境目の物語
性ワルなパーティとの遭遇
早朝、冒険者たちは地下街中央の広間に集められた。数百名ほどの各々が、揃って前方を見据える。
彼らの前に立っているのは、他でもない招集した本人ディルだ。両隣に朱鬼のカーマインと核人のアビスをつけて、シノビ装束の老人は口を開いた。
「まずはおはよう。早朝の招集に応じてくれたこと、感謝するよ。だけどものんびりはしていられない。早速説明に入ろう」
ディルは一度深呼吸を挟み、顎を引く。
「昨晩、我々の調査により地震の原因を割り出した。あまり詳しくは話せないのだけれども……ただ一つ、これは自然現象ではない。この地下に備わっている、ある機構によるものだ」
「「「っ!」」」
冒険者たちは息を呑んだ。
未だ未知の部分が多い地下の、隠されざる機構。地下の探索に命をかける者はもちろん、ギルドで噂に聞いた者たちも無視できるはずがなかった。
「今はおさまっているけれども、この機構はまだ停止していないとみられる。我々がすべき最優先事項は、これを停止させるべく地下の第五層、最深部を目指す事となるよ」
「「「はぁ!?」」」
その攻略難度を知っているからこそ、冒険者たちの反応は自然と一言に集約されていた。
すぐにアビスとカーマインが補足に入る。
「もちろん、こちらの危険性は我々も承知しています。この他にも我々は、地震の影響で浅層へ逃げ込む魔物たちを観測しました。皆さんの大部分には門番との協力の下で、この魔物たちから街を防衛していただく所存です」
「防衛に参加してくれるなら、報酬はひとり【5,000.c】。だがもし最深部の攻略に手を貸してくれるのならば、10倍で【50,000.c】を報酬として与える!」
10倍という言葉で、よりざわめきが大きくなる。いや防衛のひとり5,000という額だけでも相当だ。無関心でいようとしていた者たちの心も揺れ動く。
その流れを、ディルは決して見逃さない。
「君たちには選ぶ権利がある。街の防衛に手を手を貸すか、地下最深部を目指すか、あるいは他の避難民と共にただ傍観することもできる。我々は命を保障することはできない。君たちには命を最優先でいてほしいくらいだよ」
だけれども。
「そう、だけれども。報酬は巨額の富。そして君たちは冒険者、危険を冒してでも果敢に挑戦する者たちだ。その意地と誇り、そして名誉を、どうかこの場で示してほしい」
扇動は十分。突き動かされた冒険者たちは、2択の依頼を張った看板を掲げる赤青2人の元へ続々と移動を開始した。
その中で、少年率いる新しいギルドの一団。彼らは迷うことなく、最深部への挑戦を選んでいた。
町の防衛ではなく、地下最深部への挑戦。その選択は俺たちにとって、迷うところもなかった。
朱鬼の彼の元へと進む脇では、ほとんどの冒険者が防衛の依頼を選ぶ。ホグドは、防衛の側に立っていた。
「ホグドたちはそっちなんだな」
「いや〜申し訳ない。俺が魔法を使えないと、パーティの偏りがひどいからね。よくても第三層の途中で息切れさ。だから今回はパスさせてもらうけど、俺たちは君のことを応援してるよ」
「ああ、任せろ。そっちも頑張れよ」
たとえ別の道を行くことになっても、互いの意志をけなすことはしない。最高の笑顔で健闘を祈って、振り返ったあたりで、ディルさんが話しかけてきた。
「やあラグレス君、君たちなら手を貸してくれると信じていたよ。ありがとう。ところで命名の進捗はどうだい?」
「ああ、最高のが決まったよ。けどまだみんなの中で名乗り上げてないんだ」
「そうかいそうかい。君たちがその名を轟かせる時は、まだ先になりそうなんだね。でも私は楽しみにしているよ」
ディルはかなり親しげに言う。
