バミューダ・トリガー
三十五幕 鈴、鈴、蓑虫
「キヒヒヒッ!なかなか威勢が良い女が来たものだネ。ミサンガのお前との掛け合いヲ見たとこロ、どうやらその女はお前の学友、それモ、同じく能力者のようだネ?」
「っ!!」
ここに来て、女が俺と鈴のやり取りを静観していた理由が明かされる。
―観察していたのだ。
突然場に現れた「他人」を、どう扱うべきか。
自分に敵対するものか、否か。
神河輪人との関係性はどうか。
思考をした上で、女は二人のおおよその関係性、それも、かなり正確な度合いを掌握していた。
(こいつも永井と同じだ・・・戦い慣れしている!もし能力者同士の戦いにも慣れているのだとしたら、やっぱり鈴の参戦は愚策だったか・・・)
僅かに過る後悔を気にしている暇などない。
鈴は俺のことを案じてくれた上、加勢もすると言ってくれたのだ。そして、俺もまたそれを依頼した身。
ならばもう、悩むべきはそこにない。
背後から駆けてきた鈴が、横に並ぶ。
啖呵を切ったは良いものの、手が震えているのが視界の端に映る。
「鈴、奴は死角から腕を出現させる能力者だ。常に辺りを警戒しろ!」
「?、ええ、分かったわ!」
鈴は、一瞬の困惑を、瞬時に噛み砕き理解する。能力者の力が未知数であることは、怪校生にとって習知の事柄だからだ。
意識を集中させる。
件の女に対しても、周囲にいつ現れるかも知れないあの赤い腕に対しても。
鋭敏になった嗅覚が、血生臭い空気を感じ取る。
そうだ。
目の前の女は、かつて俺達に手を差しのべてくれた警察署職員を手にかけた。
以前敵対した、元怪校高校生二年部の担任である永井 幸四郎。
彼を含めた複数名の「特別治安部」が、あの事件後姿を眩ました。
裏で手引きしていた何者かの存在も懸念され、今や「双蛇の輪」という組織が《厄魔の精霊》と関わっている可能性が高いという所まで知れている。
恐らくはこの女も「双蛇の輪」の構成員。
俺を「殺してはいけない」という命令を受けていることから、おおよそ間違いない。
ならば、ここで引くわけにも負けるわけにもいかない。必ずこいつを捕らえて―
「洗いざらいゲロしてもらうぜ」
「神河、汚い。・・・明日香に言うわよ」
「ちょ、や、やめろ!それだけは!」
狙ったわけではないが、今の一言で少しは緊張が解けたらしい鈴が、非難と脅迫の声を浴びせてくる。
どうしてか俺が明日香に気があることを知っていた鈴。
つい焦って取り繕う俺を見て、鈴はニヤリと笑っていた。
鈴の方こそ俺の緊張を解こうとしてくれていたことを今になって悟り、何ともむず痒くなる。
(さて・・・鈴の口封じは、こいつをどうにかしてからだっ!)
