廃クラさんが通る

おまえ

004 長田さんが通る

「奥原君! 起きて!」「ふにゃっ!」
 不意の呼びかけにドキッとして周りを見渡す。 女の人の声って、それほど大きくも高くもない声でも何でこう心臓をえぐってくるんだ。 俺はスカイであって、え~と奥原は、……俺だ。 整然と机が並べられた教室。 一学期中は毎日通っていたから見間違うことはない。 ここは俺の通っている埼ヶさきがや高校一年五組の教室だ。 蝉の声が大きく聞こえる。 この教室のすぐ脇に大きな木が立っているからか。 目の前には俺と正対して座る一人の女性。 眼鏡の奥には少し怒気を含んだ瞳が見える。<a href="//24076.mitemin.net/i289350/" target="_blank"><img src="//24076.mitemin.net/userpageimage/viewimagebig/icode/i289350/" alt="挿絵(By みてみん)" border="0"></a>「寝ぼけているの? なにか夢でも見ていたの? こんな時に」
 正面の女性は腕を組み片肘を机につけて少し斜めからのぞき込む。
「いえ、寝てないですし、夢を見るなんてあり得ないです」
 いや、寝てた。けれど嘘をついた。 夢は見ていない。たぶん。
「はぁ…そうですか。とりあえず、そのよだれを拭きなさい」
 諦めたようにため息をつき、組んだ腕の片手首を返し小さく俺の口元を指さす。 俺は慌てて手の甲でよだれをぬぐい、その手の甲をシャツでぬぐった。 机と椅子が縦横に整然と並べられている教室の中。 居るのは正面にいる女性と俺の二人きり。 その女性は俺の所属する一年五組の担任、数学を担当している百川ももかわ千代ちよ先生。 体に似合わぬ大層なスーツを小綺麗いっぱしに着ているが、童顔で背も低いからぱっと見なら俺たち高校生なんかよりも若くは見えるけど実際の年齢としは、……いくつなんだろう? この状況でわかるだろうが、補習はたった一人、俺だけだ。 昨晩は最後までPBCを見ていて、その後しばらくPBCの話などでジルと盛り上がり、床に就いたのはかなり夜も更けきった頃だった。
「全然進んでないじゃない」
 机の教材プリントをのぞき込んで指を差す。
「はあ……、私がどういう思いでこの教材プリントを作ったのかあなたにはわかる? たった一人、あなたたった一人のためにこれをわざわざ作ったのよ?」「うう、ごめんなさい」
 俺はその言葉に「しゅん」と小さくなる。
「ねえ、知ってる? 教師も夏休みはおおやけな仕事はないけれど、部活とかの顧問こもんは学校に来ないといけないし、私みたいにあなたの補習を見るために学校に来なければいけない先生もいる。でも学校に来ても来なくてもお給料はかわらないのよ? もちろん何らかの査定には影響が出るかもしれない。だとしてもあなたたった一人の補習をするために貴重な一日をつぶすなんて、全く割に合わないわ」「先生?」
 いきなり蕩々とうとうと語り始める百川先生に驚いてまじまじと見つめると、やや下を向いている目はどこに焦点を向けているのかも不明で、わりきっている。
「ああ、暑いわね。この教室本当に暑いわ。今時教室に冷房がないなんて、公立高校だからしょうがないとか言い訳にならないわよね? ああ、私立高校に就職すれば良かった。そうよ、私立高校ならあなたたった一人のための補習なんてきっとあり得ないわ」「先生、集中出来ないからやめて…」
 百川先生の愚痴に耐え切れず制止させようとしたが、百川先生は前を向き、俺の目を正面から見返して続ける。
「集中? あなたがちゃんと集中してやっていればこれだけ白紙なはずはないわよね? そもそもあなたは普段から私の授業に集中していたのかしら? 集中していたら今日ここで補習を受けるなんてないはずよね?」
 と、机の上の教材プリントを何度も指さす。 普段はドジっアピールで可愛らしい印象イメージのあった百川先生だが、実際はこんな性格キャラだったとは……。 彼氏がいるとかそういう話を聞いたことはなかったけど、なるほど、これが本性なら納得だ。
「あなたの相手していたら余計暑くなってきたわ。こんな暑い日は海で泳ぎたいわね。埼谷さきがやから一番近いのは千葉? 茨城? どちらかの海かしら。車で2時間? 3時間はかからないわよね? でもあのあたりの海はドス黒いのよね。もっと青くて透明で綺麗な海で泳ぎたいわ。沖縄、いいえバリ島あたりなら最高ね。あ、勘違いしないでね。別にあなたを誘っているわけじゃないから」
