銀黎のファルシリア

秋津呉羽

父親の仇

 一昼夜、馬が潰れるまで飛ばして、ファルシリアは何とかイーストルネの生家へとやって来た。ずっと馬上の人だったため、全身が軋んでおり、肉体は休息を求めていたが……心がそれを軽々と押し流すほどに急いていた。

「スウィリス! スウィリスッ!!」

 ログハウス周辺には、ミスリアのものと思われる血痕が所々に散乱しており、彼女がここで激闘を繰り広げたということが如実に証明されていた。また、ログハウス自体にも血痕が付いている上に、銃撃戦が行われたのか弾痕がいたる所に残っている。
 普段は、どこか優しげな面持ちで迎えてくれるログハウスが、得体の知れない場所に見えてしょうがない。ファルシリアは、無意識のうちに腰の蛇腹剣に手が伸びていることに気が付いて、ハッと手を引っ込めた。

 ――この先にいるのは敵じゃない……スウィリスなんだ……。

 ただ、ファルシリアは気が付いていない。
 腰の剣に手を伸ばさせたのは、ファルシリアがこれまで冒険者として培ってきた直感だ。それが、どういう意味を持っているのか、普段の彼女ならば気が付いていたかもしれないが、今のファルシリアには理解することができなかった。

 ゆっくりと、扉を開くと……その中は更にひどいものだった。
 散乱した家具、いくつも穴が開いて中の羽毛が飛び出したベッド、倒れて中身がぶちまけられている箪笥、そして、壁にいくつも開いた銃痕と転がっている薬莢。
 そして……その奥では、まるでファルシリアがここに来るのを分かっていたかのように、腕を組んで待っていたスウィリスの姿があった。

「来たか」
「スウィリス……これ、どういうこと……?」

 ファルシリアは、周囲の異変を……目の前に広がる、ミスリアとスウィリスが戦った痕を指差して、そう問うた。きっと、これは何かの間違いだと、そう言って欲しい……そう心の中で願いながら。
 だが……現実は無情だった。

「分かっているだろう?」
「………………」
「ミスリアという小娘と撃ち合った」
「………………」

 スウィリスが端的に答えたのはそれだけだった。
 まるで、そこから先の言葉をファルシリアに言わせたがっているかのように、スウィリスはそれ以上、何も答えない。

「み、ミスリアが……」

 窒息してしまうのではないかと錯覚する程の息苦しさの中、ファルシリアは必死に息を吸い込んで、言葉を紡いでゆく。

「スウィリスが……お父さんの……仇だって……その、薬莢の刻印が……」

 言葉が上手く口から出てこない。溢れ出てくる感情が優先して、言葉にならないのだ。
 そんなファルシリアの姿に、スウィリスは大きくため息をついた。まるで……お前には、あきれ果てたと言わんばかりに。
 そして……ファルシリアに浸透させるかのように、ゆっくりと口を開いて語り始めた。

「あれは雨の日だったか……お前の父親は強かったよ。蛇腹剣を使いこなし、私のスローイングダガーや投げ矢、果ては銃撃までも見切って対応してきた。戦う姿は鬼気迫っており……なるほど、確かに熟練の戦士だと感じたものだ。戦ってすぐに、真正面から戦ったのは悪手だったと悟った」
「…………何を言ってるの?」

 聡明なファルシリアの頭の中では、それが何なのか理解はできていた。だが……感情がそれをくみ取ることを許可しない。完全に硬直してしまっているファルシリアを置き去りにして、スウィリスは滔々と語り続ける。

「だが、甘い男だった。私が完全にバランスを失い、致命打を浴びせられるタイミングになって……私を殺すことを躊躇った。だから、私はその瞬間、至近距離からダガーで腹を抉り、そこに銃撃を浴びせた」
「ま、待って……待って……」
「さすがにこれには参ったようだった。腹を抱えてその場から離脱しようとしたので……その背中にナイフを突き刺した。ファルシリア、お前が犯人の手掛かりだと、後生大事に持っているそれだよ」
「………………」

