裏切られた俺と魔紋の奴隷の異世界冒険譚
251話
朝食を終えたあと、昨晩のうちにイーラと試行錯誤して作り上げた体へと変身し、姿見で最終チェックをしていた。
変身後の俺は肌が白く、顔の堀が少し深くなり、鼻筋の通った高い鼻にも驚きだが、骨格も若干変わったように見える。
髪も真っ赤なショートヘアに変わり、この見た目で俺だと気づけるやつはさすがにいないだろ。
学校では冒険者コースなんてのもあるらしいし、体格や身長は動きに影響が出ちまうから変えなかったが、俺くらいの身長や体格はどこにでもいるから、そんなことで俺だとわかりゃしないだろ。
匂いはイーラが包んでいるからしないだろうし、予想以上の完璧な変装だ。
口や目や鼻や耳の穴は塞がないようにしてくれているし、不思議とイーラの重さも感じないからなんの支障もない。
「そんじゃ早速向かうから、テンコは俺の中に入っててくれ。テンコはキツくなったら早めにいってくれよ。人前でテンコの姿を見られたら俺だってすぐにバレちまうから。」
「「はい。」」
2人は気を使って声に出さずに返事をしたせいで、もし聞いてるやつがいたら俺が独り言をいってるように思われただろう。
まぁ気配察知を使っていても反応がないから、聞いてるやつなんかいないだろうけどな。でも、これからは俺も念話で話すことにしよう。
『超級魔法:扉』
さすがにこの姿を村のやつらに見られるわけにはいかないから、部屋とゴブキン山の山頂を繋げた扉を出現させ、潜った。
辺りを見渡しながら気配察知の範囲を広げるが、反応はないみたいだ。
他のやつらにバレたくないことや学校に通うつもりだということは昨日のうちにイーラとテンコに話してあるから、俺がわざわざ魔法で外に出たことに対して2人は何もいってこなかった。
扉を消して山を急いで下る。
朝のテストとやらが何時から始まるのかわからねぇから、テンコの力をフルに使って、一度村とは違う方向に全速力で下り、そこから山を回るように小走りで村へと向かった。
村に近づいていくと俺の他にも村に向かっているやつがチラホラと見えてきた。
だいたいのやつは歩いて向かっているが、俺を追い抜く勢いで走っているやつも何人かいた。
そういや先着順なんだったよな。
時間内に着けばいいってわけじゃねぇんだったと思い出し、俺は走る速度を少し上げ、歩いているやつを追い抜きながら村へと向かった。
村の学校区画の門の前に着くと、門の外にある教室の入り口に行列が出来ていた。
まさかなと思いながら教室の入り口に向かうと、やっぱり入場待ちの列のようだ。
こんなに人気あんのかよ!
並んでる人数を数えながら最後尾に並んだが、まだ入場可能時間にもなってないのに俺の前に30人もいやがった。確か定員40人だったよな?
まぁ間に合ったから良かったが、走ってなかったら無駄足になってたな。
「こんにちは。ここって村への入場試験を受ける列で合ってますか?」
明日からは昼過ぎからだから問題ないが、もうちょい調べておくべきだったな。下手に聞いたらアリアとかに勘付かれると思ったから聞かなかったが、危なく失敗するところだった。
まぁ、間に合ったから問題ねぇんだけどさ。
「リキ様、後ろの人がさっきからツンツンって突っついてきてるよ。」
俺が一息ついたところでイーラが声をかけてきた。
後ろ?と思いながら振り返ると、俺の肩くらいの身長の女が俺を見ていた。
「あ、こんにちは。ここって村への入場試験を受ける列で合ってますか?」
女が微笑みながら聞いてきた。
どうやらイーラを纏っているせいで、ツンツンと突かれる程度だと俺まで届かないみたいだな。今着ているのはただの服だから厚みはないんだが、全く気づかなかった。