 どうでもいい。激しくどうでもいいから、いつ息継ぎをしているかも不明なわからない、その延々といつまでも続く愚痴ひとりごとを本当にやめて……。
「何で私はここにいるのかしら? 本当なら私はこんな蝉の鳴き声がひっきりなしに聞こえる教室内じゃなくて、青い空と白い砂浜、果てしなくどこまでも広がる澄み切った紺碧のあおい海のあるどこか知らない静かな海辺ビーチにいるはずなのに」
 ついに幻視トリップし始めた。やばい、やばすぎるぞ。だれかこの狂師せんせいを止めてくれ……。
「ヴーーーン…… ヴーーーン……」
 教卓においてある携帯スマホうなる。 先生は、はっと我に返り席を立ち教卓の携帯スマホを取り上げチェックする。 一瞬口元が緩むが、ため息をつき、教卓の椅子においてあるバッグを取り上げる。
「ごめんね、奥原君。ちょっと用事を頼まれたからしばらく一人でお願いね」
 そう言い残し、足早に教室から出て行った。 助かった……のか? しかし一人でお願いとか言われたけど、はじめから特に百川先生から指導は受けていない。 愚痴は延々聞かされたけど……。 しょうがない、やるか。 さっきのでだいぶ目も覚めた。 ……と思ったところで風が教室内を吹き抜ける。 教卓の上に置いてあった紙がひらりと舞い上がり、ゆっくりと床に落ちた。 今までも風はそこそこ吹いてはいたが、飛ばされなかったのはそこに携帯スマホがあったからか。 俺は立ち上がり、その紙を拾い上げる。 なんだ?
 『来たれ! 執行者』?
 そこにはアニメだか漫画マンガだかのキャラが指を突きつけているイラストが描かれていた。 何か元ネタがあるのか、俺はあまりこういったものに詳しくないからわからない。 そのイラストの下にはさらにこんな一文が添えられていた。
『第59代 埼ヶ谷高等学校生徒会執行役員選挙 立候補締め切り9月1X日』
 生徒会選挙……なんだ、俺には全く関係のないことじゃないか。 しかし、なんだ? 自衛隊の募集にこういったアニメ調のポスターは見たことあるけど、あれは自衛隊をこころざす若者が少ないからあんな絵で釣ってたりするんだよな? この学校もこんなイラストで釣らないと生徒会に立候補する生徒がいないんだろうか? 大丈夫か? 埼ヶさきがや高校。 俺は自分の席に戻ってそれを前の席に置く。 一応飛ばされないように俺の筆入れをその上に置いた。 さて、今度こそ、この課題を終わらせないと。
 ガラガラガラ!
 突然教室の前側の戸が開く。 ん? 先生戻ってきた?  ……いや、違うようだ。 茶髪に赤いメッシュを入れていて、顔には薄いながらも化粧メイクをしている。 ブラウスはきわどいところまでボタンを開けていて、赤黒チェック模様のスカートもかなりきわどい。 見るからにいかにもギャルっていうギャル。 いや、ややヤンキーに近いか?<a href="//24076.mitemin.net/i291464/" target="_blank"><img src="//24076.mitemin.net/userpageimage/viewimagebig/icode/i291464/" alt="挿絵(By みてみん)" border="0"></a>「あれ? 奥原じゃん。 何やってんの?」「補習だよ。見てわからない?」「ふ~ん……」
 うん、俺はこの女生徒ギャルをよく知っている。 一年五組出席番号14番、長田おさだ佳奈子かなこ。 出席番号が一つ手前の13番、奥原おくはら蒼空そら、つまり俺だ――とは集会の時などは前後に並ぶことになり、無駄話おしゃべりをしてはよく怒られたりしている。
「長田さんは何しに来たの?」「あたしは今日、講習あったから、それで。ここ寄ったのは夏休み前忘れ物してたの気づいたから」
 講習? ああ、補習じゃない勉強会を夏休みこの学校でやってるんだった。 長田さんは、失礼ながらこの見た目からは想像が付かないが成績は常に上位トップクラスを維持している。 人懐ひとなつっこく誰とでも分け隔てなく接し面倒見も良い。 俺みたいな駄目ダメ人間にも普通に話しかけたりしてくれる。 女性に使う言葉ではないかもしれないが、とても『男前オットコまえ』だ。 しかし、それでいて内面はかなりの乙女おとめだということも俺は知っている。 あらためて言うがこの見た目にもかかわらず……。 まさに『人を見た目で判断してはいけない』を体現している女子高生JKだ。 前列窓際の自分の机まで歩いて行く長田さん。 鞄に無数取り付けられた銀色の小物シルバーアクセサリがジャラジャラと音を立てる。 重くないのかな? アレ。 腰を曲げ、屈んで机の中を確認する。 おい! ちょっとその体勢かっこう! パンツ見えちゃうから。<a href="//24076.mitemin.net/i291653/" target="_blank"><img src="//24076.mitemin.net/userpageimage/viewimagebig/icode/i291653/" alt="挿絵(By みてみん)" border="0"></a>「ああ、あった」