「キヒィ・・・いくヨ」
言って、我慢の限界といった様子の女が、身を屈めて両手を軽く開く。
「折角だかラ、自己紹介!・・・能力者テロ組織「双蛇の輪」芸者担当、迫間 四月一日!・・・此処まで出向いタついでに、神河輪人モもらっていくヨ!!」
声高らかに名前を叫ぶ女は、キッと目を見開いて嗤った。
間髪入れず、三色の髪留めのうち右端の一つ、赤のヘアピンが血色の輝きを帯びる。
「来るぞ、鈴!」
「来るわよ!」
俺と鈴の声は、ほぼ同時。
「祟り女の手ェエ!」
次いで、エイプリルと名乗った女が一際深く広角を吊り上げた。
俺と鈴を見下すかのように顔を上げ、目だけをギョロリとこちらへ向ける。
瞬間、先ほどここに来た当初にも感じた怖気が背中を伝う。
振り向くが、僅かに遅い。
避け損ね、服の袖を赤い腕に捕らわれた。
「くっ・・・」
服を破るか、と考えあぐねた時、先に動いたのは鈴だ。
「はッ!」
上方から降り下ろされた手刀が異能の腕を打つ。
神河輪人はすかさず屈み込み、赤い腕の脅威の及ぶ範囲から脱出した。
「ナニっ?」
赤い軌跡を残して空を切った腕が、微かに空中を手探った後に虚空に消える。
「・・・なんだ鈴、俺なんかより全然戦えるんじゃねぇのか?」
「バカね。いつどこぞの神河に襲われても良いように、痴漢対策の武芸を習ったまでよ」
鈴は警戒は解かぬまま、「当然でしょ?」とでも言いたげに半目を作る。
「釈然としねぇよ!」
嘆きに対する応えはない。
屈んだ体勢を保ったエイプリルが、第二撃に出たからだ。
「祟り女の双手!!」
辛うじて視界の隅に現れた赤い腕。
対処すべく振り返る。
が、振り返り様に、足元から伸びるもう一本の腕を確認した。
思考を転換、両手を回避すべく、高跳びのベリーロールの要領で体を回転させる。
地面を転がり、素早く膝をつく。
再び空を切る羽目となった二本の腕を見据える。しかし、俺の意識はそれとは違う方向に吸い寄せられた。
俺の安否に気をとられ、こちらを振り返る鈴。
その背後で、爆発的脚力をもってアスファルトを蹴ったエイプリルが、右手を大きく振りかぶって鈴に接近していたのだ。
次いで、意識はエイプリルの額に吸い寄せられた。彼女が身に付けている三つの髪留めのうちの一つ―
―真ん中の、青の髪留めが冷たく輝いている。
(っ!身体強化だと?!二つ目の、能力・・・!!)
「鈴、前を見ろ!!」
叫びと、エイプリルの次なる挙動が同時。
驚きと焦りとを顔に表して咄嗟に振り返ろうとする鈴。
しかし明らかに対処の追い付くことができない素早さをもって、エイプリルが右手を突き出した。
「さようなラ・・・呪衝撃」
ゴァアンッ!!
広い駐車場に響いたのは、意図せずとも想像してしまっていた骨肉の砕ける音とはかけ離れた、鋼の震えるような音であった。
―――――――――――――――――――――――――
ゴァアン・・・
遠くから響いた音を、河川沿いに走っていた二人の男子が聞き止める。
「っ!諒太、今の音!」
「うん、警察署の方角からだね!ただ事じゃないみたいだ!」
二人は掛け合い、ひた走りながら、真っ直ぐに先を見据える。
同じく異様な音を聞きつけたらしい町民が数人、道路や家屋の窓から警察署の方を凝視していた。
そんな彼らを意に介さず、黒絹翔斗と植原諒太は疾走する。
――――――――――――――――――――――――
「何、ダ・・・?」
突き出した右手。
しかし、その手に伝わる想像だにしていなかった反動に、エイプリルは眉を寄せる。
「ぐ、アァ・・・キヒィッ!今のは、痛、かったネ・・・!!」
速度を優先し、人命を刈り取るためだけにうち出した衝撃波は、人肌とは似ても似つかぬ強固な物体によって阻まれていた。
当然、身体強化を脚力のみに振った一撃は生身の腕に何の防護も成していない。
よって―
―アスフアルトに叩きつけたエイプリルの右手は、意趣返しの如く骨肉を砕かれ、血を垂らしていた。
距離をとるべく、エイプリルは後方へと跳躍し、数メートル離れて降着する。
止血と回復に専念するために身体強化を脚から腕に回しながらも、視線だけは二人の怪校生に向けていた。
「・・・今、何が・・・?」
声を漏らしたのは神河輪人だ。
だが一方、雲雀鈴も状況を読めずに硬直していた。
神河輪人は、二つのものを目に映した。
一つ目は、「鈴」だ。
家を出たときには気付かなかったが、いつからか腰のベルトに着けていたらしい鈴の《トリガー》が、若草色の光を放っていた。
もう一つは―
―糸だ。
鈴の体の至るところから伸びる純白の糸。
それが、地面に散乱したアスフアルトや、パトカーの装甲に用いられていた金属板を手繰り寄せ、鈴の前方を覆っている。
その様子はさながら、身を守るべく草木を己が鎧とする昆虫―
―蓑虫という愛称で親しまれる、蛾の幼生の一種に酷似していた。
――――――――――――――――――――――――
思いは能力へと変貌を遂げる。
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