味、当然の心配だと思うけど?」
「起こしたくて、起こしてんじゃねぇよ」
たしかにこの三年間、俺の回りでは面倒事が絶えなかった。それは認める。だが、大半は巻き込まれたようなもので別に俺のせいではない──まぁ、何割かは俺に原因がないとは言い切れないのだが。
「そういえば、この後どうする気かしら?」
「どうする気って……そりゃあ、帰って宴会の準備を手伝わないとな」
「そっちじゃなくて進路の方よ。……本当によかったの? 地元の大学で。あなたならもう少しいいところも選べたはずでしょう?」
紛らわしい言い回しの上、今さらどうこうできる類の話ではないだろう。それでも真剣に問いただそうとする視線を前に茶化す気になれず望むままに答えていく。
「ただでさえおまえん家の援助のおかげで進学させてもらえるんだ。“もう少しいいとこ”の為に遠距離通学や県外を選ぶわけにはいかねぇだろ。妹達の学費のこともあるし、さすがにこれ以上の借りというか出費がかさむのはちょっとな」
「あの子達って、まだ中二よね? 気が早くない?」
「四月になれば中学三年。早過ぎるってことはないだろ。それにあいつらは俺とは頭の出来が違う。むしろ一つでも上のランクを狙えるのなら、学費など気にしないで目指した方がいいのはあいつらの方さ。……あくまで望むならだけどな」
「とかいって離れて暮らすことになって寂しくなるのが嫌なんでしょう? このシスコン」
今度は悪戯っぽく目を細める。まったく猫のようにころころ変わる瞳だ。見ていて飽きない。というか誰がシスコンか。当然反発するが、口をついたのはそのことではなく──
「──百歩譲って俺が寂しがるとすれば、その原因はおまえに対してだろうな」
「……」
「まさか、県外の大学に進学するとはな。少し、意外だ」
それを知ったのは、二日前のこと。ちょっとした偶然からだ。それがなかったら今でも知らないままだろう。その理由はわからないがなんとも水臭い話だ。
「意外……かしら?」
「意外だろ。風来坊で三年も同じところに滞在しているのが奇跡的だった空也(くうや)や、卒業したら武者修行の旅に出るつもりだった剣太郎(けんたろう)はともかく、わざわざ遠くの大学に行くなんて思わなかったからな」
「……少し……ね……」
「少し……なんだ?」
なにかをいいかけ、そのまま押し黙る。彼女にしては珍しく歯切れが悪い様子に痺れを切らした俺はこちらから水を向ける。ここで聞き逃せばおそらく一生聞く機会はないだろう。なんとなくそんな気がする。俺に引くつもりがないのを察したのか、根負けした様子で渋々ながら語りだす。
「……外から見てみたくなったのよ」
「どういう意味だ?」
ようやく聞き出したわりにその答えは端的過ぎていた。向こうもそれはわかっているようで、逡巡を振り払っては塞き止めていたものを開放するようにすらすらと言葉を吐き出していく。
「私ね、この三年間とても楽しかった。毎日がお祭り騒ぎで──悲しいこともあったけど、それでもかけがえのない日々だったと胸を張って言える。多分、みんな同じ意見のはずよ。学校を卒業したとしても、そんな毎日が続いていくって信じてる。……あなたを中心にね」
「それで?」
「そんな日々を今度は外から見たくなったの。『踊る阿呆に見る阿呆』ってあるじゃない? 踊らなきゃ損、って言うけど、たまには見る側にも回ってみようかな、って……ね。だから、県外の大学へ進学しようと思った。見るのに飽きたらこっちの大学に編入してもいいし──もういいでしょ? これ以上、言わせないでよ! 恥ずかしいじゃない!」
シリアスに語ったのがむず痒いのか、照れながら俺の背中をバシバシと叩く。
「痛い! や、ホントに痛えよ!」
「あ―恥ずかしかった。こんな青春真っ只中な台詞、素面じゃ口にできないわよ。もう二度と言わないからね」
──こうなると思ったから内緒にしてたのになぁ、などと恨み節めいた愚痴を吐きながらも止まらぬ暴力から逃れるべく彼女から大きく身を離す。
たしかに身悶えするほどの恥ずかしさを発散したいのはわからなくもないが、その照れ隠しのために俺の背中を犠牲にされてはたまったものではない。おそらく服の下には真っ赤な手形が張り付いているはずだ。それはもう、くっきりはっきりと。
「さぁ、帰るわよ」
どうやら、ようやく気を取り直したようで会話を一方的に打ち切る。いや、違う。自分の青臭い告白を忘れるために話を変えたいだけのようだ。
