銀黎のファルシリア

秋津呉羽

大蜘蛛

 二層はぱっと見では、一層に比べて天井が高い所以外は、特に何も変化のない場所だった。しかし、ククロが言っていた通り、普通はレアモンスターとして扱われているバグズ・バグが大量に発生している。珍しい光景ではあるが、欠片も嬉しくは無い。

 走り始めながら、周囲を観察していると……次第に、タマネギを切った後のように目がシパシパして、自然と涙がたまってきた。 目には見えないが、恐らく相当な臭気が漂っているのだろう。 ファルシリアは二層を駆け巡りながら、生存者を探す。一層で眞為のリングメンバーが見つかっていればいいが……そうでないならば、ここのどこかにいるはずだろう。

「……ぐっ」
 
 苔と藻が繁茂した悪路を、軽々と走るファルシリアだったが、その目の前に一つ目の巨人……サイクロプスが出現した。やはり、出現するモンスターはバグズ・バグだけ、というわけではなかったようだ。
 ファルシリアはサイクロプスを誘導するように、あえて大きく曲線軌道を描きながら近づいてゆく。ファルシリアの動きを大きな一つ目で見ながら、サイクロプスが大きく腕を振り上げる。

 そして、巨大な拳が振り下ろされようとした瞬間、ファルシリアの足が地面を鋭く蹴った。 強靱な脚力をもって強引に慣性を踏み殺し、ファルシリアの体が真横に跳ぶ。全力疾走からのサイドステップという荒業をやってのけたファルシリアのすぐ傍を、サイクロプスの拳が通過してゆく。彼我の距離は紙一重、だが、これほど余力を残した紙一重もあるまい。
 ファルシリアはそのまま華麗にサイクロプスの脇を抜けると、再び深部へ向けて疾走を開始する。追ってくる気配はあるが……ファルシリアの脚力にはついてこれまい。

 と……どこかでズドンと大きな音がした。

 恐らく……というか、確実にククロが戦闘をした音だろう。 ツバサならば、もっとスマートな倒し方をするはずだ。ファルシリアのように抜き去るよりも、殴り倒してしまった方が早いと判断したのだろう。

 ――要救助者発見。

 ファルシリアの視線の先、男女ペアの冒険者が倒れていた。 ぱっと見た限りでは派手な外傷はない。呼吸も確認してみたが……息はない。それでも、一縷の希望に賭けて、ファルシリアは二人を軽々と持ち上げると、先ほどまで走ってきた道を全力で折り返す。 もちろん、途中でサイクロプスに出くわしたが……コレもまた軽々と抜き去って、素早く一層に辿り着いた。そして、彼らを他の冒険者に投げ渡すと、再び二層へ。

 頭の中の地図と、先ほどまでファルシリアがいた場所をリンクさせて最短距離を選んで疾走する。口の中のキャンディーの感触は、あまり時間がないことをファルシリアに知らせている。 全力で走り、途中で出くわすサイクロプスを全てサラリと避け、最深部へと足を進める。

 ――そろそろ、最深部かな……。
 深緑の洞窟の最深部はドーム状の空間になっているはずだ。そこで、ボスと対面することになっていたはず。ディメンション化する前のボスである『タリモ』は、ほとんど脅威となりえないモンスターだったが、果たして……。

 ――見えた。

 ドーム状の空間に到着したファルシリアを待っていたのは……。


 ギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチッ!!


 全身を濃緑色の強固な装甲で覆われた、巨大な蜘蛛だった。ファルシリアが現れた瞬間、まるで威嚇をするようにガチガチと装甲を鳴らしてくる。今までにファルシリアも見たことがない……恐らく、このダンジョン特有のボスモンスターなのだろう。
 ククロとツバサの姿がないところを見るに、二人ともまだここまでやってきていないとみえる。 そして……そのボスモンスターの後ろに数人の冒険者の姿が見えた。
 冒険者達の手や足が妙な方向に曲がっている。ボスの攻撃をもろに受けてしまったのだろう。見るも無残な状況であった……が。

 ――胸が動いてる!!

 基本的にダンジョンのモンスターは、何も食べずに行動可能なので、冒険者を喰ったりはしない。冒険者を行動不能にすると、そのままその場を離れるのである。 そのため、息のある状態で発見されることも多い。

 ――迂回して、救助……してる暇はないか。やるしかない……ッ!!

 ファルシリアは覚悟を決めると、右手に蛇腹剣を、左手にコンバットナイフを構えて、大蜘蛛の前に立ち塞がる。象と小動物ぐらいの体格差がありながらも、ファルシリアの眼には怯億の色は全く見えない。今までも巨大なモンスターに立ち向かったことが幾度もある。この程度で怯えるようでは、S級冒険者は名乗れない。

「……っ!」

 最初に動いたのはファルシリアだ。 大蜘蛛を中心にして円を描くように走りながら、左手のコンバットナイフを次々と投げ放つ。 狙いは――足の継ぎ目、関節部、胴、腹、そして、目。手元が霞むほどの速度で、しかも、同時に角度が付けられたコンバットナイフは、正確無比な軌道を持って対象へと突き刺さる。

 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!