 ノートを取り出し、それを持ったままジャラジャラと俺の前の席まで来て座り、こちらを向く。 シャンプーの香りなのか、いい匂いがして少しドキッとする。
「え? なに?」「なに? って、それ見てあげようかな、って」「え? いいよ」
 正面から見つめられさらに心臓が高鳴り、思わず目をそらす。 長田さんとはよく話をしたりはしてるけど、こんなにも真正面から見つめられたのは初めてかもしれない。
「いいよ って、いつからやってるか知らないけど、全然埋まってないじゃん、それ」「え~と、それは……」
 俺が寝ていたり、百川先生の妨害を受けていたからです。とは言えない。
「それに、先生いないでそれ、一人でやってんの?」「百川先生がさっきまで付いてくれてたけど、用事で呼び出されて行っちゃったんだよ」「あ~、そういえばさっき、ももちー急いでたとこすれ違ったわ」
 長田さんは百川先生のことを「ももちー」と呼んでいる。 先生に対する敬意はないのだろうか? まあ、誰にも分け隔てなく接する長田さんにとっては先生もきっと俺たちと同じ一人の人間として特に意識しているわけでもないのかもしれない。 長田さんは持ってたノートを前の席の机に置き、俺の机の上の教材プリントを確認する。
「え~と、まあ基礎の基礎だよね。難しいとこ一つもないじゃん」「え? まじで?」
 俺のその一言に長田さんはしまったという表情をする。
「ああ~、だよね。ごめん、だから補習やってんだよね」
 謝らないで! 謝られると、俺、泣きそうになる。
「とりあえず、まだやってないとこ……ここからやってみよか?」
 と、指を差した問題は、……そうだよ、俺、この問題がわからなくて眠くなって寝ちゃったんだよ。
「ん? どしたん?」
 固まっている俺に問いかける。
「この問題で詰まっちゃったんだよ。わからなくて」「あ~、なるほど。じゃあこれはこの公式を使ってこの解法やりかたで……」
 そこで俺はさらに固まる。
「ごめん、その公式もわからない……」「え~と、たしか高校で最初に習った公式のはずだけど、教科書はある?」「ちょっと待って、たぶん鞄の中に……」
 俺は鞄をまさぐる。
「でも、ももちー、ちゃんと基本抑えたいい問題選んでるよ。あんなんでも一応教師なんだね」「あんなんでも……」
 たぶん長田さんと俺の想像している「あんなん」は違うものだろう。 俺の脳裏には先ほどの少し病んだ百川先生の姿が浮かんだ。 俺が教科書を探していると、長田さんは自分が座っている席の机の上のチラシを拾い上げそれを見つめる。
「この生徒会選挙のチラシって奥原の?」「いや、ちがうよ。たぶん百川先生のだろうけど、先生が出てったとき風に飛ばされたから俺が拾っといたんだよ」「ふ~ん……」
 俺はさらに鞄をまさぐる。
「しかしこの部屋っち~よね。講習やってた視聴覚室はクーラー効いてたのに」
 そう言うとブラウスの前を摘まみぱたぱたさせる。 その様子を横目で見ると、花網レース模様の下着ブラジャーがちらりと見えた。 ていうか、よく見ると白いブラウスの下にうっすらと透けて見えてる。
「ん?」
 俺が見ていることに気づいてこちらを見る長田さん。 俺は長田さんから視線をそらし、鞄をのぞき込むように教科書を探して誤魔化ごまかす。
「ああ、これかわいいっしょ?」
 ブラウスを引っ張ると下地はピンクで花網レース部分が鮮やかな赤の下着ブラジャーがちらりと見えた。
「ちょっと、やめてよ! 長田さん!」
 俺は鞄を持つ手をまっすぐ突き出し、顔を背け下着の部分を見ないようにする。
「あははは! 奥原マジウケる! そんな気にしないでこれ見せブラだから! つかそんな恥ずかしがんないでよ。こっちが恥ずくなるわ」「いや、実際恥ずかしいことしてるから!」
 俺の反応になおもケタケタと笑う長田さん。 俺は反対側を向き、動揺を押さえつつさらに教科書を探す…が。
「ない」「ん?」「ごめん、教科書持ってきてないや」「あ~、じゃあやり方カタチだけ覚えよっか」
 長田さんはチラシを元の位置に戻し、再び俺の方を向く。
 ガラガラガラ!
 と、今度は後ろの戸が開く。 今度こそ先生が戻ってきた……わけではないようだ。

「コメディー」の人気作品

コメント

コメントを書く