 ずん、と道具袋が重くなったような気がした。
 無意識に道具袋の中に手を入れ、そして、取り出したそれは……見慣れた、どこにでもあるようなナイフだった。

 見間違えるはずもない。

 挫けそうになった時、膝を折りそうになった時、泣き叫びそうになった時、いつだってこのナイフを見て自分を奮い立たせてきた。このナイフの持ち主を殺し、父の仇を取るのだと自分に言い聞かせてきた。
 そして、その殺意を向け続けてきた相手は――今、目の前にいる。
 ファルシリアの視線の先、スウィリスは普段から身に着けている目隠しとマフラーを取り、フードを外して顔を上げた。露わになる素顔は、家族と同様に見慣れたものだ。
 そして、同時に……スウィリスが本気で戦う予兆だということも理解していた。

「ファルシリア、父親の仇を取りたいなら本気で殺しに来い」
「い……嫌だ!」

 一歩、二歩と後ずさるファルシリアを見て、スウィリスは大きくため息をついて……次の瞬間、二人の間にあった距離を踏破して襲い掛かってきた。
 長く冒険者を続けてきたファルシリアの感性がこれに反応。無意識のうちに腰の蛇腹剣を抜き放ち、スウィリスのコンバットダガーを受け止めた。
 金属と金属をすり合わせる耳障りな音が響き渡り、火花が散る。

「どうした、ファルシリア。このままでは殺されるぞ」
「なんで……どうして!!」
「それを知りたければ、力づくで吐かせてみることだな」

 スッと次の瞬間にスウィリスの体が沈み込み、ファルシリアの腹にアサルトブーツの蹴りが突き刺さる。腹に力を込め、自分から後ろに飛ぶことで何とかこの衝撃を逃したファルシリアは、ログハウスから飛び出し、背中から地面に叩き付けられた。
 すぐさま受け身を取って跳ね起きるが……その時には、すでにスウィリスは迎撃態勢を整えていた。スウィリスがすぐ傍の空間をダガーで薙ぐと、ピンッと張っていた『何か』が切り裂かれて……近くの林から、猛スピードで矢が飛んできた。
 しかも一本や二本ではない。ファルシリアは慌てて下がりながら、道具袋からコンバットダガーを取出し、両手で対応するものの……。

「つぅ……ッ!」

 一本の矢が、肩に突き刺さる。肉を抉り、鏃が身に埋まる感触に悪寒がするが、それを何とか歯をくいしばって耐える。そして、激痛を覚悟して矢を引き抜いた。
 身の毛がよだつような音ともに矢が抜け、ファルシリアのシャツが真紅に染まる。
 そんなファルシリアを、ログハウスの上からスウィリスは冷めた視線で眺めている。

「どうした、腑抜け」
「そんなこと……っ!」

 そう叫んで、ファルシリアは蛇腹剣を振り抜くが……しかし、普段の冴え冴えとするようなキレが出ない。無論、そのような魂のこもっていない剣撃が、スウィリスに通用するはずがなく、アッサリとダガーで弾かれてしまう。
 荒く息をついて、肩口をかばうファルシリアを、スウィリスはじっと見ていたが……自分に言い聞かせるように頭を振った。

「話にならない。仇を討ちたいなら、父親を殺した私が憎いなら、もう一度私の所に来い。十日後、またここで待っている」
「ま、待ってッ!!」

 だが、ファルシリアの悲痛な叫びは、背を翻したスウィリスには届かなくて。悲痛なその叫びが聞こえていないように、スウィリスは足早に……そして、無防備にファルシリアに背を向けて去っていった。
 やろうと思えば、その背に向かってダガーを投げつけることもできただろうし、蛇腹剣を振り抜くこともできたかもしれない。けれど、ファルシリアはそのどれもができなかった。
 ただ……呆然とその場で立ち尽くすことしかできない。

「どう……して……」

 自分を取り巻く状況の全てに対してそう呟くと、頬を熱い涙が伝ってゆく。
 なぜ……その言葉が脳内をグルグルと回ってゆく。

 父親を殺したのはなぜ?

 私を今まで育ててくれたのはなぜ?

 今になって自身が仇だと言いたすのはなぜ?

 分からない。何も分からない――理解したくない。

 結局……ファルシリアは、遅れて到着したククロによって回収されるまで、その場で涙を流し続けたのであった。ただ、その心の中に憎悪の種火をくすぶらせながら……。

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