傷だらけの限界超越(リミットブレイク)

絢野悠

最終話

次の日、俺は朝から寝たきりだった。眠っていたわけではなく、身体がいうことをきかなかったのだ。極制紋を一瞬だけ発動した際にも寝込んだのだ、力尽きるまで使っていたらこうなっても当たり前か。
「はい、あーん」
「おい、スプーンを無理矢理ねじ込んでくるなよ」
「美味しくない?」
「いや、正直美味いと思う。が、今はあまり腹が減ってないんだ」
それでも尚、唇にスプーンをぐいぐいと押し付けてくる。リズなりの気遣いなんだろうけど、少しばかり強引すぎる。
上半身だけを起こしている俺の腰にまたがるリズ。スプーンも近いが顔も近い。吐息さえ感じられそうな距離だ。
「邪魔するぞー」
と、望未の声。
「おっじゃましまーす」
と、京介の声。
その他大勢の足音と「お邪魔します」の声。おそらくはコミュニティーメンバー全員だ。
「オウ……カタルサンタノシソウデスネ」
なぜか、京介は片言だった。まあ、この状況を見れば言いたくもなるわな。
「本当にお邪魔したみたいね。気にしないけど」
いつも通りリズは無表情だが、間違いなく怒っているというのは理解できた。こいつとやっていくには、彼女がまとう空気を把握しなければいけない。俺も妙なスキルを身につけてしまった。
「で、なんで七人揃って来たわけ? お見舞い?」
「そんなわけないでしょ? なんでアンタなんかのお見舞いに来なきゃいけないのよ。新メンバーのお披露目と、作戦会議よ」
「や、語」
「レイナだけ遅れてくる必要ないだろ。もう知ってるんだから」
「一応サプライズってことで」
「いやだから知ってるんだってば……」
レイナは絶対にサプライズの意味を履き違えている。
「はあ、もういいやどうでも。そういやマイナはどうしてる? 病気は悪化してないのか?」
「あー、なんかほとんど治ってたらしい。その点でも断真に一杯食わされたわけだ。ゼッタイに許さん」
と言いつつも、レイナの顔は笑っていた。口端を釣り上げるこの顔、今度断真先輩ぶっ飛ばされるな。
レイナから視線を外すと、テーブルの上にお菓子やジュースを広げる京介。とその他数名。完全に遊びに来ただけだろ。
「扱い的には病人なんだか、少しくらいは遠慮しろよ」
「まあまあそう言わずに、語の旦那も一杯」
「お前はそういうキャラじゃねー……いや、京介はなんでもありか」
昨日も疲れたけど、今日は今日でやたらと疲れる。
ベッドに寝転び、天井を見上げた。
「じゃあ私も」
俺にまたがったまま、リズが倒れてきた。柔らかそうな髪の毛から甘い香りがする。いや、髪の毛だけじゃないな。こいつが近づくと、この匂いが鼻孔をくすぐるんだ。
ふと、出会った頃を思い出す。
昔から、こいつはこの匂いをさせていた気がする。
なんでだろう。とても安心するんだ。弱かったリズを守るのは俺の役目だって、それが俺に与えられたものだって。厳しい両親や親族に非難され、行き場をなくしてたあの頃。初めて生きる価値を見出したような、そんな気がしていた。
「ありがとうな、リズ」
「え?」
俺が軍事科に進んだのだって、じいちゃんからの勧めだけじゃない。誰かを守ることが、俺の道だと思ったからだ。
「いや、なんでもねーよ。俺は寝るから勝手にやっててくれ。お前が見てればおかしなことはしないだろ」
釘さえ差しとけば、リズはとても従順だ。正直俺にはもったいないくらい、いい女だと思う。壊滅的な無表情を除けば、だけど。
「任せて、未来の旦那さま」
リズの顔が近づいてくる。俺は寝たままなので、回避することができない。むしろこのまま顔を背けたら「そんなに私とするのが嫌なの?」的な展開になりそうで、それはそれで怖い。
顔にかかる吐息が徐々に強くなっていく。俺は思わず、目を閉じてしまった。
「それ以上は私が許さんぞ」
唇に硬い感触。目を開けると、リズとの間を誰かの手が遮っていた。俺の唇は誰かの手の甲に当たっていた。先を辿ればレイナの姿があり、その顔にはいつもの強気な笑みを浮かべている。
