境目の物語

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窮鼠の道・鼬の道

 どん底池から這い上がり現れたルーは、爪をラグに、顔をタイに向けて呼びかけた。
 しかしタイは、首を横に振って言う。

「悪いができねえよ」
『あん?』
「おいらが求めてるのは、殺すことじゃねえ。本当にやりたいのはこいつと、ラグと全力でぶつかり合う事だ」

 タイはラグを指差して言い返した。
 同時に腰を落として、ルーと向かい合う。鬼気迫る表情で、ルーを睨みつける。

「ぶつかり合うのは今じゃねえんだ。もし今こいつを殺そうってんなら、おいらがさせねえ。それは、これまでおいらを鍛えてくれた兄貴だって、それは同じだ」
『くっ、お前は今何をしているのかわかっているのか? 俺たち鼠連にとっての重罪を犯そうとしているのだぞ。まだ手遅れではない。今そいつを殺せば、きっとボスもきっと許して』

 その時。

《いや、もう十分手遅れだよ》

 頭に直接響く、老いて掠れた声。
 続けて2人の鼠の間に、杖が突き刺さる。天井の闇から、長身でシワだらけの炎鼠がふわりと降りてきた。

『ぼ、ボス……ま、待ってくれ。まだタイは手遅れでは』
《ルー、儂に2度も言わせないでくれ》
「……っ、申し訳ございません」

 傲慢なルーですら、炎鼠の気迫にやられて畏まり、一歩下がる。
 鼠連の長である炎鼠は、ウィリアムに向けてお辞儀する。

《ああ、我ら墓守が守るべき至高の君主よ、このような無礼をお許しください。その上で、孫鼠まごねずみたちとの時間をこの炎鼠にお貸し下さい》
《わ、私は構わないよ。私にはあなたに上がるような頭なんてないのだから》
《ご謙遜を。ですが、ありがとうございます》

 礼儀と誠意を見せて、炎鼠は次にタイと向き合う。
 タイは堂々と向かい合う。そこに先日のような怖気はなかった。炎鼠はほんの少し、ため息をつく。

《タイ、君は今の状況を理解しているのだろうな》
「当然だ。俺はリーダーおよび守護者としての役割を放棄して、おまけに地下墓所への侵入者と手を組んで、守り崇めるべき君主に立ち向かった。そうだろう」
《全くその通りだよ。君がしてきた罪は我々鼠連にとって、何よりも重たいものだ》

 炎鼠はひと言ごとに冷たい憤りを乗せて放つ。
 ちょっと待ってくれ! と、その最中にラグが割り込む。

「タイは来てくれた時に、ウィリアムさんを正気に戻すためにって言ってた。そこに悪気なんてないだろ!」
《部外者である君には関係ない事だ。私たちには私たちだけのルールがある》
「だ、だけどタイは本当に……」

 弁明を図るラグだが、どうしても炎鼠を説得できず、俯いて落胆する。その肩に手をあてて、ルーは首を横に振った。

「ラグ、庇い立てなんてもんは必要ねえ。おいらは分かっててやったんだ。だから今は1対1で話させてくれや」
「……わかった」

 渋々了解して、ラグは一歩下がる。視線を戻すタイを目にして、炎鼠はより重い表情を浮かべる。

《その揺るぎない意志……本当に、変わってしまったのだね》
「ああ、おいらは変わった。ラグとの闘争を経て、おいらは本当の願望を手に入れた」
《その想いは呪いのように、一生涯を憑いてまわるだろう。私はこれまで何度も見てきた。それが窮鼠の姿なのだから。もはや君の罪を数える必要もないのだろうね》

 杖を引き抜き、炎鼠の毛皮に炎が走る。火の移った、骨と皮だけの人差し指を持ち上げて、タイを指差す。
 そして言う。

《タイ、君を我ら鼠族墓守連盟から追放する》

 ラグとルーに衝撃の稲妻が走った。

 間髪入れることなく、炎鼠の指から炎が蛇のように意思を持ってくねり飛び出す。それはタイの背後に回り、背中へと流れ込んだ。

《グッ……!》

 砂漠の魔物であるタイは、熱よりも焦げ付く痛みに倒れ、喘ぐ。
 約5秒。押し付けられた炎が離れた時、タイの背には烙印が押されていた。

《君に焼き付けたそれは、我ら鼠連から追放された証だ。君はもう二度と、鼠連に戻る事はできない》
「いてて……これで心置きなくってか」

 タイは痛みに顔を歪めたまま、ゆっくりと身体を起こす。周りの誰が見ても、白い煙を上げるその焼痕しょうこんは痛々しい。
 だが立ち上がったタイは、誇るように背を広げた。タイの背中に刻まれたそれは、【窮鼠】の二文字だったのだ。

