俺が主人公でなにが悪い?!

絢野悠

第5話

俺は今いろいろと後悔しながら、汗だくで駅への道を走っていた。
ちゃんと八時には起きた。すぐに朝食を摂って、着替えも完璧だった。しかしその後が問題だった。
久遠が髪型を整えるとか言って、ヘアワックスをべったり塗らなければ。
美世が服のシワをいつまでも直していなければ。
考えても仕方ない。次の電車に乗り遅れると完全に遅刻だ。光啓が言っていたあのくだりもできなくなる。というよりも、立場が逆になる。
それはそれで有り……違う違う。一応後輩なんだし先についてないと。
電車到着前にはなんとか間に合った。急いで切符を買い、ホームへダッシュ。階段を下りている途中で電車が着いた。
速度を上げ、ドアが閉まるギリギリで電車内に滑り込んだ。が、若干乗客の視線が痛い。
まさか! 俺の脇汗が!
大丈夫だ、問題ない。
空いている席に座り息を整える。田舎の電車なんて、基本座りたい放題だ。
あと二駅で雪尾駅。それだけあれば落ち着けるだろう。
華岡市には大型デパートが一つある程度。だから、買い物をするために坂月市に出ることは割と多い。電車の窓を流れる景色も見慣れている。それでも特にすることがなければ、窓の外を見ているしかない。景色を見ているのは好きだからいいけど。
雪尾駅に到着し、電車を降りた。
俺はまだ志帆さんがどういう性格かかわからない。でもなんか、変なところで律儀なんじゃないかなあと思う。
「やっぱりか」
改札からでもわかる。あの流れるような黒い髪。人形みたいに整っていて無表情な横顔。通りすがる誰もが、志帆さんを注視していた。白いワンピースも、ピンクのボレロも、とてもよく似合ってる。
俺に気付いたのか、志帆さんはスカートを翻し、穏やかな足取りで近付いてきた。
「ま、待ちました?」
改札を通ってきた志帆さんに対し、控えめにそう言った。
「いいえ、今来たところよ」
「そ、そうですか。じゃあ行きましょう」
立場は逆になってしまったが、いい経験をさせてもらったということで。
俺が乗ってきた電車は坂月駅には向かわない。乗り換えが必要なのだ。
「ええ、そうね」
二人で階段を登り、路線を切り替える。。
電車に乗り込み、いざ坂月市へ。
混み合っているというほどではないが、座席には座れなかった。一本路線が違うだけでこの差とは、客観的に見ればとても面白い光景なんじゃないかなと思う。
「ねえ、一郎くん」
志帆さんが顔をのぞき込んでくる。瞳に映った自分が見えるくらいの距離。あまりにも近すぎて、胸の鼓動が早くなっていく。
「は、はい。なんでしょうか」
それを隠すように、俺は窓の外を見ながら返事をした。
「なぜ敬語に戻ってるの?」
「俺敬語に戻ってます?」
「今の言葉をもう一度言ってみればわかるわ」
ナチュラルに敬語を使っていた。昨日までは普通に話してたはずなのに。
「もしかして、一対一だからということ?」
「あー……たぶんそうかもしれないです。いや、そうだと思う」
「無理に、というわけではないけれど。がんばって普通にしてもらえるとありがたいわ」
「了解した」
「それにしても」
志帆さんは俺のつま先から頭のてっぺんまで、じっくり見ていた。
「俺の格好、おかしかった?」
「そうではなくて、意外だなと」
「どういう服装で来ると思ったの?」
「一郎くんのイメージはずばり、デニムにティーシャツ」
なんで知っているんだこの人。確かに俺のタンスの中はジーパンやティーシャツ、パーカー率が高い。
「しかもオシャレといしてではなく、楽だからという理由」
「なんでわかるの……」
「私の特殊能力だから」
「能力の詳細は?」
「相手のタンスの中を当てられるわ。勘で」
「嘘じゃん勘じゃん能力じゃねーじゃん」
