だんます!!

慈桜

第九十八話 僕と契約して?

  御茶ノ水の大きな大学病院の診察室にて、医者と話し込む黒髪の美しい女性の姿がある。
 着飾らないロングスカートのワンピースに、濡烏の羽のような艶やかな髪を一つに纏め、零れ出る涙をハンカチで拭きながら首を振り続けている。
 彼女は以前悪ガキ達と北海道で出会った姉妹の姉である鶫だ、対する眼鏡を掛けた如何にも医者と言った賢そうなオッさんが無表情に鶫を睨んでいる。
「ですがね小鳥遊さん、これはもっと小さな頃に治療しておかねばならなかったのですよ」
「それでも、それでも東京の大きな病院ならなんとかなるかも知れないと言われてたんです。お願いです医師せんせい、鶲を助けて下さい」
「そう申されてもですね……」
 治療は出来ないと突っぱねる医者と、どうしても治療してくれと頼みこむ鶫。 心臓逆位はこれより鶲が成長するに連れ様々な弊害を起こす。 そうなってからでは遅いのだが、本来ならば幼少期に済ませておくべきなのだが、やはり経済的な理由であったり、施術が可能な医師が少なかったりと、口で言う程には簡単な話では無い。
 それこそ父からの仕送りと、鶫のアルバイトの僅かな収入から切り詰めてここまで来れたのである。 暗に諦めろと言われても納得できるはずがないのだ。
「一度カルテを他の病院に送って、施術可能の返答あらば紹介状を書きますので、今日の所は一度お帰り下さい」
「どうか…どうか鶲を助けて下さい。お願いします」
 鶫はしっかりと頭を下げて退室するが、その目には大粒の涙が浮かび、ポロポロと頬を伝っている。
 妹を不安にさせてはいけないと、一度廊下の革張りのベンチに座り、涙が止まるまではとハンカチを瞳に押し当てると、ギシッと誰かが隣に座る重みを感じる。
「さて、お嬢さん。妹の為に悪い人との契約はいかがかな?」
 鶫が顔を上げた先には、何処ぞの石油王のような白い布で全身を覆ったような格好で、上半身をはだけさせ余すことなく金銀財宝の装飾を身に纏う、癖がありながらも長く美しい藍色の髪に、金色の瞳の偉丈夫が笑顔を見せている。
「あなたは、ダンジョンマスター?」
「よくご存知で。そうです、私はダンジョンマスター。ラビリと呼んで頂けたら」
 鶫は突然のラビリの訪問に心底驚いてはいるが、親指と小指で器用に涙を拭きとると、膝を並べて半身をラビリへと向ける。
「ではラビリさん、私に何か御用でしょうか? 」
「うん。よくさ、悪い魔法使いとか、古本の悪魔と契約したら願い事が叶う! みたいなのあるじゃん? あれの真似事をしに来たんだけどどうかな? 」
「……ごめんなさい。何が仰りたいのか全然わかりません。詳しくお伺いささていただいても?」
「うん、実は俺、今すごい困っててさ。お願い聞いてくれるなら、条件として妹さん完璧に治してあげるよ、それでね」
 それからラビリは事情を話して行く。 自身が従魔師であった事。 プラモンは従魔師を弟子にとる為の試験の意味合いもあった事、本来ならば、大人や冒険者に五天五柱をコンプリートしてもらいたかった事。
「そして何より、弟子は美しい女性と決めていたのに、子供達は残り一天一柱の所まで来てしまった」
「でもそれは、あの子達が才能を持っているから成し遂げられたのでは?」
 ラビリが指先を動かすと、光の粒子がミニチュアの老人と、5人の子供を対峙させる。
「あの子達は5人でそれを成し遂げた。従魔師たる者は1人で五天五柱を完璧に制御出来てこそ意味がある」
 ミニチュアの双方の背後には、黒と白に見立てた五天五柱が立ち、バトルを始めるが、早い段階で子供達が食べられてしまう。 えぐたらしい人形劇である。
「そうだとして、結果私に何をさせようと?」
「結論を言うなら、多少の痛みは伴うが、君に従魔師の適性を植え付けて俺の弟子になってもらいたい。そして、悪者から世界を救って欲しいんだ。いや、この場合はあれだな。『ねぇ、僕と契約して従魔師になってよ』」
「声は一緒ですけど、語呂とか全然違いません? それなら従魔少女テイムしょうじょとか。でも少女だなんて年齢でもないし、あら、いやだわ。好きなアニメだったので…ごめんなさい」
