銀黎のファルシリア

秋津呉羽

轟腕のアガートラーム

「S級冒険者といえども人だろ!! だ、誰かアイツを止めろよ!!」

 悲鳴にも似た咆哮が坑道に響き渡り、けれど、それを塗りつぶすような凄絶な打撃音が途切れることなく鳴り続ける。
 そう、確かにS級冒険者も人間だ。
 だが……S級という称号は、常人からは考えられないような過酷な修練と、それを続ける超人的な意志を持った者にしかたどり着けない。
 その強さはもはや、『人』と呼んでいいのか躊躇われる程であり、圧倒的な火力を持ってドラゴンを吹き飛ばし、ゴーレムを粉砕。超絶的な技巧を持ってサイクロプスを圧殺し、ベヒモスを瞬殺してしまうのだ。
 ならば、S級冒険者の前に立った人間はどうなるのか……そんなこと、語るまでもない。

「覇ッ!!」

 枯れた枝がまとめて折れるような音を立てて、ツバサの蹴りを脇腹に喰らった男が壁に叩き付けられ動かなくなった。ツバサは続く動作で地面を割り砕かんばかりに踏み込む――縮地で瞬時に距離を詰めた。そして、しゃがみ込んだ動作から一人目の顎を蹴り砕き、二人目の眉間を穿ち、三人目のコメカミを爪先で蹴り抜いた。
 快音三打。
 一切の躊躇いと容赦もなく急所に蹴撃を受けた三人は、瞬時に肉塊と化して、壁に叩き付けられた。すでにツバサの背後には死屍累々……数え切れないほどの死体が山を築いていた。
 この間、一度としてツバサは足を止めていないにもかかわらず、息の乱れの一つもない。

「う、撃て撃て!!」

 遠くからボウガンによって放たれた矢が接近するが、ツバサは一瞥して軽く体を傾けるだけで、その全てを回避。無言のままに縮地で相手との距離と詰めると、これも蹴り殺してしまった。
 まさに圧倒的。
 荒野を行くが如く、一切足を止めること無く前進してゆく。
 だが、これほどまでの無双ぶりを発揮していながらも、ツバサの中には優越感や快感はなく……ただただ、焦りだけが募っていた。

 ――サクラッ!!

 想うのはただ一人、このアジトのどこかに囚われているであろう想い人だけ。
 もうすでに相当な距離を走ってきた。片っ端から部屋を開き、立ち塞がる敵を倒してきた。
 だが……未だにその姿は見つからない。

「サクラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 哀切の咆哮を上げながら、眼前の一際大きな扉を蹴り開けたその先……そこに展開した光景を前にして、ツバサは目を見開いた。

 檻。
 檻、檻、檻、檻、檻、檻、檻、檻、檻、檻、檻、檻、檻、檻、檻。

 ズラリと並んだ鉄格子、そして、呻き声と泣き声。無造作に並んだ檻の中には、希望を完全に失い死んだ目をした人たちが放り込まれており、絶望を全身から漂わせている。
 ツバサは、今までこれほどまでに雑に人間を管理されていた場所など見たことがない。アジトが洞窟の中にあったとしても、ここはノーザミスティリア……極寒の地だ。こんなことをすれば、投資する人間が出てしまってもおかしくない。
 事実、檻の中に放り込まれた人の中には、重度の凍傷の果てに体の部位が欠損してしまっている人も見受けられた。あまりにも……あまりにも、残酷すぎる。

「っ……くそ、サクラ! どこだ、サクラ!!」 

 この中にサクラがいる……そう考えただけで背筋が凍る思いをしながら、ツバサは駆け足で檻の中を確認しながらサクラの姿を探す。本当なら、優良S級冒険者として、この場にいる人たちの解放を最優先するべきなのかもしれないが……今のツバサの頭の中には、サクラしかない。この場にいる人たちに、心の中で詫びながら、ツバサは駆け足で牢屋の前を横切る。
 と……その時だった。