それは俺たちとしても、嬉しいことだった。でも多分、周りはそうではない。その認識は正しかった。
突然、俺は肩で押し退けられる。
観察眼が捉える。まるでクマのように屈強で毛むくじゃらな戦士だった。背負った巨大な両刃斧が、ギラギラと光を放っている。
「おいおいディルさん、あんた忘れちゃいねえか?ここで一番頼りになるのはこんなガキじゃねえ、俺たちだ」
尻もちついている俺を見下す、性悪な表情。嫌悪感しか抱けないような人物だ。
しかしディルは苦笑いする程度。
「ははは……もちろん、君たちシルクロードのことは信用しているよ。ウィーゼル君、君の実力もね」
その言葉からも、嫌うような素振りはない。
俺には理解出来なかった。この性悪な大男が信用に足る人物だとは、少しも思えないのだ。
「しっかしよお、なんだ〜こいつらは? ちっとも強そうじゃねえなあ。そうは思わねえか、ラクーン?」
ウィーゼルが仲間の青年ラクーンに問う。鋼鼠のそれに引けを取らないほど薄汚れた毛皮の服と帽子、腰に吊るした十数本ものナイフが特徴の彼は、黙々とせんべい菓子を頬張っていた。
「ポリポリ……ん、わるい大将、聞いてなかった。そいつらの強さ? ああ、その青いの以外は別に大したことない」
「「「なっ!?」」」
俺を指しながら言うラクーンの言葉はあまりにも直球で、俺たち全員……特に6人隊から大きな声が上がった。
ウィーゼルは「くくく……」と顔を手で押さえて嘲笑う。そこに割り入って宥める男がひとり。
「まあまあウィーゼル、人を笑うのはよくないよ。彼らだってきっと努力はしているんだから。ラクーンの勘に触るほどじゃないみたいだけど」
ぽっちゃり体質で羊毛の服と首から下げた笛が際立つ彼は、はじめこそ温厚な印象が強かったのだが、しかし俺たちをバカにしていることに違いはなかった。
優しそうなだけあって、余計に苛立ちがひどくなる。これではゴルドのパラディンジョークとなにも変わらない。
「や、やめてくださいウィーゼルさま。弱いとか階級が低いとかで見下すのはダメだって、シルクお嬢様にも言われてます。ラクーンさんも、ムートンさんもです」
もうひとりの仲間、ふわふわした金の巻毛と顔立ち、抱えた錫杖が特徴的な彼女は、ようやくまともに彼らを宥めに入った。
ムートンはすぐに謝る。ラクーンは黙って睨み返す。ウィーゼルの態度は、少しも変わらなかった。
「ああ? 元はといえば、こいつらがディルさんに贔屓されてたからだろ。カシミア、お前にどうこう言える話じゃねえ」
「そ、それはそうですけど……シルクお嬢様も私も、ウィーゼルさまが変に嫌われる姿を見たくないんです」
「俺だってわかってんだよ。チッ、気に入らねえ。なんで俺がこんな雑魚集団と肩を並べ……ん?」
ぶつぶつと文句を言うウィーゼルだったが、不意に動きが止まる。
彼の口角が持ち上がった。野生的な目は、俺のすぐとなりを捉えている。嫌な予感がした。
「……へっへっへ、よく見たら上玉が1人いるじゃねえか。なあ、そこの竜人の嬢ちゃんよお」
ウィーゼルはそう言うなりにじり寄る。そしてなんの遠慮もなく、右手で鷲掴みにした。リティの……胸を。
「ひゃっ!?」
「……っ! お前!!!」
俺は咄嗟にその腕を払った。
すぐにウィーゼルから反撃の拳が返される。俺は下手なりに受け流す。
盾代わりにした右手がほんの少し痛んだ。けどその程度。ウィーゼルの表情が少し歪む。
「へえ、あれを躱すか。一応はラクーンに認められるだけあるってか。おもしれえ」
関心した風に言うウィーゼルは、俺と面を合わせる。次に彼は、揉みしだくように右手を動かしながら、こんな話を持ちかけてきた。
「お前、俺たちと競争しようじゃねえか。どちらが先に最深部にたどり着けるか。お前らが勝った時は、認めてやる。けど俺らが勝った時にはその女、小一時間じっくり触らせてくれや」