 話はどうでもいい方向に逸れているが、妹の治療が困難だと知った直後にラビリが現れたのは、鶫を納得させるには抜群のタイミングだった。
 まだ20歳の大人と呼ぶにはあどけなさの残る少女と女性の狭間に生きる鶫は、頬を赤らめながらに小さく頷く。 それは暗に従魔師として弟子になってもいいと返事をしているのだと、直ぐにわかる。
「じゃあ早速、妹さん治療をしようか」
 ラビリはそっと手を伸ばし、エスコートするように鶫を立たせる。
「だ、ダメ!! おねえちゃんの手を離して!」
 妹を預かってもらっていた待合室に向かおうとすると、何故か目の前には大粒の涙を浮かべ、スカートを両手でギュッと握りしめた鶲の姿がある。
 癖のあるふわふわの黒髪が窓から差し込む光に照らされて栗色に見える鶲、その美しさは眉目秀麗な整った容姿だけでなく、少女特有の儚さと相俟って天使のようにも見える。
「ヒタキ病気治らなくてもいい! だからおねえちゃんを連れてかないで!」
 ラビリは瞬く間に鶫の前から消え、気付けば泣きじゃくるヒタキを抱き上げる。 一度はきょとんとした表情を浮かべて泣き止むが、またジワジワとしわくちゃに歪めて泣き始めようとすると、ラビリはそのまま姿を消した。
「ヒタキっ!!!」
 余りに突然の出来事に、鶫は一拍遅れて妹の名を叫ぶが、その声を聞く者はもういない。
 ━━
 果てなく広がる、白い雲の絨毯。
 その雲の切れ間から覗く、広大な東京のコンクリートジャングル。
「ふぁ…すごい」
 ふよふよと浮かび、ラビリの胸に抱かれながら圧巻の光景に心奪われる鶲は感嘆の声を洩らしていた。
「凄いだろ鶲。こんな凄いのに、ここは世界のほんの一部なんだぞ? 病気を治さなくて、ずっと病院にいたら勿体無いと思わないか?」
「……でも、だんじょんますたーは、おねえちゃんを何処かに連れていくんでしょ?」
「なんだ、そんな事を心配していたのか? 」
 ラビリが指先に息を吹きかけ、投げキッスをするように指を広げると、そこには色とりどりのパステルカラーの花弁が舞い散る。
 その幻想的な光景に、鶲は目を奪われる。
「きれい……」
 鶲が美しく舞い散る花弁に目を奪われている間に、自身の胸の中に手を突っ込まれているなど思いもしない。
「お姉ちゃんを連れて行ったりはしない。もし連れて行くとしても鶲も一緒だ。だから心配しなくていいんだよ」
「うん、わかった。それならいい」
「いい子だね」
 ラビリがそっと頭を撫でると、既に其処は病院の廊下であり、心配そうに右往左往していた鶫が、安堵の表情を浮かべて駆け寄っている。
「鶲!あぁ、良かった」
「治してやったぞ。これから従魔師としてビシバシ扱いてやるから覚悟しておいて欲しい」
「本当に、本当にありがとうございます。私に出来る限りの事はさせていただきます」
 鶫は鶲を抱きしめながら、何度も何度も頭を下げる。 ラビリは照れくさそうに鼻の頭をポリポリとかいているが、直ぐに表情を引き締める。
「じゃあまずはこのブレスレットとアンクレットを装着してくれ」
 ラビリが取り出したのは、赤い宝石が塡めこまれた金細工の腕輪と足輪である。
「これは空気中に散布する魔素を吸収して、従魔師が魔物をテイムする際に行使する従魔術に適した魔力に変換する循環器だ。東京は割と魔素が多いから、先ずはコレを使って魔素の魔力変換を体に叩き込め」
「つけていればわかりますか?」
「絶対にわかる。存在しない循環機関を強引に作る魔道具だ。頭痛や腹痛なんて当たり前だ、慣れるまでは激痛が走る、まずは分散する各所の痛みを一箇所に纏めろ。おすすめは頭だが、辛いなら胸か腹にしてもいい」
 鶫は、言われるがままに、両手首、両足首に装飾品を装着すると、僅かに顔を歪めるが、直ぐに涼しい表情に戻る。
「トゲトゲのボールを、うまく回して丸くするんですね?」
「うん? あぁ、いや、まさか、いや 、そうだな。そんな感じだ。魔道具無しでそれが出来るようになったら呼んでくれ、少し席を外す」
 ラビリは何かを否定するように首を傾げ数度振りながらに、その場から姿を消した。

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