17の輪郭

レトビ

自我の誕生 ①

彼は自らの17歳の誕生日を、もっとも平均的な形で迎えた。とても幸せすぎる祝福を受けたわけでもなく、しかし誰の関心もなかったわけでもなかった。家族は彼のために誕生日パーディを開いてくれたし、大きなホールケーキを買ってもくれた。彼の友人は彼の誕生日をSNSで祝ってくれたし、それもまた無難なメッセージであった。だから彼は、決して不幸ではなかった。誰かから認められたいわけでもなかったし、世界を恨もうとも思っていなかった。

彼は熱心に部活動に励む人間だった。体育会系と呼ばれるような人間では無かったが、しかし部活動を休むことはなかったし、練習中は大きな声を上げて仲間との厳しい鍛錬に耐え抜いた。彼は競技者として器用な方ではなかったので、チームのスターティングメンバーとして活躍することは無かったが、しかし特別才能がないわけでは無かったため、何回か試合に出ることはできた。彼の学校は部活動を熱心に取り組むものの、本業は勉学であったから、大会に出場してとてもいい成績をおさめていたわけでもなかった。彼は部活動に励むことに対して誠実な気持ちを持っていたし、だからといって他の活動を蔑ろにするようなこともしなかった。

彼には特段の趣味というものがなかった。関心ごともなかった。しかしテレビはよく見ていたし、SNSもやっていた。それは彼が普通というものに何となく拘っていたからであった。もちろん彼はそんなことを考えもしなかったが。

彼にとって恋愛というのは服を着るのと同じだった。飽きれば捨てるし、流行りのものがあればそれに飛びつく。しかし自分から服を作ろうとか、服とは何だろうとか考えないと同じように恋愛を認識した。自分好みの顔があればそれを求め、気に入らないことがあればそれを別れ文句にした。ただし彼は常識的な男であったから、恋愛の対象になった人間のことを根源的に傷つけるようなことはしなかった。それはつまり、恋愛の過程で生まれるさまざまな問題さえも常識的であったということを意味していた。彼は詰まる所、どこまでいっても常識的な男であったのだ。

彼は17歳の誕生日を迎えた時、恋愛関係にある異性の女が一人いた。彼女と出会ったのは高校二年生の時のクラス替えからであったが、二人の席が近かったことから急速に接近し、誕生日の2ヶ月前に彼が告白をした。その告白は、10代の青年らしい素直でまっすぐで単純なものであったが、彼女はそれを快諾した。彼は彼女のことを何とも思っていなかった。顔は好みであるし、話も合うから気分が悪くもならない。手を繋げばそれなりに興奮する。しかしそれ以上のことは何も感じなかった。女は男のことをひどく気に入っていた。事あるごとに彼を誘い、褒め称え、彼に向けた愛のなんたるかを訴えた。彼はそれも何とも思わなかった。女と付き合うというのは、こういった行為の連続のことを言うのであって、彼女には彼女なりの普通の恋愛の仕方というものがあって、それを彼女なりに解釈して自分に表現しているだけだと思った。

彼女の愛は月日を重ねるごとにエスカレートしていった。彼が17歳の誕生日を迎えたその日の深夜0時きっかりに、女は男にこんなメッセージを送ったのである。

0:00
"17歳の誕生日おめでとう!!
私にとってあなたは特別な人
そんなあなたの17歳が幸せになりますように....!"

彼の世界は、この日から急速に変化し始めた。なぜなら彼にとって、彼女は特別ではなかったからだ。しかし彼女は彼が特別だという。この宣言は彼の心に大きな衝撃を与えた。

「彼女は俺を愛しはじめているんだ。だが俺は彼女を愛したくない。」

彼は、彼女から愛されるということを望んでいなかった。彼は常識で解決できないような面倒なことが嫌いで、愛というのはまさにそれにあたるものだったからだ。ただ顔が好みで、肉体に魅力を感じている。そんな女と付き合っているという事実だけで十分だった。彼は彼女を理解する気など毛頭なかった。そんなことを考えたくもなかった。また彼女もそれを分かっていて自分と交際していると思っていた。だから彼はなおさら衝撃を受けた。しかしその衝撃は、突然苛立ちに変わった。それは彼が今までの人生で経験したことのないような感情の変化だった。

0:12
"俺のどこが特別?"

0:13
"どこがって、、、全部だよ笑
笑顔とか仕草とか。"

0:13
"ふーん
なんか重い笑"

0:15
"え?重いかな笑
重かったとしたらごめんね
これから気をつける!"