「なっななな何言ってんだお前!?」
俺は動揺せざるを得なかった。後ろでも周りでも9割動揺1割唖然と、多分平静を保てるほどの人は誰ひとりいない。
その上でウィーゼルは続ける。
「まさか逃げたりはしねえよな。それにわかってるんだぜ。竜人の嬢ちゃん、お前胸掴まれても拒絶する気なかっただろ」
「!?!?!?!?」
ただでさえ動揺しているのにそんなこと言われては、否応なしにリティに視線を吸い込まれてしまう。視界の中心に映るリティは、もちろん困惑しているのだが、しかし。
「ええっと……さすがに初対面のひとにいきなり、は困っちゃうかな。ちゃんと断ってくれるなら、全然いいんだけど」
リティもリティで大概だった。
言うが早いか真っ黒スレンダーな人影がリティをさらい、物陰へと移る。みんなの集団から我道さんの姿が消えているのは、そういうことなのだろう。
そして次の瞬間物陰から、〔怒〕の集合体のような威圧感だけが燃え上がる。オリックスに向けて放った殺意と似ている。何故か声だけは一切聞こえなかった。
お陰で俺もウィーゼルも、それ以外も、感情移入することなく呆然とする他ない。アルやノナなど女性陣は引き気味な様子で、小言を交わしてはいたが、本当にそれだけだった。
「おいガキ、あの嬢ちゃん……何者だ?」
「頼むから俺に聞くな」
俺だってよくわかんないんだ。リティのそういうとこに関してはまったく。
と、そうこうしている内に、2人が戻ってきた。わずか20秒のことだった。
リティは頭上に疑問符を浮かべた様子なだけで、普段との差異はあまりない。対して我道さんは気味が悪いほどの笑顔の奥で、今も〔怒〕の文字が溢れ続けていた。
『ラグとウィーゼル、君たちが競争することに口出しするつもりはない。ただし景品は私から贈らせてもらう』
我道さんは言うなりコートのポケットに手を突っ込み、何かのケースを取り出した。透明なその中には、一本の針が納められていた。
『【磨斧作針】、昨晩師範から渡されていたお守りだ。身につけるだけでどんな努力も実を結ぶようになる。どうだウィーゼル君、これなら文句はないだろう』
「あ、ああ……まあそうだな」
あまりの勢いに、性悪なウィーゼルすらも置いていかれる。ラクーンは菓子を運ぶ手も止めてキョトンとしていた。
『それとラグ』
「…………え、俺っ!?」
不意打ちすぎて声が裏返ってしまった。しかしそんなことは関係ない様子。
『そうだ。ラグ、お前はリティの奇行をスルーするな。仲間である以上、お前にも落ち度があると肝に銘じておけ』
「えっ、いや、だって」
『言い訳無用。さあディルさん、早く作戦を伝えてしまうといい』
「ほっほっほ、そうさせてもらうよ」
怒濤の勢いで話された俺は、ウィーゼルと同じ状態だった。リティの顔もそういう事かと、不思議なくらい納得できてしまう。
そしてこのペースで話しかけられても動じないディルさんは何者なのだろうか。
彼の説明が始まっても、俺たちの頭は置いていかれたままだった。
(ryトピック〜磨斧作針について〜
磨斧作針という四字熟語に感銘を受けた鍛冶師ヤンが、実際に斧を削って作り出した針。ぱっと見なんの変哲もないその内側には数千ものエンチャントが仕込まれており、装飾品として武具に括りつけるだけでどんなやる気も実を結ぶまで保つようになるという、とんでもないチャームとなっている。
鑑定して競売にでも出せば数百万の価値がつく代物だが、製作者本人からの評価はたいへん不評。曰く『多重エンチャントなんて爆弾もう二度と御免だ。エンチャントの依頼なんてクソ食らえ』とのこと。