「……ッ!? あぐっ!?」

 サクラの姿を探すあまり、その牢屋の中から放たれた矢を回避することができなかった。
 ズブリと、ツバサの肩に矢が突き刺さった。灼熱の痛みを感じたのは一瞬、ツバサはすぐさま肩に突き刺さった槍を引き抜いた。鏃の『かえし』が肉を抉り、痛覚を滅茶苦茶に刺激するが……それを、歯を食いしばって耐える。

「おや、随分と素早い判断ですね、さすがはS級冒険者のツバサ様……」

 眼前、暗闇の中から声が響く。
 視線を向けてみれば、そこには長髪で細面の男が立っていた。
 病的な男だ。肌は青白く、その腕や足は筋肉がついているのか疑いたくなるほどに細い。頬もこけており、パッと見た限りでは風が吹いただけで倒れてしまいそうに見えるが……異様なのはその右腕だ。
 金属なのだ。義手であるならばわかる……だが、まるで金属そのものが有機物であるかのように、自然な動きで動いているのだ。無機物が有機的な滑らかさで動くその様は、言葉にできない不気味さを感じさせる。
 ツバサは、そんな奇抜な腕を持っている者を一人だけ知っている。

「轟腕のアガートラーム……裏にいたのは貴様だったのか」
「おや、S級冒険者のツバサ様に知っていただけているとは光栄……ケヒヒヒ」

 耳障りな笑い声を残しながら、男――アガートラームは、気取った仕草で頭を下げる。その動きは、その枯れ枝のような細い手足も相まって、まるでマリオネットの様ですらあった。
 だが……。

 ――大物が出てきたな。

 アガートラームの二つ名……轟腕。
 その名の通り、神の呪いを受けることで、人という枠を超越した怪力を有する男。この男によって殺されたS級冒険者もいるほどだ。その実力は、例えツバサであっても油断することができない。

「サクラを返してもらいに来た……もし指一本でも触れてみろ。貴様を――」
「そう焦らなくてもあんな田舎臭い娘、好んで抱きませんよぉ。きちんと奥の牢屋に突っ込んでいますし、部下にも手を出させていませんよぉ」

 アガートラームは嫌そうにそう言った後、人差し指と親指で丸を作ってみせる。

「私が欲しいのは輝かんばかりに美しいモノ、金貨とかもそうですねぇ、ケヒヒヒ。まぁ、必死に足掻く人間ほど美しいものもありませんでして……」
「お前の趣味嗜好など知ったことじゃない」
「おやおや、素っ気ない……でも、知っていますか?」

 そういって、ニヤニヤと笑いながらアガートラームはツバサにいやらしい笑みを浮かべてみせる。

「ああいう土臭い処女は、結構成金趣味のオッサンに高値で売れるんですよねぇ……」
「黙れ」
「ケヒヒヒ!」

 今すぐにでもその顔面を殴り飛ばさんと魂が叫ぶが、それを必死に押し留めて、ツバサはポーチから魔法石を取出し、傷口に当てる。すると、ポウッと淡い光が傷口を包み込み、微かに感じていていた痺れが消え去ってゆくのを実感する。
 先ほどの矢……微かにだが毒が塗ってあったのである。こうしてアガートラームがわざわざ姿を現して話しかけてきたのも、ツバサに毒が回る時間を稼ぐためだったのだろう。
 恐らく、挑発してきたのもそれが目的だ。
 そんなツバサをつまらなそうに見ながら、アガートラームは首を振る。

「『ディスペル』の魔法石ですか……冷静ですねぇ、素晴らしい。目の前であの女を犯してやった方がよかったですかねぇ。あぁ、でも処女じゃないと価値が半分以下になるんですよねぇ。うぅぅぅぅぅぅぅん、悩ましいぃぃぃぃ!」
「黙れと言ったはずだ」

 ヒールサプリを噛み砕くと、ツバサはドンッと地面を踏み抜いた。
 瞬間、その姿が消える。縮地による彼我の距離の踏破――瞬時にアガートラームの目の前に現れたツバサは、その憎たらしい横面に右蹴撃を見舞い……。