「でもいいと思う。チノパンとシャツとベスト。シンプルだけど、清潔に見える」
「あ、ありがとう」
素直に嬉しい。だが「これ妹たちと選んだんですぐへへ」とは言い出せなかった。
「すっかり言い損ねちゃったけど、志帆さんすごく綺麗です」
「ありがとう。でも私は可愛いと言われた方が嬉しいわ」
「ほう、ちょっと意外かも」
「それは心外。私だって女の子なんだから」
「可愛いっていう部分もだけど、どうしたら嬉しいとかって素直に言うあたりが」
「基本的に、思ったことは口に出すようにしてるの。私は感情とかを上手く表現できないから」
「そうかな? 昨日笑ったのはすごく可愛かったけどね」
「デートが始まった瞬間から口説きにくるのね」
「ち、違うって!」
赤面しているのが自分でもわかる。顔が熱くて仕方がない。
「でも嬉しかったわ。ありがとう」
柔和に微笑む彼女はまさに天使だった。無表情とのギャップがすさまじく、俺の気持ちを毎回揺さぶってくる。
それきり志保さんの顔を直視できないまま、俺たちは坂月駅に到着した。
駅からサカヅキパークまでは徒歩五分程度なので、会話をしていれば苦にならない。
まあ、後ろからついてくる二つの影を除けば、かなり順調なデートだと思う。
休日のサカヅキパークは大賑わい。それでもはぐれることなく、彼らはついてきていた。
「あー、すげー見られてる」
目端には、ナナちゃんと光啓の姿があった。非常に仲がよさそうである。
「部活の延長線上だから、ナナたちが見ているのは当然ね」
「そうではなく……いや、もう行こう。なにから乗る?」
ナナちゃんたちの視線もそうなのだが、それ以上に周囲の視線を集めていた。志帆さんの美貌は恐ろしい。
「やっぱり最初はジェットコースター」
「絶叫系好きなの?」
意外というほどでもないが、絶叫系は好んでまで乗らないかと思っていた。
「ジェットコースター、お化け屋敷、観覧車は鉄板でしょう? 観覧車は最後にするし、お化け屋敷はボーナスゲームだからとっておきたいし」
「ボーナスゲームってどういう意味なんだ……」
「いいから、ほら行きましょう」
志帆さんの腕が絡んできた。髪の毛の匂いなのか、とても甘い匂いが鼻腔をくすぐる。それと同時に慎ましやかな胸が腕に当たり、恥ずかしさと嬉しさがこみ上げてくる。
「ごめんなさいね、貧相な胸で」
「そ、そんなことないです! 素敵だと思います!」
「そう? それならこのままでいきましょうか」
引っ張られるように、俺はジェットコースターに連れていかれた。
自分で言うと悲しくなるが、俺の顔は十人並みだ。勉強もできないし、スポーツもそこそこ程度だ。志帆さんにしてみれば、俺とは出会ったばかりだし、こんな風に接してもらう関係でもない。ナナちゃんに言われたからって、普通ここまでするだろうか。
「難しい顔してどうしたの?」
開園直後だからか、ジェットコースターの列は短かかった。
「うーん、なんかこう、学校で言われてるような感じじゃないなと思って」
この際、考えていたことは濁しておく。今じゃなく、もっと仲良くなってから聞くべきなんじゃないかと思ったからだ。
「それは私のこと?」
「うん。正直、ちょっと前までは噂でしか聞いたことがなかった。人を寄せ付けず、人に寄りつかない。静かにたたずむ文学少女って、そんなイメージだったから」
「大体合ってるからなんとも言えない。でも、話しかけられれば会話はするし、必要とあらば話しかけたりもする。ただ、ナナが言うには話しかけづらい雰囲気だとか」
「それはナナちゃんが正解だ」
「想像するよりも、きっと私は普通の女子校生よ。友達と遊ぶのだって、当然楽しい」
「その友達ってナナちゃん限定だったり?」
「それは言わない約束」
「じゃあ友達たくさん作りましょう」