彼らの前に立っているのは、他でもない招集した本人ディルだ。両隣に朱鬼のカーマインと核人のアビスをつけて、シノビ装束の老人は口を開いた。
「まずはおはよう。早朝の招集に応じてくれたこと、感謝するよ。だけどものんびりはしていられない。早速説明に入ろう」
ディルは一度深呼吸を挟み、顎を引く。
「昨晩、我々の調査により地震の原因を割り出した。あまり詳しくは話せないのだけれども……ただ一つ、これは自然現象ではない。この地下に備わっている、ある機構によるものだ」
「「「っ!」」」
冒険者たちは息を呑んだ。
未だ未知の部分が多い地下の、隠されざる機構。地下の探索に命をかける者はもちろん、ギルドで噂に聞いた者たちも無視できるはずがなかった。
「今はおさまっているけれども、この機構はまだ停止していないとみられる。我々がすべき最優先事項は、これを停止させるべく地下の第五層、最深部を目指す事となるよ」
「「「はぁ!?」」」
その攻略難度を知っているからこそ、冒険者たちの反応は自然と一言に集約されていた。
すぐにアビスとカーマインが補足に入る。
「もちろん、こちらの危険性は我々も承知しています。この他にも我々は、地震の影響で浅層へ逃げ込む魔物たちを観測しました。皆さんの大部分には門番との協力の下で、この魔物たちから街を防衛していただく所存です」
「防衛に参加してくれるなら、報酬はひとり【5,000.c】。だがもし最深部の攻略に手を貸してくれるのならば、10倍で【50,000.c】を報酬として与える!」
10倍という言葉で、よりざわめきが大きくなる。いや防衛のひとり5,000という額だけでも相当だ。無関心でいようとしていた者たちの心も揺れ動く。
その流れを、ディルは決して見逃さない。
「君たちには選ぶ権利がある。街の防衛に手を手を貸すか、地下最深部を目指すか、あるいは他の避難民と共にただ傍観することもできる。我々は命を保障することはできない。君たちには命を最優先でいてほしいくらいだよ」
だけれども。
「そう、だけれども。報酬は巨額の富。そして君たちは冒険者、危険を冒してでも果敢に挑戦する者たちだ。その意地と誇り、そして名誉を、どうかこの場で示してほしい」
扇動は十分。突き動かされた冒険者たちは、2択の依頼を張った看板を掲げる赤青2人の元へ続々と移動を開始した。
その中で、少年率いる新しいギルドの一団。彼らは迷うことなく、最深部への挑戦を選んでいた。
町の防衛ではなく、地下最深部への挑戦。その選択は俺たちにとって、迷うところもなかった。
朱鬼の彼の元へと進む脇では、ほとんどの冒険者が防衛の依頼を選ぶ。ホグドは、防衛の側に立っていた。
「ホグドたちはそっちなんだな」
「いや〜申し訳ない。俺が魔法を使えないと、パーティの偏りがひどいからね。よくても第三層の途中で息切れさ。だから今回はパスさせてもらうけど、俺たちは君のことを応援してるよ」
「ああ、任せろ。そっちも頑張れよ」
たとえ別の道を行くことになっても、互いの意志をけなすことはしない。最高の笑顔で健闘を祈って、振り返ったあたりで、ディルさんが話しかけてきた。
「やあラグレス君、君たちなら手を貸してくれると信じていたよ。ありがとう。ところで命名の進捗はどうだい?」
「ああ、最高のが決まったよ。けどまだみんなの中で名乗り上げてないんだ」
「そうかいそうかい。君たちがその名を轟かせる時は、まだ先になりそうなんだね。でも私は楽しみにしているよ」
ディルはかなり親しげに言う。
それは俺たちとしても、嬉しいことだった。でも多分、周りはそうではない。その認識は正しかった。
突然、俺は肩で押し退けられる。
観察眼が捉える。まるでクマのように屈強で毛むくじゃらな戦士だった。背負った巨大な両刃斧が、ギラギラと光を放っている。
