からっぽの金魚鉢で息をする

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トーストをかじると、甘い香りがする。



ヒールを履くと、親指と人差し指から
血が滲む。


雲が隠した光のお陰で眩しくなくなる。


低気圧に乗せて、頭痛が激しくなる。


どれも、私にとっては、当たり前のことだ。


当たり前のことなのに、
1つひとつ取り立てて騒ぎたてようとする。



雨が突然降って不運だとか、
あの人に恋人が出来ていてショックだとか
誰にも努力を認めてもらえなくて不満だとか、そんなことは、決まっていること。


どうして、受け入れられないことの方が多く感じるんだろう。




「水原高菜と申します。
23歳です。家族構成は、父と母、5つ年の離れた兄が1人おります。」



私の声は、その部屋に居る目の前に座っている彼らの耳に届いていない。

心に届いていないんじゃない。


聴こうとするかしないかの差は、話し手に嫌という程伝わるものだ。


蒸し暑い。
扇風機の1つもない、木造の密室に
人の想いが集まることの温度をさらに
感じる。



「水原さん、、高校中退なんだ。」

ぼそっと呟いたのは、いかにも劇団の古株らしき男。


私を真ん中に座らせ、円になって取り囲んでいるこの劇団員たちは、一人ひとり何を思って私に眼差しを向けているか全くわからない。



だから、履歴書にそう書いてあるじゃん。
それ以上も以下もないでしょ。


という私の心の声は、
「ええ、高校を退学し、四つ葉劇団に先月まで所属していました。」

と、自分自身のどこからともない明るい声に掻き消される。


この頃の私と言えば、
何もかもが面倒くさく、人と繋がるだとか友だちを作るだとか、放課後に遊ぶだとか
そういう1つひとつのコミュニティを
悉く疎ましく思っていた。


だからと言って、
夢中になれるものだけは見失わなかった。

見据えるものさえあれば、
力を持って人と接することができるものだと思っていたし、自分自身に負けなければ人に受け入れてもらえると思っていた。



人の心を動かすことなど簡単だと思っていた。



「僕たちの劇団には、割と名のある人たちが脚本を下ろしてくれることもあって、そういう方たちの依頼は、断らないことにしてるので、ここに書いてある年に4回の公演以外に舞台が入ったり、被って2作品を作りあげることもあるので理解しておいてください。」


そう、機械的に説明された。



「ありがとうございます。頑張ります。」

と、丸呑みにするような返事をしたが、
これが、この劇団との長い苦しい闘いの幕開けになった。





床の木目と木目の隙間が広いために
下から吹き込んでくる冷たい風が
私の背中に当る。

そんなことがわからないほど
私の手足は冷えて硬直し、
そして、眼球は、その場の空気と
彼の表情を思い返し感じ取ることに必死だった。



半年前ここへ来た時とは、
温度も湿度も、そして、人の想いも
変わり続けてきた。





「わからないの。
わかろうとしてるの。
だから、わからないの。
わたしは、
あなたのことが好きじゃないの。


愛せないの。」





その台詞は、私の時間を奪った。




この一語一句の中に人はどんな気持ちを
抱くのだろう。



毎日、私は、
自分の立ち位置に寝転がって天井の照明を見つめ自分にスポットライトがしっかり当たっていることを確認する。

深夜2時。




ホンダハジメの台詞を、動きを想いを、その先の気持ちを考えた。



その台詞は、
ミズハラタカナという
役名も自分自身の、正に
私から発せられる表出だった。


約4年の月日を役者として
舞台の上で過ごしてきたが
これまで、自分自身の名で演じることなど
一度も無く、私は、
自分自身を憎み、そして、この脚本を
書いた女優をも憎んでいた。


ぶつかり稽古は、
稽古だから抜け出せるのだ。


それは、当たり前のこと。


私は、私だけは、
水原高菜から抜け出せることは無い。



抜け出せないぶつかり稽古など
ただの、生死を彷徨う肉体の戦いだった。



戦いを見据えて
この役を勝ち取った時は、
まだ蒸し暑いあの時期に、私が
心から焦がれて止まないあの女優、
藤崎薫が
脚本を書いたと聴いた時の震えと同じだった。



勝つことだけを
考えていた私にとって、
勝つためには、様々なものを憎み、恨み、
怒りを育てなければならないということに気付いていなかった。



私の中の普遍の法則が、
当たり前にこなしてきた、
人への感情の法則が粉々に砕かれていた。

今まで当たり前に受け入れ続けてきた
人の感情の移り変わりや、
そこで雨が降ること、そこで誰かに
動きを止められること、一つひとつが
許せない。受け止められない。




あの女優は、何を思って私にこの台詞を
与えたのか。



わからないのに人を愛する意味は?


わからないのに人を愛したという確信は?


私自身の核心を突くまで私は
この台詞を離したくなかった。




愛には答えが返ってこないことは、
わかっている。


人の想いは日々移り変わることだって
分かる。





その、全く関係の無いところで、
私、水原高菜自身が全てを見られて
試されている。


今もなお試され続けていることが
私の中に湿度を持たせていった。




「手を離して、行って。ここから離れてほしい。」


「それは、本当の望みなの?」


「本当が分かるの?あなたに本当がわかるなら、それを教えてよ。」



私の私自身との戦いに、
高温の熱が放り込まれるのは、
毎週火曜日。


その日は、まるで、火を浴びているような
熱さになった。


藤崎薫の言葉に
これでもかこれでもか、と、
温度を上げられる。


私とハジメのシーンは、
何度も繰り返される。


そのことに、意味があった。



同じ台詞を離さず
決して途中で投げず、
落ちたら拾い、拾った感情をまた
表出し直す。




そんな顔は、誰も、見たくない。

お前の顔は、要らない。

女優じゃない水原高菜は死んでしまえ。





私の中の水原高菜が
一人ずつ消え、そこからまた芽が吹き
水を与えられ、人の目を浴び、
むくむくと育っていた。


憎しみや怒り、憤りを通り越して
私を越えた先に、見えたものは。



それは、私の中に、
ハジメが居ること。

私にしかわからないハジメの
姿があり、私にしか聞こえないハジメの声があること。


ハジメまで全てを演じられる
ようになった水原高菜の中には、
何よりも、藤崎薫が居ること。



ある日、ハジメは、朝から晩まで
稽古に姿を見せることはなく、
二度と一緒に
稽古をすることはなかった。


彼の台本は、私が今も持っている。



[青は藍より出でて、藍より、青し]


私の小さな文字のメモが、
掠れて残っていた。













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