だんます!!

慈桜

第百三十三話 銀の魔女?

  海外が騒がしくなっているが、日本では寝る間を惜しんで研鑽を重ねる女性の姿がある。
 濡烏のような艶やかな黒髪、切れ長の眼、薄い桃色の唇。
 見る者全てが振り返る程に美しい女性は、その黒の中に琥珀色が混じる瞳に覚悟にも似た光を宿し、全身に魔力を纏っている。
「ツグミぃ、もう休もうよぉ」
「ミュースありがと、でも後ちょっとだけ」
 ミュースより真実を知らされた鶫は一心不乱に己の能力を高めようと努力している。
 自分の中の空っぽに感じてしまっている部分の謎は、微かな記憶に映る妹の姿が関係しているのだと、半ば確信にも似た予感に彼女はストイックになっている。
 記憶は未だ曖昧のままである、しかし彼女はミュースの影に記憶から消えた妹の影を重ね、本当に妹が居るなら絶対に助けなければならないと己を磨きあげているのだ。
「ツグミの魔力ビリビリするから嫌なんだよぉ」
 ブロック塀の上で足をパタパタさせるミュースを尻目に、バス停のベンチに座り魔力を操る鶫。
 従魔術に適した魔力が宙空に溢れ出し、その形を持たないエネルギーをウサギや猫と言った様々な形に変えているだけでも異常なのだが、それに対して言及する者はここにはいない。
「やっと見つけだぞミュース」
「あ、マースカ! どしたの?」
 退屈過ぎてオオスナネコのジャリの背でダラけていると、銀仮面の男が大急ぎで駆け寄ってくる。
 必死でミュースを探していたのだろう、彼は珍しく肩で息をしながらに、猫の上でダラける少年を肩に担ぎ上げる。
「っんだよ! 離せ! はぁなぁせぇっ!!」
「暴れるな! 頼むから大人しくしろ!」
 黒い肌に青い瞳の幼年であるミュースが手足をジタバタしながら暴れる様を見て鶫は首を傾げる。
 その目線に居た堪れなくなったのか、マースカは仕方ないと溜息を吐き出した。
「ナージャ様の子供が生まれそうなんだ! ナージャ様は不安で苦しいからみんなに近くにいて欲しいって言って……」
 話の途中で既にミュースの姿は無かった。
 ナージャのお腹の子が生まれるのをナージャと博士を除いて一番に心待ちにしていたのは他でも無くミュースだ。
 彼は毎日早朝より起きて眠るナージャのベッドに潜り込み、お腹に耳を当てて鼓動を聞いてから出掛けるのを繰り返していた。 その心待ちにしていた赤子が生まれそうだと聞けば、居ても立っても居られなかったのだろう。
「なんであいつはこんなにも自由気儘なんだ」
「あの、マースカさん?」
「なんだよ。てか、いつもミュースが世話になってすまんな。ありがとう」
「いえいえ、こちらも癒されてますからって、そうじゃなくて私もナージャさんの所に行っても大丈夫ですか?」
「ん? んん、いいんじゃないか? ナージャ様はお前の事気に入ってるからな」
 一度顔合わせをしてからも、何度かティータイムを共にしている鶫とナージャ。
 ナージャが如何に子供が生まれてくるのを楽しみにしているのかは、他人事ながらに鶫にも十分伝わっている。 簡単に出来るお洒落のアドバイスなどをしてくれる良きお姉さんのナージャの出産に立ち会えるならば是非にも立ち会いたいと考えてしまうのは道理。
 マースカが許可を出すと、頬を綻ばせて笑顔のままに鶫も走り出した。
 住宅街から大通りに抜け出して、タクシーを拾おうとしている鶫の後ろ姿に苦笑いをするマースカは、そっと鶫の肩を叩き背を向ける。
「車よりは速い」
「いやでも悪いですよ。重たいですし」
「はぁ……なら嫌がりそうな方にしてやる」
 マースカは強引に鶫をお姫様抱っこの状態で抱き上げて一気に地面を蹴る。
 見る見るうちに視界が過ぎ去って行くあまりの速度と、自身の状態の恥ずかしさに鶫は目を回してしまうが、気付けば麻草邸宅の庭に用意された迷宮の入り口にまで辿り着く。
「ありがとうございます」
 あっと言う間に到着してしまい、他に言葉が見つからない鶫はお辞儀をしながらに感謝を述べると、マースカは小さく頷きダンジョンの中へ入っていく。
 ゼント神域、カグツ湖の寝屋の中にて、生身の人の姿となったナージャが陣痛に苦しんでいる。
 金髪碧眼の美しく整った顔立ちの女性からは、普段ミスリルで形成されているナージャだと一目にはわからないだろう。
 彼女の右手を博士が握りしめ、左手をミュースが握り、その周りをクルイロが落ち着きなく歩き回っている。
「来てくれたのね鶫」
「ナージャさん、頑張って下さい!」
 鶫ははだけてしまったシーツでナージャの下腹部を覆い隠すと、ナージャは苦し紛れに笑みを浮かべてありがとうと口を動かす。
 激痛に苦しむナージャだが、いつまで経っても肝心な子供が産まれてこない。
 それもその筈である、ここにお産の知識がある者もいなければ、国の重鎮の庭にある魔族の巣に産婆を呼ぶわけにもいかない。 難産になってるとて、会陰切開も帝王切開も出来ないのだ。
 見守る者達も焦りが募るばかりであるが、鶫が胸に手を組んで祈ると同時に頭の一部が見えるようになる。
「ナージャさん! いきんで! 赤ちゃんが出てきてます!!」
 一つの新たな命が生まれるのはまさに死闘と言えるだろう。 命を奪うのは簡単だが、新たな命の芽吹きはそう簡単ではない。
