捻くれ者の俺は異世界を生き抜く

いのる

25.少女との出会い

その場所にも夜は訪れた。
夜の闇に森全体が包まれる中で、光の粒達が気まぐれに周囲を漂っている幻想的な風景がそこにある。一見蛍が飛び回っているように見えるが、奴らは確かに蛍とは別物の何かだ。
虫の鳴き声が森の至る所から聞こえている。目の前の焚き火がぱちぱちと弾けながら燃えている。
暫くぼんやりと炎を眺めていると、隣で布が擦れる音がした。

「ん…………」

小さな吐息を漏らしたあと、俺の白シャツを着て更に俺の服を下敷きにして眠っていた少女がむくりと起き上がった。
目が合った。
ルビーのように赤い瞳はブレることなくこちらを捉えていた。白銀の長い髪は目の前の炎と周囲の光粒によって淡く光って見える。小柄な身体とは裏腹に、少しばかり大人っぽく映る整った顔立ちが、見る者に思わず息を呑ませるだろう。
この世の全ての美と愛を集めたような存在。彼女がそうだった。
何をどうしたら、これ程の美少女がこの世に生まれ落ちるのか。神が本当に存在するというのなら、紛れもなくその手によって作られた存在に違いなかった。

「あなたは……だれ?」

透き通った綺麗な声。普通の人間なら聞くだけで心奪われるかもしれない。

「それを聞くのは俺だ。お前は何者だ?」

こんな森の中で結晶漬けにされた上、それをドラゴンが守護していた。あの祭壇を造った奴は、どう考えてもこの子を外へ出すつもりは無かったに違いない。
やっぱり封印されてたんだろうと思う。

「私は……ノア」

少女はただただ静かに、表情ひとつ変えることなく無感情にそう答えた。
こういう感情の起伏が薄そうなキャラを漫画やアニメで見たことがあるが、リアルで拝めるとは思わなかった。しかしこの物静かと言うか不思議な雰囲気、あと銀髪で絶世の美少女というのが何とも神秘気的に映って仕方ない。まるで存在が不確かな、例えるなら天使とか女神とか、そんなフワフワ綺麗で曖昧な存在と会話をしている気分になる。

「……それだけか?何故あんなとこにいた?ここはどこだ?」
「……分からない。覚えてないの」

記憶が無いのか、そいつは困った。
頼みの綱だった彼女がこれとなると、いよいよ帰り道が分からない。せめてあの遺跡の迷宮に戻れされすれば、天井をぶち抜いてでも最上層まで登れるというのに。
それに重要なのは帰り道だけではない。

「なあお前、宝の在処とか知ってたりしない、よな?」

ふるふると彼女は首を横に振った。
身体の奥から心底深いため息が出る。
ついさっきまで、俺は億万長者だった。
少女が閉じ込められていた黄金に輝くクリスタルは、きっと高く売れたに違いない。けれど少女を取り出すためにクリスタルを砕いてみると、砕けて地面に転がった破片達は見る間に光の粒となって蒸発し消えた。俺は裸の少女を抱き抱えたまま、熱に当てられた氷の様に消えていくお宝を前に呆然唖然と立ち尽くし、ついに何も出来ずに無一文の甲斐性なしに早変わりした。
その時は流石にショックで数十秒もの間棒立ちを止められなかった。
どこかもわからぬ迷宮で、瀕死の思いでようやく見つけたお宝は目の前で消滅し、助け出した少女は記憶喪失で結局帰り道すら分からない。骨折り損のくたびれ儲けとはよく言ったものだ。実際骨を折るより酷い仕打ちを受けたが。

「ねえ、お腹減った」
「……っ、我慢しろ」

半ば八つ当たり気味に語尾が強まる。
こんな時に腹が減っただとか、何て図々しくて太い奴だ。
夜の森のサウンドと幻想的な風景と焚き火の炎を眺めて荒れた心を落ち着かせていたのに、この少女のせいでまたイライラが募ってきた。

「ねえ、あなたの名前は?」

突然少女が、首をこてんと傾げて尋ねてきた。焚き火で顔が赤っぽく照らされている。
恐ろしいことこの上ない。
彼女は人にものを尋ねる度にその顔で、その仕草で一々質問するだろうか。俺が普通の男だったらヤバかった。
落ち着け俺、こいつも他の奴らと同じ人間だ。人間は皆同じ、大嫌いだ。
頭の奥がスっと冷める感じがする。

