銀黎のファルシリア

秋津呉羽

あの日の空も

 戻ってきたリングハウスで、ククロは眞為からヒールを受けて怪我の治癒をしていた。驚いたことに……リングハウスには眞為の他に翡翠も待機しており、そわそわと心配そうにククロの帰りを待っていた。
 どうやら、事態を察したツバサがリングハウスに呼び集めていてくれたようだ。

「くそ……さんざんやってくれたな、ファルさんめ」
「満身創痍って感じだね」

 ツバサがそう言って苦笑するのも当然で……首筋の傷や全身の打撲は分かりやすいが、それ以外にも足一本をひっつかんでぶん回されたためか、関節も捻挫したかのように痛む。全身にまんべんなくダメージが入っている感じだ。
 まぁ、継続戦闘不可能なほどの致命傷が入っていないだけまだましかもしれないが。そこら辺は、ファルシリアが手加減した可能性が高い。

「ねぇ、ククロ。本当に大丈夫なの? 眞為さんのヒーリング技術を疑っているわけじゃないけど」
「大丈夫じゃねえけど、まだ戦える。てか、戦わんとな……お前や、眞為さんをファルさんと戦わせるわけにはいかん」

 ククロが真顔で言うと、翡翠はむぅ、と不満そうに頬を膨らませた。

「わ、私だって戦えるし!」
「お前の気概は買う。そして、一万歩譲って、その実力も認めてやるとして……だ。それでも、ファルさんと戦うには早すぎる。お前はファルさんがガチで蛇腹剣を使った時の恐ろしさを知らんからな」

 難しい顔で言うククロに対し、それでも不満なのだろう……翡翠がツバサにヘルプを求めるように視線を送るが、ツバサもまた申し訳なさそうに両手を合わせてみせる。

「ごめんね、翡翠さん。かばってあげたい気持ちはあるけど……ククロさんが言っているのは本当なんだよ。あの蛇腹剣、実際対峙した経験がある程度無いと、立ち向かうことすら困難な代物だし……なにより、相手があのファルさんだしね……」

 ツバサの意見に同意するように、ククロはバリバリと後頭部を掻いた。

「蛇腹剣自体がメンドクサイ代物なのに、同時にコンバットナイフの二刀流。更に、手持ちのアイテムを駆使してくる……爆薬に魔法石、スキル石に暗器、もう何でもアリだ。さっきの戦い、ファルさんが本気で俺を殺すつもりだったら、たぶん俺はもう死んでる」

 対人戦に限って言えば、恐らくS級冒険者中、最強。
 多くの冒険者が対人戦を『相手』と『自分』の二点で捉えるのが限界であるのに対し、ファルシリアだけは相手と自分を含む『空間』で捉えているのだ。
 『場』を支配するといえばわかりやすいか。ファルシリアを相手に戦った場合、正対しているにもかかわらず、囲まれているという訳のわからない状況が発生するのである。ククロがファルシリアに向かって突進しているにもかかわらず、蛇腹剣で背後からの奇襲を受けたのが良い例だ。

「しかも、今のファルさんは修羅だ。復讐を邪魔された場合、本気で殺しに掛かってくる。翡翠も眞為さんも殺させるわけにはいかんし、体の一部が欠損なんてなったら目も当てられん」
「蛇腹剣は直撃されたら、そこの肉が抉れてボロボロになるからね。損傷が激しくてヒーリングでも治らない……直撃をもらったら、もうその部位を切り落とすしかない」

 熟練の冒険者であるツバサとククロの言葉に、翡翠がごくりと唾を飲む。
 確かに翡翠は本物の才能を持ち、成長著しいが……恐らく、ファルシリアのような相手と戦ったことはないだろう。時に、経験とは才能を凌駕することがあるが、まさにこの事だといっても過言ではないだろう。

「じゃぁ……私は何をしたらいいの?」

 素直に聞いてくる翡翠の言葉を聞き、ククロはツバサに声を掛ける。

「確か……呆然自失状態だったファルさんが、『もう一度、ここでスウィリスと……』って言っていたし、三日後に生家周辺で戦闘ってところかな」
「確証はないけどね。あそこ周辺で張り込みしかないね」