「おいおいディルさん、あんた忘れちゃいねえか?ここで一番頼りになるのはこんなガキじゃねえ、俺たちだ」
尻もちついている俺を見下す、性悪な表情。嫌悪感しか抱けないような人物だ。
しかしディルは苦笑いする程度。
「ははは……もちろん、君たちシルクロードのことは信用しているよ。ウィーゼル君、君の実力もね」
その言葉からも、嫌うような素振りはない。
俺には理解出来なかった。この性悪な大男が信用に足る人物だとは、少しも思えないのだ。
「しっかしよお、なんだ〜こいつらは? ちっとも強そうじゃねえなあ。そうは思わねえか、ラクーン?」
ウィーゼルが仲間の青年ラクーンに問う。鋼鼠のそれに引けを取らないほど薄汚れた毛皮の服と帽子、腰に吊るした十数本ものナイフが特徴の彼は、黙々とせんべい菓子を頬張っていた。
「ポリポリ……ん、わるい大将、聞いてなかった。そいつらの強さ? ああ、その青いの以外は別に大したことない」
「「「なっ!?」」」
俺を指しながら言うラクーンの言葉はあまりにも直球で、俺たち全員……特に6人隊から大きな声が上がった。
ウィーゼルは「くくく……」と顔を手で押さえて嘲笑う。そこに割り入って宥める男がひとり。
「まあまあウィーゼル、人を笑うのはよくないよ。彼らだってきっと努力はしているんだから。ラクーンの勘に触るほどじゃないみたいだけど」
ぽっちゃり体質で羊毛の服と首から下げた笛が際立つ彼は、はじめこそ温厚な印象が強かったのだが、しかし俺たちをバカにしていることに違いはなかった。
優しそうなだけあって、余計に苛立ちがひどくなる。これではゴルドのパラディンジョークとなにも変わらない。
「や、やめてくださいウィーゼルさま。弱いとか階級が低いとかで見下すのはダメだって、シルクお嬢様にも言われてます。ラクーンさんも、ムートンさんもです」
もうひとりの仲間、ふわふわした金の巻毛と顔立ち、抱えた錫杖が特徴的な彼女は、ようやくまともに彼らを宥めに入った。
ムートンはすぐに謝る。ラクーンは黙って睨み返す。ウィーゼルの態度は、少しも変わらなかった。
「ああ? 元はといえば、こいつらがディルさんに贔屓されてたからだろ。カシミア、お前にどうこう言える話じゃねえ」
「そ、それはそうですけど……シルクお嬢様も私も、ウィーゼルさまが変に嫌われる姿を見たくないんです」
「俺だってわかってんだよ。チッ、気に入らねえ。なんで俺がこんな雑魚集団と肩を並べ……ん?」
ぶつぶつと文句を言うウィーゼルだったが、不意に動きが止まる。
彼の口角が持ち上がった。野生的な目は、俺のすぐとなりを捉えている。嫌な予感がした。
「……へっへっへ、よく見たら上玉が1人いるじゃねえか。なあ、そこの竜人の嬢ちゃんよお」
ウィーゼルはそう言うなりにじり寄る。そしてなんの遠慮もなく、右手で鷲掴みにした。リティの……胸を。
「ひゃっ!?」
「……っ! お前!!!」
俺は咄嗟にその腕を払った。
すぐにウィーゼルから反撃の拳が返される。俺は下手なりに受け流す。
盾代わりにした右手がほんの少し痛んだ。けどその程度。ウィーゼルの表情が少し歪む。
「へえ、あれを躱すか。一応はラクーンに認められるだけあるってか。おもしれえ」
関心した風に言うウィーゼルは、俺と面を合わせる。次に彼は、揉みしだくように右手を動かしながら、こんな話を持ちかけてきた。
「お前、俺たちと競争しようじゃねえか。どちらが先に最深部にたどり着けるか。お前らが勝った時は、認めてやる。けど俺らが勝った時にはその女、小一時間じっくり触らせてくれや」
「なっななな何言ってんだお前!?」