「うぅぅぅぅぅぅぅん、速い。その上、強い。さすがはS級冒険者のツバサ様……私の見立て通りだ……」

 今まで幾多の強者を屠ってきたツバサの蹴撃が、枯れ枝のような右腕一本に止められていた。だが、それはツバサとて予想の範疇。
 右足を支点としてグルンと回転したツバサは、顎を下から蹴り抜かんと狙うが、それも上体を逸らされて回避されてしまう。

「ちッ!」
「ケヒヒヒ、おしいおしい」

 バックステップで再度距離を取ったツバサは、構えながら大きく息をつく。
 アガートラームについては、その並外れた腕力について言及されることが多いが……その動体視力も驚異的なものがある。ただ、腕力が並外れているだけで、S級冒険者を相手にできるはずもない。
 相手の隙を狙うように、ジリジリと距離を測るツバサの目の前では、相変らず何を考えているか分からないアガートラームが、ニヤニヤと笑みを浮かべている。

「S級冒険者ツバサ……品行方正で、最優良、真っ直ぐな一本気をもつ正義漢。ギルドがお手本として新人冒険者に名前を出すのにもってこいの男」
「それがどうした」
「いえいえいえいえいえいえいえいえ、ただですよぉ……ずるいなぁぁぁぁぁと、そして、もったいないなぁぁぁぁぁと、私は思う訳です」

 何のことを言っているのか分からず、ツバサが眉をひそめていると、アガートラームは鋼鉄の腕を愛おしそうに撫でた。

「強さには代償が必要だ」

 そう言って、ツバサへと陰鬱な笑みを向けてくる。

「全ての強者は何らかの傷を持っている。罪を背負っている。醜く、とてもじゃないが他人に見せられるもんじゃない、歪な人格を隠している……それが強さのために、失ったものですよ」

 ケヒヒヒ、とアガートラームは嗤う、笑う。

「私もねぇ、この怪力を得た代償として寿命を大幅に失っておりましてねぇ……もう二年ぐらいしか生きられないんですよ、ケヒヒヒ。あぁ、この性格は生まれ持ってのものですから、追求するのはなしですよぉ」

 ツバサが駆け出し、次々と蹴りを繰り出す。だが、それを片っ端から右手で弾きながら、アガートラームは言葉を紡ぎ続ける。

「でも、ツバサ様……貴方は傷を持っていなぁぁぁぁぁぁぁぁい。代償も払っていなぁぁぁぁぁぁい。それだけの強さを持っていながら! それだけの名誉と名声を得ながら!」

 キリキリキリキリと、まるで人形のように首を傾け、ケヒヒヒと、アガートラームは嗤う。

「私は何人ものS級冒険者と戦ってきました。でも、貴方のように真っ直ぐな正義漢とは会ったことがない! …………だから、ちょっと試してみようと思ったんですよ」
「なに?」
「貴方の大切なモノを奪い、大切な友人と潰し合う……大切なモノを救うために、大切なモノを自分の手で失う決断をする……! おぉぉぉぉぉぉ、何たる悲劇!!」

 ピタリと、ツバサは蹴りを止めた。

「貴様……もしかして、たったそれだけのために……」
「ノンノンッ!! たった、なんて言うもんではありませんよ。それにこれはチャンスだったのですよ? もしかすると、今の貴方は成長途上なのかもしれないのですから!」

 まるで、見えない観客を相手するかのように、アガートラームは大きく手を広げる。

「失うことで得られる強さがあぁぁぁぁぁぁぁる! ならば、貴方はサクラという大切なモノを失うことで、更に強くなるかもしれない! 友人を失うことでもっともっと強くなるかもしれない!! まぁ? 見る限りでは友人の事はどうでもいいみたいですから? あの女を殺した方が良いかも知れませんが?」
「き……さまぁぁぁぁぁぁぁぁ!! そんなくだらない事で! サクラをッ!!」
「ケヒヒヒ、ああ、心配には及びません!! 死んだ女を犯すのが好きな変態の顧客もたくさん知っておりますので!! 処女であれば問題なく売りさばけます!」

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