 実に20時間を越える陣痛と戦い、ナージャの子供はこの世に生を受けた。
「女の子です! 女の子ですよナージャさんっ!!」
 子供を取り上げた鶫は何故かボロボロと涙を流している。 そんな鶫を見て、ナージャも貰い泣きをするように瞳に涙を浮かべる。
「ありがとう、ありがとうね」
 タオルに包まれた子供を脇腹に抱え、優しい母親の顔になるナージャ。 宴だ宴だと騒ぐミュースとマースカ、そして苦しみ続けたナージャの手を握りしめて涙と鼻水をダラダラと流す博士。
「ありがとう……ありがとうナージャ」
「とりあえず顔を拭いたらいかが?」
 その余りの騒がしさを引き立てるように、赤子の泣き声が響き渡る。
「アルベルト、もう夜を保つ魔力がないの。ここから出なきゃならない」
「わかった。みんな!手を貸してくれ。湖畔の家に戻る」
 湖の寝屋は夜にしか使えない、ナージャは魔力を枯渇寸前にまで使用し、ゼント神域に干渉しながら夜を保っているのだが既にそれも限界、干渉をやめてしまうと、ここにいる皆が湖に落ちてしまう。
 魔族の王であるナージャの魔力を持ってして枯渇寸前なのだ、通常では考えられない程の魔力が消費された事になる。
 疲弊して脱力してしまったナージャを博士が抱き抱えると、マースカやクルイロも手伝うようにナージャを支える。 光の桟橋を渡り切れば、本来のミスリリアムの姿となり、急速に魔力が回復するので、肩を借りる程度で大丈夫なのだが、ここまで弱っているナージャを見た事がない皆は不安を顔には出すまいと必死である。
 鶫は泣きじゃくる赤子をワレモノを扱うように大事に大事に抱き抱えながらに光の桟橋を渡る。
 そして湖畔に辿り着いたと同時に立ち止まり首を傾げる。
「ツグミどうしたの?」
 ミュースが鶫を見上げながらに首をコテンと傾けるが、鶫はそこに立ち止まったままだ。
 遂にはナージャもそれが気になったのか、皆を止めて鶫へ向き直る。
「鶫? どうしたの?」
 鶫は不安そうに眉を垂らすと、ナージャの声に顔を上げる。
「ナージャさん、子供が生まれたらナージャさんみたいになるって言ってましたよね」
 鶫の一言に、心臓が止まったかのような驚きに目を見開き、ナージャは足を縺れさせ、転びながらにも必死に鶫へ駆け寄る。
 鶫の足元に辿り着いたナージャは女の子座りで鶫を見上げると、鶫もまた地べたに正座をしながらに、赤子を差し出す。
 そこには生身の人の姿のままの赤子がいた。
「あぁ……なんで。どうしてそんな」
 慌てて駆けつけた博士も、赤子の姿を見て膝から崩れ落ちてしまう。
「ナージャさん? なんでそんなに悲しんでいるんですか?」
 鶫の疑問に返答は無かった。
 ただナージャは我が子を胸に悲痛なる表情のままに博士の胸に顔を埋めているだけだ。
 ナージャと博士は言葉にならない程嘆いているのだ。
 やっと産まれた愛の結晶である、愛すべき愛娘が、同じ魔族として産まれなかった事を。
 その存在は銀の魔女と呼ばれる、ミスリリアムとは真逆の存在であると、一目見てわかってしまったと言う事を。
「あのね……鶫……」
 娘の誕生にボロボロと涙を流してくれた鶫には真実を話そうと、ナージャはゆっくりと説明を始める。
 銀の魔女の事、その存在はミスリルを糧に魔力を蓄える存在であり、いつしかミスリリアムとその眷属は喰らい尽くされてしまう事、だからこそ離れて暮らさねばならない事、それを踏まえてダンマスに預けなければいけない事。
 それらを聞くと鶫は眉間に皺を寄せて激昂する。
「そんなの関係ないよ!! ナージャさんの子供なのに渡さなきゃならないなんて絶対おかしい!! 言う事を聞かなくなるから預けなきゃ駄目になるんでしょ? それから言う事を聞くようにしたらいいんだよっ!!」
 鶫は怒りのままに涙を流してナージャから子供を引き剥がすと、莫大な魔力が流れ出し、赤子を包み込んで行く。
「やめて鶫!! 何してるの!! この子が苦しんでる!!」
「こんなの! こんなのお母さんがいない子供の苦しみに比べたらへっちゃらだよ!!」
 柱の如く伸びる莫大な魔力が赤子を包み込み、その魔力が全て赤子に集約されると、赤子は安らかな笑みのままにスヤスヤと眠り始める。
 その姿を見届けて鶫はナージャに赤子を手渡す。
「何をしたの……鶫、この子に一体何をしたの?」
 ナージャはおどおどしながらも怒気を孕んだ声で鶫に詰め寄るが、莫大な魔力を放出した鶫はそのままへたり込んでしまう。
「テイムしたんだよ。これから先この子がナージャさん達に危害を加えようとしたら私がそれを止める。だから一緒にいたらいいんだよ!! 私とはお母さんがいなくてずっと大変だった!お母さんが一緒にいたいのにいられないなんてそんなのおかしい! 私がのお母さんとして頑張ろうって! 鶲……なんで鶲がいないの……」
 そう言い残して鶫は意識を手放す。
「鶫!? しっかりして! 鶫!!」
 莫大な魔力の消費と、なんらかのトリガーで記憶が戻ったショックで、気を失ってしまったのだろう。
 魔女のテイミング、またしても前代未聞の事例が発生した事など、ダンマス達はまだ知らない。

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