元魔王様(55)が大人しくしてくれない

絢野悠

第10話

その後、しばらくの間はドルキアスが落ち込んでいたのは言うまでもなかった。


いち早く食事を切り上げたエリックは一人でキッチンに向かった。小さな器を二十七個用意し、冷凍庫から金属製の大きなボールを出す。ボールの中の物を小さな器に分けていった。最後にスプーンを差し、カートに乗せていった。


容器が小さいのでカート一つで乗り切った。


ゴロゴロとカートを押して大広間へ。先程同様に子どもたちの視線が集中する。けれど二度目だと、何事もないようにカートを押し進めた。


一人に一つづつ。器をテーブルの上に置いていった。


「もしかして、これって……」


エリシャが呟く。


「お手製のバニラアイス、デザートに作っておいた。訳あって塩を少々振ってあるが甘さには問題ない。さあ食えよ」


最後に自分たちの分を運んだ。子どもたちは食事以上に喜んでいた。


だがなによりも食事の後が大変だった。


子供たちの胃袋を完全に掴んでしまったエリックは、子どもたちから手厚い歓迎を受けることになったのだ。口々に「おじちゃん遊ぼう!」や「高い高いして!」や「今度はこっち!」と言い、五十五歳にして引っ張りだこだった。


二時間遊び、一時間の昼寝、その後に一般教養の勉強をした。フィーノがいつも勉強を教えているのだとエリシャに言われた。


「仕方ない」と言いながらも勉強を教えるエリック。従者の三匹はほくそ笑みながら陰から見守っていた。


夕方になり、子どもたちに自習をいいつけてキッチンに入る。と、既にリオノーラがいた。


「やる気満々だな、お前」
「てつだう!」
「わかったよ」


リオノーラには米を研ぐ作業、葉野菜を調味料に漬ける作業などを頼んだ。


研いだ米と、切ったキノコや葉野菜の茎の部分、それに茶色い調味料を混ぜて釜に入れた。火を付け、リオノーラに火の番を頼んだ。


ジュージューと肉が焼ける音、野菜を切るリズミカルな包丁の音。調味料が熱せられ、食欲をそそるいい香りがキッチンを満たしていった。


前菜は簡単なおひたし。メインは薄めの肉を調味料に浸し、それを焼いた物。コンソメスープを作り、夕食のほとんどが完成した。


「あの……」
「エリシャか。ちょうどよかった。釜の飯が炊けてるだろうからよそってくれ」


最初に漬けた葉野菜を切りながらエリックが言った。


「わかりました」と、エリシャは作業に入った。


エリシャがここに来た理由をわかっていた。だから作業を手伝うように頼んだのだ。


盛り付けが終わった料理を大広間に運ぶと、そこには昼と同じような反応があった。


おひたし、味付けご飯、生姜焼き、コンソメスープ。この孤児院にいた子どもたちの中には、見たこともない料理だと言う子供もいるだろう。


美味しそうに、楽しそうに食事をする子どもたちを見て、エリックの頬は緩んでいた。しかし従者たちはそれを指摘することも、揶揄することもしなかった。


食事のあとにも勉強を教えた。しばらくしてから風呂に入った。リオノーラが一緒に入ると言ってきかなかったので、仕方なく一緒に入ることにした。思ったよりも大きな浴槽で、エリックが入っても余裕があった。


「ほら、ちゃんと目を閉じてろよ」
「うー」


ワシャワシャとリオノーラの髪の毛を洗った後で、頭から一気にお湯をかけた。最初に教会を見て回ったとき、石鹸もシャンプーも粗悪品を使っていると知っていた。だから泡立ちがいいものを買ってきた。


「おいこら犬みたいに水滴を飛ばすんじゃない」
「だってー」
「タオルで水滴を取ってから、今度は身体を洗うぞ」
「あらうぞ!」
「身体は自分で洗うんだよ。ほれ、スポンジ」
「あい!」


二人並んでゴシゴシと身体を洗い、お湯で泡を流した。それから三匹の従者の身体を洗う。


「あわあわだ!」


ドルキアスがリオノーラのオモチャにされていた。茶色だった毛並みが、白い泡で完全に覆われてしまっていた。


「ちょ、ちょっとリオ! やめなさい!」
「たーのしー!」


どんどんと膨らむ泡を大きくしていくが、エリックはエリックで他二匹の身体を洗うので忙しかったのでなにも言わなかった。


「ちょっと魔王さま……あん、魔王、さま……」
「そういう声を出すんじゃねーよ。今はただの鳥だろうが」
「いや、でも、私はそれでも女なのでええええええええええ」
「うるせーよ! 子どもたちに聞かれたらどうすんだよ!」
「私はその、聞かれても大丈夫ですよ……?」
「意味を曲解すんじゃねーよ!」