「もう少し浸っていたいんだがなぁ」
「もう充分サボれたでしょ。いい加減、観念なさいな」
「……バレてたか」
悪戯を見破られたというていで降参のポーズをとる。それを見て皮肉げに鼻を鳴らした女生徒と共に教室を出る。
廊下の窓から入る光が低く、そして長く伸びる。二月の日の入りはまだまだ早く、俺達が宴会に合流する頃には夜になっているだろう。その短い間だけ夕日に照らされた学校の廊下は赤く染まり、ここを巣立とうとする俺達を送り出そうとしているのでは? などと柄にもなく思ってしまう。もちろん錯覚だが。
「……ここも見納めか」
「なにか言った?」
隣を歩く少女に不思議そうな顔をされる。
「なんでもない」
「……そう」
不意に俺達の間で会話が途切れる。校舎を出た俺はグラウンドの中心でふと立ち止まると、振り返って今まで世話になった学び舎に感謝を告げる──気恥ずかしいので内心でだが。
「(世話になったな)」
今日はなんだか慣れないことをしたくなる日のようだ。視線を隣に向けると、俺と同じ気持ちだったのか校舎を感慨深げに見渡していた。慣れないことをしたくなるのはどうやら俺だけではないらしい。だが、こんな日もたまにはアリだろう、と自分でそう納得する。
「──ねぇ。手、出して」
学校を出てから、しばらく無言を貫いていた女生徒がいきなり俺を抜き去り、行かせない、とばかりに道を塞ぐ。進行方向をとおせんぼしたまま、なにを思ったのか妙な要求を突きつけてくる。
「……は?」
「いいから、手を出しなさい」
「お、おぅ」
その剣幕に押されて思わず、右手を彼女の方へ差し出す。それに合わせて女生徒も自身の左手を伸ばし、必然と、お互いの手のひらが重なる。触れた手が思いのほか柔らかく、その意外性に緊張で固まっていると、同質の柔らかさが込められた声が耳を撫ぜる。
「手、大きいね」
「そうか?」
「そうよ」
「……そうか」
「……手。あたたかいね」
「なんだよ。優しくない、って言いたいのか?」
「なによそれ」
「ほら言うじゃん。『手の冷たいやつは心が優しい』ってさ」
「それだと、冷え性の人は全員優しいってことになるわね」
「そうなるな。それに、こうやって手を合わせたら、体温の低い方が相手の手を温く感じるし」
「……ふふっ、なんだか台無しね。私の言いたいのはそうじゃなくて──」
「──わかってる」
苦し紛れの軽口が途切れる。代わりに交わされるのは、互いの体温と鼓動。人は他者の心音を聞くと落ち着く生き物だ、と聞いたことがある。その理由までは知らないが、多分、心音を聞くためには相手の胸に抱かれている必要がある。その相手が自分を受け容れてくれることへの安心、そしてなにより相手の真ん中に“触れて”いるからだと、俺は、そう思う。
つまるところ、さっきと同じだ。お互い"らしくない"とわかっていながらも止められないほどに俺は──俺達は惜しみ、恐れているのだ。別れを、そして"今"が終わるのを。
「──さぁ、ついたわよ」
「って、ここは」
合わさった手を離す気にはなれず、なんとはなしに手を繋ぎ続けていた俺と彼女。普段と違うことをしていると自覚して微妙な空気が流れる中、不意に彼女が手を離した場所は友人達を合流するはずの待ち合わせ場所ではなく、その途中にある公園だった。
そこそこ広く、普段なら近所の子供達の遊び場として利用されるそこは、二月の黄昏時ということもあり、人気はなく閑散としていた。なるほど、どおりで──
「──どおりでそんなものを持ってきているはずだ」
納得しつつ、彼女の右手を見る。ついさっきまで俺の手を繋いでいたのは左。本来、右利きであるはずの彼女が左手しか使わなかった理由は二つ。一つは右手が私物で塞がっていたから──そしてもう一つはそれを操るために利き腕は柄尻側を持つからだ。
「察しがいいわね」
「皮肉か? 俺としてはまんまスルーしておきたかったんだがな……」
長さ七十センチはある"それ"は彼女にとって体の一部と言っても過言ではなく、不思議と違和感はない。とはいえ、そんなものを所持していて気付かないなんてことはありえない。
「こんな田舎だと、他に楽しみなんてないしね……いいでしょう? 決着をつけても」
「さほど田舎でもなければ、他に娯楽がないわけでもないが決着をつけるというのは同感だ」
そんな軽口を叩きながら、内心の緊張が一気に上昇する。先ほどまでのくすぐったい空気は霧散し、あるのは目の前の存在をどう屈服させるか。その一点のみ。
