境目の物語

(ry

イルルの余興

 入り江から飛び出す。一瞬真っ白になった視界が晴れると、そこにはエメラルドに輝く海があった。
 いつも以上の輝き、色合い、そして開放感に、少しだけ違和感がある。けど意識はすぐに、正面を泳ぐイルカの霊獣イルルに移った。

「いたぞリティ!」
「ええ、私にも見えてる!」
「しかも100メートル未満、それほど離れてない」

 イルルは決して見失うことのない距離で、ときおり海上へ飛び上がりながら泳いでいた。アーゴさんの説明を聞いた分の出遅れがあったわりには、全然問題なさそうな距離感である。

「でもそんな余裕こいてていいのかな? あーしの泳ぎは内海最速だよ!」

 加速しながら、イルルは水中と水上それぞれに泡と水の輪っかを置いていく。俺たちは続いて、それぞれの輪をくぐって加速する。
 下手をすれば足を滑らせてしまいそうなスピードだ。しかし距離は一気に縮まる。
 次々に吐き出される輪っかをくぐって、俺たちは着実にイルルとの距離を詰めていく。

「へーやるじゃん君たち。アスレチック得意なんだね」
「これくらいなら獅子を狩るより楽勝だぜ!」

 疲れも忘れるスピード感を全身に受けながら、威勢よく言った。同時に吐き出された3つの輪っかを正確にくぐって、俺もリティも一気に加速した。
 すでに体感10数メートルほど。もう10秒もあれば追いつける自信すらある。

「そうそうその自信。あーしはそういうの大好きだよ」

 イルルは呟きながら輪っかを出す。今まで通り、俺たちはその中心へと飛び込んだ。

「……でもね」

 その時、わっかをくぐり抜けようとしたその時。
 突如、輪が黄色い閃光を放ち、激痛が俺の全身を駆け抜ける。

「うがっ!?」
「うぐっ!?」

 腹の奥から引きずり出されるように、俺たちふたりして喘いだ。
 電撃だった。くぐろうとした輪から、電撃が放たれたのだ。

「あははっ、そうそうそれそれ。信じてたものに裏切られた時のその反応はもっと大好き!」

 イルルはあえて宙返りして、嗜虐的な眼差しを向けながら楽しそうに言った。

 俺たちを殺すような電撃ではない。しかしその程度の激痛と痺れは、無防備なところから襲いかかってきた。直撃を受けて無事でいられるはずがない。

 リティは持ち前の体力で、俺は先日覚えたショックリペアで痺れを拭って、どうにか持ち直す。雷猫の前例があったおかげで、俺たちは再び走り出すことができた。
 さっきまでの加速は維持できない。イルルとの距離が空いてしまう。

「くっ負けるわけには……!」
「私も……!」

 俺たちはまだじんじんと残る痛みに顔を歪ませながらも、全力で加速しようとする。
 だがどういうわけか、今以上のスピードが出なかった。変わることのない距離感のまま、前方をイルルが泳いでいた。
 それどころか、

「はい、プレゼントあげる!」

 置くのみにとどまらず、自分のリングをくぐって加速し始めるイルルだ。
 負けてられない。俺もその輪っかをくぐろうとした。しかしその直前によぎる。

 この輪も罠なんじゃないのか?

 その考えは頭を経由するまでもなく、身体が本能的に躱す。
 しかし対するリティは躱さなかった。正直に泡のリングをくぐって、しかも加速した。

「「っ!?」」

 罠じゃなかった!?
 罠の可能性に遅れて気づいた様子のリティだって、俺と同じ反応だった。しかもイルルは笑いながら、次々とリングを吐き出した。

「優しい優しいボーナスタイムだよ。一気に加速して、あーしに追いつくチャンス!」
「くそっ」

 煽られて、咄嗟に飛び込んだ輪で、今度は熱波。罠があるとわかっているから身構えることはできるけど、スピードが落ちる事に変わりはない。
 それどころか、次に飛び込んだ輪っか。当たりではあったものの、想像以上の加速に俺は体勢を崩された。

 明らかに緩急が付いている。
 身構えた状態で過剰に加速させられては、体勢を維持できない。かと言って加速に集中すれば、罠だったときの影響が大きくなる。
 何が正解なんだ? くぐるべきなのか、それとも躱すべきなのか。わからない。

「ほらほらどうしたの? くぐんないとあーしには一生追いつけないよ。もしかして怖いの? へー怖いんだ。あっははは!!!」

 警戒して輪っかをくぐれずにいる俺たちへの、胸を貫くようなどぎつい煽り声だった。
 けどもしイルルの言う通りなら、このままでは絶対に追いつけない。自分の輪っかで加速し始めた本気のイルルに、俺たち自身の足だけでは追いつけない。

 なら輪っかをくぐるのが正解? それが本当なら攻略法が、罠かどうかを見分ける方法が何かあるはず。

 しかし、俺の目に映る輪っかは、どれも同じ。大きさが均等じゃないくらいで、色も雰囲気も全く変わりない。くぐってみるまで、罠かどうかはわからない。
 こうしている間にも、イルルはどんどん輪っかを吐きながら距離を離していく。観察のために輪を避けていては、追いつくどころか見えないところまで行かれてしまう。ならもう一か八かで輪をくぐるしか……。

