境目の物語

(ry

…森の洗礼を受けた上で…

 打ち込まれたカームブレスは瞬く間に霧散し、ラグの体を包み込む。するとのたうち回っていたラグの体が、その動きを徐々に緩めていく。
 そして十数秒後には、その体はピタリと静止していた。


「……ぅうん?」

 ラグは軽く喘いだあと、両目を開く。その光無き瞳が、ヘキサの姿を捉える。すると今度は口を開き、


「あれ……?兄さ……」

 そこまで言ったところで瞬きのためか、瞼を閉じた。



 次に両目が開かれた時、そこには光が宿っていた。
 ラグはすぐにハッとなり、キョロキョロと周囲を見渡す。そして目の前の男に気づく。


「鎧のひと!!? あんた誰だ? ていうかここどこ?」

 ラグはその存在の在り方を知らぬまま、そう問いかける。むろん、その返答は喉元に砲剣を当てられることで行われる。


『カームブレスで正気に戻ったようですね、ラグレス・モニターズ』

「なんで俺の名前を……って、あんたもしかしてヘキサってやつか!」

 ラグは相変わらず、状況に反した対応をとる。そんな様子に呆れた様子のヘキサは、一つため息をつき、


『少しは状況を……わきまえなさい!!』

 怒部下を叱るような怒りを込めて、ラグをはたき飛ばした。


『私がどんな思いで、あなたを殺さなければならないと思っているのですか!』

「んなもん知るかよ。そもそも、俺がなんの抵抗もなく殺されるとでも思って」

 ラグは反発しようと前にでる。が、開かれた口が一瞬で止まる。


「……お、おい。何なんだその蛾は?」

 ラグはヘキサの頭上を指差して言う。たしかにそこには、人の顔ほどの大きさを持った、巨大な蛾がいた。鱗粉をばら撒きながら、ゆったりと飛んでいた。


『あれがなんだと言うのですか?あんなのでは私の気は紛らせられませんよ』

 ヘキサは気にも止めず、シリンダがセットされた砲剣を構える。だがラグには見えている。その蛾のレベルは………


「…ッ!? あんた!自分の鎧をよく見ろ!!!」

『うるさいですよ。そんなので私の気は紛らせられないと、何度言えばわか……なっ!?』

 ラグの声を聞こうとしないヘキサが、突然驚きの声を上げる。その視線の先にあるのは、彼の腰あたり。なんとその鎧の隙間から、小さなツタが生えていたのだ。

 ラグはとっさに飛び退く。すると直後、ヘキサの鎧からさらに数本、ツタが飛び出す。それどころか、あの蛾が通った道その場から、暴走するかのようにツタが伸び始める。


「見間違いじゃない。あの蛾のレベルは………180だ。」

 俺ははボサッと呟きながら、調子の戻りきらぬ右腕でレイピアを抜く。そのレベル自体は、勇者に比べると些細なものかもしれない。だが真に俺が驚いたのは、そこじゃない。
 本当に恐怖を感じていたのは、視界の奥……霧の中に映り込んだ、無数の羽虫達だった。その全てが推定120を超えている。控えめに言って、正気の沙汰じゃない。


「ていうかあいつら、こっちに向かって来て……ッ!!」

 それに気づくやいなや、やつらがこちら方面に向かってくる。俺は一息ついて、迎撃を試みる決意を固める。
 幸いなことに、その全てが敵というわけではなく、俺そのものを狙っているのはほんの十数匹。通過するだけの羽虫は可能な限り躱して、攻撃的なやつのみを迎え撃つ。


 だがそれでもやはり、無理がある。露出度の少ない服装が急所を守ってはくれているが、右腕や顔を何度も噛まれ、血がダラリと垂れてくる。
 それでもレイピアで貫いていき、1匹ずつ確実に数を減らしていく。


『こんなツタごときで!!!』

 ふと聞こえるヘキサの掛け声と共に、彼の砲剣が火を吹く。炎はツタを伝って広がっていき、虫を巻き込みながら燃え広がっていく。


「あっぶねえ、虫と一緒に俺まで焼く気かよ。……ああいや、そもそも俺を殺しに来てたんだっけ?」

 俺は後方へと大きく飛び退き、火の魔の手から逃れる。でもこれで虫に困ることも

ドスッッ!!!

「がぁッ!ハッッ!!?」

 突如、腰あたりを何かに追突しされる。凄まじい衝撃にぶっ飛ばされた俺は、真横にあった大木に叩きつけられる。激痛に、視界が一瞬眩む。その間、耳には大量の羽音が聞こえていた。


「な、なんで……?」

 俺は絶望に声を震わせながらも、ゆっくりと視線を上げる。するとそこには、飛んで火に入る夏の虫そのものの虫達の姿があった。
 だがあれ……まさか火を喰っている?心なしか、火の勢いが弱まっている気がする。


「ゲホッ、ゲホッ、くうぅ……どうする?どうすれば助かる?」

 俺は息を整えながら、何か役に立つものがないかと周囲を見渡す。
 地から少し上はもうすでに虫地獄。火を食い尽くせば次の獲物は俺たちだろう。というかもう見たくもない。だから俺は、視線を下げる。すると、


「ん?あれは………炎石?」

 目の前に3つほど、着火用の炎石が転がっていた。だがあれで熱源を作ったところで、何かが起こるとは思えない。
 それよりも、あれらは多分俺の持ってた炎石だ。さっき追突された時に、ポーチからこぼれたのだとすれば他にも何かあるかもしれない。

 俺は瞬時に視線を這わせ、使えそうなものがないか探す。

 ふと、純白の鈴に目が止まる。


「あれって確か我道さんの……ッ!!!」

 そうだ!あれは困った時に、ネコ師範の助けを求めるための道具だって、我道さんに渡されたものだ。
 今のいままで完全に忘れてた。でもだからこそ、この状況下での唯一の希望になってくれる!