「友達百人できるかな」
「それは志帆さん次第じゃないかなと思うけど。まずは俺、光啓、それに妹たちもいる。そこから輪を広げていこう」
「なるほど、将を射んとせばまず馬を射よ、と」
「大将誰だよと」
「今度はみんなでいろんなところに遊びに行きたいわ」
物静かで無表情だと思ってた。でも、志帆さんは良く喋り良く笑う。
「そうだな。特に、光啓と志帆さんのツーショット、絵になるんじゃないかなと思う」
「光啓くんはカッコイイと思う。頭もいいし、空気も読める。嫌味もないし友達思い」
「そうそう、アイツはいいヤツだよ。キモイけど」
「でも、私は一郎くんもいい人だと思う」
「俺? 俺は別に普通だ。特技もなければ、人を楽しませることもできない。つまり他人に利益をもたらせない」
「一郎くんが言う利益っていうのは相手が決めるものよ。一方的に決めつけてはいけないし、決めつけるものでもない」
「む、言われると確かにそうか。それでも――」
「アナタがいい人だって言う光啓くんが入れ込む人物。もう少し、その人物の本質を見た方がいいと思う」
いつの間にか、順番が回ってきていた。志帆さんは「行きましょうか」と、手を出した。俺はその手を取って、ジェットコースターに乗る。
彼女の手を上手く握れない。握れば壊れてしまいそうなほどに、細くて繊細だったから。
少しだけ力を入れると、志帆さんはこちらを向いて微笑した。
顔が熱いなあ。
と、思っていたのもつかの間。数分の間に肝が冷えた。
「ここのジェットコースターってこんなに激しかったっけ……」
まるで瞬く間の出来事だった。無事山クラスの長くて急勾配な下り坂が最初にあって、それ以降もぐるぐる回ったり、急な坂を下ったり。俺が中学校の頃はこんなキツクなかったと思うが……。
俺たちの後方でも、三人が目を回しているみたいだ。大丈夫だったのはナナちゃんだけだったか。
しかし、お前ら隠れてるつもりだろうけど、かなり豪快に見切れてるぞ。
っておい、双子が増えてるじゃねーかどういうことだよ。
「このジェットコースター、新設して一ヶ月くらいなのよね」
ケロッとした調子で言ってくれる。こっちは結構キテるんですが。
「これに乗りたかったのか」
「一理あるわ」
ジェットコースターを降りてすぐ、志帆さんはソフトクリームを買い、その小さな舌で舐めていた。正直、美味しいんだか不味いんだかわからない。普段は表情に出ないな、ホントに。
「甘いのは好き?」
「好きよ。心が洗われるような気がする」
志帆さん自身が言った「普通の女子校生」というのも、なんとなく頷ける。壊滅的に表情に出ないことを除けば、だが。普段の表情があまりにも硬すぎるんだ。
ああ、なんとなくナナちゃんの狙いがわかった気がする。なぜ対象が俺なのかはさておいて、志保さんの硬い表情をなんとかしたいって思ったんじゃなかろうか。という勝手な憶測を展開していけば、この状況も少しは納得できる。
「次はお化け屋敷。こちらも新設されてそんなに経ってないから、期待してもいいと思うわ。無事急と肩を並べる怖さだって噂もある」
そもそも無事急という名前がおかしい。だってたくさんあるアトラクションは、入ったら無事じゃ済まないくらいドギツイ物が多いって話を聞いた。
そんな俺の思考もつゆ知らず、志保さんは次のアトラクションに行きたいようだ。
怖いのは割と好きだ。でも、妹たちは二人ともホラーが苦手。さあどうするやら。
お化け屋敷はタイミングがよかったのか、列と呼べるほど混んではいない。四人まで同時に入れるみたいで、少しだけ胸をなで下ろす。主に妹たちの件で。
学校を模してあるお化け屋敷。客は昇降口から入り体育館に向かって脱出する、というのが設定みたいだ。進行経路上に矢印が書いてあるらしい。