俺は動揺せざるを得なかった。後ろでも周りでも9割動揺1割唖然と、多分平静を保てるほどの人は誰ひとりいない。
その上でウィーゼルは続ける。
「まさか逃げたりはしねえよな。それにわかってるんだぜ。竜人の嬢ちゃん、お前胸掴まれても拒絶する気なかっただろ」
「!?!?!?!?」
ただでさえ動揺しているのにそんなこと言われては、否応なしにリティに視線を吸い込まれてしまう。視界の中心に映るリティは、もちろん困惑しているのだが、しかし。
「ええっと……さすがに初対面のひとにいきなり、は困っちゃうかな。ちゃんと断ってくれるなら、全然いいんだけど」
リティもリティで大概だった。
言うが早いか真っ黒スレンダーな人影がリティをさらい、物陰へと移る。みんなの集団から我道さんの姿が消えているのは、そういうことなのだろう。
そして次の瞬間物陰から、〔怒〕の集合体のような威圧感だけが燃え上がる。オリックスに向けて放った殺意と似ている。何故か声だけは一切聞こえなかった。
お陰で俺もウィーゼルも、それ以外も、感情移入することなく呆然とする他ない。アルやノナなど女性陣は引き気味な様子で、小言を交わしてはいたが、本当にそれだけだった。
「おいガキ、あの嬢ちゃん……何者だ?」
「頼むから俺に聞くな」
俺だってよくわかんないんだ。リティのそういうとこに関してはまったく。
と、そうこうしている内に、2人が戻ってきた。わずか20秒のことだった。
リティは頭上に疑問符を浮かべた様子なだけで、普段との差異はあまりない。対して我道さんは気味が悪いほどの笑顔の奥で、今も〔怒〕の文字が溢れ続けていた。
『ラグとウィーゼル、君たちが競争することに口出しするつもりはない。ただし景品は私から贈らせてもらう』
我道さんは言うなりコートのポケットに手を突っ込み、何かのケースを取り出した。透明なその中には、一本の針が納められていた。
『【磨斧作針】、昨晩師範から渡されていたお守りだ。身につけるだけでどんな努力も実を結ぶようになる。どうだウィーゼル君、これなら文句はないだろう』
「あ、ああ……まあそうだな」
あまりの勢いに、性悪なウィーゼルすらも置いていかれる。ラクーンは菓子を運ぶ手も止めてキョトンとしていた。
『それとラグ』
「…………え、俺っ!?」
不意打ちすぎて声が裏返ってしまった。しかしそんなことは関係ない様子。
『そうだ。ラグ、お前はリティの奇行をスルーするな。仲間である以上、お前にも落ち度があると肝に銘じておけ』
「えっ、いや、だって」
『言い訳無用。さあディルさん、早く作戦を伝えてしまうといい』
「ほっほっほ、そうさせてもらうよ」
怒濤の勢いで話された俺は、ウィーゼルと同じ状態だった。リティの顔もそういう事かと、不思議なくらい納得できてしまう。
そしてこのペースで話しかけられても動じないディルさんは何者なのだろうか。
彼の説明が始まっても、俺たちの頭は置いていかれたままだった。
(ryトピック〜磨斧作針について〜
磨斧作針という四字熟語に感銘を受けた鍛冶師ヤンが、実際に斧を削って作り出した針。ぱっと見なんの変哲もないその内側には数千ものエンチャントが仕込まれており、装飾品として武具に括りつけるだけでどんなやる気も実を結ぶまで保つようになるという、とんでもないチャームとなっている。
鑑定して競売にでも出せば数百万の価値がつく代物だが、製作者本人からの評価はたいへん不評。曰く『多重エンチャントなんて爆弾もう二度と御免だ。エンチャントの依頼なんてクソ食らえ』とのこと。
「ファンタジー」の人気作品
書籍化作品
-
-
24251
-
-
238
-
-
969
-
-
4405
-
-
2
-
-
22803
-
-
755
-
-
3087
-
-
140
コメント