 俺はわずかに湧いた希望を胸に、空いた左手を伸ばす。そしてそれを掴み取ろうとする!

 だがあと少しのところで、虫に阻まれる。その巨大な脚で、腕の動きを阻害されてしまう。

「邪魔だ!!」

俺はその脚めがけてレイピアを突き出す。だがその刃先が届くよりも前に、右腕に鎌腕を突き立てられて妨害されてしまう。
 しかもそれだけではない。その鎌腕は俺の腕を巻き込みながら、がっちりと折り畳まれてしまう。

「ぐっ、挟まって……抜けねぇ!」

 きつく挟まれた右腕からは、徐々に血色が失われていき、力が入らなくなる。どうにか握っていたレイピアも手からこぼれ落ちてしまい、戦う手段が奪われる。
 そして今度は左腕を、体ごと挟まれてしまい、ついにはあがく術までも奪われてしまう。


 ここまでくれば、嫌でも悟ってしまう。抵抗すらできない俺は、ただの餌。捕食者カマキリによって喰い殺されるだけの、ちっぽけな糧なのだと。

 ただ……それでも…………

「後ろから掴まれてるせいで、正面に鈴がチラつくのがいやらしい!!」

 絶対に嫌がらせだろこれ。唯一の希望を見せられながら死ねってか?ふざけんな!これくらい、1秒くれれば取れるのに!


「そうだよ! 1秒ぐらい時間をくれよ!」

 そう言って足をジタバタさせる。もちろん、カマキリなんかが慈悲をくれないのはわかってる。
 だがもがかずにはいられない。走馬灯で時がゆったりと感じられる中、あと1秒、あと1秒と、そればかりが頭をめぐる。


「あと1秒! 俺によこせーーッッ!!!」

 俺は最後、断末魔の叫びでも上げるように、ひときわ大きな声で言う。目が閉じられて、真っ暗になった視界の中で、その一言が繰り返される。





 しかし、そんな時だった。


 不意に、俺の身体が下に落ち始めた。

 パッと目を見開くと、俺はモノクロの草地に落っこちていた。

 これは現実?それとも夢?
 見分けのつかないそれに、強い混乱を覚える。

 でもどっちだっていい。

 白黒な視界の中にはっきり見える、純白の鈴。それを掴むことさえできれば、それでいい。
 その感情を引き金に、俺は地を蹴る。同時に視界が歪み、元の、色鮮やかな世界へと戻っていく。


「痛っ!」

 後頭部に、酷い痛みを感じる。

 噛まれた。多分それが正解だろう。
 脳姦……とまではいかなかったが、それなりに血が吹き出る。思考能力が著しく低下するし、もっと言えば意識が朦朧もうろうとしてくる。

 だがそんなことは関係ない。俺はすでに行動を済ませた。
 右腕を前にして地面に滑り込む。手の内にはがっちりと、それが握られている。そして


「我道さんっっ!!!!!」

 俺は残った力を振り絞って叫ぶ。そしてありったけの精神力を、鈴に込めた。


 すると突如、風の吹き荒れる音が聞こえてくる。グォーッという重厚な音が、ここを中心に鳴り響く。

 そしていきなり、その音がピタリと止む。それどころか、まるで時でも止まったかのように、全ての音が聞こえなくなる。


 ドサッ! パラパラ……

 その音が、時の動き出すような感覚を作り出す。


『やっと呼んでくれたのか。森に到着したら呼ぶようにって、魔王に言っておいたはずなんだがな』

 安心感に満たされる声。
 ポンポンッと、優しく頭をたたく感触。
 ゆっくりと上体を起こし、立ち上がらせてくれる。

 その動作感覚全てが、俺を暖かく包み込む。

 視界に映るそのシルエット。真っ黒で、スレンダーで、それでいてなぜかニット帽をかぶっている。そんな特徴を備えるのは、彼ただ一人だ。


「あ…ああ……あああっ!!」

 意識することもなく、抱きつく。抱き返してくれる。
 今まで溜め込まれた涙が、一斉に溢れ出る。そっとそれを、拭ってくれる。

『心配かけて悪かったな。お前のお師匠、我道さんだ』




(ryトピック〜広大な迷いの森について〜

 魔導科学の国ミーティアを中心に広がる大地。それをぐるりと取り囲む、番人の湿地。そしてそのまた外側を取り囲んでいるのが、広大な迷いの森である。

 面積不明。一説によると、内側の土地全てを合わせてようやく釣り合うらしい。
 そんな特徴を持つこの森は、ラグの見た通り霧と巨木で満ち溢れており、その内部では多種多様な昆虫が摩訶不思議な生態系を形成している。

 その中でも特に重要視されているのは、虫たちにを襲う性質があるということ。森の防衛システムなのか、はたまたそれを餌だと思い込んでいるだけなのか。
 ともかく彼らは熱源を察知すると、危険な大型昆虫を引き寄せながらその場に向かう。もしこの森を歩くのであれば、火だけは絶対に使ってはならない。

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