乙女ゲームの攻略対象に転生したみたいなんだけど

猫村

プロローグ

 雪ちゃん、彼の口が動くのを舞台袖から視認する。にこりと微笑むと照れたのか困ったような表情になった。幼馴染の九条奏多かなたはひどく照れ屋だ。赤面症と言った方がいいかもしれない。それくらい些細なこと――例えば目が合うだとかそんなありふれたことで彼の顔はたびたび赤く染まった。
 通常運転の幼馴染に少し笑いが込み上げるも、そろそろ出番だと気を引き締める。今日は高校の部活動としては最後の舞台だ。失敗するわけにはいかない。演目は我が部のオリジナルだ。部長である私と副部長の叶華かのかの二人で相談して大筋を決め、後は台本係にお願いしたのだ。入れたかった要素を軒並み採用してもらい私も叶華もホクホクだ。
 物語の舞台は中世ヨーロッパ。とある貴族の少年少女の恋物語。不遜な王子は自分の思い通りに動かないヒロインを排除しようとするのだが、なかなか心折れない姿に次第に惹かれていく……という物語。ちなみに私が王子訳、叶華がヒロインだ。実はこの脚本を推したのは理由がある。台本係には知らされていないが、この物語には元ネタがあるのだ。『Nightmareナイトメア』という私と叶華が激ハマりしてる乙女ゲームだ。
 学生レベルの舞台ではさすがに表現できなかったので割愛したのだが、魔法のあるファンタジーな世界観だ。攻略対象は隠しキャラ込みで計6人。
 俺様王子、幼少期から天才と謳われる一方で女遊びばかりしている宰相の息子、ゆくゆくは剣聖になると言われている騎士科の無口くん、甘やかし上手なヒロインの義理の兄に神出鬼没の不思議君である隠しキャラ……とその弟。初めてプレイをした時に思った。
 すごい、必ず沼に落としてやるという制作側の熱意を感じる。 キャラのタイプを取り揃えずぎではないか。
 このゲーム、何がすごいかというと各キャラに何かしらの特殊能力があるのだ。特に俺様王子は熱い。彼は人の心の声が絶えず聞こえる能力を持っている。そのせいで人間不信気味で、自衛のためにわざと不遜に振る舞っているという設定がある。熱い。大変熱い。隠しキャラはまだ攻略できていないので詳細が分からないのだがきっと熱い設定があるに違いない。
 緩みきった顔を晒しながら舞台のためのオベンキョウと称してゲームをやった日々を思い出す。うん、頑張った。ゲーム機に噛り付くようにプレイをし続け腱鞘炎になったり、王子役だからと言って王子ルートのスチルを全部ゲットしようとする私を呆れ顔で見守る幼馴染をスルーし続けたり……全ては性癖の詰まったこの舞台の成功のため!

 舞台は大詰め。クライマックスへと向かっていた。叶華演じるヒロインがライトの下でライバルキャラと対峙している。

「――私は彼の弱さも知ってるのッ」
 一人にしておけない。
 呟くヒロインへと歩み寄り、彼女を取り囲むご令嬢方に睨みを利かせる。
「そういうことはカッコ悪いから秘めていて欲しいのだが」
 苦笑すると、ヒロインかのかはふんぞり返って宣う。
「今更でしょう?」
 挑発するような力強い視線。目だけで叶華は私に語る。
『ちゃんと王子やりなさいよ』
 このラストのシーンは原作そのままだった。著作権? パンフレットに叶華と二人で小さく『この舞台はNightmareのオマージュです』と載せておいたからある程度は許されるはずだ。はずだ。うん、だといいな。 余談だが、台本係はこのシーンが原作ままだとは知らない(そもそも原作があることすら知らされていない)。
 私たちが愛したこのシーンを無様なものにするわけにはいかない。息を吸い込み、ヒロインの瞳を覗き込む。目の前にいるのは確かに愛おしい人だった。唇をゆったりと開く。
『悪夢の中で君の存在は光だった』
 どのルートでも攻略対象がヒロインに告げるセリフ。何度も飽くことなく聞き続けたこのセリフを、結果として私は告げることはなかった。
 観客が目を見開く。視線の先には、包丁を握りしめた女生徒がいた。赤茶けた長髪には軽くパーマがあてられており、顔は化粧で艶やかに彩られている。こんな状況でなければ想い人とのデートを連想するその恰好はこの場には似つかわしくなかった。包丁を持っている人物が精いっぱいのおめかし、という風体の少女であることがこの場の異様さをさらに引き立てていた。
 鋭い悲鳴が会場に飽和する。鈍色の光が目の前に現れる。スポットライトに目が眩む。悲鳴が耳の中で反響し、音がよく聞こえない。心臓の辺りがやけに熱かった。視界が赤く染まる。
「雪ッ」
 赤く染まる視界の中、この世の終わりのような表情をした奏多が私に駆け寄るのが見えた。体を抱きかかえられる。不思議と心は揺れなかった。ただそういうものだとでもいうように自然と彼の腕の中に体が収まる。
「呼び捨て、初めて聞いた」「雪、」
 なぜそんなことを今言うのか、自分でも分からなかったけれど。奏多が泣きながら顔を寄せる。
 まったく、かなたは男の子のくせに泣き虫なんだから。わたしが守ってあげなくちゃ。
 視界の端で、鈍色がゆらりと近寄るのが見えた。私を抱きしめる奏多はそれに気づかない。
「かなた、」
 逃げて。
 声は彼に届いたのか。確認するより早く、私の意識は闇の中へと溶けた。

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