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からっぽの金魚鉢で息をする

mi

黒 PM 18:36<side juri>

<水曜日>

2人掛けの
ソファでくつろぎながら、
SNSをチェックしたり、テレビに映る
芸能人の話題に耳を傾ける。


「この間買ったワンピース、
はやく着たいな。」

「えー、でもまだ、早いんじゃない?」

「大丈夫だよー!だってもう10月も半ばだよ?秋だもん」

「そういうもん?」

「ね、ね、来週末、空いてる?」

「んーと、、、午前中、職場行くけど、でも早めに終わらせて出られると思う。」


「じゃあさ、翔(かける)も行きたいって言ってた水族館行こうよ!」

「おー、いいね、じゃあ、俺も思いきってその日、新しいニット出しちゃおっかなー」


何気ない会話の節々で、
温もりを感じられる瞬間があることは
幸せなことだ。

あれは好きかな、とか、
これはやめたほうがいいかな、とか
考える時期もそれは幸せだったけど
今はもう、お互いの温度は
言葉にしなくても伝わる気がした。



答えは出なくても
それで、いい。

それが、いい。と、樹里は思う。


もちろん、正解は、どこかにある。

それでも、恋愛は、ふたりの形は、
誰からも測られるべきではないと思う。


2人のスケジュール管理は、
お互いの携帯電話の中にある。


アプリになんでも記憶してもらうのだ。


来週末、10月14日の土曜日は、
3回目の記念日だった。


お洒落をするのが好きというよりは、
自分の心が満たされるから好きな服を着る、といった気持ちの方が大きい。



樹里は、駅に隣接する商業ビルの中で
販売員をしている。



毎年の流行と商品知識を学ぶこと、
お客様への接客など
大変なこともあるが、自分には向いていると思えていたし、この仕事を辞めたいと思ったことは無かった。


「来週は、、、と。」

スケジュールアプリを確認する日曜の夜は
心が、重い。


まるで、誰かに、がっしりと
肩や胸の辺りを押さえつけられているかのようだ。

こんなに相手を求める恋など
一度もしたことがなかった。


---10月14日 土曜。

バケツをひっくり返したかのような雨。

予報は大外れ。


少し高めのヒールを履いてきてしまったが
この方がスタイルがよく見えるので
効率が悪いことは、気にしない。

多少擦り減っているが、お気に入りだ。

ワンピースだって、嬉しそう。

樹里は改札を抜け、
清水水族館前と書いてあるバス停の屋根の
下に入る。



そこで、翔を待つ。


「ごめん!お待たせ!なに?ちょっと、
恥ずかしいから撮らないでよ。」

もう少しで着くという
メッセージを受け取ったので
駆け足で走り来る翔を携帯を構えて
撮っていた。


「寝坊して電車一本遅らせるなんて翔にしちゃ珍しいことなんだから!記念!そんなことより、やっぱりニット似合ってるね。」



本当は乗るはずだった13時ぴったりの
バスを逃したが10分ごとに来るのだから
問題ない。


清水水族館へ着き、
樹里は一目散に走った。

「見て!あと少しでイルカショー始まっちゃう!」

息を切らして、
3階のイベントスペースまで向かった。

このイルカショー、やっぱり何度見ても、
可愛い。


イルカショーの後は、カフェへ。

 
「なあ、水族館ってすごいよな。」

ぼーっと下のイベントスペースを眺めて
翔が呟く。


「なんで?」

そんなことを不意に話す翔を可笑しく思った。

「だってさぁ、一人の責任でこの水族館の
命は保たれてるんだよ?」

「え?飼育員の人はたくさん居るじゃん。」

「いや、そうだけどさ。責任の話だよ、責任。」


「ふぅーーん、責任ね。」

「樹里、いま、俺のこと変なこと言う奴って思ったろ。」

と、笑う翔。

翔はたまに、命とか責任とか私が普段考えない部分の話をする。

でも、そんなところもやっぱり、好きだ。




私たちは、一通り歩いて水族館を回った。


帰りのバスは17時ぴったり。

落ちかけた陽を横目に、
手を繋いで乗っていた。


バスを降りて、樹里が翔の服の裾を引っ張り
今日は
ウチに泊まろうと言う。



はずだったのに。




そう、言えてれば良かったのに。




翔は、私と一度しか清水水族館へ来ていない。


私は、何度、携帯の中の翔とココへ来ただろう。



もう繋げない手を、ギュッと握る。


サイズに合わないあの日履いたヒールと
雨の日なのにおろしたワンピースを
毎回、着る。


翔が事故で亡くなった、
2000年
10月14日
18時36分。

漆黒のワンピース。
喪服じゃない。
あれは、デートのために買った
どこまでも深い黒色のワンピース。


あの日から私は土曜日に
翔と水族館へ行くことを絶やさず行なっている。

答えは出なくてもそれで、いい。
それが、いい。

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