「…………ユウだ」

少女を横目に見ながら無愛想に言う。
正直もう彼女に用はない。もう少し情報を引き出せたなら放っていこう。

「ユウ……わかった、ユウ。助けてくれてありがとう」
「ん?俺に助けられたことは分かるのか」
「違うの?」
「違わないけど……」

掴めない奴だと思った。ぼーっとした雰囲気もそうだが、作り物かと思うほど綺麗な顔はその感情を隠している。気を抜いていると裏をかかれるかもしれない。

「暗くて、寒かったの……」
「あ?」
「それだけは覚える。だから、助けてくれてありがとう」
「……そうか」

彼女の表情は少しも変わりなしないが、声音とか雰囲気で何となく感情が伝わってきた気がする。
この少女は一体どれだけの間この森で眠っていたのだろう。数年、数十年、もしかしたら数百年とか。彼女はずっとひとりで、身体を動かすことも声を出すことも許されず孤独に耐えてきたのかもしれない。もしそれが本当なら地獄だ。俺の味わった地獄とはまた違った苦しみがあったに違いない。記憶が無くなったって仕方がないのかもしれない。

「これやるよ」

俺はアイテムボックスから取り出した携帯食を放り投げた。宙に投げ出されたそれは数回転した後少女の手にすっぽりと収まった。

「……?」
「腹減ってんだろ?それでも食ってろ」

携帯食はポムと呼ばれる干し肉で、栄養はあるものの本当に肉なのか疑いたくなるほど味気がない。
だが無いよりはマシなはずだ。これでも食って精々長生きしてくれ。

「じゃあ俺はもう行くから、あとは好きにしろ」

彼女と行動を共にする気はない。このまま一緒にいれば厄介事に巻き込まれる可能性が高い。この場所について知っているならまだしも、彼女には記憶がない。その時点で論外だ。

「ごはん、ありがとう」
「じゃーな」

干し肉をもぐもぐと食べる少女に背を向けて、俺は歩き出した。

――――――

――――

――

険しい道のりを歩いていると、次第に辺りが明るくなってきた。夜が明けたようだ。
それだけ歩き回ったのだが、行けども行けども生い茂る木々と光の粒しか目に入らない。依然として状況に変化はなかった。
いつまで経っても変わらない景色にウンザリする。
それともうひとつ、ずっと無視してきたがいい加減気になって仕方がないので、とうとう俺は歩みを止めて振り返った。

「いつまで着いてくるつもりだ」

俺のすぐ後ろにピッタリくっ付いて来ていたのは、銀髪紅眼の少女だった。せめてもの情けで彼女にあげた白いシャツは、小柄な少女の体には大きいようで、膝上まで丈が来ていてスカート代わりみたいになっている。一応隠すところは隠せているが、どうも目のやり場に困ってしまう。しかし女性用の服や、まして下着なんて持っていないので、これが彼女にしてやれる最善の施しなのだ。

「ユウに着いて行く」
「答えになってないだろ。誰が着いてくるのを許可したよ。着いてくんな」

少女の顔に指をさしてビシリと注意する。自分でも酷いことを言っている自覚はある。こんなバケモノだらけの危険な森の中で、水も食糧もなしに少女をひとり放り出そうとしているのだから。
けれど他人と関わるのはごめんだった。例えこの子が死のうと知ったことじゃない。いつ俺を裏切るか分からない危険分子は早々に退場願いたい。
しかし少女はこんなことを言われても眉一つ動かさないで無表情を貫いている。終いには、

「ユウ、お腹減った」
「さっき干し肉やっただろ!じゃなくて、着いてくんなって言ってんの!」

マイペース過ぎて掴めない。こんなに感情の読めない人間は初めてで調子が狂う。

「はあ……どーすりゃいいんだ。出口も分かんねぇし、変な女に付きまとわれるし、宝はねぇし」

肩をガクリと落とし、俺が改めて自分の今の状況の不憫さに泣き言を垂れた、そんな時だ。
突如至近距離で鋭い殺気が放たれた。
跳ねるように顔を上げ、周囲を見渡す。
木々の奥にその正体がいた。
身の毛もよだつ巨大なムカデ。甲殻が黒光り、棘のような無数の足をジョリジョリ動かし、前足部分は巨大な鎌のように伸びている。
巨大ムカデは周囲の木々ごと俺を轢き殺す勢いで突進してきた。
俺は咄嗟に後ろに飛び避け、距離を空ける。しかし、すぐ隣にいた少女は眉一つ動かさず棒立ち状態だ。

「お、おいっ!」

咄嗟に呼びかけるが、少女はこちらを振り向くだけでその場から離れようとはしない。
しかし偶然にも大ムカデの突進はスレスレで彼女の横を過ぎていく。
たまたま当たらなかったから良かったものの、一歩間違えばひき肉だ。肝が座っているというレベルじゃないぞ。
しかし気を取られていると凶悪な鎌が目前にまで迫っていた。

「うわッ」

咄嗟に漆黒の剣を取り出し顔面前で防ぐが、弾けるような鋭い音と共に後ろの大木まで吹き飛ばされぶつかった。
尻もちを着いたまま次に目を開けたその瞬間には、再び奴の大鎌が振り下ろされようとしている最中だった。
脳内で騒ぎ立てる――やばい、避けないと死ぬ。完全に避け切るのは不可能だ。左腕、最悪左半分犠牲に――正にその瞬間だった。
視界の横から両手を広げて飛び出してきた、ひとりの女の子。銀色に輝く繊細な髪が靡き、少女の細くて鋭い声が響いた。