0:16
"そういうのが重いんだよね笑"

0:18
"あ、そっか。
つい言っちゃった笑"

0:25
"いいよ笑
もう今日は遅いから寝よう!
また明日!"

0:25
"わかった!
おやすみなさい"

彼は急に自分が特別な存在になってしまった気がした。それが名誉ならいいが、特定の個人からの特別な思いというものには耐えられなかった。彼は突然彼女との交際を断ち切りたくなった。しかし、その理由が見当たらなかった。何か悪いことを自分にしているわけでもないし、人が人を愛するというのはとても常識的な行為だと教わっていたからこれを悪にすることもできなかった。彼はこのことに気がつくと、自分が異常であると思いはじめた。つまり、常識として知っていた「人が人を愛する」という行為を彼が実際に体験した時、これに嫌悪感を抱く自分がいたのである。これは彼にとって、自らの存在そのものが常識でないということを意味していた。それまで常識だと思っていた自分が崩壊していくのを感じた。彼はこの時確かに、自らの存在そのものに初めて疑問を感じたのである。そしてそれが彼にとって自我が芽吹き始めた瞬間でもあった。

"どうやら自分は普通ではない。であるとしたら何者なのだろうか。"

彼は自らの疑問を解決する方法を知らなかった。彼が与えられていた知識では、この問題に対処できなかったのだ。彼はこの疑問を言葉にすることも無いままに、しかし疑問は確かにそこに疑問としてあり、それを放置して生活を続けた。もちろん大抵の人間と同じように、彼はこの疑問を解決しないがために彼自身の人生そのものを棒に振るようなことはしなかった。自分には解決できない問題であると思っていたし、そして多くの人もまたそのことを気にせず生きていることを知っていた。だからこの問題も時間によって無くなるものであると信じた。しかし、彼のその期待を裏切るような大事件が彼の目の前で起きたことにより、事態は急変する。彼の誕生日から3カ月半後、母が父と離婚をしたのである。思春期の少年にとっては絶対者である親の離婚は、すなわち神の矛盾に等しかった。彼の抱いていた常識はその時確かに崩れさった。そして彼が女から受けいてた愛に対する疑問が、再び彼に襲いかかった。

"俺の親は普通ではない。普通ではない親から生まれてきた俺も普通ではないに違いない。きっとそうなんだ。だから俺は彼女の愛を理解できないのだ。"

無論、彼の時代の日本の婚姻状況を考えれば、離婚という現象はむしろ普通である。しかし自分の親という、つまりは現象よりも常に優先されうる存在に対しては、この統計的な事実は無に等しかった。彼のこの時の精神的な崩壊は、彼の健康にまで影響を及ぼした。彼は眠ることができなくなった。そして眠ることができないために、学校を休むようになった。そして彼は学校を辞めた。彼の健康状態に正式な病名をつけるとすれば、鬱である。

彼の付き合っていた女は毎日のようにメッセージを彼に送ったが、それらはむしろ彼の心を蝕んだ。彼が最も逃避したいと思っていた愛への拒絶反応を自覚していったからだ。自覚は、やがて確信へと変わりうる。そして確信は、狂気を誘発する。彼は完全に世界を拒絶した。するほか無かった。なぜなら彼が世界を拒絶しなければ、世界が彼を拒絶すると思ったからだ。しかし、彼は自らの命を自らの手で絶とうとも思わなかった。たとえ自らが世界から拒絶されていることを自覚しても、自らを消すという恐怖に耐えるだけの覚悟もなかったのだ。彼は生命力だけは人並み以上であった。彼が置かれた状況は板挟みだった。世界から否定されるべき自らの存在と、否定されてもなおこの世界に存在し続けたい自分というものが明確に出現した。彼はこの限界状況において初めて自我を認識する。第2の誕生である。しかし彼にはこの事実を言葉にする力は無かったから、この現象に自我の認識という概念を与えられなかったことも事実である。つまり彼にとっては、「今の自分は常識的ではない」という「苦痛」を感じながらも「どうやらそれが俺の真の姿なのではないか」という「確信」があるだけだった。

鬱というのは自分の力だけでは絶対に治すことはできない。病気というのはそういうものである。離婚から2年経っても、彼はいまだに家の中から出てこなかった。そして、彼の移動する場所は寝床とリビングとトイレのみであった。それほどに彼は世界のことを考えるのを拒否したのだった。

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