「俺も初めてだからわからね…ないけど、そうだと思う…よ。」
せっかく変装しているのだから口調も変えるべきだと気づき、咄嗟に変えたから言葉が詰まっちまった。
「そうですよね。私も初めてだったので、つい聞いてしまってごめんなさい。ちょっと入り口まで行って確認してきます。」
女が列から出ようとしたから、腕を掴んで止めた。
「入り口には係の人とかいなかったから、並んでた方がいいと思うよ。定員はたしか40人だったから、今抜けちゃうと今日は受けられなくなっちゃうだろうし。」
俺が女の後ろに続く列に目を向けると女もつられて後ろを見た。
既に10人以上が俺らの後ろに並んでいたから、今抜けて並び直したらアウトだろ。
「ありがとうございます。」
年齢は俺とそこまで変わらなそうなのに、こんな屈託のない笑顔を向けられるなんて凄いな。女の革鎧を纏った格好を見るに冒険者なんだと思うが、荒んだ様子がない。もしかしたら頭のネジが数本外れているやつなのかもな。
いや、冒険者が荒んでるとかただの俺の偏見だな。
勝手に失礼なことを考えちまった。
「気にしないでいいよ。同じ日に試験を受けるのも何かの縁だからね。」
「最初に会った方がいい人で良かったです。私はリスミナです。よろしくお願いします。」
俺がいい人?…笑えない冗談だが、悪い気はしねぇな。
「俺は……。」
ヤバい。変装したのに名前を考えてなかった。
咄嗟に出てくるほど俺はネーミングセンスのある人間じゃねぇから困る。
面倒だから俺とイーラとテンコから名前を取ればいいか。
…。
「…テキーラだよ。よろしくね。」
なんか失敗した気がする。
“テ”ンコ、リ“キ”、イ“ーラ”でテキーラって思いついたが、もっと良い組み合わせがあったんじゃねぇか?いや、もう名乗っちまったから遅いんだが。
俺が誤魔化すように微笑んだら、右手を取られて強制的に握手をさせられた。
人懐っこいというか、男に好かれそうなタイプだよな。
茶色いミディアム程度の長さの髪は毛先にだけパーマがかかったように緩くウェーブがかかっている。茶色いまつ毛に縁取られた眼は栗色で、少しタレ目のおかげか柔らかい印象がある。
指輪、ネックレス、イヤリングといった装飾品を一切してないところを見るに、オシャレに気を使っているわけではなく、天然物の整った容姿なんだろう。年齢は俺と同じくらいだと思うんだが、笑っているからか少し幼く見えるせいで、綺麗というより可愛いというべき顔つきをしていた。
この世界には顔の整ってるやつが多いイメージはあるが、こいつもわりと整ってる。それにイーラやセリナのような人懐っこさがあるから、男を勘違いさせそうなタイプだ。
さすがにローウィンスやセリナほどに万人ウケする綺麗さでもクリアナのように色気があるわけでもないが、手の届きそうな位置にいるように感じさせる雰囲気を放っているからタチが悪い。
こういうのはイケると思って告白したら、そんなつもりじゃなかったと本心でいってくるタイプだろう。
まぁ俺のタイプじゃないから問題ないし、クラスメイトとしては接しやすいタイプだから、案外最初に知り合えたのはラッキーだったかもな。
「テキーラさんはどこから来たんですか?」
話は終わったかと思ったんだが、もしかして初対面なのに教室に入るまで話して時間を潰す気か?
いや、今後しばらく一緒になるかもしれねぇんだから、今のうちに慣れとくか。気を使い続けるのは疲れるだろうし、1人くらい気を使わない相手がいた方が今後が楽だろうしな。性格が合わなければ向こうから離れていくだろうし、無駄に気を使うのはやめておこう。ただ、口調は気をつけなきゃだが。
それにしてもこれにはなんて答えたらいいんだ?