そう、彼女はクラスメイトで割と気の合う友人で、そしてなにより──敵だった。俺達にとって、これもまた日常の一つ。
だから、その奥にある気持ちも変わらない。"今"を少しでも長引かせるための悪あがき。しかし、それすらもいつかは終わりが来る。
「──忘れないで、優之助」
彼女が"相棒"と言って憚らない“それ”を構えながら、搾り出すように彼女が呟く。普段の彼女からは聞くことのない、嗚咽にも似たかすれた声。俺はその夕暮れを背に佇む彼女を目に焼き付ける。この先どんなことが起こったとしても決して忘れないように──
「──あぁ、忘れないよ。瞳子」
それが合図とばかりに俺達は走り出す。互いの存在を、交わした誓いを、確かめるように──
────そして三年後。
時宮市にあるから時宮高校。時宮はいわゆる一つの地方都市で、特徴といえば人口が多く、市内に四つある高校はどこも一学年最低四クラス以上、クラス生徒数四十人前後をキープし、地方が陥りがちな過疎問題とは無縁というくらいだろう。
だが他所から見れば地味な土地でもそこで生まれ育った人間からすれば、やはり愛着も沸こうというもの。俺も例外ではなく、この窓辺から覗く風景がこれで見納めかと思うとそれを惜しむ気持ちやここの学生ではなくなるという喪失感がそれぞれブレンドされ、喉の奥に苦味が走る。
そう、今日は市立時宮高校、卒業式の日だった。
「──ここにいたのね」
声の源は教室の入り口、そこに一人の女生徒が立っている。三年間、同じクラスの腐れ縁で高校生活で最も身近だった友人の一人だ。
「ん? ……なんだ、おまえか」
「あちこち探させた私に向かって、なんだ、とはまた随分な挨拶ね」
その名に相応しく魅力的な瞳にわずかばかり剣呑さを帯びながら近づいて来る。別段、瞳の色が珍しいわけではなく俺とあまり変わらない──自分の瞳を改めて見たことはないが──黒と紺色との中間のような色合い。しかし俺のそれとは違い、どことなく惹き込まれるような魅力がそこにはある。おそらく彼女の両親もこの瞳を見て、そう名付けたのだろうことは想像に難くない。
「これは失礼」
別に待ち合わせた憶えも探される理由もないはずだが、素直に謝っておく。彼女は彼女で冗談半分ということもあり──逆に言えば理不尽な怒りも皆無ではない──その目に宿っていた険が次第に薄まっていく。
そんな彼女を見ていると『目は口ほどにものを言う』という言葉がしっくりくるなぁ、と密かに笑う。
「なにかしら?」
普段の付き合いからくる勘の鋭さを発揮した女生徒が俺の態度に半眼で睨むが、やがてどうでもよくなったのか話が変わる。
「あなた一人?」
「あぁ、みんな先に帰った。今夜は卒業祝いの宴会だからな。今頃、その準備に追われているはずだ。……そういうおまえは? てっきり、みんなと一緒に帰ったものだと」
「高崎先生に式の後片付けを手伝わされていたの」
俺の頭の中に高校生活で天敵だった担任の教師が思い浮かぶ。正直、最後くらいは忘れたい顔だ。それにしても──
「──式の主役である卒業生にやらせることか? 相変わらず人使いの粗い担任だな。ていうか、おまえも手伝うなよ」
「先生らしいと思うけどね。……あぁ、それと伝言。『少なくとも、校舎を出るまでは面倒を起こすなよ。起こすなら、俺の責任にならない所でやれ』だってさ」
「それが仮にも教職者の言うことか」 
「ある意味、当然の心配だと思うけど?」
「起こしたくて、起こしてんじゃねぇよ」
たしかにこの三年間、俺の回りでは面倒事が絶えなかった。それは認める。だが、大半は巻き込まれたようなもので別に俺のせいではない──まぁ、何割かは俺に原因がないとは言い切れないのだが。
「そういえば、この後どうする気かしら?」
「どうする気って……そりゃあ、帰って宴会の準備を手伝わないとな」
「そっちじゃなくて進路の方よ。……本当によかったの? 地元の大学で。あなたならもう少しいいところも選べたはずでしょう?」
紛らわしい言い回しの上、今さらどうこうできる類の話ではないだろう。それでも真剣に問いただそうとする視線を前に茶化す気になれず望むままに答えていく。
「ただでさえおまえん家の援助のおかげで進学させてもらえるんだ。“もう少しいいとこ”の為に遠距離通学や県外を選ぶわけにはいかねぇだろ。妹達の学費のこともあるし、さすがにこれ以上の借りというか出費がかさむのはちょっとな」