「おお、かなり凝ってる」
木造の廃校を擬似的に作ったんだろうけど、埃っぽくてやたらと涼しい。
「さあ行くわよ、はぐれないように」
志帆さんが俺の手を取る。二回目だが、やはり慣れない。
ふと気付いたが、少し震えているような。いや、志帆さんのことだ、怖がっているわけじゃないだろう。
「その格好、寒くない?」
「別に寒くはないけど、一郎くんは寒いの?」
「俺は特に。気にならないんならいいや。行こうか」
そうして、手を繋いだまま廃校探索はスタートした。
案内板に従い、まずは三階まで階段を上っていく。三階から下るように各階を回るんだと思われる。
窓には木の板が打ち付けられている。そのため光が差さず、寿命も間近な薄暗い蛍光灯がすべてだ。その蛍光灯も全部機能しているわけではない。廊下の真ん中だけとか、その程度だ。思わず身震いしてしまうくらい雰囲気が出ている。というか、こちらが雰囲気に飲まれているんだ。すごいクオリティだなと、素直に感心した。
廊下を進んで行くと、奥の方でなにかがうごめいた。人がしゃがみ込んでいるように見えるが、全身が痙攣しているみたいに、不自然な挙動で近付いてくる。
その『なにか』がいる方向にはロープが張られ、向こう側には行かれない。代わりと言うのもなんだが、床には血痕のようなものがある。なにかを引きずったような血痕が、俺たちを教室に導いていた。
「こっち、らしいよ」
「そうね」
躊躇無く教室に入っていく志帆さん。頼りになる先輩だ。
教室には誰もいない。ずるり、ずるりと、なにかを引きずるような音以外はなにもない。「なにもなくないじゃないか」という自身への突っ込みはこの際スルーだ。
「この音ってもしかして、教室の前にあった血痕らしきものと関係があるのかな」
返事が返ってこないまま、反対のドアから出る。その間も音は止まない。
「志帆さん?」
繋いだ手はきつく握られ、やけに汗ばんでいる。
「もしかして、怖いの?」
志帆さんの背筋が伸びて、足が止まった。
「怖くなんて、ないわ」
廊下に出て数歩進んだところで、音が止んだ。しかし次の瞬間、べちゃりと、生々しい音が後方から聞こえた。恐る恐る振り向くと、さきほどの痙攣した『なにか』が至近距離にいた。
「ひぃ……!」
左手を思い切り引っ張られた。
「おおおおおい! ちょっとま、待って待って!」
志帆さんの全力疾走。あまりにも強く手を握られているものだから、ほどくにほどけないでいる。三階から二階、一階と、お化け屋敷をお化け屋敷として堪能する暇もなく、体育館へと通じる渡り廊下まで来てしまった。
もしかして、ボーナスステージって俺に対してのボーナスなのか。なんて考えてしまった。
「よ、ようやく止まった……」
この人めっちゃ足速い上に体力あるな……。
「落ち、着い、た?」
息を切らしながら、俺はそう言った。かたや志帆さんは静かにうつむき、繋いでいる手は力強く握られていた。
返事が返って来ないのが心配で、俺は志帆さんの顔をのぞき込む。
すると、今まで握られていた手が嘘のみたいにほどかれた。それと同時に、両手で強くバッグを抱き込んだ。
たぶん、怖かったんだろう。なぜ隠していたのかは知らないけど、結構無理してたんじゃないだろうか。
「大丈夫?」と俺が言うと「大丈夫」と返ってくる。
「無理してない?」と顔を覗きこもうとすると「無理してない」と顔をそむける。
完全に無理してるな、こりゃ。
どうすればいいんだ。光啓ならまだしも、俺に女の子の扱いとか無茶振りがすぎる。
「ごめんなさい……」
「え? どうしたのいきなり」
音がするほどに、志帆さんはバックを抱きしめた。
「本当は、あんまり得意じゃないの……こういうところ……」
「途中からだったけど、うん、理解したよ」