「ダメッ!」

しかし無情に、ただ無慈悲に、情けも容赦もなく死神の鎌は少女の頭頂目掛けて一直線だ。
終わった。避けられるはずはない。防ぐ暇もない。神の奇跡でも起きない限り、彼女の命はたった今ここで潰える。そのはずだった。

「…………は?」

思わず間抜けな声が喉奥から漏れる。
しかし俺は振り抜かれた敵の刃が少女に触れる瞬間を、この目で確かに見た。
空間が曲がった……?
まるで刃自身が意思を持ち、少女を斬り捨てることを嫌ったかのように。いいや、まるで世界が彼女が傷つくことを拒み、無理矢理に空間を捻じ曲げたかのように。
何はともあれ、致命の一撃は不発。大ムカデの凶悪無比の大鎌は、彼女に触れることすら叶わず地に突き刺さった。
そして次の瞬間。

『――――――――――』

一瞬にして世界が白く塗り潰され、轟くのは雷鳴。極太のレーザーでも降り注いできたかと思う。それ程の極雷が大ムカデに直撃した。
大ムカデは全身が破裂し黒焦げのミンチ状態。声を上げる間もなく完璧に絶命している。
ここまでの怒涛の展開に俺はまだ思考が追いついていないのだが、口だけは直ぐに動いた。

「お前……一体何をした……、」

しかし彼女は首を傾げてこう言うのだ。

「?私は何もしてない」

紛うことなき嘘つきが目の前にいる。実に人間らしいのだが、それで誤魔化せると思った訳を是非知りたい。

「嘘ついてんじゃねえ!この、惨状を、見て!お前以外の誰がやったって言うんだよっ!」
「?でもほんとに知らない」
「じゃあ偶然敵の攻撃がそれて、その後雨雲ひとつない空から極大雷が降ってきたってのかっ!?んなわけねぇだろっ!」

問いただすも少女は一向に知らぬ存ぜぬをやめない。
今の一連の出来事が全て彼女のスキルによるものなら、こいつはとんでもなく危険極まりない。俺でも受ければ死にかねない攻撃を無効化した上で、ノーモーションで天変地異レベルの攻撃を仕掛けることが出来る。そりゃあ封印されても可笑しくはない。俺の中で、こいつ俺より強い説が浮上している。そんな怪物をさっきまで俺の後ろで歩かせていただなんて、今考えただけでも恐ろしい。

「お前、マジで何が目的だ」
「?ユウに着いて行く」
「だから、俺に着いてきてどうするつもりなんだって聞いてんだ」
「…………」

少女は黙りこくった。そこから先は考えてない、とでも言いたいのだろうか。何にせよ超凶悪危険分子なので早いところ排除してしまいたい。俺を庇ったくらいなので、今のところ敵意は感じないのは確かだが。

「はあ、帰り道さえ分かれば……」
「お家に帰りたいの?」
「そーだよ。お前をこの森に置き去りにした状態でな」
「わかった。ならこっち」
「はあ!?お前道わかんのかよ!?」
「ううん、知らない」
「何じゃそりゃ」
「でも、多分こっち」

知らないけど、多分こっち。
彼女の頑なな言い分がこれだ。バカにしてんのか、と大声で叫びたくなったが、その気力もなく肩を落としてため息をついた。
どうせ行くあてもないのだし、行くだけ行ってみるかと思う。それで何も無かったら今度こそ少女を放置して逃げてやると心に誓って。
そうして彼女の言うがままに森を進むこと約五分、そこには空間揺らめくダンジョンゲートが確かにあった。

「ま、まじかよ……」

嬉しさ半分、驚き半分で呟いた。

「お前、やっぱり記憶無いとか嘘だったな……」
「?嘘じゃない。本当に何も覚えてない」

この期に及んでまだ言うか。
しかしこれでようやく帰れるわけで、この少女ともおさらば出来る。

「まあこの際どうでもいいけど、まあ案内してくれたことには礼を言うよ。じゃ」

「まって」と、少女が袖を引っ張った。
その時彼女の無表情には極わずかな変化があって、物凄く分かりにくい悲しげな表情をしていた。

「わたしも、ユウと一緒に……」

一瞬惑わされそうになった。流石に可哀想かもと、柄にも無く思わされた。驚異的な顔面だと思う。
しかしこの女に深く関わるのはどう考えてもまずい。安全性を考えるなら絶対に有り得ない選択肢だ。

「ダメだダメだ。お前なんかと一緒にいられるか」

俺がブンブンと首を振ると、彼女は袖を掴む指を離して「わかった」、と感情なしの声で言った。
分かっている。感情なしに聞こえるだけで、本心には何かしらある。それが是か非か分かりはしないが。

俺は少女に背を向けて、ダンジョンゲートに向かった。
俺は、間違ってなどいない。





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