「俺はラフィリアからだよ。あと、俺に敬語は必要ないから。」
「じゃあテキーラくんって呼ぶね。私のことはリスミナって呼び捨てでいいからね。」
「あぁ、好きに呼んでくれ。リスミナはどこから来てるの?」
一瞬素が出そうになったのをなんとか抑える。
別人になりきるって難しいな。
「私はカテヒムロを拠点にしてたんだけど、今はラフィリアの宿に泊まってるよ。ギルドの隣は空いてなかったから鈴の木亭って宿屋からしばらくは通うつもり。テキーラくんはどこの宿屋なの?」
これはマズイな。
宿屋なんて借りてねぇし、宿屋に名前があったことを知らんかった。誰も教えてくれなかったからな。
「俺は知り合いのとこから通ってるから、宿屋じゃないんだよね。カテヒムロって精霊樹の森があるところだよね?」
「もしかしてテキーラくんはカテヒムロに来たことあるの?」
これ以上聞かれないように話を逸らすことにしたんだが、どうやら話に乗ってくれたみたいだ。
「前に首都に行ったことがあって、精霊樹の森の話をちょっと聞いただけなんだけどね。」
「精霊樹の森は強い魔物がいっぱいいるから、中に入るのは危ないけど、外から見るだけでも綺麗だから一回見た方がいいよ!」
強い魔物なんかいたっけか?たまたま会わなかっただけかもしれねぇな。
「外からなら見たよ。凄いの一言だったね。自然の力強さに圧倒されたよ。」
「凄いよね!もっと強くなって中も見てみたいな。」
リスミナが惚けた顔で遠くを見つめていた。
よっぽど精霊樹の森が好きなんだろうな。この世界で自然の良さに共感されたのは初めてかもしれない。
「リスミナは精霊使いなのか?」
「ん?違うよ。私はただ精霊樹も見てみたいってだけだよ。」
力を求めてとかじゃなくて、本当にただ見たいだけなんだな。
「見れるといいな。でも、もし奥まで行けても精霊樹には触るなよ。」
「え?テキーラくんって行ったことあるの?」
やべぇ、つい余計なことをいっちまった。
「いや、聞いた話なだけだよ。精霊樹のところにはもの凄く強い奴がいるらしいんだけど、手を出さなければ攻撃はしてこないらしい。ただ、精霊樹に触れただけで殺されたやつもいるらしいから、見るだけにした方がいいよ。」
リスミナは驚いた顔をした後に苦笑いになった。
「やっぱり危険なところなんだね。もっと強くならないとな。」
その後も当たり障りない会話をしていたら、サラが門の方から鍵を持って歩いてきた。
今日はサラがここの担当なのか?
サラは入り口から列の人数を数えながら近づいてきて、一度立ち止まって爬虫類のような目で俺の顔を見た。その後はまた数を数えながら通り過ぎていった。
一瞬、バレたかと思ってヒヤッとした。
もし気づかれたとしたら察知能力ヤバすぎだろ。
「今の子、鱗族だったね。初めて見たよ。怖いって噂しか聞いたことなかったけど、可愛い子だったね。」
リスミナがニコニコしながらサラを目で追っていた。
まぁ6歳児だから可愛く見えるんだろうな。俺の観察眼で見た感じだと、たぶんリスミナよりサラの方が強いだろうけど。
「1人くらい多くたっていいじゃねぇか!俺は昨日も一昨日も並んでるんだぞ!」
「ダメなのです。40人と決めているのです。1人を許せば、2人、3人と際限がなくなるのです。」
男の怒鳴り声が聞こえて視線を向けると、2メートル近くありそうな筋肉質の男と6歳児がいい合いをしていた。
6歳児ってのはサラなんだが、サラは怒っているわけではなく、決まりだからと断ってるだけみたいだ。
「じゃあお前代われ!」
男がターゲットを男の前に並んでいたやつに変え、勝手なことをいいながら手を伸ばしたところで、サラの槍が邪魔した。
「ルールが守れない人に教えることはないのです。二度と来ないでほしいのです。」
6歳に叱られる大人って絵面がヤバイな。サラが真面目に仕事してるから我慢しているが、笑いを堪えるのが辛い。
隣にいたリスミナを見てみると、俺と違って心配した顔で見ていた。腰の剣に手を添えているってことは、いざとなったらサラを助けるつもりなんだろう。
まぁサラの方があの男より強いだろうからリスミナの出番はないけどな。
「さっきからガキのくせにうるせえぞ!」
男がサラを掴もうと右手を伸ばした。
拳を握ってないから、さすがに子どもに本気を出す気はなかったんだろうが、サラはそんなことを察せるほどは鍛えていない。だから、迷わず槍をくるりと回して男の右腕を絡みとり、そのまま捻るように持ち上げて地面に叩きつけた。