二度三度とお湯をかけてやった。泡が消えると、先程のやりとりに満足したのか浴槽に入っていった。


「俺は部下の選択を間違ったのだろうか……」


今度はラマンドだ。手に石鹸をべったりつけて、すべすべの肌を洗っていく。


「あああああああああああああ! 魔王さまああああああああああああ!」
「うっせーんだよ! なんでお前までユーフィみたいになってんだよ! むしろ同性のくせにひどくなってるじゃねーか!」


面倒くさくなり、近くにあったたわしでゴシゴシ洗うことにした。


「痛い! 痛いです魔王さま! ああ! ああああああああああああああ!」
「途中からなんでそうなるんだよ! もうめんどくせーなお前らは!」


そんなこんなで風呂から上がった。子どもたちと遊んでいる時同様に、疲れきったエリックの姿があった。


「くそっ。風呂は癒やしの時間のはずなのに」


着替えながら首をコクリコクリとさせるリオノーラを着替えさせ、左腕で抱えた。彼女だけは早めに寝かせることにした。


自由時間のあとで、孤児院の子どもたちも寝室へと戻っていく。


「エリックさん、今日はありがとうございました」
「エリシャか。だから礼はいいって言ってんだろ。俺は明日の昼までだ。それまでは世話してやるよ」
「はい、お願いしますね」


一礼し、エリシャも寝室にもどっていった。


大広間にはエリックと従者三匹、眠っているリオノーラが残った。


「で、なんでこんなことしたんですか、魔王さま」
「こんなことって?」
「食材を買い溜めて、孤児たちに料理を振る舞った理由ですよ。その孤児たちはこれからまた質素な生活をしなければいけない。それなのに、一時の感傷での施しはよくありません」
「んじゃあ一時じゃなきゃいいんだろ?」
「なにをなさるおつもりですか? アナタにはお金も地位もないんですよ?」
「まあいろいろ策はある」
「策って……でも、なにかを思ってそうしたのはなんとなくわかります」
「お、わかってもらえるか。さすが我が従者よ。簡単に言っちまえば、こんなに質素な生活してるクセに、なんで留守番で日当一万も出すのかって話よ。それにフィーノの身なりはキチッとしてた。でも子どもたちは古い服ばっかりだ。なんつーか、フィーノの羽振りの良さや身なりの良さと、孤児院の子どもたちボロボロっぷりが対称的に見えた。教会自体も改修された様子がない。こりゃ、なにかありそうだなって思ったわけだ」
「それでこんなことを……」
「俺も悩んだんだがな。おいラマンド、お前アルトマン商会のヘンリックに魔導念話で連絡を取れるか?」
「おほっ、いきなりのご指名ありがとうございます。ええ、できますとも。アルトマン事件の担当はワタシでしたし」
「アルトマン事件と言えば、強盗、殺人、人身売買、麻薬密売と悪事の大御所。と呼ばれたヴィンケル商会のスケープゴートにされた事件ですね。スケープゴートというよりは単純に罪をなすりつけられただけって感じでしたが」
「民衆からも反感を買い、根回しされた裁判でも死刑確定一歩手前までいった。その真相を暴いてアルトマン商会のトップ、ヘンリックを守ったのが俺だ。奴には大きな貸しがある。ラマンドはヘンリックに連絡を取れ。明日の昼過ぎ、大型のバスをここに持ってくるようにってな。もちろん運転手付きで。あとはヘンリック自身にも来いと伝えろ。そこで最後の要求をする。その要求が終わったら貸し借りをチャラにするってな」
「その言い方で来ますかねぇ……」
「俺が魔王じゃないからか? いいや、来るね。アイツはカタギじゃないが義理人情には厚い男だ」
「わかりました。そのように連絡しておきます」
「ああ、頼むぞ。それじゃあ今日は寝るか。体力を回復しておかなきゃいかんしな」
「またなにをするつもりなんだか……」
「明日になってのお楽しみ、ってな」


フィーノの部屋から毛布を拝借し、リオノーラの近くの床に横になった。


「お忘れ物ですよ」


と、ユーフィが言った。


三匹の従者が協力してリオノーラを机から下ろし、エリックの側に置いた。


「わざわざそんなことしなくても――」
「パパ……」


寝言を言いながら涙を流すリオノーラを見て、エリックはため息をつくことしかできなかった。左脇の下あたりでリオノーラを抱えるようにして眠る。三匹の従者たちはまた、二人に寄り添うようにして横になる。ラマンドはリオノーラの足元に、ユーフィは二人の間に挟まって、そしてドルキアスはエリックの腹の上に。


「おい」
「ここが具合いいのです」
「もういいよ、なにも言わない。寝ろ」


こうして、二人と三匹の夜は更けていった。

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