「レイナ、邪魔」
「させんよ。語は、私の物になるんだ」
俺の唇から手を離した。そしてそのまま、手の甲を自分の唇へと持っていく。
「おまっ! お前なにやってんだよ!」
「リズにばっかり卑怯だろ? 私もなにか役得が欲しいと思ってな」
二人の間に火花が散るのは二度目だ。視覚的にはなにもないが、この空気を読む能力を身につけてしまった俺には見える。いや見たくはないんだけれども。
「断真が可哀想だ」
「断真は関係ない。あいつはあいつ、私は私だ」
重い、空気が重いよ。
「あ、俺ちょっと出かけてくるから」ってやるのが定石なんだけど、身体がダルくてそれができない。トイレに行くのでさえ奥歯を噛んでいるのに、この状態でどこかに行くなんて精神がどうにかなってしまう。
「勝負ならいつでも引き受けてやるぞ? ケージの中でも外でもな」
「流動魔法が使えないくても関係ない。この間は油断しただけ」
「そうか、ならかかってこい。そのキレイな顔を地面につけてやる」
「おいやめろバカ! ここは俺の部屋だ!」
「語は黙ってて」
「お前は黙ってろ」
黙ってるわけねーだろ、なんて言えたら楽なのに。
あ、出てった。妙に律儀だな、二人共。
「いやいや、俺の看病してくれるんじゃないんですかね……」
「お前も大変だな」
「兄さんは女運がないんだ。両方共クセが強すぎる」
「なんだかそういうところも、語くんらしいといえばらしいけどね」
「リュートさん、それはちょっと可哀想では……」
「カティナも遠慮することないわ。別にいいんじゃない? それも語らしいってことで片付けられるし」
「確かに弄られ役を買ってくれるのはありがたいわね」
「駄目ですよほのかちゃん、また望未ちゃんに弄られちゃいますよ?」
ウィルオウィスプのときもこんな感じだったな。上級生や下級生問わず気を遣わない、そういうコミュニティだった。
望未が無礼講にしたのも、こういう空気を作りたかったからなんだろう。俺も京介こっちの方がありがたい。
「そのうち姉さんも来ると思うから、それまでは起きててね」
あの人の傍若無人っぷりは、私生活じゃないとわからない。それをこいつらの前で見せたくはないのだけど。
「お姉ちゃんが来たぞー! 語と薫が愛してやまない、お姉ちゃんが来たぞー!」
きやがった。
ため息は吐いたものの、本気で落ち込んでるわけじゃない。悪い気もしないしな。
めちゃくちゃ振り回されながら、俺はこれからもこのコミュニティでやっていくんだろう。できるなら、俺たちが卒業してもスレイプニルがなくならないでいてくれたらな、なんて思う。
姉ちゃんが来て、またうるさくなり始めた。
「俺病人なんだけどな……」
もう誰も聞いてない。姉ちゃんは薫を愛でてるし、もうどうにでもなれ。
でも、極制紋を使う度にこれじゃあ話にならないな。今度、じいちゃんにでも教えてもらうかな。
「語、私とレイナ、どっちが綺麗?」
「帰ってくんなよめんどくせーな……」
「とか言いつつ笑ってるじゃないか」
レイナに言われて初めて気付いた。
だって、楽しいんだ。
もう少し頑張らなきゃな。スレイプニルのリーダーとして、牽引する役目を背負っているんだから。
俺が「リズ」と言う。リズは「なに?」と小首を傾げた。
「お前の苦しみはわかんねーけど、これから少しずつでもかわっていけたらなって、そう思うよ。だから、まあこれからがんばろうぜ」
俺がそう言うと、彼女か顔を赤くして抱きついてきた。今日くらいはいいかな。
「ありがとう、語」
「どういたしまして」
リズの頭に手を乗せ、その柔らかな髪の毛をそっと撫でた。
この手が届く範囲だけでも、俺は守ってみせる。俺が求めた自分の役割なんだ。ようやく見つけた自分の居場所を、大事にしたいと思った。

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