いろいろ鈍い音が聞こえたからわかっていたが、男の右腕の関節が3つくらい増えていた。
『ハイヒール』
「今日の受講者はここまでなのです。間に合わなかった方は、また明日以降に来てほしいのです。」
サラは男の腕を治した後、何事もなかったように男より後ろにいるやつらに向かって説明して頭を下げた。
こんな光景を見て文句をいえるやつはいなかったらしく、静かに散っていった。
それを確認したサラは入り口に歩いて戻り、試験場の鍵を開けたようで、列が進み出した。その流れに従って俺も進んだ。
入り口の所にはサラが立っていて、入って行く俺らを眺めている。中に入ると、受付に村のガキが2人座っていた。
受講者たちは一度受付に寄ってノートや鉛筆なんかを持ってることを見せ、持ってないやつは受付で買うみたいだ。
すっかり忘れてた。なんも用意してねぇや。
「用意すんの忘れたんだが。」
「え?リ…いえ、ごめんなさい。筆記具や紙束の用意をしていない方はこちらから好きなのをご購入ください。」
俺の番がきたときに正直に答えたら、驚いた顔をされて買えといわれた。他にも持ってきてないやついるのに、なんで俺だけ驚かれたのか意味わからん。というか、値段が読めん。
「オススメはどれですか?」
「銀貨10枚のこの組み合わせです。」
ペンとインクと紙束のセットで銀貨10枚か…クソ高えな。ちょっとした武器が買えちまう値段じゃねぇか?
だが、買うしかねぇから買うんだけどさ。
アイテムボックスから銀貨10枚を取り出して払い、ペンとインクと紙束の3点セットを受け取った。
まぁこれだけあれば俺が学校に満足するまでの分くらいはあるだろうからいいか。
俺が買い物を終えて受付から退こうとしたら、隣でリスミナも同じく用意してなかったために鉛筆と紙束を買っていて、銀貨5枚を支払っているのが見えた。…なぜに半額!?
俺が驚いて見ていたからか、リスミナと目が合ってしまった。リスミナは俺と目が合うと苦笑いとなって話し始めた。
「もっとちゃんと調べて、ラフィリアで買っておくべきだったよ。しばらく収入なくなるのに銀貨5枚はちょっと痛いな。」
リスミナはチロっと舌をだして失敗したという表情をした。
リスミナが失敗なら、その倍額払った俺は大失敗じゃねぇか。
いつまでも受付のところにいたら邪魔だから、俺たちは歩きながら話すことにした。
「なんで俺と値段が違ったんだ?」
「それはテキーラくんが買ったのがペンとインクで、私が買ったのが鉛筆だからだよ。鉛筆は使うと減るし、落とせば芯が折れるし、減ったり折れたりしたら削らなくちゃいけないからちょっと面倒なんだよね。それに擦ると書いた文字が読めなくなることもあるらしい。でも、さすがに銀貨10枚は出せないから私はこっちにしただけだよ。」
俺としてはこんなちゃんとしたペンや万年筆は使ったことないから、鉛筆の方が良かったんだがな。
本当ならリスミナの鉛筆と交換したいくらいだが、さすがに倍額払ったのに交換するのは気がひける。まぁペンに慣れればいいだけか。
教室の席は自由らしく、だいたいのやつが前から座っていってるみたいだ。だから残ってるのは後ろの方の席だけだ。まぁ自由ならもとから後ろに座っていただろうからなんの問題もない。
俺が1番後ろの窓際に座ったら、リスミナが右隣りの席へと座った。
まだ他の席も空いているのに俺の隣に来たのは話の途中だと思ったからか?まぁ俺としてはちょうどいいけど。
「リスミナは文字の読み書きは出来るの?」
「読むのは一応出来るけど、書くのは自信ないかな。テキーラくんは?」
「イーラは読み書き出来るよ!」
俺はリスミナに確認を取ったのにイーラまで答えてきた。
イーラは念話で答えたからリスミナには聞こえていないだろうが、俺の精神は確実に削られた。戦闘ならまだしも、頭を使うことでイーラに出来て俺に出来ないとか…もっと早く覚えようとしとくべきだったな。
「恥ずかしながら読めないし、書けないんだよね。」
「べつに恥ずかしいことじゃないと思うよ。ギルドでも掲示板の依頼が読めないから受付の人に見繕ってもらってる人もいるからね。」
そういう方法があったのか。俺は文字が読めないからって最初から依頼は諦めてたわ。
「でもアリアは文字が読めない人なんてあんまいないからちゃんと覚えろっていってたよ?リキ様といたいなら必須だって。」