「せっかくのアトラクションなのに、ほとんど見られなかったでしょう?」
「うーん、まあそうだけど、別に気にしてないからいいよ」
この空気をなんとかするのは笑顔だけだと思った。でも今俺が笑っているのは、きっとそういうことじゃない。笑いがこみ上げてきたのだ。楽しいというよりは嬉しい。
「怒ってもいいのだけど、あまりキツイのはやめてね」
「怒らないって。むしろ、そういう苦手な部分を見せるって相手選ぶと思うんだよ。だから、ちょっとだけ嬉しい」
最初は彼女の方から手を差し出してくれた。
「はい」
だから、今度は俺が手を出す番だ。
「そろそろゴールだから、一気に駆け抜けちゃおう」
顔を上げた志帆さんの目には、大きな雫が浮かんでいた。それを気にすることなく、それを振り切るように、彼女は目を細めて俺を見た。
「……うん」
お、良い感じだ。ちゃんと対応できてる。
体育館に入った瞬間、生暖かい風が吹いて――。
「うおおおおおおおおおおお! 結局こうなるのかああああああああああ!」
右手が引っ張られ、体育館を一瞬で駆け抜けた。
こうして俺のお化け屋敷は終了した。走り回っていた記憶しかないのが残念だ。
あの笑顔を見られたからいいとしよう。
お化け屋敷の件を払拭するかのように、俺たちはいろんなアトラクションを回った。コーヒーカップにメリーゴーランド、ウォータージェットコースターにスリーディーシアター。こんな風に女の子とデートするなんて夢にも思わなかった。しかも、こんな美人と。
でも、志帆さんは基本的に無表情だから、楽しんでくれているのかずっと不安だった。
「最後はお約束」
「観覧車かあ……」
目の前には大きな円形のアトラクション。吊られたゴンドラに乗って一周する、とてもシンプルな乗り物だ。密室ということを除けば、なんてことない代物。
順番が来て、志帆さん、俺の順にゴンドラの中へ。
「ついに乗ってしまった……!」
「嬉しいのか悲しいのか、とても微妙な表情ね」
「女性と密室でとか、考えただけで……」
「変な気は起こさないように」
「いろんな意味でおかしくなりそうです」
緊張でちゃんと喋れるのか。そんなことを考える俺をよそに、ゴンドラは回り続ける。
「今日は楽しめたかしら?」
「はい、それはそれは楽しかったです」
考え込んでいたので、その言葉が口を突いて出た。
「敬語」
「ええ?! あ、ああうん楽しかったよ! 志帆さんは?」
「楽しかった。ちょっと不甲斐なかったと思うけど」
「お化け屋敷のやつ?」
「濁してるんだから、そういうのは言わないものよ」
「はいすいません……でも、嬉しかった」
「嬉しい?」
「だって、自分の弱い部分は信頼してる人にしか見せられないと思うから」
「ふむ、確かに」
そうは言ったものの、なぜ信頼されているのかというのは不明だ。
「ここから見ると、いろんなものが小さく見えるわね」
「あまり見られない光景だよね」
「なんか新鮮」
「いろんな物がミニチュアだ」
「それに、あかね色の景観が素敵ね」
まぶしそうに夕日を見つめながら、志帆さんは髪をかき上げた。一日中そばにあったはずの甘い香りは、新鮮さを失っていなかった。
景色を見つめる志帆さんの横顔は、やっぱり綺麗だった。その瞳は横顔であっても、吸い込まれそうになる。
だめだ、顔が熱い。
「どうしたの? 顔が赤いわ」
「夕日のせいだよ! いや、それにしても綺麗だなーホントに」
なにが綺麗かは言わない。
「うん、ホントに綺麗」
わからない。俺は、この人のことが。
表情の変化は乏しいのに妙に饒舌。だから、対処が難しいというか。
しかし、今日一日でわかったこともある。俺はたぶん、この人に気を遣わなくてもいいということ。光啓やナナちゃんと同じような感覚で接しても大丈夫ということだ。
