境目の物語

(ry

冷たく燃ゆる魂

 旅の一行と鼠の一団、門番たちの三勢力は輪になって、互いの状況を話し合う。ラグたちが口にすべきことは多くなく、ほとんどはニ勢力の情報交換だ。

「と、というわけで……私たちは道に迷い、こんなところに入り込んでしまいました」

 門番たちの中でも中心を買って出た男は怯えながら、彼らにこれまでの経緯を説明した。
 ラグたちはみな肩をすくめ、鋼鼠のタイは右手で頭を抱える。どちらの反応も、呆れと言う言葉ひとつで説明できてしまえる始末だ。

『地図を奈落に落っことして、ここに迷い込んだだぁ? お前ら馬鹿にもほどがあんだろ』
「すみません! 何分なにぶん私たちは方向音痴でして」
『はぁ……本当にこんな奴らが門番できるってのか? いや違うか。方向音痴だからこそ、あの外壁で仕事してんのか』

 ネズミの言葉に対して、門番たちからは謝罪の言葉しか出てこない。タイは呆れるを通り越して、もはや無意味な推測に逃げていた。

『……ったく、こちとらリーダーなもんで、侵入者の記録を提出しねぇとまずいってのによ。こんな状況、どうボスに説明すりゃいいんだ』

 タイは頭を抱えて、深いため息をつく。ラグは、戸惑いとやるせなさを感じていた。

 だがそんな時だ。

《タイ、説明は必要ない。君たちの行動は、全て観察させてもらった》
『「っ!?」』

 この空間にいる者全員に響き渡る、老いて掠れた声。人はみな目を丸くして声を失い、ネズミたちは身を翻して頭を下ろす。
 部屋の奥、ラグたちが入った口の向かい側にある出入口の闇から、杖をつく音が響く。声の主が、その姿を見せた。

 所々に炎のような淡い光を放つも、たるみきった毛皮。猫背であり、枯れたようになった骨と皮だけの肉体。その姿勢は木の杖に支えられ、顔のシワは数えきれそうにもない。
 声色通りの見た目をしたこの老人もまた、鼠の魔物だった。

 しかし2メートル半ほどの高身と、尖った特徴を持たない爪からも、鋼鼠とは違う種であることが伺える。それに漂わせるオーラは、何かこの世ならざるものを含んでいた。

「この感じ、霊堂のに似てる……」
「うん。このひともだわ」

 霊堂の中を満たしていた、不思議な感覚。ラグの覚える既視感は、リティも同じく……いや、それよりもはっきりと感じ取っていた。

 老いた鼠はコツコツと杖を突いて歩く。タイは深く深く、頭を下げる。

『ボ、ボス……すまねぇ。おいらはこんな腰抜けの侵入者を逃すのみならず、こんなガキひとりに負けちまった。おいらなんて、おいらなんて……』

 彼の声が震えている。目はギュッと閉じられ、傷口の血と汗が混ざった雫が垂れ落ちる。

 けれども、老鼠はその痩せ細った手を、彼の頭にやさしく乗せた。

《タイ、頭を上げなさい。君は何も間違えていない。君は責務を全うした、儂が咎めることは何ひとつない》

 撫でながら、老鼠の掌から淡く白い光が広がった。
 その暖かな波動は、タイの身体を包み込む。全身に刻まれた傷口が塞がり、毛皮を染める赤をも拭い去る。
 タイが顔を上げた時その身体は、胴の穿ち傷を除いて、元通りになっていた。