「テンコもいわれた。」
「そうか。だが、悪いけど今は黙っててくれ。」
2人に悪気がねぇのはわかってるが、言葉の暴力がここまで強力だとはな。
せっかくリスミナがフォローしてくれたのに、気を使ってくれてるのがわかって複雑な気持ちだ。
「今まで覚える必要がないと思ってたけど、今日で覚えることにするよ。わからないところがあったら聞いてもいいかな?」
「私でよかったらいくらでも聞いて。でも、私もわからないこといっぱいあるから、一緒に頑張ろうね。」
俺を浄化でもするつもりなのか、眩しいくらいの笑顔を向けてきた。
こういうやつをいいやつっていうんだろうな。
俺らが何気ないことを話していたら、サラが教室に入ってきて、教壇に立った。
「みなさん。おはようございます。定員数が揃ったので、授業を始めるのです。本日の大陸共通語、平民文字を担当するサラなのです。質問は休み時間に受け付けるので、聞きたいことは忘れないように紙に書いておいてほしいのです。授業中の質問は控えるようにお願いするのです。」
サラが真面目な顔で説明を始めたが、すまん。6歳児が教壇に立つ違和感が半端じゃねぇ。
「おいおいこんなガキが俺たちに教えるだと?ふざけてんのか?」
20代半ばくらいの男が鼻で笑ながら立ち上がって文句をいい始めた。
気持ちはわかるが、実際ここにいるやつらは教わりに来てんだから黙って教わるべきだろ。
というか、見た感じサラとどっこいどっこい程度の実力しかなさそうなんだが、よくあんなナメた態度とれんな。まぁ見た目で騙されるってのもないとはいわないが、さっきの外での戦闘ともいえない騒ぎを見てなかったのか?
サラはずいぶんと冷めた目で男を見た。
いつのまにかサラもそんな顔をするようになっちまったんだな。ちょっと複雑な気分だ。
「やる気がないなら帰ってもらっていいのです。」
「はぁ?じゃあ村に入れてくれよ。俺は文字なんてどうだっていいんだよ。村での訓練がいいっつうからどんなのか見にきたんだからよ。」
こいつは何様のつもりなんだ?普通に不快なんだが。
「あなたは勘違いしているのです。ここはリキ様の温情で、学ぶ機会のない方々に無償でチャンスを与える場なのです。文字の大切さがわからないのはまだしも、この程度を我慢出来ない人がこの後の訓練や勉強に耐えられるはずがないので、そんなあなたに割く時間が無駄なのです。なにより、リキ様に感謝の心がない時点であなたにここで学ぶ資格はないのです。邪魔なのでさっさと帰るのです。」
「てめぇ…。」
あまりにもハッキリといったサラにたいして、男が怒りの形相を浮かべた。
いや、俺に感謝とかどうでもいいが、たしかに先生が子どもだからって文句をいうようなやつは邪魔だよな。ここの先生はだいたい未成年だし。
男が机を横に吹っ飛ばして前に出ようとしたところで、サラが飛び出した。
サラの動きに反応出来なかった男は足を払われて宙に浮き、そのまま槍の石突きで肩を潰されながら地面に叩きつけられていた。
サラが俺が知ってる頃より強くなってるんだが。しかも、観察眼で見て思ってたより確実に強い。
サラが教壇から男のもとに向かい組み伏せるまでの短い間だが、全身に緑色の鱗を纏い、爬虫類のような目になっていたから、それが能力上昇の理由だろう。既にサラは元に戻っているから、それなりに目がいいやつじゃなきゃ変化してたことに気づけなかっただろう。
というか、あれって先祖返りってスキルじゃねぇのか?一瞬変化した姿の方が今のサラよりよっぽど鱗族って感じだったし。でも、たしかサラはあのスキルを使うの嫌がってたよな?なんで普通に使ってんの?いや、べつにいいんだけどさ。
「あの子って鱗族だと思うから、ドワーフってことはないし、まだ子どもだよね?ここの先生ってくらいだから強いんだとは思ってたけど、子どもなのにあんなに強いとは思わなかった。動きがほとんど見えなかったよ。あんな子どもをあそこまで強くするって…リキって人はどんなキツい訓練させたんだろ。あっ、様つけないと怒られるかな?」
痛みに呻いている男が受付のガキどもに運び出されるのを見ながら、リスミナが話しかけてきた。
あの状況を見てずいぶん楽観的というか、完全なる他人事というか…いや、間違っていないんだが、こいつ程度の実力しかなさそうな他のやつらはビビってるやつもいるのにこいつはそういう感情はないみたいだ。
やっぱり頭のネジが足りてないのか?