「へへっ、最高のプレゼント、この身で受け取った。ありがとよ、炎鼠さま!」
《炎鼠さま……か、うん。儂も久々に腕を振るったかいがあったというものだ。さあ、鉄鋼拳士……いや窮鼠タイ、行きなさい》

 タイは一礼ののち、くるりと回る。今度はラグの前に行って、ニヤッと笑った。

「というわけで、これからお世話になるぜ」
「えっ、それまじで言ってるのか……!?」
「他に行くあてねえんだから当然よ。おいらも今日からお前たちギルドの仲間入りってわけだ。もちろん断ったりしねえよな」

 尋ねるタイを前に、ラグの口角がどんどん吊り上っていく。すぐに後ろの仲間たちに聞く。

「みんな、いいよな!」
「えっ、うん。ラグがそれでいいなら、私はまあ……大丈夫だよ」
「魔物の仲間を得ることも、良きことである」
「それにタイさんはあなたのライバルです。あなたに断る理由がなくて、我々にあるわけないでしょう」

 全員が迷いなく合意を示した。
 ラグは再び向き合って、右手を差し出す。

「そりゃなんだ?」
「握手だ。これからよろしくな、タイ!」
「……おうよ!」

 タイはなんとなく空気を読んで、手と手をがっちりと握り合わせる。2人の間に、新たな絆が芽生える。
 その様子を羨ましそうに見るリティの姿もあったが、何はともあれタイがギルドの仲間となった。その喜びだけは、みんな同じだった。





「よし、それじゃあ行こう! 俺たちの旅へと!!!」
「「「おー!!!!!」」」

 新たな仲間も加えて、一行は声を揃える。

 そして歩み出す……のだが、先頭を数歩進んだラグがパタリと倒れる。となりを歩いていたリティもパタリと倒れる。後ろのみんなも、立て続けに倒れる。

「ど、どうしたお前ら!?」

 ただひとり倒れていないタイはギョッとしたが、そこへ笑いながら近づく風見が説明する。

『ははは、これは過労ですねえ』
「か、過労だと!?」
『そうです。ええ。なんと言っても彼ら、ここ第五層までほぼ休み知らずで進んで、暴走する決戦機構との死闘に臨んで、その上しばらく虚弱の結界に当てられてましたからねえ。やっと事が片付いたので、ようやく緊張が解けたという事でしょう』
「半日でここまで来てたのかよ。そりゃ過労てのも納得だ」

 タイは腕を組んで、なるほどと頷く。倒れた一行は頬を緩ませて、すやすやといびきをかいていた。

 すぐ後に、この大広間に数人が駆けつける。IBC所属のアビスとカーマイン、さらにはホグドたちも来ていた。

「こちらの防衛は完了です。だれの侵入も許さず、見事に守り抜きました」
「そちらはご無事でしょうか……って、人が倒れてる!?」
『いえいえアビスさん、彼らは眠っているだけですよ』
「そうでしたか。ほっ…………ところで貴方、やけに見覚えがあるのですが、どこかでお会いした事がありましたでしょうか?」
『きっと気のせいですよ。ええ。ほら、彼らを上に送り届けてあげてください』
「おっと、そうですね。ホグドさん、メアリさん、ニュートさん、カーマインも、お手伝いお願いします」

 少し話した後、手際よく一行を抱えて運び始める。

 そんな彼らの後ろでは、鍛冶師ヤンが珍しく積極的に会話をしていた。

「本当に引き受けてくれるのかい!?」
『ああ。でもトライは二度と増やさないからな、ディル。とりあえずウィリアム、あれを寄越せ。あの博士、アルタイルのソースコードを』
《わかったよ、これで大丈夫だろうか?》

 ウィリアムから何かの分厚い書類を受け取り、眺めるヤンは少し頭をくらくらさせる。だが頬をたたいて気を取り戻し、書類を外套の内へとしまいこんだ。

『まったくあの変態技師は、意図的にブラックボックス作りやがって。まあともあれ、1週間後に材料持ってまた来る。それまであんたはここで大人しくしていてくれ。じゃあな』