 弾かれるような硬質な音と、何かに突き刺さる音、そして、悲痛な大蜘蛛の咆哮が響き渡る。

 ――刃物が突き立つのは、目、腹の下、そして足の継ぎ目! ならば、まずは目を全て潰させてもらう。

 ファルシリアはそう思考して、その場で跳躍。 先ほど投げ、弾かれてクルクルと空中を舞うコンバットナイフに向けて……蹴りを放つ。空中で次々に体勢を入れ替え、舞うように放たれた蹴撃は、コンバットナイフの柄を見事に捉えた。
 運動エネルギーを与えられたコンバットナイフは再び飛翔。大蜘蛛の眼を潰さんと飛翔する。 だが……大蜘蛛も流石に二度目は警戒していたのだろう。 飛んでくるコンバットナイフを、足を大きく振ってまとめて地面に叩き落とした。 しかし、それすらもファルシリアの計算の内だ。
 ナイフを弾くために大きく曲げられた大蜘蛛の足――そして、完全に剥き出しになった足の継ぎ目に、蛇腹剣の剣先が突き刺さった。 更に、ファルシリアは手首のスナップを効かせ、蛇腹剣のワイヤーに微細な振動を伝えることで、剣先を更に肉へ食い込ませてゆく。

 ――スイッチ。

 ここでファルシリアは蛇腹剣の機構を作動させ、ワイヤーを収縮させた。弾かれるようにファルシリアの体が剣先に向かって飛ぶ。ガキンッ!! という音ともに蛇腹剣が元に戻った瞬間、ファルシリアは蜘蛛の足を蹴って跳ぶ。

 ――その目、まとめて潰させてもらう。

 蛇腹剣を横一閃……紫色の血液をまきちらしながら、全ての蜘蛛の眼が潰れた。あまりの痛みにのた打ち回る大蜘蛛から離れたファルシリアは……けれど、舌打ちしそうに表情を歪めた。
 ファルシリアの完全優勢。このままなら、無傷でこの大蜘蛛に勝つこともできるだろう。
 だが……いかんせん時間がない。 ファルシリアの口の中にあるキャンディーの感触は、もうかなり心細い。この先は、かなりの無茶を覚悟してパワープレイで、即殺する必要がある。

 ――パワープレイはククさんの専売特許なんだけどなぁ。

 ファルシリアはどちらかといえば手数の多さと、テクニカルな動きで相手を圧殺する方法を得意としている。その分、どうしても一撃一撃の重さが軽くならざるを得ない。そう考えれば、制限時間付きで、強固な装甲を持っているデカい相手、というのはかなり相性が悪い。
 まぁ……相性の悪い相手であっても、全ての眼を潰し、更に足を一本動けなくしている時点で、彼女の圧倒的な実力の一端が知れるというものである。
 その時だった。

 ファルシリアを飛び越えるようにして、一つの影が暴れる大蜘蛛に接近……そして、覇気を纏った踵が、暴れまわる蜘蛛の頭に直撃した。
 とても人間が放ったとは思えない轟音と共に、蜘蛛の体が地面に叩き付けられる。そこから追い討ちをかけるように、蜘蛛の装甲に手を当て――寸勁。
 ゼロ距離から装甲内部で衝撃を爆発させられ、大蜘蛛の体中から血が噴き出る。

 ――ツバサさん!!

 アサルトジャケットを翻して、ファルシリアの前に立ったのは、同じS級冒険者……ツバサだった。彼は小さく笑い、要救助者を指差し、次に入り口を指す。 その手信号だけで全てを察したファルシリアは、大きく頷くと大蜘蛛を迂回。
 ツバサが大蜘蛛に次々と有効打を放っているのを横目で見ながら、冒険者二名を確保。
 ファルシリア、ツバサの順にドーム状の深層を脱出。全速力で一層を目指す。
 通常、深層からボスモンスターが動くことはほとんど無い。もうこの時点で安全圏内だ……そう思ったのが間違いだった。
 大音量と共に大蜘蛛がドームの入り口を破壊して、土煙と土砂をかき分けて、猛烈な速度で追いかけてくる。流石にこれにはファルシリアもツバサも目を剥いた。ボスモンスターが冒険者を追いかけて深部から出てくるなんてよっぽどのことだ。体中を傷つけられたことが、よほど腹に据えかねたのだろう。

 ――こ、これはヤバい……!!
 猛然とファルシリアに向かって突進してくる大蜘蛛。殿のツバサが必死に攻撃を加え、足をへし折ったりしているのだが、それをものともせずに突っ込んでくる。
 驚異的な執念だ。
 このまま一層までついてきてしまった場合、C~Dランクの冒険者達が巻き込まれてしまう可能性が高い。この二層でケリをつけてしまわなければならないのだが……。

 ――く、キャンディーの残量が……!
 すでに口の中にキャンディーは存在しない。それは恐らくツバサもだろう。ほぼ無呼吸状態での疾走……更にここから迎撃戦に移るなど無理がある。
 忸怩たる思いを抱きながら、ファルシリアは一層への階段を上り、そして、大きく息を吸うと――

「皆! ここから逃げろ―――!!」

 大蜘蛛が地盤丸ごと二層への階段を突き破って出てきたのは、次の瞬間だった……。

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