「あの子達って、まだ中二よね? 気が早くない?」
「四月になれば中学三年。早過ぎるってことはないだろ。それにあいつらは俺とは頭の出来が違う。むしろ一つでも上のランクを狙えるのなら、学費など気にしないで目指した方がいいのはあいつらの方さ。……あくまで望むならだけどな」
「とかいって離れて暮らすことになって寂しくなるのが嫌なんでしょう? このシスコン」
今度は悪戯っぽく目を細める。まったく猫のようにころころ変わる瞳だ。見ていて飽きない。というか誰がシスコンか。当然反発するが、口をついたのはそのことではなく──
「──百歩譲って俺が寂しがるとすれば、その原因はおまえに対してだろうな」
「……」
「まさか、県外の大学に進学するとはな。少し、意外だ」
それを知ったのは、二日前のこと。ちょっとした偶然からだ。それがなかったら今でも知らないままだろう。その理由はわからないがなんとも水臭い話だ。
「意外……かしら?」
「意外だろ。風来坊で三年も同じところに滞在しているのが奇跡的だった空也(くうや)や、卒業したら武者修行の旅に出るつもりだった剣太郎(けんたろう)はともかく、わざわざ遠くの大学に行くなんて思わなかったからな」
「……少し……ね……」
「少し……なんだ?」
なにかをいいかけ、そのまま押し黙る。彼女にしては珍しく歯切れが悪い様子に痺れを切らした俺はこちらから水を向ける。ここで聞き逃せばおそらく一生聞く機会はないだろう。なんとなくそんな気がする。俺に引くつもりがないのを察したのか、根負けした様子で渋々ながら語りだす。
「……外から見てみたくなったのよ」
「どういう意味だ?」
ようやく聞き出したわりにその答えは端的過ぎていた。向こうもそれはわかっているようで、逡巡を振り払っては塞き止めていたものを開放するようにすらすらと言葉を吐き出していく。
「私ね、この三年間とても楽しかった。毎日がお祭り騒ぎで──悲しいこともあったけど、それでもかけがえのない日々だったと胸を張って言える。多分、みんな同じ意見のはずよ。学校を卒業したとしても、そんな毎日が続いていくって信じてる。……あなたを中心にね」
「それで?」
「そんな日々を今度は外から見たくなったの。『踊る阿呆に見る阿呆』ってあるじゃない? 踊らなきゃ損、って言うけど、たまには見る側にも回ってみようかな、って……ね。だから、県外の大学へ進学しようと思った。見るのに飽きたらこっちの大学に編入してもいいし──もういいでしょ? これ以上、言わせないでよ! 恥ずかしいじゃない!」
シリアスに語ったのがむず痒いのか、照れながら俺の背中をバシバシと叩く。
「痛い! や、ホントに痛えよ!」
「あ―恥ずかしかった。こんな青春真っ只中な台詞、素面じゃ口にできないわよ。もう二度と言わないからね」
──こうなると思ったから内緒にしてたのになぁ、などと恨み節めいた愚痴を吐きながらも止まらぬ暴力から逃れるべく彼女から大きく身を離す。
たしかに身悶えするほどの恥ずかしさを発散したいのはわからなくもないが、その照れ隠しのために俺の背中を犠牲にされてはたまったものではない。おそらく服の下には真っ赤な手形が張り付いているはずだ。それはもう、くっきりはっきりと。
「さぁ、帰るわよ」
どうやら、ようやく気を取り直したようで会話を一方的に打ち切る。いや、違う。自分の青臭い告白を忘れるために話を変えたいだけのようだ。
「もう少し浸っていたいんだがなぁ」
「もう充分サボれたでしょ。いい加減、観念なさいな」
「……バレてたか」
悪戯を見破られたというていで降参のポーズをとる。それを見て皮肉げに鼻を鳴らした女生徒と共に教室を出る。
廊下の窓から入る光が低く、そして長く伸びる。二月の日の入りはまだまだ早く、俺達が宴会に合流する頃には夜になっているだろう。その短い間だけ夕日に照らされた学校の廊下は赤く染まり、ここを巣立とうとする俺達を送り出そうとしているのでは? などと柄にもなく思ってしまう。もちろん錯覚だが。
「……ここも見納めか」
「なにか言った?」
隣を歩く少女に不思議そうな顔をされる。
「なんでもない」
「……そう」
不意に俺達の間で会話が途切れる。校舎を出た俺はグラウンドの中心でふと立ち止まると、振り返って今まで世話になった学び舎に感謝を告げる──気恥ずかしいので内心でだが。
「(世話になったな)」