 要点だけ伝えて、ヤンは身を翻す。
 しかし部屋から立ち去るというわけでもなく、歩いた先は吹き抜け付近。虚ろな表情を浮かべるウィーゼルの元だった。彼はどん底を眺めていた。

「……なあ、あんたが誰だかは知らねえが、こっから飛び降りれば俺は楽になるだろうか」
『くだらん戯言はよせ。ウィーゼル、お前に渡すものがある』

 漂う重たい波動を押しのけて、ヤンは懐からケースを取り出す。
 中には一本の針。開始前の時点では我道さんが持っていたチャーム、磨斧作針だ。

「……なんだよ、それは勝者が手にする景品のはずだろ」
『そうだ、競走に勝利したお前が手にすべきものだ』
「っ、てめえ!」

 思わず、ウィーゼルは頭に血を上らせる。ヤンの肩を掴んで、声を荒げた。

「何が勝者だ! 俺はリーダーのくせして、あいつらを置いて生き延びてしまったクズ野郎だぞ!!! そんな俺が勝者であって良いわけ、ないだろ……」

 そして涙を流す。
 ヤンは狐面に飛び散った唾を拭き取るよりも先に、ウィーゼルの背中をさすった。それから顔を上げさせて、目を合わせる。

『お前の意見はごもっともだ。仲間を見殺しにしたのであれば、確かにそれはド屑だろう。
 だがお前はそうなのか? あの3人は天国からお前を憎んでいると、本気でそう思うか?』
「それは……わからねえよ」
『なら今は乗り越えろ』

 ヤンはウィーゼルに比べて小柄ながらも、その巨体を立たせる。

『お前の戦いはまだ終わってはいない。こんなところで勝手に諦めるな』
「勝手に諦めるなって、じゃあ俺は何の為に戦えばいいんだ。目的なんてもう」
『シルク・ブロード』
「っ!?」

 姉の名を出されて、はっとする。

『それだけじゃない。お前にはあの特別な3人以外にも、大勢の人の輪が繋がっているはずだ。ハイランドはいつ狙われてもおかしくない。大切な人たちを守りたければ、』

 針の入ったケースを胸に押しつけて、言う。

『一気呵成の心を捨てるな、高原の蛮勇ウィーゼル』

 ウィーゼルはどうにも言えず、固まった。次に歯を食いしばり、最後には右手でケースを掴み取った。

「……ふん、わかったよ。やってやろうじゃねえか」

 少しヤケの混ざった言葉ではあったが、ウィーゼルはケースから針を取り出して、斧の柄頭に括り付ける。
 途端に大きな脈動が全身を駆ける。一瞬ぴくりと痙攣し、開いたウィーゼルの瞳には光が宿っていた。

「何か大切なものを思い出せた気がする、ありがとう」
『それはよかった。わざわざポケットに忍ばせて来た甲斐があった』
「だが教えてくれ、あんたは何者だ? なぜ俺なんかにここまで尽くしてくれる?」

 聞かれたヤンは、顎に手を当てて考える。十数秒の後に彼は身を翻して、こう答えた。

『ひとつ、名は名乗れない。もうひとつ、昔俺に光を与えてくれた男が、たまたまお前にそっくりだった。だから俺もあのウィーゼルの言葉を借りた、たったそれだけの事だ』

 背を向けて歩く鍛冶師。それ以上は何も聞かなかった大男。抱えられて運ばれるパーティの一行。機械の友にいっときの別れを告げるシノビの老人。
 最下層で、秘宝の元に集った彼らは、皆の待つ地下街へと帰還するのだった。




(ryトピック〜窮鼠について〜

 交易街地下において強者側である鼠族が、なんらかの理由で瀕死に追いやられることで覚醒する性質。窮鼠は個体の総称ではなく、覚醒を経験した鼠のことを指している。
 窮鼠となった鼠は、集中力と成長能力が飛躍的に向上し、代わりに瀕死に追いやった者への執念を抱く。この執念は普通なら理性が憎悪に飲まれて崩壊するほど強力であり、鼠連が求める集団行動には致命的な影響を及ぼしてしまう。

 なおタイは窮鼠にしては非常に珍しい、勝負事の敗北による覚醒を経た存在である。
 生きるか死ぬかの瀬戸際ではなかったため、窮鼠となっても理性はほぼ正常に残っている。もっとも、物事の優先事項が鼠連の方針から大きく外れてしまっていることには何の変わりもないが。

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