「待ってラグ!」
「……っ!」

 諦めて輪をくぐろうと踏み込んだ時に、リティの声。ハッと我に返り、また輪を躱す。

「どうしたリティ?」
「あのね、私思ったの。見るべきものは輪っかじゃないのかもって」
「輪っかじゃない?」
「たとえばラグの能力って、私の目では瞬間移動してるように見えるんだけど、そのちょっと前に左目が変化してるよね。だからイルちゃんのも、イルちゃん自身の動きに何かあるかも」
「イルちゃんの動きに……か。わかった、見てみる」

 リティらしい、直感的なアドバイスだ。俺はいま一度この観察眼を利かせてイルルの動きを見る。

「ほっ、ほっ、ほいっ!」

 水中できりもみ回転しながら泡の輪っかを吐く姿。水上に飛び上がりながら水の輪っかを散りばめる姿。
 そして、自分で吐いた輪っかをくぐって、加速する姿。輪っかをくぐって加速する姿。

「もしかして……」

 加速する瞬間に注目してみる。

 水中水上関わりなく、イルルが加速する時は、必ず輪っかをくぐっていた。
 いやむしろ、くぐった輪っかすべてで加速している。

「わかったかもしれない」

 俺は罠への警戒心を捨てて、目押しをつけた輪っか、イルルがくぐった輪っかに飛び込んだ。そして、思った通り急激に加速した。

「やっぱりそうだ。イルちゃんがくぐった輪っかは罠じゃない!」

 他の輪はわからないけど、他の輪にも加速できるのは混ざってるかもしれないけど、イルルがくぐった輪っかだけは確実だ。
 なら俺がすべきことはひとつ。

「リティ、今から俺が言う輪っかだけくぐってくれ。それ以外は全部無視していい!」
「ええ、わかったわ!」
「まずその輪っかだ!」

 声を掛け合いながら、目押しをつけたリングを教える。
 イルルの動きに注目しながら、リティに泡のリングを教えて、俺自身も水のリングをくぐる。
 走って、観察して、目押しをつけて、くぐる。決して楽ではないけど、俺たちはくぐった輪っかで着実に加速する。

 加速力がイルルより上なのは、きっとそういうものなのだろう。これは余興、イルルの余興。
 だから、輪っかをくぐっていけば、確実に距離を詰めることができる。距離差10メートルを切る事だってできる。

「あはっ、まさか初見でここまでできるなんてね。でもちょっと残念、もうゴールは間近」
「なにっ?」

 イルルの言葉は、一見ただの負け惜しみ。しかし直後、視界に映る岩肌で察する。

「入り江か!」
「そうそう。ここであーしに追いつけなければ、君たちの負け。それとももう手遅れかな?」

 イルルは煽ることを忘れない。けれど輪っかを止めることはなく、むしろ加速する輪っかに絞って並べていく。輪っかを出さないというズルもできるはずだけど、イルルはそんな事しなかった。

「心配しなくても、止めたりはしないよ。だって余興だからね。それにむしろ今からがラストチャンス。全部くぐれば追いつけるかもね」
「聞いたかリティ!」
「全部くぐればいいのよね」
「ああ、間違いない。いくぞ!」

 まさにラストチャンス。
 水の輪っかをくぐった分だけ加速し、リティも泡のくぐった分だけ速度を上げる。

 もう1メートルもない距離差。しかし入り江までは目と鼻の先。

「「いっけぇーっ!!!」」

 俺たちは全力で加速して、全力で輪っかをくぐって、イルルの尾びれに手を伸ばして、そして最後のひとつ。
 ひときわ大きな輪っかをくぐったところで、俺たちの視界は真っ白になった。




(ryトピック〜海岸(α南東)の魔物その3〜

【ドラウンド】平均Lv.90

 水難に遭って死亡したのち、ある魔物の貴婦人の呪いを受けて蘇った溺死者。海底を歩いて渡り、浜に出没してはヒト型の生物を襲う。(よくビーチゴブリンに飛び火しているのはナイショ)
 海底でも活動できるほどの力とそこそこの再生力、そして貧弱な機動力を持ち、噛まれると呪いを付与されてしまう。
 幸いにも呪いは、貴婦人の影響が薄れる陸にあげていれば自然と解ける。もし呪いを付与された状態で溺死するとドラウンドの仲間入りしてしまうため、仲間が噛まれた場合は海に飛び込まれないよう注意すべきである。


【メガドラウンド】平均Lv.130

 ドラウンドは活躍を認められると、貴婦人の手により、より大きく、より強くなる。この魔物は3メートルほどの巨体となり、沈んだ船の備品を用いて戦う。
 サーベルやアンカー、ひどい場合は大砲も。肉弾戦の時点ですでに洒落になっていないが、最大の脅威は肉片飛ばし。飛び道具のこれを受けるだけで呪いを付与されてしまうため、非常に危険である。

 ちなみにドラウンド種は、貴婦人の寵愛を受け入れる力なく蘇った存在。死んだ直後などまだ理性が腐っていない状態であれば、寵愛を受け入れて蘇る事ができる。そうなれた者は再び陸に上がることはないが、寵愛を受けて第二の生を楽しんでいるのかもしれない。

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