ゴンドラから降りるまで、俺たちはたわいない話を続けた。志帆さんは物腰が落ち着いてるため、盛り上がったかどうかは微妙だが、楽しく会話できたと思う。
観覧車は一周し、元の場所に戻ってきた。
「はい、志帆さん」
俺が先に降りて、手を出す。
「まるでナイトね」
俺の手を取り、淑(しと)やかにゴンドラから降りてきた。
「そろそろ帰ろうか。風も冷たくなってきたし」
「そうね。行きましょう」
出口に向かって歩き出す。ジャケットでも着ていたら、肩からかけてあげるんだけど。
そのとき、男女四人組の前を通り過ぎた。が、俺たちは目もくれずに通り過ぎた。
「ようイチロー、奇遇だな」
やだ話しかけてきた怖い。
「無視するなよイチロー」
これはナナちゃんじゃない、ナナちゃんじゃない。
「あら奇遇ねナナ」
「なんで俺が無視してるのに反応しちゃうの!」
「そうなの? せっかく合流したんだし、一緒に帰ろうと思っていたのだけど」
「さすが志帆先輩。女神のようだ」
光啓は俺の肩に腕を乗せながらそう言った。
「で、観覧車はどうだった? キスくらいはしたのか?」
「するわけねーだろ! 疑似デートだろこれ!」
今度は姉妹が腕にしがみついてきた。もちろん光啓をはねのけて。兄妹三人で出かけると、こういう状況がよくあったりする。
「「本当?」」
下方から威圧的な眼光が飛んできた。別にやましい気持ちはないが、妙に心が痛い。
「普通に会話して終了! それ以外はなにもない!」
「志帆先輩の髪の毛っていい匂いするよな」
なんて光啓が言うものだから、
「それは同感。今日もすごく甘い匂いがした」
と、それはもう自然に返してしまった。
「お兄ちゃんそれって」
「そんな近くまで接近したんですか?」
「腕、腕めっちゃ痛い。緩めてというか離して」
少しは緩めてくれたけど、離す気はなさそうだ。
光啓許すまじ。
志帆さんとナナちゃんの楽しそうな声がして、首を回して後方を見た。
二人は学校でも双璧をなす女子だ。容姿でも成績でも、なんでもだ。高嶺の花とは良く言ったもので、手がとどく場所には咲いていないのだろう。
「観覧車での話、後できっちり聞かせてもらうから」
「お兄さま、覚悟してくださいね」
山田兄妹と光啓、先輩ペアという順のまま駅まで歩いた。
思っていた以上に電車は混雑し、六人で会話する機会はなかった。
みんな学校は一緒だし、そのとき話せばいいか。
雪尾駅に着き、ドアが開く。
「それじゃあね、一郎くん。みんなも」
「うん、今日はありがとう。楽しかった」
「私も楽しかったわ。また遊べるといいわね」
志帆さんは人差し指を唇に当て、声を出さすになにかを言った。そして、綺麗な髪をなびかせて、電車から離れていった。
志帆さんが言ったこと、なんとか理解した。俺の誤解でなければ……。
「二人で、か」
もう志帆さんの姿は見えない。けれどその一言で、悩んでいたのがバカらしくなってきた。本当に楽しんでくれていたんだなと。
ああ、顔が熱い。あの人と一緒にいると、なんだかずっとこんな調子だ。
「顔が赤い、お兄ちゃんなに考えてるの?」
「私たちの胸が当たっているからですよ」
「そうかなるほど、男とは単純なものですなあ」
腕に抱きついたままでそんな会話を続けないで欲しい。
疲れたけど楽しかった。しかし家に帰って妹たちからの質問攻めが待っている。考えただけで嫌になるが、これもコミュニケーションだと思えばいい。
電車の外を流れる景色を見て、今日一日が終わってしまうんだと実感する。少しずつ家に近付いていくから。
寂しさを感じながら、俺はずっと景色を見つめていた。

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