『ボス、おいらは……』
《わかっている。だが君が謝るべき相手は、儂ではなく君自身の心だ』
『く…………っ!』

 タイは歯を食いしばる。老鼠が腹部に手を差し伸ばそうとしたその時、彼はその手を掴んで止めた。

『ボス、この傷だけは、治すんじゃねぇ。これはおいらを、おいらの敗北を戒める証にしてぇんだ!』
《……そうかい、わかったよ》

 それは覚悟だった。
 老鼠は一度は、複雑そうな表情を浮かべる。けれど次には手を引き、その顔は微笑みに変わっていた。

窮鼠きゅうそ猫を噛む。君は強き鋼鼠でありながら、窮地に陥るというものを初めて経験した。ゆえに今後の活躍に期待させてもらうよ、儂の愛しき鋼鉄拳士タイ》

 老鼠は今一度彼の頭に手を置き、愛でるように撫でた。その手もやがて離れ、タイは他の鋼鼠と共に老鼠の後ろにつく。
 老鼠は杖を突き立て、腰を据えると、人間たちと面を合わせた。




 老鼠が深く息を吸う。少年少女と門番たちの5人は、ごくりと息を呑む。
 老鼠の雰囲気はタイと話している時とは取って変わる。わずかに、燭台の灯火が揺らいだ。

《人の子よ、儂の名は【炎鼠えんそ】。かつて繁栄を極めた炎国のであり、この地下墓所を守護する鼠族墓守連盟そぞくはかもりれんめい……通称【鼠連ソれん】の長を務める老ぼれだ》

 自らを炎鼠と名乗る彼は語りながら、荒れた毛皮に若干隠れた、氷のような水色の瞳を動かす。
 門番たちを素通りし、ニット帽を被る男を睨む。そして最後に、少年少女でピタリと停止した。

 老鼠はひとつ、深いため息。顔のシワがさらに増える。

《君たちは……霊術師か。おおよそ儂が何かは分かっているのだろう》
「ええ。あなたも闘鶏様と同じ、霊獣族ですよね。それも人の言語で話す……」

 ラグの代わりに知識で勝るリティが、的確な答えを返す。老鼠は少しだけ俯き、舌打ちした。
 

《その通り。ほんの偶然とは言え、君たちは儂と相見えた。であれば求めるのだろう、儂の魂を、不治の傷病すらも快復可能とする、命の波動を》

 再び、老鼠の掌に白い波動が現れる。
 淡い光に当てられた部分だけ、シワの数が減り肌の潤いが戻っている。まさに生命力を吹き込む力の奔流だった。

「すごい……!」
「嘘だろ、あんな一瞬で……!」

 2人はすっかり見惚れる。
 しかし老鼠は手を握り、波動を消した。彼の潤っていた手は、再び枯れたような状態にあった。

《君たちにはまだ、儂に臨むだけの資格がない。君たちは、正しきを選ぶことを知らない》
「正しきを……」
「選ぶ……?」

 2人はドミノ倒しのように、順に首を傾げる。老鼠は身を翻し、人間たちに背を向けた。

《霊獣族に認められるという事は、彼らの選んだ道に触れた事に同義。正しきを選ぶ、選びし道を歩む、歩みし道を掴む……》

 杖をひときわ強く突く。空いた左手が、5本の指をピンと伸ばす。

《5つ。我ら霊獣族と契約を結び、その魂を内に宿した時。君たちは儂に臨む資格を手にする。それまではこの地に……炎鼠の試練の地には、間違っても踏み込まないことだ》

 言い終えるなり杖の先が閃光を放った。直後、彼の光る毛皮が励起され、激しい炎へと変転する。
 全員を覆い隠し、轟々と燃え……不意に、ろうそくの火のようにサッと消えた。炎鼠の姿も跡形残さず消えていた。





 その場に残されたのは人間と、タイ率いる鋼鼠たち。誰しもに、この場に居続ける意味がなくなった。

『おい水色髪のガキ!』
「ん、なんだ?」
『確かラグと言ったよな。お前のおかげでおいらは、自分自身の弱さを知った。これからはもう、誰が相手だって侮らねぇ。
 だからよ、その…………また会おうじゃねぇか! 今度こそ、おいらの全力を見せてやるからよぉ!』
「ああ、そうだな! けど俺だって負けないからな!」