 それを確認して、ククロは翡翠の方へと顔を向ける。

「俺とツバサさんが半殺し状態で戻ってきた時に備えて、近くの村で眞為さんと一緒に待機しててくれ。冗談を抜きにして」
「ククロとツバサさんの二人掛かりでも勝てないの?」
「そもそも、ファルさんが一対二で戦うような状況を作るとは思えんし……」
「そうだね」

 ククロの言葉にツバサが苦笑いを浮かべて答える。
 体を軽く動かして、ヒーリングの効き具合を確認しながら、ククロは大きくため息一つ。

「なんにせよ、これまでにない死闘になる。覚悟は決めていかないとな」

 ククロはそう言って、気を引き締めるように己の頬を叩いたのであった……。

 ―――――――――――――――

 瞬く間に三日の期間が過ぎ……約束の日の昼間。
 イーストルネの生家の近く――父親が殺された場所にファルシリアは立っていた。

 幸福だった父との生活はこの場で破壊され、そして、ファルシリアはスウィリスと一緒に生活するようになった。父の復讐を果たすために、スウィリスが課す厳しい訓練を必死でこなす日々。挫けそうになったこともあったし、温かく優しい父の温もりを思い出して涙した日もあったが、それでも何とかやってこれたのは、やはりスウィリスのおかげだったのだろう。

 ぶっきら棒なスウィリスとの会話が弾んだことはあまり記憶にないが……それでも、スウィリスはファルシリアを大切に育ててくれた。
 スウィリスがいなければ、ファルシリアはここまで育つことはなかっただろう。ファルシリアにとって、スウィリスは師であり、同時に家族も同然の存在だったのだ。

 そう……思っていた。

 ただ、それはファルシリアの思い違い……幻想だったのだろう
 人生を賭けて追い求めていた父の仇は、最も近くにいたスウィリス本人で。そして、スウィリス自身もそのことを黙りつづけていた。ファルシリアを騙していたのだ。

「…………」

 ファルシリアは空を見上げる。
 蒼穹を微かにも確認できない曇天。厚く、低く垂れこめた雲は太陽を遮り、今にも泣きだして雨滴を降らせんとしている。そう言えば父親が死んだ日も、こんな風に厚く雲が空を覆っていたと、ぼんやりとファルシリアは思った。

 大きく息を吸い、吐く、吸い、吐く、吸い、吐く、吸い、吐く。
 呼吸を繰り返し、己を一つの凶器の如く研ぎ澄ませてゆく。
 余計な感情は捨てろ。過剰な思考は切れ。躊躇いと迷いは唾棄すべきものだ。
 あるのは憎悪。そして狂気。
 手にするのは徹底的にメンテナンスを施してきた蛇腹剣とコンバットナイフ。道具袋には最悪の場合を想定して殲滅魔法が封じられた魔法石も持って来てある。負けるようなことがあれば、その時はスウィリスも巻き込んで自爆する腹積もりだ。

 この十日間……スウィリスの抱えているモノが何なのか、考えようとしたこともあった。
 だが、いくら考えた所でスウィリスが語らなければ全ては、ゴミにも等しい推論と、ファルシリアが縋りたい願望に過ぎないと気が付いた。

 だからこそ……全て斬り捨てた。

 厳然とそこにあるのは、『スウィリスが父を殺した』という一点のみ。
 それだけを繰り返し頭の中で唱え、己の中にある怒りと恨みを燃え上がらせてきた。もう、スウィリスが目の前に来ても、躊躇うことなく蛇腹剣を振り抜けると確信できる。

 背後、微かに草むらが揺れるような音がした。
 静かに振り返れば、そこにいたのは深緑のフードを脱ぎ、すでに臨戦態勢に移行しているスウィリスの姿。ファルシリアはその姿を認めると、無言で腰の蛇腹剣を抜き放ち、左手にコンバットナイフを構えた。

 森の動物たちが恐れて近寄らぬほどに、圧倒的な威圧感を放つファルシリアを見たスウィリスは、満足そうに微笑むと口を開いた。

「良い殺気だ……覚悟はできたようだな」
「…………うん、貴女をこの場で殺す」

 ファルシリア自身でも驚くほど冷たい声が出た。それを聞いたスウィリスは、無言でコンバットダガーを構える。そして、一瞬の静止の後、二人は弾かれたように殺し合いを始めたのであった……。

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