こいつの場合は間違ったことをしなさそうだし、自分に矛先が向くとは微塵も思ってないから怖いとか思ってないだけかもな。
「べつにリキも冒険者なんだし、様をつける必要はないんじゃないかな。いっそ呼び捨てでもいいとは思うけどね。」
「今のを見てそんなこといえるって、テキーラくんは勇気があるね。」
リスミナにいわれたくはねぇよ。
俺の場合本人だし。
吹っ飛ばされた机や倒れた椅子をもとに戻したサラが教壇に戻り、一度全員を見渡した。
「他にも帰りたい人がいるなら帰ってもらっていいのです。」
サラの言葉に反応するやつは1人もいなかった。
「それでは、他の方はやる気があると判断して、授業を始めるのです。」
そういったサラが教卓の上の砂時計をひっくり返した。
この世界に砂時計なんてあるんだな。初めて見た…いや、前に村を見て回ったときに学校区画内で結構見たな。そのときは気にもしてなかったから完全な背景と化していたけど。
意識したら、この教室の左前にもデカイのが1つあるし、今さら驚いている自分に驚きだ。
というか、時計がないのにどうやって砂時計の時間を合わせてんだ?
「今回文字を覚えるにあたって、アリア先生式を使うのです。覚えやすいので、活用することをお勧めしているのですが、既に文字の読み書きが出来る方は無理にやり方を変える必要はないのです。ですが、学ぶ必要がないからといって、他の方の邪魔をする方は帰ってもらうので、気をつけてほしいのです。ではまず、みなさんには“あいうえお”の5文字を覚えてもらいたいのです。」
そういってサラが黒板の端の方に縦に五つの模様を書いた。
「これが上から順にあいうえおなのです。次に隣に“たちつてと”と書くのです。」
そしてまた、あいうえおの隣に5つの模様を書いた。たちつてとにもあいうえおと同じ模様が含まれてんだな。
「なぜ“たちつてと”で並べたのか、もう気づいた方もいると思うのです。文字の左側を見てほしいのです。この5文字は全て同じになっているのです。」
隣りのリスミナから小さく「おぉ…。」と感嘆の声が聞こえた。こっちではあいうえお表とかないのか?
