銀黎のファルシリア

秋津呉羽

ハルが抱えているモノ

 太陽が山の稜線に向かって沈み始めるころ、ようやくベア討伐は終了した。
 ベアの爪が20本……『ブンブン峠のベア討伐』が一単位5本なので、四単位分狩ることができたわけである。なかなかの成果だ。

「つっても、大体は眞為さんのおかげだけどな」
「眞為お姉ちゃん、強かったです!」
「ふふん」

 ハルも頑張っていたのだが、いかんせん、腕力とファルシオンの威力が足りない。チクチクとダメージを蓄積して倒せても、ベア一匹に数時間かかってしまう。
 そこで出番が回ってきたのが眞為である。アイアーナス製の合金竪琴で、次々とベアを殴り殺す吟遊詩人……先ほどから『何かが致命的に間違っている気がする……』と翡翠がしきりに呟いているが、些細な問題だろう。

 悲しい事に、『全てはパワーで解決できる!』がこの場の圧倒的多数であった。
 まぁ、そんなこんなで今回の討伐クエストも無事に終了。
 馬車で自由都市ユーティピリアに帰ってきたククロ達は、普段通りにその場で解散となった。相変わらず首をひねる翡翠と、クエスト報酬で次は超合金竪琴を作ると豪語する眞為を見送ってから、ククロも家路につこうとして……不意に、背後に気配があることに気が付いた。

「……どうした、ハル」
「あの、師匠……これ……」

 そう言って、ハルが差しだしてきたのは今日、クエストで手に入れた報酬金だった。
 一体何事かと聞こうとして――全てを察したククロは、今までで一番大きなため息をついて、額に手を当てた。本気で頭痛がする思いで、ククロは静かに口を開いた。

「あのなぁ……まぁ、一応聞いておくが、これは何だ?」
「あの、アタシが付きまとってるせいで、師匠の稼ぎが悪くなってるだろうから……その、せめて、アタシの報酬を合わせれば多少は……」
「俺は、家で酒びたりになってるダメ親かよ……見損なってくれるな」

 確かに万年金欠のククロだが、こんな小さな子供から金を巻き上げることができるほど、人間ができている訳ではない。ククロはガシャガシャと鎧を鳴らしながらハルの傍に近寄ると、無言でハルの頬に張ってあった大きめの絆創膏を剥がした。

「痛!? あっ…………」
「切り傷……しかも、それ、人間がつけたものだろ」
「…………」

 ハルは無言。
 痛々しい沈黙だけがその場に檻のように溜まっていくのを感じながらも、ククロは視線を逸らさない。毎回なのだが……この少女は、どこかで打撲や切り傷を頻繁に作ってくる。
 翡翠や眞為はそこまで気にしていなかったようだが、ククロは目ざとくその事に気が付いていた。そして、その傷の向こう側にある理由にもまた何となくだが、察しがついていた。

「お前が毎回つけてくる傷は『人間が付けた傷』だな。一時期は見慣れるほどに見た傷だ。それぐらい分かる」
「…………」

 一瞬の逡巡がククロの脳裏をよぎる。
 絶対に面倒くさいことになるという確信がある。冒険者としての理性が関わらない方が良いと大声で騒いでいるのだが……同時に、ファルシリアやツバサだったら、こういう時にどうするだろうと考える自分もいるのだ。

 頭の中で『干渉』と『無視』でぐらぐらと揺れていた天秤は、けれど、目の前にいる、瞳に涙をこれでもかと溜めた少女を見て、『干渉』の方に振り切った。

「……ほれ、言ってみ。色々と事情があんだろ?」
「ひっく、ひっ、えぐ……う、うえぇぇぇ…………」

 ――わー、泣き始めた……。

 ここ数日間、らしくないことが続いているなぁ、と頭の中で考えながらもすでに踏み出してしまったことである。ここで抱きしめるなり、頭を撫でるなり、すればいいのだろうが……あいにく、全身鎧を着こんでいる身だ。
 ボケーッとハルの傍らで待っていると……彼女はグスグスと泣き止み、強く目元をこすった。そして、しょんぼりと肩を落としたまま小さく口を開いた。

