After-eve

本宮 秋

forming 第8章


秋の終わりの冷たい雨。まさに時雨。

少しだけ雨に濡れた髪。

俯いたままの顔。

その姿だけで、わかってしまった。
お客さんが帰った後すぐに、アキさんはBGMを止めていた。静かに流れるジャズの音を…。
小雨が降り出し、外も静かだった。
よりによってアキさんとは、店の入り口近くで話をしていたのでドアを開けなくても、会話が聞こえていたかも…。
いや、聞こえていたんだろう。聞こえて、しまったんだろう。

やはり アキさんの言った言葉が、カオリさんには特に響いてしまったんだろうか?自分でさえ、聞きたく無かった言葉だったから。

アキさんがタオルを持って来て、何も言わずカオリさんの頭に掛けた…が、カオリさんはタオルを手に取り濡れた髪のまま、俯き佇んでいた。

自分は、この場を離れようと。
自分がいると、カオリさんが言いたい事言えないだろうし。それにカオリさんの姿を見ているだけで、自分自身が居た堪れない気持ちになったから。

入り口に佇んでいるカオリさんの背中を軽く押し中へ入れてやり、そっとドアを閉めた。

雨は、小雨程度だったが空は暗い雲に覆われていて雨脚が強くなりそうだった。

店の外には、車が無かった。
自分は、車を使わずに此処に来た訳だが
カオリさんの車も無い。
歩いて来たんだろうか?
雨が降りだしたのは、つい今しがたであるし。

仕方なく小雨の中、帰る事にした。
小雨といえども、雨粒が顔に滴る。
下を向きながら歩く。
切なそうなカオリさん、二度目だ。でも前とは状況も気持ちも全然違う。

『どうか、アキさん。優しい言葉で…
お願いします。』

自分には、そうアキさんに願うしかなかった。
家に近づくにつれ、雨が強くなってきた。

店の入り口のドアには『close』。
しかし入り口の上にある銀色のアルミで作られた袖看板は灯されたままで、時雨舞う薄暗い中で青白く…[After-eve]と。

「やっぱり…私じゃ、ダメなの?」

「聞いてたの?ドア閉めていても聞こえるのか〜。耳いいんだね、カオリちゃん。」

「茶化さないで!真面目に聞いてるんだから…」

「…聞こえていた通り。」

「どういう事?ダメって事?ハッキリ言って!」
やっと、俯いていた顔を上げ真っ直ぐ見ながらカオリが問う。

真っ直ぐ見返しながら、

「駄目って事。」

あまりにもアキがハッキリ答えたので、カオリの体が硬直した。口も少し開いたまま…声どころか息さえも出ない。

なのに…

涙だけが、流れていた。

悲しいと思う間も無かったのに…
無意識に流れ出していた。

「ど、どう…し…て?」

必死に絞り出したカオリ。

「まだ今は、カオリちゃんより大切な人が居るから…    だからカオリちゃんの気持ちには応えられない。」

「誰?   …あの人?だって、だっ…て、もう、居ないのに…。      忘れられない?
今も…」

カオリを見つめながら、頷くアキ。

「いいよ! アキさんそのままで。ただ、そばに いちゃだめ?」

「カオリちゃんだから…駄目。」

「そんなに嫌?わたし」

「いい女だから駄目!揺らいじゃう。」

「わかんない。わかんないよ、好きとか嫌いだけじゃ駄目なの?」

「カオリちゃんはそれで良いんだよ!自分の気持ちに正直で居れば。俺もね、自分に正直でいようと思ったから、自分の決めた事をやり通しているだけ。そしてその決めた事に…カオリちゃんは、居ない!ごめんね、どう頑張っても亡くなった人には、勝てないよね?」

「ず…るい、ズルいよ〜。私だって正直に…アキさん好きなのに。いつまで、居なくなった…ひ…との、事…
ごめんなさい、言い過ぎた。」

無言のままの時間が過ぎた。

外は、小雨が雨にすっかり変わっていた。

パンが並べられていたダイニングテーブルを拭きながら、
「俺はね、知ってるかもしれないけど
二人好きな人を亡くしてるんだよね。
一人目は病気で、二人目は事故で。医者じゃないから病気は、しょうがないんだけど。二人目は、俺の責任でもあるんだよ。事故の後になって防げていたかも知れないって都合良く思ったけど。」

手を止め、話を続ける。
「年が明ければ、2年になるか…。2年も経つのに何も変わらない。それが一番の理由かな。」

「アキさんが…もし、何か変わる日が来たとして…それまで待っていたら…ダメなの?」
いい返事が返ってこない事を、何処と無く感じながらカオリが訊く。

「ダメ!こう言ったらアレだけど、カオリちゃん若くは、ないんだよ?笑)俺よりは若いけど。あっという間だよ、歳取るのは。だから駄目!」

「待つ。これは私が決める事!私は待つから…」

「うーん。気が重いからやめてくれる?」 キツくアキが言う。

何か言いたかったカオリだが、今迄見た事ないアキの厳しい態度に声を失った。

家にいたマコ。暗くなり強めになった雨を見ながら、考えていた。
大丈夫だろうか…いつもならアキさんが上手くやってくれると思うのに、何故か今日のアキさんは…。

アキさんが言った事が、気になっていた。
『見続けて欲しい』って…
アキさんが、カオリさんの気持ちに応えれば済む事なのに。自分に気を遣っている?違いますよね?自分に、気を遣うなんて許しませんよ!

雨は止みそうもない。
アキさん送るよな?カオリさんの事。
でも、何か…。じっとしていられない気持ちを抑えきれなくなっていた。

…傘 、だけ置いてこようかな?

使わなければ、それはそれで良い事だし。適当な言い訳を自分に言いながら。
車でアキさんの店へ。駐車場では無く離れた所に停め、店のドアの横に傘を立て掛けた。
そっと…静かに、気配を消して…。

店の灯りは、ついたまま。静かだった。

そっと後ずさりしながら車に戻ろうとした時、
〈ガシャーン〉
足が止まった。何の音?
ふとよぎったのは、アキさんに何かあったのでは?以前、店の中で倒れていた事がフラッシュバックした。

ドアを開けた。

床にはパンを取り分けるトレーとトングが散乱していた。
慌ててアキさんを見ると…カオリさんがアキさんの胸にしがみつきながら肩口を叩いていた。声を出して泣きながら…

「いやだ!イヤっ!イヤだ〜!」
泣きながら必死に…。

「マコちゃん、悪い。送ってやって?」

「…いや、でも…」

「もう、話、終わったし」

その言葉を聞いた途端、カオリさんが店を飛び出した。
自分も、思わず店をでた。アキさんの存在を忘れる位、無我夢中で…。

雨が降りしきる中、濡れながら行こうとするカオリさんを追いかけ、腕を掴む。何度も…何度も、腕を振りきられても必死に掴み直し、強引に車に連れて行った。声にならない程、泣き続けるカオリさんを助手席に乗せた。
カオリさんの家の近く迄行った時、カオリさんが右手を自分の方に出した。
思わず、車を止めた。
家まで、あと少しの所で降りた。
雨が降りしきる中、静かに歩いて行った。自分は、その後ろ姿をただ見ているだけ…ただ、黙って運転席からガラス越しに見るだけしか…。

秋が…終わった。

この雨が…今年最後の、雨だった。

第8章       終

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