「今度は右側を見てほしいのです。上から順にあいうえおと入っているのです。他の文字も特殊な1文字を除いて、右側はあいうえおのどれかが必ず入るのです。試しに“はひふへほ”と書くのです。」
そういってサラがまた黒板に縦に模様を並べた。左側は5つとも同じで、右側が上から順にあいうえおと同じになっている。つまりこっちの文字の作りはローマ字のようなもんか。これなら左側の形だけ暗記すれば午前中で覚えられそうだな。
「これがはひふへほなのです。このように左側が同じ文字で出来ていて、2つの組み合わせからなるものが多くて5文字あるのです。それらを縦に、あいうえおと同じものをそれぞれ横に並べることで、まとめることが出来るのです。」
サラは説明しながら表を作っていき、全てを一度発音した。
まだ小さい文字が出てきてないから全てではないんだろうが、“だ”の列や“わ”の列が書かれているのを見るに、ぢ、づ、を、はこの世界では使われてないみたいだな。
「もし書き写したい方は書いていいのです。授業が続く限りは消さないので、焦らなくて大丈夫なのです。今まで書いたのは全て右と左の2つから出来ている文字なのです。なので、次は3つから出来る文字を並べていくのです。」
説明しながら文字を書いているサラの後ろ姿に違和感は消えないが、ちゃんと先生を出来ているじゃねぇか。いつも頑張っている姿は見ていたけど、いつのまにか人に教える立場になってるってのは感慨深いな。
「見てもらうとわかると思うのですが、3つの組み合わせからなるものには右側に“やゆよ”が含まれるのです。“さしすせそ”に使われている左側にやゆよとつけると読み方はしゃしゅ…。」
サラが1文字ずつ読んで説明していく。
小さい文字ってのはなくて、1つの文字に組み合わせているわけか。
「3つからなる文字は基本が今書いたものなのですが、例外があるのです。“ふ”の文字の右に“あ”を付けるとファ、“い”を付けるとフィ、“え”を付けるとフェ、“お”を付けるとフォ…。」
その後もサラがシェとかディとかの説明をしながら文字を書いていく。
小さい文字を追加するときは右側に追加すると覚えればよさそうだな。
「…そして、もう一つ例外なのですが、左側の文字を重ねると一泊おく言葉になるのです。」
小さい文字の説明を終えたサラが、新しい文字の説明を始めた。だが、一泊おくってなんだ?
「例えば、これで“やっぱり”なのです。これだと“だって”なのです。」
あぁ、小さい“つ”のことか。完全にパソコンで文字打つときのローマ字だな。
途中から薄々感じてはいたが、これ考えたの日本人じゃねぇの?でもだとしたらわざわざ字を変える必要がねぇし、気のせいか?
ここまで共通点があるのにたまたまだっていうのか?
いや、気にしたところで、何かあるわけじゃねぇからどうでもいいか。
これがこの世界の文字だっていうんなら覚えるだけだ。
「こういうように文字をまとめることを学校長のアリア先生が考えたので、自分たちはアリア先生式と呼んでいるのです。この並びはアリアさんが最初に使ったままなので、自分が覚えやすい並びに変えても問題ないのです。」
俺はやっぱりあいうえお表と同じ順の方が覚えやすいから、あかさたな順に直して紙に書き写した。
最初はペンにインクをつけすぎたり、紙の質があまり良くないせいか穴をあけちまったりして、ペンって使いづらいと思ったが、慣れてくると案外普通に使えんな。
「実は、この中に1文字だけ書いてないのがあるのです。」
俺が書き写し終わって顔を上げると、サラが話し始めた。まるで俺が書き終わるのを待っていたようなタイミングだと感じるほどにジャストタイミングだった。
「それは“ん”です。これだけはあいうえおと同じで1つで出来てる文字なのですが、これ以外では使われていない特殊な文字なのです。…ここまでで一度休憩にするのです。この小さい砂時計が落ち切ったら授業を再開するので、それまでに質問やトイレは済ませてほしいのです。それでは、お疲れ様なのです。」
サラは“ん”の文字を書いた後に、最初にひっくり返した砂時計が落ち切ったのを確認し、授業の終わりを告げた。あの砂時計は授業時間を計ってたんだな。
そのあと凄く小さな砂時計を取り出してひっくり返した。カップラーメン用に昔使ってたのより少し大きいくらいのサイズだな。
さて、一応トイレに行っておくかな。
俺が席を立つと、他にも席を立つやつがけっこういた。この中には男の方が割合が多いってのもあるだろうが、今立ち上がったのは全員男だ。これはトイレが混むかもな。
待つのは面倒だし、次の休み時間でいいかなと座り直そうかと思ったら、今立ち上がったやつらはサラへの質問のためだったみたいで、紙束を持ってサラのところに向かっていた。
休憩時間はちゃんと休んだ方がいいと思うんだが、みんな真面目なんだな。
教室から出るやつは1人もいないみたいだし、やっぱり今のうちにトイレに行っておこう。
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