いらっしゃいませ。

残り3ミリのインク

前菜


小さな田舎町に一軒の料理屋がある。
料理屋といってもお客は1日1組だけ。たった1組のためにしか料理を作らない。

「こゆき」
小さな幸せという意味のその店は、細い道を進んで小さな川の橋を渡ったところにある小さな家の住人が営んでいる。

午後16時。
店主の藤原博人は開店にむけて準備を始めていた。カウンターの机を拭き終えたら庭で詰んだ小花を花瓶に生け、しまってある暖簾を手に玄関の扉を開けて、外に出す。
今日も小さな料理屋がはじまる。


「今日はなにを作ろうかな。今日は金曜日だ。」
カレンダーを見て金曜日であることに気づいた俺の顔がテレビにうつって、少し笑っていたので電源を入れニュース番組を見ることにした。

ここにはメニューを置かない。その日のお客さんに合わせて作る料理を決めている。お客さんの性格、気分、好物などをヒントにどんな料理にすれば笑顔になってもらえるか考えながら作る。
これがまた楽しい。
でも毎週金曜日は特別な日。


「喜べ!ひろと!」
よく知ってる、元気な声。毎週金曜日のお客さんが勢いよく扉を開け、店に入ってくる。
「いらっしゃい。とも」
幼馴染みである佐川知之は写真家で、そこそこ有名らしく、毎日忙しくしているようだが、金曜日には必ずお土産を持って店に来てくれる。今日は珍しくスーツを着ているせいか、大人びて見えると思ったが、よく見ると似合っていない。
「めずらしいな、スーツ。今日はどんなものを撮ってきたんだ。」
「おい、顔に出てるぞ!似合わないって。」
しまった、無意識に顔に出ていたらしい。
「ははは。大人びて見えるよ、一瞬だけ。」
「うるさいぞ。仕方なく着てるんだ。今日は撮る仕事じゃなかったからな。でもほら!いいもんもらった!」
「もしかして魚、か?」
「鯛だ!」
「はぁ!?」

俺もともも鯛は大好物だ。




「いいにおいだな〜」
「つまみ食いするなよ。」
「においだけだって」
「まったく。でもなんで鯛なんてもらったんだ?」
ともが質問に答える前にさっきつけたテレビのニュースで理由がわかった。
〈今日都内で春の写真作品展覧会が開かれました。多くの写真家が出展するこの展覧会。全作品の中から最優秀賞に選ばれたのは写真家の佐川知之さんのこちらの作品でした。〉
作品が紹介されるところでともがテレビの電源を消してしまったのでどんな作品か見ることができなかったが、きっとこの鯛はお祝いで誰かからもらったんだろう。
「いいとこだったのに。」
「は、はずかしいって。」
「お前、そんなのでよく作品出展できたな。」
「うるさい。あ、ほら、米炊けたぞ!」
「よし、できた。飯にするか。」
鯛の姿焼き、鯛飯、鯛の昆布じめ、鯛の酒蒸し。組み合わせなんて関係ない。ただ、鯛を楽しむための夕飯。
「なんか、鯛しかないな。」
「いいじゃん!うまそーだ!!!じゃ、いただきます!」
「いただきます。」
食べようとしたその時、扉が開いた音がした。あぁ、そうか。今日も来てしまった。もう一人のお客さま。




「・・あの。探偵さんがいるって聞いたのですが。相談したいことがあるんです。」
黒髪の綺麗な女性のお客さま。笑顔を見せているが、どこか弱々しく元気がない様子である。
「いらっしゃいませ。」
探偵ではないが、いつからかお客さまの悩みを聞くようになって、俺とともは探偵ということになってしまっているらしい。確かにこれまでともの来る金曜はもう一人のお客さまの悩みを解決するため、色々な協力をしてきた。
「美味しそうな鯛料理。あ、すみません。お食事中だったんですよね」
「お好きなんですか?もしよかったら・・」
「何か相談したいことがあるんでしょ」
そうだった。用があるのはそっちだった。
「そうなんです。実は・・」
ぐぅぅ
暗い顔をしている彼女から空腹を知らせる音が聞こえた。
「ははは!」
「すみません、こいつ悪気はなくて」
「い、いえ・・」
「よかったら、食べませんか?」
「いいんですか!」
彼女の顔が明るくなった。
「どうぞ。」
「いただきます!」

午後18時。
ともも彼女も楽しそうに食事をしているし、今は俺も食事を楽しもう。
相談はデザートの時にでも聞くことにする。

ちなみに今日のデザートは自家製バニラアイス。昨日近所の人からもらったお茶でもいれてやるか。




ともは相談役として話を聞き出すのがうまい。
「それで、相談て何かあったのか?」
「はい、実はー」


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