今日はなんだか慣れないことをしたくなる日のようだ。視線を隣に向けると、俺と同じ気持ちだったのか校舎を感慨深げに見渡していた。慣れないことをしたくなるのはどうやら俺だけではないらしい。だが、こんな日もたまにはアリだろう、と自分でそう納得する。
「──ねぇ。手、出して」
学校を出てから、しばらく無言を貫いていた女生徒がいきなり俺を抜き去り、行かせない、とばかりに道を塞ぐ。進行方向をとおせんぼしたまま、なにを思ったのか妙な要求を突きつけてくる。
「……は?」
「いいから、手を出しなさい」
「お、おぅ」
その剣幕に押されて思わず、右手を彼女の方へ差し出す。それに合わせて女生徒も自身の左手を伸ばし、必然と、お互いの手のひらが重なる。触れた手が思いのほか柔らかく、その意外性に緊張で固まっていると、同質の柔らかさが込められた声が耳を撫ぜる。
「手、大きいね」
「そうか?」
「そうよ」
「……そうか」
「……手。あたたかいね」
「なんだよ。優しくない、って言いたいのか?」
「なによそれ」
「ほら言うじゃん。『手の冷たいやつは心が優しい』ってさ」
「それだと、冷え性の人は全員優しいってことになるわね」
「そうなるな。それに、こうやって手を合わせたら、体温の低い方が相手の手を温く感じるし」
「……ふふっ、なんだか台無しね。私の言いたいのはそうじゃなくて──」
「──わかってる」
苦し紛れの軽口が途切れる。代わりに交わされるのは、互いの体温と鼓動。人は他者の心音を聞くと落ち着く生き物だ、と聞いたことがある。その理由までは知らないが、多分、心音を聞くためには相手の胸に抱かれている必要がある。その相手が自分を受け容れてくれることへの安心、そしてなにより相手の真ん中に“触れて”いるからだと、俺は、そう思う。
つまるところ、さっきと同じだ。お互い"らしくない"とわかっていながらも止められないほどに俺は──俺達は惜しみ、恐れているのだ。別れを、そして"今"が終わるのを。
「──さぁ、ついたわよ」
「って、ここは」
合わさった手を離す気にはなれず、なんとはなしに手を繋ぎ続けていた俺と彼女。普段と違うことをしていると自覚して微妙な空気が流れる中、不意に彼女が手を離した場所は友人達を合流するはずの待ち合わせ場所ではなく、その途中にある公園だった。
そこそこ広く、普段なら近所の子供達の遊び場として利用されるそこは、二月の黄昏時ということもあり、人気はなく閑散としていた。なるほど、どおりで──
「──どおりでそんなものを持ってきているはずだ」
納得しつつ、彼女の右手を見る。ついさっきまで俺の手を繋いでいたのは左。本来、右利きであるはずの彼女が左手しか使わなかった理由は二つ。一つは右手が私物で塞がっていたから──そしてもう一つはそれを操るために利き腕は柄尻側を持つからだ。
「察しがいいわね」
「皮肉か? 俺としてはまんまスルーしておきたかったんだがな……」
長さ七十センチはある"それ"は彼女にとって体の一部と言っても過言ではなく、不思議と違和感はない。とはいえ、そんなものを所持していて気付かないなんてことはありえない。
「こんな田舎だと、他に楽しみなんてないしね……いいでしょう? 決着をつけても」
「さほど田舎でもなければ、他に娯楽がないわけでもないが決着をつけるというのは同感だ」
そんな軽口を叩きながら、内心の緊張が一気に上昇する。先ほどまでのくすぐったい空気は霧散し、あるのは目の前の存在をどう屈服させるか。その一点のみ。
そう、彼女はクラスメイトで割と気の合う友人で、そしてなにより──敵だった。俺達にとって、これもまた日常の一つ。
だから、その奥にある気持ちも変わらない。"今"を少しでも長引かせるための悪あがき。しかし、それすらもいつかは終わりが来る。
「──忘れないで、優之助」
彼女が"相棒"と言って憚らない“それ”を構えながら、搾り出すように彼女が呟く。普段の彼女からは聞くことのない、嗚咽にも似たかすれた声。俺はその夕暮れを背に佇む彼女を目に焼き付ける。この先どんなことが起こったとしても決して忘れないように──
「──あぁ、忘れないよ。瞳子」
それが合図とばかりに俺達は走り出す。互いの存在を、交わした誓いを、確かめるように──
────そして三年後。
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コメント
キズミ ズミ
超面白いな。語彙力も豊富でハッキリと心象が描写されてる。