「黙っててごめんなさい……」
「いや、別に怒ってねーよ。事情があって冒険者やってる奴は多い。お前もそうだったってだけだろ。んで、お前が抱えているその事情とやらは何だ?」

 ククロがそう言うと、少しずつ、少しずつ、ハルは事情を語りだした。

―――――――――――――――

 なんでも、ハルの父親と母親は元冒険者だったそうだ。
 父と母も優秀な冒険者で、無理なクエストを受けなくても一家が食べていくには十分すぎるほどの報酬を手にしていたらしい。父と母が冒険をしている頃は、家族も仲が良く、一家団欒の時間もあったんだとか。
 だが……父と母がとあるダンジョンに潜ってから、生活は一変した。
 そのダンジョンの名前はディメンション化ノースダンジョン。その名の通り、ノースダンジョンがディメンション化したものだ。
 サウスダンジョンがディメンション化した際に、ファルシリアが招集されたように、強力なダンジョンがディメンション化した際は、優良冒険者が招集される場合が多い。そして、多数の冒険者達によってモンスターを倒し、ディメンション化を鎮静化させるのである。
 この時、ハルの父と母もディメンション化鎮静に召集されたのだという。
 
―――――――――――――――

「ちょ、ちょっと待て」

 と、ここまでハルが語ったのを聞いて、ククロはストップを入れた。
 首を傾げるハルとは対照的に、ククロはマズイものを引き当てたと言わんばかりに、顔を渋くする。そして、己を落ち着けるように大きく深呼吸をすると、ハルに問いかけた。

「それは5年前の話か?」
「え……何で知って……?」
「有名な話だからな。ディメンション化ノースダンジョンを鎮静化させるために優良冒険者達が招集され、そして……一層まで這い出してきた三層ボス『ノーライフキング』に全滅させられた、だろ」

 重苦しい表情のままハルは頷く。
 5年前というまだ記憶に新しい惨劇……ノースダンジョン事変である。

 アンデッド系のモンスターが多く生息するノースダンジョンにあって、その王として君臨するノーライフキング……その戦闘力は圧倒的であり、多くの冒険者がその前に膝を屈した。
 だが、圧倒的な戦闘力を持っているのはどこのディメンション化ダンジョンのボスも同じだ。言い換えてしまえば、強いだけなら特に問題はなかったのである。
 だが……このノーライフキング、異常とも呼べる特性を持っていた。

 殺した冒険者をアンデットとして下僕化することができるのである。

 三層まで攻略されたことがなく、ノーライフキングの情報がまるでなかった冒険者達は大混乱に陥った。当然だろう……先ほどまで仲間だった者達が、死者となって襲い掛かってきたのだから。
 さらに厄介なのが、下僕化した冒険者は、生前とほぼ同じレベルのスキルを有するということである。つまり、A級冒険者が死んで下僕化した場合、それと同レベルのアンデッドモンスターができあがるということなのだ。
 そこまで考えて、ククロは呻くように声を上げた。

「お前、それじゃもしかして……」
「お母さんが……」

 下僕化したというのか。

 そして、死者となった今もまだ……ディメンション化ノースダンジョンの中を彷徨っているというのか。

「お父さんはその時に片腕と片足を切り落とされてしまって、冒険者を続けられなくなって……今もずっと、お母さんのことを思って苦しんでいる」
 
―――――――――――――――
 
 現実は厳しい。
 片腕と片足を切り落とされたハルの父は、冒険者を続けられなくなり……生活は一気に困窮した。片腕、片足の状態ではまともな職にも着けず、ハルの父は母の幻影から逃げるように酒に走った。
 毎日、浴びるように酒を呑んでは吐き、気を失っては眠るという生活。
 母の面影を持つハルに対してもきつく当たるようになり、酒瓶の破片や、拳が飛んでくることがしょっちゅうになった。『お前のことを見捨てた俺のことを、今も許していないんだろう!!』というのが父の口癖だ。

 ディメンション化ノースダンジョンで何があったのか……どういう戦いを経て、母は下僕化したのか、察せられるというものだった。
 だからこそ、ハルは立ち上がった。
 昔の生活を取り戻すために、そして、父の過去の因縁を断ち切るために。
 下僕化した母を殺すため――父が昔使っていたグラディウスを腰に下げて、ハルは冒険者となったのだ。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品