 互いの刃を交わした2人は、再会の約束を交わした。そして方向転換し、それぞれの帰路につく。


 広いキューブ状の部屋を抜けて、燭台に照らされた道を辿る。

「本当に死ぬかと思ったわ!」
「助けていただき、我々は感謝しかありません!」
「ありがとうございます、ありがとうございます!」

 門番たちは感謝の言葉を述べながら、互いに抱き合って泣いていた。5人は肩を竦めるばかりだった。

『しかしラグ、恐ろしく成長したな。槍術・脚力・観察眼に加えて、認識眼と微力なオートリペアと来たか。すでに一騎討ちなら一級ものだな』

 我道さんは高らかに笑いながら、称賛の声を浴びせる。

「あー、やけに動けたのはその、オートリペア? のおかげだったのか。それに能力使ってるときの違和感は、その認識眼だったと。
 そうだよな。タイの鋭い爪……以前の俺なら勝てたとしても、きっと傷だらけになってた。だけど…………」

 ラグは成長の実感を心に染み込ませながらも、ふと俯いてため息をつく。我道さんはニット帽に隠れた眉をひそめる。

「あの鼠の霊獣は、俺の力ですら認めなかった。それに正しきを選ぶって何だ? なあ我道さん、俺のこれまでは正しくなかったのか?」
「……っ!! ねえ我道さん、あの魔人を倒したのも、ここに来たのも、私たちの間違いだったの?」

 リティも混ざり、率直に問われる質問。
 2人の陰鬱な表情に圧倒された我道さんは、すぐさま片手を顎に当てて、ううむ……と唸る。しかし結果彼は、深く考えることを諦めた。

『まあその辺りは人生経験で、自然と培われるものだ。あまり責任を知らない少年少女に、分かるはずもない。
 ただ一つ。ラグ、リティお嬢さん、君たちは何も間違えていない。それだけは確かだ、私がこの誇りをもって保証しよう』

 正確性は含まずとも、彼は助言を与える。後ろでは、ヤンと番亂が軽く吹いていた。
 それから2人の背中をそれぞれポンっと押して、

『さあ、今考えるのは止めだ。お前たちらしく前を見ろ。ほら、もう地下街は目と鼻の先だ』

 燭台に照らされた道を指差した。

 曲がり角を進み、吹き抜けがないトンネルに差し掛かる。
 奥からは徐々に喧騒が聞こえ始め、燭台の数を減らす通路の先からは今まで以上の明るさが差し込む。少年と少女は、顔を上げた。

『ようこそ、ここが砂の地下街だ!』

 我道さんが両手を広げて高らかに告げる。ついに彼らは、ラグとリティは、2人の旅にとって最初の目的地に辿り着いた。




(ryトピック〜砂漠の魔物その5〜

鋼鼠ハガネズミ】平均Lv.90

 砂の交易街地下に広がる、迷宮じみた構造の遺跡に生息しているネズミの一種。強靭な毛皮と鋼鉄の爪を特徴に持つ、鼠族墓守連盟の重戦士である。

 彼らの爪は鉄板すらも貫き、対峙するものの防御手段をことごとく打ち破る刃となる。
 彼らの毛皮は砂漠の生物特有の温度耐性のみならず、斬・打の攻撃からも身を守る鎧となる。
 そして極めつけの機動力は、敵を逃さずまた翻弄し、絶望を味わわせることになる。その場での対処が非常に困難なこの魔物は、素材が出回らない事でも有名である。

 ただし彼らは基本、縄張りへの侵入者以外を襲わない。また生息地の関係で有する非常に発達した瞳は、閃光に対して脆弱性を見せる。炎か雷、あるいは光属性を持ち込むべきだろう。


炎鼠えんそ】Lv.0(自己申告)

 儂自身は戦わないので実質Lv.0。鼠連を束ねる鼠の老いぼれである。

……などと書き込まれているが、実際のところ彼に関する情報はほとんど存在しない。出身国である炎国の所在、命の存続に影響を与えるという能力の詳細、そもそもの彼の名前ですら定かではない。
 ただ一つ、彼が試練の地と呼ぶ場所は、入る者に対する特殊な結界に守られている。突破を可能とするのは、迷いなき決意か、あるいは結界の意表を突く能力か……

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